血笑記 - 4
「何《なに》か喚《わめ》いてる。」
「痛《いた》いのだ。もう花《はな》も歌《うた》もないからな。さあ、己《おれ》がお前《まへ》の上《うへ》へ乗《の》つかるぞ!」
「乗《の》つかつちや、重《おも》たい、氣味《きみ》も惡《わる》い。」
「死《し》んだ者《もの》なら、生《い》きてる者《もの》の上《うへ》に乗《のツ》かるべき筈《はず》だ。溫《あツた》かいだらう?」
「溫《あツた》かです。」
「好《い》い心持《こゝろもち》か?」
「死《し》にさうだ。」
「目《め》を覺《さま》してワッといへ。目《め》を覺《さま》してワッと。己《おれ》はもう行《ゆ》く…」
(斷篇第十六)
戰鬪《せんとう》が始《はじ》まつてから、もう八|日目《かめ》になる。過《すぐ》る週《しう》の金曜《きんえう》に始《はじ》まつて、土曜《どえう》、日曜《にちえう》、月曜《げつえう》、火曜《くわえう》、水曜《すゐえう》、木曜《もくえう》と過《す》ぎて、又《また》金曜《きんえう》が來《き》て其《それ》も過《す》ぎたが、まだ戰鬪《せんとう》は止《や》まぬ。兩軍《りやうぐん》の兵數《へいすう》十|萬《まん》、それが相對《あひたい》して一|步《ぽ》も退《ひ》かずに、凄《すさ》まじい音《おと》を立《た》てゝ、息氣《いき》をも續《つ》がず破裂彈《はれつだん》を打《う》ち合《あ》ふので、刻々《こく〳〵》に生人《せいにん》が死人《しにん》になつて行《ゆ》く。段々《だん〳〵》轟々《ごう〳〵》と絕《た》えず空氣《くうき》を撼《ゆす》る其《その》砲聲《はうせい》に、空《そら》も動搖《どよ》んで眞黑《まツくろ》な夕立雲《ゆうだちぐも》を呼《よ》び、雷霆《らいてい》は頭《あたま》の上《うへ》で磤《はた》めくけれど、敵《てき》も味方《みかた》も此處《こゝ》を先途《せんど》と討《う》ちつ討《う》たれつしてゐる。人《ひと》は三|晝夜《ちうや》眠《ねむ》らんと、病《やまひ》を得《え》て物《もの》も覺《おぼ》えぬやうになるといふのに、况《ま》して是《これ》はもう一|週間《しうかん》も眠《ねむ》らずに居《ゐ》るのだから、皆《みな》狂氣《きちがひ》になつてゐる。であるから、苦《くる》しいとも思《おも》はない、退《ひ》かうともしない、一人《ひとり》殘《のこ》らず討死《うちじに》して了《しま》ふ迄《まで》は、奮鬪《ふんとう》せんとするのだ。風聞《ふうぶん》に據《よ》ると、某隊《ぼうたい》では彈藥《だんやく》が盡《つ》きて、石《いし》を投《な》げ合《あ》ひ、拳《こぶし》で毆《う》ち合《あ》ひ、犬《いぬ》のやうに咬《か》み合《あ》つたと云《い》ふ。若《も》し此《この》戰鬪《せんとう》の參加者《さんかしや》で生還《せいくわん》する者《もの》があつたら、狼《おほかみ》のやうに牙《きば》が生《は》えてゐやうも知れぬが、恐《おそ》らく生還者《せいくわんしや》は有《あ》るまい、皆《みな》狂《くる》つてゐるから、一人《ひとり》殘《のこ》らず討死《うちじに》して了《しま》はう。皆《みな》狂《くる》つてゐる。頭《あたま》の中《なか》が顚倒《てんたふ》して何《なに》も分《わか》らなくなつて居《ゐ》るから、若《も》し急《きふ》にグルッと方向《むき》を變《か》へさせられたら、敵《てき》と思《おも》つて味方《みかた》に發砲《はつぱう》しかねまいと思《おも》はれる。
奇怪《きくわい》な噂《うはさ》がある…奇怪《きくわい》な噂《うはさ》で、怖《おそ》ろしくもあるし、只《た》だ事《こと》でないと虫《むし》が知《し》らせたから、皆《みな》蒼《あを》くなつて、ひそ〳〵と咡《さゝや》く。あゝ、兄《あに》に聞《き》かせたい、皆《みな》赤《あか》い笑《わらひ》の噂《うはさ》だ。聞《き》けば、幻《まぼろ》しの部隊《ぶたい》が現《あら》はれたと云《い》ふ。いづれも何《なに》から何迄《なにまで》生人《せいじん》と些《ちつ》とも違《ちが》はぬ亡者《もうじや》の集團《しふだん》だ。夜《よ》は狂《くる》つた人逹《ひとたち》が霎時《しばし》の夢《ゆめ》を結《むす》ぶ時《とき》、晝《ひる》は晴《は》れた日《ひ》も黃泉《よみ》と曇《くも》る戰《たゝかひ》の眞最中《まツさいちう》に、忽然《こつぜん》と現《あら》はれて、幻《まぼろ》しの砲《はう》で發砲《はつぱう》して、怪《あや》しの砲聲《はうせい》に空《そら》を撼《ゆす》ると、生《い》きてはゐるが、氣《き》の狂《くる》つた人逹《ひとたち》が、事《こと》の不意《ふい》なのに度《ど》を失《うしな》つて、死物狂《しにものぐる》ひに其《その》幻《まぼろ》しの敵《てき》と戰《たゝか》ひ、怖《おそ》れて取逆上《とりのぼ》せて、一|瞬《しゆん》の間《ま》に白髮《しらが》になり、紛々《ふんぷん》と死《し》んで行《ゆ》く。幻《まぼろ》しの敵《てき》は忽然《こつぜん》として現《あら》はれて、又《また》忽然《こつぜん》として消《き》え失《う》せる。と、寂然《しん》となつた跡《あと》を見《み》れば、散々《さん〴〵》に形《かたち》の害《そこな》はれたまだ生々《なま〳〵》しい死骸《しがい》が、狼藉《らうぜき》と地上《ちじやう》に橫《よこたは》つてゐる。敵《てき》は果《はた》して何者《なにもの》だつたらう? 敵《てき》の果《はた》して何者《なにもの》だつたかを、私《わたし》の兄《あに》は知《し》つてゐる筈《はず》だ。
二|度目《どめ》の戰鬪《せんとう》も終《をは》つて、四下《あたり》は寂然《ひツそり》となる。敵《てき》は遠方《ゑんぱう》だ。それだのに、闇夜《やみよ》に突然《とつぜん》ドンと一|發《ぱつ》怯《おび》えたやうな筒音《つゝおと》がする。それツと跳起《はねお》きて、皆《みな》暗黑《くらやみ》の中《なか》へ發砲《はつぱう》する、――久《しば》らく、何時間《なんじかん》といふ間《あひだ》、寂《しん》として音沙汰《おとさた》のない暗黑《くらやみ》の中《なか》へ發砲《はつぱう》する。暗中《あんちう》に何《なに》を認《みと》めたのか? 怖《おそ》ろしくも物狂《ものぐる》ほしい無言《むごん》の姿《すがた》を現《げん》した無氣味《ぶきび》な者《もの》は抑《そもそ》も何者《なにもの》だ? 之《これ》を知《し》つてる者《もの》は兄《あに》と私《わたし》とだけで、まだ他《ほか》の人《ひと》は知《し》らない、只《たゞ》感《かん》ずるだけは感《かん》じて居《ゐ》ると見《み》えて、蒼《あを》くなつて此樣《こん》な事《こと》をいふ、「如何《どう》して斯《か》う狂人《きちがひ》が多《おほ》いのでせう? 此樣《こん》なに澤山《たくさん》狂人《きちがひ》の有《あ》つた事《こと》はまだ聞《き》いた事《こと》がない。」
「此樣《こん》なに澤山《たくさん》狂人《きちがひ》の有《あ》つた事《こと》を聞《き》いた事《こと》がない」といつて、皆《みな》蒼《あを》くなる。今《いま》も昔《むかし》も變《かは》らぬと思《おも》つて居《ゐ》たいのだ。遍《あまね》く人《ひと》の良智《りやうち》を無理《むり》に抑《おさ》へて居《ゐ》る力《ちから》は銘々《めい〳〵》の果敢《あへ》ない頭《あたま》の上《うへ》へは及《およ》ばぬと思《おも》つてゐたいのだ。
「昔《むかし》だつて、何時《いつ》だつて、戰爭《せんさう》はあつた、しかし曾《かつ》て此樣《こん》な事《こと》はない。戰爭《せんさう》は生存《せいそん》の理法《りはふ》だ」、と斯《か》ういつて皆《みな》澄《すま》して落着《おちつ》いてゐるけれど、其癖《そのくせ》皆《みな》蒼《あを》くなつてゐる、皆《みな》眼《め》で醫者《いしや》を捜《さが》してゐる、皆《みな》狼狽《うろた》へた聲《こゑ》で、水《みづ》を、早《はや》く水《みづ》を、と叫《さけ》んでゐる。
人《ひと》は皆《みな》内《うち》に動《うご》く良智《りやうち》の聲《こゑ》を聞《き》くまいとして、無意味《むいみ》な事《こと》に爭《あらそ》ひ負《ま》けて其《その》分別《ふんべつ》の鈍《にぶ》り行《ゆ》くのを忘《わす》れやうとして、ならば白痴《たはけ》になりたいと思《おも》ふ。戰地《せんち》では刻々《こく〳〵》に人《ひと》の死《し》に行《ゆ》く今日《けふ》此頃《このごろ》、私《わたし》は如何《どう》しても安閑《あんかん》としてゐられぬから、其處《そこ》ら中《ぢう》世間《せけん》を駈廻《かけまは》つて、人《ひと》の話《はなし》も隨分《ずゐぶん》聞《き》いた、なに、戰爭《せんさう》は遠方《ゑんぱう》だ、我々《われ〳〵》には關係《くわんけい》はないといつて、故意《わざ》とらしく微笑《びせう》する人《ひと》の面《かほ》も隨分《ずゐぶん》見《み》た。が、それよりも多《おほ》く出逢《であ》つたのは、虛飾《きよしよく》を去《さ》つた眞實《しんじつ》の恐怖《きようふ》である。心細《こゝろぼそ》い苦《にが》い淚《なみだ》である、「この狂暴《きやうばう》の殺戮《さつりく》はいつ止《や》めるのだ!」といふ、絕望《ぜつばう》の物狂《ものぐる》ほしい叫聲《さけびごゑ》である。人《ひと》が大《おほい》なる良智《りやうち》に力《ちから》一杯《いつぱい》膓《はらわた》を絞《しぼ》られて、最後《さいご》の祈禱《きたう》、最後《さいご》の呪咀《じゆそ》を唱《とな》へ出《だ》す時《とき》、能《よ》く此《この》叫聲《さけびごゑ》を發《はつ》する。
久《ひさ》しいこと、或《あるひ》は數年《すうねん》になるかも知《し》れぬが、足踏《あしぶ》みしなかつた去方《さるかた》で、狂氣《きやうき》になつて後送《こうさう》せられた一|將校《しやうかう》に出逢《であ》つた。同窓《どうさう》の友《とも》だのに、私《わたし》は見違《みちが》へた位《くらゐ》で、產《う》みの母《はゝ》さへ分《わか》らなかつたと云《い》ふ。一|年《ねん》も墳穴《つかあな》に埋《うま》つてゐて再《ふたゝ》び此世《このよ》に出《で》て來《き》たとて、かうはあるまいと思《おも》はれる程《ほど》の變《かは》り樣《やう》で、頭《あたま》も白《しろ》く、全《まつた》く白《しろ》くなつて了《しま》つてゐた。面貌《かほだち》は餘《あま》り變《かは》つてもゐなかつたが、默《だま》つて聽耳《きゝみゝ》を立《た》てゝゐる其《その》面色《かほつき》は世離《よばな》れして、人間《にんげん》とは緣遠《えんどほ》く怖《おそ》ろしげなので、言葉《ことば》を掛《か》けるさへ無氣味《ぶきび》になる。如何《どう》して氣《き》が違《ちが》つたのだといふと、親戚《しんせき》の聞込《きゝこ》んだ所《ところ》では、彼《かれ》の隊《たい》が豫備隊《よびたい》となつて、隣《とな》りの聯隊《れんたい》が突貫《とつくわん》した事《こと》がある。大勢《おほぜい》が駈《か》けながら、ウラー、ウラーと喚《わめ》く。大聲《おほごゑ》に喚《わめ》くので、殆《ほとん》ど銃聲《じうせい》も聞《きこ》えなくなつた程《ほど》だつたが、其中《そのうち》にふと銃聲《じうせい》が止《や》む、――ウラーが止《や》む。寂然《しん》と墓《はか》の如《ごと》く靜《しづ》かになつたのは、敵《てき》の陣地《ぢんち》に走《はし》り着《つ》いて、彌〻《いよ〳〵》白兵戰《はくへいせん》が始《はじ》まつたのだ。彼《かれ》は此時《このとき》寂然《しん》となつたのに堪《た》へなかつたのだと云《い》ふ。
今《いま》では側《そば》で話《はなし》をしたり、叫《さけ》んだり、騷《さわ》いだりしてゐると、落着《おちつ》いて聽耳《きゝみゝ》を立《た》てゝ何《なに》かの聞《きこ》えるのを待《ま》つてゐるが、一寸《ちよツと》でも閑《しづ》かになると、我《われ》と我頭《わがあたま》に挘《むし》りつくやら、壁《かべ》や家具《かぐ》へ駈上《かけあが》らうとするやら、癲癇《てんかん》めいた發作《ほつさ》を起《おこ》して藻搔《もが》く。親戚《しんせき》が多《おほ》いので、其等《それら》が交《かは》る〴〵病人《びやうにん》を取卷《とりま》いて騷《さわ》いでやつてゐるが、それでも夜《よる》がある、長《なが》い音《おと》のせぬ夜《よる》があるから、父親《ちゝおや》が夜《よる》を引受《ひきう》ける。これも矢張《やツぱり》白髮《しらが》頭《あたま》の少《すこ》し氣《き》の變《へん》な親仁《おやぢ》だが、チクタクの音《おと》の高《たか》い時計《とけい》を幾《いく》つとなく壁《かべ》に掛連《かけつら》ねて、たがひ違《ちが》ひに間斷《しツきり》なく時《とき》を打《う》たせてゐたが、近頃《ちかごろ》では絕《た》えずパチパチといふやうな音《おと》を出《だ》す輪《わ》を仕掛《しか》けてゐるさうな。まだ二十七だから、全快《ぜんくわい》すると思《おも》つて、望《のぞみ》を將來《しやうらい》に繫《か》けてゐるから、今《いま》では家内《かない》が寧《むし》ろ陽氣《やうき》である。軍服《ぐんぷく》は着《き》せないが、瀟洒《さつぱり》した服裝《なり》をさせて、見《み》ともなくないやうに仕《し》て置《お》いてやるから、白髮《しらが》でこそあれ、面相《かほだち》はまだ若々《わか〳〵》しく、擧動《きよどう》も力《ちから》の脫《ぬ》けたやうに悠然《ゆツたり》と品《ひん》が好《よ》く、物思《ものおも》ひ貌《がほ》に凝《ぢツ》と注意《ちうい》してゐる形《かたち》は寧《むし》ろ美《うつく》しい。
始終《しじう》の話《はなし》を聽《き》いて、私《わたし》は側《そば》へ行《い》つて、その男《をとこ》の蒼白《あをじろ》い、萎《な》え〳〵とした、もう刃《やいば》を揮翳《ふりかざ》すこともない筈《はず》の手《て》に接吻《せつぷん》したが、之《これ》には誰《たれ》も目《め》を側《そばだ》てる者《もの》もなかつた。唯《たゞ》友《とも》の若《わか》い妹《いもうと》が目《め》に微笑《びせう》を含《ふく》むで私《わたし》を見《み》たばかりだつたが、それからは其《その》娘《むすめ》が、許嫁《いひなづけ》でもあるやうに、私《わたし》の跡《あと》を追廻《おひまは》して、此世《このよ》に掛易《かけがへ》のない男《をとこ》のやうに私《わたし》を慕《した》ふ。餘《あま》り慕《した》はれるので、私《わたし》も不覺《つい》眞暗《まツくら》なガランとした家《うち》に、獨居《ひとりゐ》よりも厭《いや》な思《おもひ》をしてゐる事《こと》を話《はな》さうとした程《ほど》だつたが、人《ひと》の心《こゝろ》といふものは愛想《あいそ》の盡《つ》きる物《もの》だ。何時《いつ》だつて絕望《ぜつばう》してゐる事《こと》はない。娘《むすめ》の計《はか》らひで差向《さしむか》ひになつた時《とき》、其人《そのひと》が優《やさ》しく、
「まあ、貴方《あなた》のお顏色《かほいろ》の惡《わる》いこと! 眼《め》の下《した》に環《わ》が出來《でき》てますよ。お加減《かげん》でも惡《わる》いのですか? それともお兄樣《あにいさま》がお可哀《かわい》さうでならないの?」
「兄《あに》ばかりぢやない、人間《にんげん》が皆《みな》可哀《かわい》さうです。尤《もツと》も少《すこ》し加減《かげん》も惡《わる》いが…」
「私《あた》し貴方《あなた》が兄《あに》の手《て》に接吻《せつぷん》なすつた譯《わけ》を知《し》つてますよ、――皆《みんな》は氣《き》が附《つ》かなかつたやうですけど。あの、何《なん》でせう、兄《あに》が狂氣《きちがひ》だから、それでゞせう?」
「さうです。狂氣《きちがひ》だから、それでゞす。」
娘《むすめ》は凝《ぢツ》と思案《しあん》に沈《しづ》む、――その樣子《やうす》が兄《あに》に酷肖《そツくり》であつた、――只《たゞ》逈然《ずツ》と若《わか》いばかりで。
「私《あた》し」、と娘《むすめ》は言淀《いひよど》むでサツと赤面《せきめん》したが、伏目《ふしめ》にもならないで、「私《あた》し貴方《あなた》のお手《て》に接吻《せツぷん》したいわ。許《ゆる》して下《くだ》すつて?」
私《わたし》は娘《むすめ》の前《まへ》に膝《ひざ》を突《つ》いて、
「祝福《ブレツス》して下《くだ》さい。」
娘《むすめ》は聊《いさゝ》か顏色《がんしよく》を變《か》へて身《み》を引《ひ》いたが、唇《くちびる》ばかりで囁《さゝや》くのを聞《き》くと、
「私《あた》し信者《しんじや》ぢやないわ。」
「私《わたし》だつてもそれは然《さ》うだ。」
娘《むすめ》の手《て》が一寸《ちよツと》私《わたし》の頭《あたま》に觸《ふ》れた。それが濟《す》むと、
「私《あた》し戰地《せんち》へ行《い》つてよ。」
「それも好《い》いでせう。しかし到底《とて》も耐《た》へられまい。」
「それは如何《どう》だか知《し》れないけど、だつて貴方《あなた》も兄《あに》も然《さ》うだけど、戰地《せんち》の人《ひと》だつて打遣《うツちや》つて置《お》く譯《わけ》には行《い》きますまい? 罪《つみ》も何《なに》もない人逹《ひとたち》ですもの。貴方《あなた》、私《わたし》を忘《わす》れちや下《くだ》さらない?」
「决《けツ》して。貴孃《あなた》は?」
「私《あたし》もそんなら、御機嫌《ごきげん》よう!」
「もう二|度《ど》とはお目《め》に掛《かゝ》れまい。御機嫌《ごきげん》よう!」
死《し》にも狂氣《きやうき》にも尤《もつと》も畏《おそ》るべき處《ところ》がある、――それを私《わたし》は經過《けいくわ》したやうな心持《こゝろもち》がして、ホッとした。氣《き》も落着《おちつ》いた。久《ひさ》し振《ぶり》で昨日《きのふ》は、怖《おそ》ろしいとも何《なん》とも思《おも》はず、平氣《へいき》で家《うち》へ入《はい》つて、兄《あに》の書齋《しよさい》の戶《と》を開《あ》けて、其《その》筐《かたみ》の机《つくえ》に對《たい》して、久《しば》らく椅子《ゐす》に倚《よ》つてゐた。夜中《よなか》にドンと何《なに》かに衝《つ》かれたやうな心持《こゝろもち》でふと目《め》を覺《さま》すと、乾《かわ》いたペン先《さき》が紙上《しじやう》を走《はし》る音《おと》がしたが、私《わたし》は驚《おどろ》かなかつた。殆《ほとん》ど微笑《びせう》せぬばかりの心持《こゝろもち》になつて、心《こゝろ》の中《うち》で、
「澤山《たんと》お書《か》きなさい。ペンも乾《かわ》いたのぢやない、――生々《なま〳〵》しい人間《にんげん》の血潮《ちしほ》を含《ふく》んでゐる。原稿《げんかう》も白紙《はくし》のやうに見《み》えやうが、其方《そのはう》が寧《むし》ろ好《い》い。何《なに》も書《か》いてないだけに無氣味《ぶきみ》で、聰明《さうめい》な人逹《ひとたち》が種々《いろん》な事《こと》を書立《かきた》てるよりも、戰爭《せんさう》や理性《りせい》に付《つ》いて多《おほ》くを語《かた》る。お書《か》きなさい、〳〵、澤山《たんと》お書《か》きなさい。」
…今朝《けさ》新聞《しんぶん》を讀《よ》むで見《み》ると、まだ戰闘《せんとう》が止《や》まぬので、私《わたし》はまた薄氣味惡《うすきみわる》くなつて來《き》て、心《こゝろ》が落居《おちゐ》ず、宛然《さながら》腦《なう》の中《なか》で何《なに》かガタリと落《お》ちたやうな心持《こゝろもち》がした。その何《なに》かゞ向《むか》ふから來《く》る、近《ちか》くなる、――もうガランと明《あか》るい家《うち》の敷居《しきゐ》に立《た》つてゐる。あゝ、彼《か》の人《ひと》が懷《なつ》かしい、何卒《どうぞ》私《わたし》の事《こと》を忘《わす》れて吳《く》れるな。私《わたし》は氣《き》が違《ちが》ひさうだ。戰死《せんし》三|萬《まん》、戰死《せんし》三|萬《まん》…
(斷篇第十七)
…市内《しない》も何《なん》となく血羶《ちなまぐさ》い。判然《はつきり》した事《こと》は分《わか》らぬけれど、何《なん》だか怖《おそ》ろしい噂《うはさ》がある…
(斷篇第十八)
今朝《けさ》新聞《しんぶん》を見《み》ると、澤山《たくさん》の戰死者《せんししや》の姓名《せいめい》が出《で》てゐる中《なか》で、一人《ひとり》知《し》つた名前《なまへ》がある。それは私《わたし》の妹《いもうと》の許嫁《いひなづけ》の一|將校《しやうかう》で、亡兄《ばうけい》と一|緒《しよ》に召集《せうしふ》された人《ひと》だ。一|時間後《じかんご》に配逹夫《はいたつふ》が投込《なげこ》んで行《い》つた手紙《てがみ》を見《み》ると、兄《あに》へ宛《あ》てたもので、表書《うはがき》の書風《しよふう》で分《わか》つたが、その戰死《せんし》した妹《いもうと》の許嫁《いひなづけ》から來《き》たのだ。死人《しにん》が死人《しにん》へ手紙《てがみ》を寄越《よこ》したのだ。けれども死人《しにん》が生《い》きてる人《ひと》に文通《ぶんつう》したよりまだ勝《まし》だ。これは私《わたし》が現《げん》に逢《あ》つた去《さ》る婦人《ふじん》の身《み》の上《うへ》だが、その息子《むすこ》が砲彈《はうだん》に粉韲《ふんさい》されて無殘《むざん》な最後《さいご》を遂《と》げたのを新聞《しんぶん》で知《し》つてから、全《まる》一ケ|月《げつ》の間《あひだ》每日《まいにち》其《その》息子《むすこ》から手紙《てがみ》が來《く》る。優《しほ》らしい息子《むすこ》で、手紙《てがみ》にはいつも優《やさ》しい事《こと》を書《か》いて母《はゝ》を慰《なぐさ》めて、何《なに》か幸福《かうふく》を得《う》る望《のぞ》みあり氣《げ》な若《わか》い愛度氣《あどけ》ない事《こと》ばかり言《い》つて寄越《よこ》す。此世《このよ》の人《ひと》ではないけれど、これが惡魔《あくま》の几帳面《きちやうめん》といふものか、每日《まいにち》缺《か》がさず此世《このよ》の事《こと》を書《か》いて寄越《よこ》すから、母親《はゝおや》は遂《つひ》に伜《せがれ》は戰死《せんし》したのでないと思《おも》ひ出《だ》した。が、ふと音信《おとづれ》が絕《た》えてから、一|日《にち》二日《ふつか》三日《みつか》と過《す》ぎ、それからも死默《しもく》に入《い》つて、何時迄《いつまで》待《ま》つても音沙汰《おとさた》がないので、母親《はゝおや》は兩手《りやうて》で古風《こふう》な大形《おほがた》のピストルを取上《とりあ》げて、胸《むね》へ丸《たま》を打込《うちこ》んだと云《い》ふ。助《たす》かつたやうにもいふが、私《わたし》は能《よ》くは知《し》らぬ。判然《はつきり》した事《こと》を聞《き》かずに了《しま》つた。
私《わたし》は久《しば》らく封筒《ふうとう》を眺《なが》めてゐたが、考《かんが》へて見《み》ると、此《この》封筒《ふうとう》も曾《かつ》て故人《こじん》の手《て》に觸《ふ》れた事《こと》があるのだ。何處《どこ》でか之《これ》を買《か》はうとして、錢《ぜに》を持《も》たせて從卒《じゆうそつ》を、何處《どこ》かの店《みせ》へ遣《や》つたのだ。故人《こじん》は此《この》手紙《てがみ》の封《ふう》をしてから、或《あるひ》は自分《じぶん》でポストへ入《い》れたかも知《し》れぬ。で、郵便《いうびん》といふ複雜《ふくざつ》な機關《きくわん》が運轉《うんてん》し出《だ》して、手紙《てがみ》は森《もり》や野《の》や市街《しがい》を餘所《よそ》に見《み》て、只管《ひたすら》目的地《もくてきち》を指《さ》して走《はし》る。最後《さいご》の日《ひ》の朝《あさ》、手紙《てがみ》の主《ぬし》が長靴《ながぐつ》を穿《は》いた時《とき》、手紙《てがみ》は走《はし》つてゐた。主《ぬし》が戰死《せんし》した時《とき》にも、手紙《てがみ》は走《はし》つてゐた。主《ぬし》が穴《あな》へ投込《なげこ》まれて死骸《しがい》が土《つち》の下《した》になつた時《とき》にも、消印《けしいん》を帶《お》びた灰色《はいゝろ》の封筒《ふうとう》の中《なか》に身《み》を忍《しの》ばせて、靈《れい》ある幻《まぼろし》の如《ごと》く、手紙《てがみ》は森《もり》や野《の》や市街《しがい》を餘所《よそ》に見《み》つゝ走《はし》つて、かうして今《いま》私《わたし》の手中《しゆちう》に在《あ》るのだ。
手紙《てがみ》の文句《もんく》は下《しも》の通《とほ》り。鉛筆《えんぴつ》で幾片《いくひら》かの紙《かみ》の切端《きれはし》に書《か》いたもので、結末《けつまつ》も附《つ》いてゐない。何《なに》か邪魔《じやま》が入《はい》つたものと見《み》える。
⦅…今《いま》となつて始《はじめ》て戰爭《せんさう》の大《おほい》に樂《たの》しむべき所以《ゆえん》を知《し》つた。利口《りこう》な、狡猾《かうくわつ》な、裏表《うらおもて》のある、肉食《にくしよく》動物《どうぶつ》中《ちう》の肉食《にくしよく》動物《どうぶつ》より、遙《はる》かに味《あぢ》のある人間《にんげん》といふやつを殺《ころ》す樂《たの》しみは、古風《こふう》な原始的《げんしてき》な樂《たの》しみで、鎭長《とこしなへ》に人《ひと》の生命《せいめい》を奪《うば》ふといふ事《こと》は、行星《かうせい》なんぞを抛《な》げてテニスを行《や》るよりも、愉快《ゆくわい》なものだ。君《きみ》は哀《あは》れだ。僕《ぼく》は君《きみ》が僕等《ぼくら》と倶《とも》に在《あ》ることを得《え》ずして、無味《むみ》な平凡《へいぼん》な日《ひ》を送《おく》つて、無聊《むりよう》に苦《くる》しむ身《み》の上《うへ》になつたのを悲《かな》しむ。君《きみ》が高尙《かいしやう》な精神《せいしん》から、安《やす》きを偸《ぬす》んで居《ゐ》られずして、永《なが》く求《もと》めた所《ところ》のものは、死地《しち》に入《はい》つて後《のち》、始《はじめ》て獲《え》られる。血《ち》に醉《ゑ》ふといふこと、比喩《ひゆ》は稍《やゝ》古《ふる》めかしいが、眞實《しんじつ》は反《かへつ》て這裏《しやり》に在《あ》る。僕等《ぼくら》は膝《ひざ》まで血《ち》に蘸《ひ》り、此《この》赤葡萄酒《あかぶだうしゆ》に醉《ゑ》つてチロ〳〵目《め》になつてゐる。赤葡萄酒《あかぶだうしゆ》とは名譽《めいよ》ある僕《ぼく》の部下《ぶか》の兵《へい》が戯《たはむ》れに命《めい》じた名《な》だ。人《ひと》の生血《いきち》を飮《の》むといふ風習《ふうしふ》は、人《ひと》の思《おも》ふ程《ほど》、馬鹿氣《ばかげ》たものではない。古人《こじん》も承知《しようち》して行《や》つた事《こと》だ…⦆
⦅…鵶《からす》が啼《な》いてゐる。君《きみ》に聞《きこ》えるか、鵶《からす》が啼《な》いてゐるぞ。何處《どこ》から此樣《こんな》に飛《と》んで來《き》たのだらう! 空《そら》も黑《くろ》む程《ほど》だ。天下《てんか》に可畏物《こはいもの》なしの僕等《ぼくら》と列《なら》んで、鵶《からす》は宿《とま》つてゐる。何處《どこ》へ行《い》つても隨《つ》いて來《く》る。いつも僕等《ぼくら》の頭《あたま》の上《うへ》に居《ゐ》るから、黑《くろ》レースの傘《かさ》を翳《さ》してゐるやうで、又《また》葉《は》の黑《くろ》い木《き》の動《うご》く蔭《かげ》に居《ゐ》るやうだ。一|羽《は》僕《ぼく》の面《かほ》の側《そば》へ來《き》て突《つゝ》つかうとした。彼奴《きやつ》僕《ぼく》を死人《しにん》と間違《まちが》へたのだらう。鴉《からす》が啼《な》いてゐる、少《すこ》し氣《き》になる。何處《どこ》から此樣《こん》なに飛《と》んで來《き》たのだらう?⦆
⦅…昨夜《ゆうべ》僕等《ぼくら》は睡耋《ねぼ》けた敵《てき》を鏖殺《みなごろ》しにした。鴨《かも》を仕留《しと》める時《とき》のやうに、窃《そつ》と、足音《あしおと》を偸《ぬす》んで、巧《うま》く、用心《ようじん》して這《は》つて行《い》つたから、死骸《しがい》に一つ躓《つまづ》かず、鳥《とり》一|羽《は》起《た》たせなかつた。幽靈《いうれい》のやうに、忍《しの》んで行《ゆ》く、それを又《また》夜《よる》が隱《かく》して吳《く》れる。哨兵《せうへい》は僕《ぼく》が片付《かたづ》けてやつた、突倒《つきたふ》して置《お》いて、聲《こゑ》を立《た》てぬやうに咽喉《のど》を締《し》めたのだ。少《すこ》しでも聲《こゑ》を立《た》てられたら、百|年目《ねんめ》だからなあ、君《きみ》。しかし聲《こゑ》を立《た》てなかつた。殺《ころ》されると思《おも》つてゐる暇《ひま》が無《な》かつたやうだ。
篝《かゞり》がぷす〳〵燻《いぶ》つてゐる。敵《てき》は其側《そのそば》に眠《ね》てゐた。我家《わがや》で寢臺《ねだい》に臥《ね》たやうに、安心《あんしん》して眠《ね》てゐた。其處《そこ》を僕等《ぼくら》は一|時間餘《じかんよ》も屠《ほふ》つたのだ。斬《き》らぬ中《うち》に眼《め》を覺《さま》したのは幾人《いくたり》もなかつたが其樣《そん》な奴等《やつら》は悲鳴《ひめい》を揚《あ》げて、無論《むろん》赦《ゆる》して吳《く》れといつた。喰付《くひつ》きもした。一人《ひとり》の奴《やつ》なんぞ、僕《ぼく》が頭《あたま》を引摑《ひツつか》むと、摑《つか》みやうが惡《わる》かつたので、左《ひだり》の手《て》の指《ゆび》を咬《か》み切《き》りをつた。指《ゆび》は咬《か》み切られたが、其代《そのかは》り見事《みごと》に首《くび》を引捻《ひンねぢ》つてやつた。如何《どう》だ、君《きみ》、これなら帳消《ちやうけ》しになるまいか?いや、皆《みな》能《よ》く眠込《ねこ》んで居《ゐ》やがつたよ! 骨《ほね》を斬《き》れば、ポキンといふな、肉《にく》を斬《き》れば、ザクッといふのだ。それから丸裸《まるはだか》にして置《お》いて、お四季施《しきせ》の分配《ぶんぱい》をやつたが、君《きみ》、串戯《じやうだん》いふと思《おも》つて怒《おこ》つちや不好《いけない》ぜ。君《きみ》は小《こ》六かしいから、それぢや野武士臭《のぶしくさ》いといふかも知《し》れんが、仕方《しかた》がないさ。僕等《ぼくら》だつて殆《ほとん》ど裸《はだか》だもの。全然《すツかり》着切《きゝ》つて了《しま》つたのだ。僕《ぼく》は疾《と》うから何《なん》だか女《をんな》の上衣《うはぎ》のやうな物《もの》を着《き》てゐるのだ。これぢや常勝軍《じやうしようぐん》の將校《しやうかう》ぢやなくて、何《なに》かのやうだ。
それはさうと、君《きみ》は結婚《けつこん》した樣《やう》だつたな?それぢや、此樣《こん》な手紙《てがみ》を見《み》ちや、惡《わる》かつたらう。しかし…なあ、君《きみ》、女《をんな》に限《かぎ》るぞ。えい、糞《くそ》、僕《ぼく》だつて靑年《せいねん》だ、戀《こひ》に渇《かつ》してゐるンだ!おツと――君《きみ》にも約束《やくそく》した女《をんな》が有つたつけな?君《きみ》は何處《どこ》かの令孃《れいぢやう》の寫眞《しやしん》を僕《ぼく》に示《み》せて、これが僕《ぼく》の婚約《こんやく》した女《をんな》だと曰《い》つた事《こと》があるぜ。寫眞《しやしん》には何《なん》だか悲《かな》しい、非常《ひじやう》に悲《かな》しい、哀《あは》れな事《こと》が書《か》いてあつたつけ。而《さう》して君《きみ》は泣《な》いたぜ。何《なに》を泣《な》いたのだつけな? 何《なん》でも非常《ひじやう》に悲《かな》しい、非常《ひじやう》に哀《あは》れな、小《ちひ》さな花《はな》のやうな事《こと》が書《か》いてあつたつけが、何《なん》だつけな? 君《きみ》は泣《な》いたぜ、――泣《な》いて〳〵、泣《な》き立《た》てたぜ… 見《みツ》ともない、將校《しやうかう》の癖《くせ》に泣《な》くなんて!⦆
⦅…鴉《からす》が啼《な》いてゐる。君《きみ》、聞《きこ》えるだらう?鴉《からす》が啼《な》いてるぞ。何《なん》だつて彼樣《あんな》に啼《な》くのだらう?…⦆
此後《このあと》は鉛筆《えんぴつ》の跡《あと》が消《き》えてゐて、署名《しよめい》も讀《よ》めかねた。
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不思議《ふしぎ》だ。此人《このひと》の戰死《せんし》したのが知《し》れても、私《わたし》は些《ちつ》とも哀《あは》れと思《おも》はなかつた。面《かほ》を憶出《おもひだ》すと、判然《はツきり》浮《うか》ぶ。優《やさ》しい、しほらしい、女《をんな》のやうな面相《かほだち》で、頰《ほゝ》は桃色《もゝいろ》、眼中《がんちう》は淸《すゞ》しく、朝《あさ》の如《ごと》く潔《いさぎよ》くて、髯《ひげ》は柔《やはら》かなむく毛《げ》で、これなら女《をんな》の面《かほ》の飾《かざ》りにもなりさうに思《おも》はれた。書物《しよもつ》や、花《はな》や、音樂《おんがく》を好《この》み、總《すべ》て粗暴《そぼう》な事《こと》が嫌《きら》ひで、詩《し》など作《つく》つてゐた。批評家《ひゝやうか》の兄《あに》が中々《なか〳〵》巧《たく》みだといつてた位《くらゐ》だ。が、此《この》人《ひと》について私《わたし》の知《し》つてゐる所《ところ》を憶《おも》ひ出《だ》したのでは、どうもこの鴉啼《からすな》きや、夜襲《やしう》の血《ち》の海《うみ》や、死《し》と調和《てうわ》せぬ。
…鴉《からす》が啼《な》いてゐる…
ふツと、瞬《またゝ》く間《ま》、調子《てうし》外《はづ》れの何《なん》とも言《い》ひやうもない嬉《うれ》しい心持《こゝろもち》になつてみると、今迄《いまゝで》の事《こと》は皆《みな》僞《うそ》で、戰爭《せんさう》も何《ない》も有《あ》りはせん。戰死者《せんししや》もなければ、死骸《しがい》もない。思想《しさう》の根底《こんてい》が搖《ゆる》いで便《たよ》りなくなるなぞと、其樣《そん》な怖《おそ》ろしい事《こと》も有《あ》るのではない。私《わたし》は仰向《あふむけ》に臥《ね》て、子供《こども》のやうに怖《おそ》ろしい夢《ゆめ》を見《み》てゐるのだ。死《し》や恐怖《きようふ》に荒《あら》されて寂然《しん》となつた無氣味《ぶきび》な部屋々々《へや〳〵》も、人《ひと》の書《か》いた物《もの》とも思《おも》へぬ手紙《てがみ》を手《て》に持《も》つた私《わたし》も、皆《みな》夢《ゆめ》だ。兄《あに》は生《い》きてゐて、家内《かない》の者《もの》は皆《みな》茶《ちや》を飮《の》むでゐる。茶器《ちやき》の物《もの》に觸《ふ》れて鳴《な》る音《おと》も聞《きこ》える。
…鴉《からす》が啼《な》いてゐる…
いや、矢張《やはり》事實《じじつ》だ。不幸《ふかう》な世《よ》の中《なか》――それが事實《じじつ》では有《あ》るまいか? 鴉《からす》が啼《な》いてゐる。理性《りせい》を失《うしな》つた狂人《きやうじん》や、無事《ぶじ》に苦《くる》しむ文士《ぶんし》などが、安直《あんちよく》の奇《き》を求《もと》めて思《おも》ひ付《つ》いた空言《そらごと》ではない。鴉《からす》が啼《な》いてゐる。兄《あに》は何處《どこ》に居《ゐ》るか。氣品《きひん》の高《たか》い、溫順《おんじゆん》な、誰《だれ》にも迷惑《めいわく》を掛《か》けまいと心掛《こゝろが》けてゐた人《ひと》だ。兄《あに》は何處《どこ》に居《ゐ》る? さあ、忌々《いま〳〵》しい解死人《げしにん》めら、返事《へんじ》をしろ! 呪《のろ》つても足《た》らぬ惡黨《あくとう》めら、牛馬《ぎうば》の屍肉《しにく》に集《たか》つた鴉《からす》めら、情《なさ》けない愚鈍《ぐどん》な畜生《ちくしやう》めら、――さあ、手前逹《てまへたち》は畜生《ちくしやう》だ、――世界《せかい》の人《ひと》の面前《めんぜん》で手前逹《てまへたち》に聞《き》いてるのだぞ! 何咎《なにとが》あつて兄《あに》を殺《ころ》した?手前逹《てまへたち》に面《かほ》があるなら、頰打《ほゝうち》喰《く》はしてやる所《ところ》だが、手前逹《てまへたち》には面《かほ》はない。手前逹《てまへたち》のそれは肉食動物《にくしよくどうぶつ》の鼻面《はなづら》といふものだ。人間《にんげん》の風《ふう》をしてゐても、手套《てぶくろ》の下《した》から爪《つめ》が見《み》えるでないか? 帽子《ばうし》の下《した》から畜生《ちくしやう》のひしやげた惱天《なうてん》が見《み》えるでないか? 幾《いく》ら利口《りこう》さうな口《くち》を利《き》いても、手前逹《てまへたち》の言《い》ふ事《こと》には狂氣《きちがひ》じみた所《ところ》があるわ。繍錠《さびぢやう》のぢやら〳〵いふ音《おと》がするわ。己《おれ》は己《おれ》の悲《かな》しみ、憂《うれ》ひ、侮辱《ぶじよく》せられた思想《しさう》の力《ちから》の有丈《ありたけ》を盡《つく》して、手前逹《てまへたち》を呪《のろ》ふぞ、この情《なさ》けない愚鈍《ぐどん》な畜生《ちくしやう》めら!
(最後の斷片)
「…生存上《せいぞんじやう》新生面《しんせいめん》を開《ひら》くのは諸君《しよくん》の任務《にんむ》であります、」と辯士《べんし》は叫《さけ》むだ。此人《このひと》は「戰爭《せんさう》を戢《や》めよ」と書《か》いた文字《もじ》が皺《しわ》でよれ〳〵になつた旗《はた》を揮《ふ》りながら、手《て》で釣合《つりあひ》を取《と》つて、辛《から》うじて小《ちひ》さな圓柱《ゑんちう》の上《うへ》に立《た》つて居《ゐ》るのだ。
「諸君《しよくん》は靑年《せいねん》である、諸君《しよくん》は未來《みらい》に生活《せいくわつ》すべき人《ひと》である。宜《よろ》しく此《かく》の如《ごと》き狂暴《きやうばう》慘酷《ざんこく》なる事《こと》と關係《くわんけい》を絕《た》つて、以《も》つて自己《じこ》の生命《せいめい》を保《たも》つべきである。未來《みらい》の國民《こくみん》の種《たね》を保全《ほぜん》すべきである、我々《われ〳〵》は今日《こんにち》の慘狀《さんじやう》を見《み》るに忍《しの》びぬ。之《これ》を目擊《もくげき》しては眼中《がんちう》の血走《ちばし》るを禁《きん》ぜぬ。實《じつ》に天《てん》が頭上《づじやう》に落懸《おちかゝ》り大地《たいち》が足下《そつか》に裂《さ》けるやうな感《かん》がある。諸君《しよくん》…」
此時《このとき》群衆《ぐんじゆ》が尋常《ただ》ならぬ動搖《どよみ》を作《つく》つたので、辯士《べんし》の聲《こゑ》は其《それ》に消壓《けおさ》れて一《ひと》しきり聞《きこ》えなくなつたが、實《まこと》に靈《たましひ》でも籠《こも》つて居《ゐ》さうな、物凄《ものすご》い動搖《どよみ》であつた。
「假《か》りに我輩《わがはい》は氣《き》が狂《くる》つてゐるとするも、我輩《わがはい》の云《い》ふ所《ところ》は眞理《しんり》である。我輩《わがはい》には父《ちゝ》があり兄弟《きやうだい》があるが、皆《みな》戰塲《せんぢやう》で牛馬《ぎうば》の屍《しかばね》の如《ごと》く腐敗《ふはい》しつゝある。宜《よろ》しく篝《かゞり》を焚《た》いて、穴《あな》を掘《ほ》つて、武器《ぶき》を鑄潰《いつぶ》して埋《う》めて了《しま》ふが好《よ》い、軍人《ぐんじん》を捕《とら》へてその燦《さん》たる狂氣服《きちがひふく》を剝《は》いで、寸裂《すんれつ》して了《しま》ふが好《よ》い。我々《われ〳〵》は最早《もはや》忍《しの》ぶことが出來《でき》ぬ… 同類《どうるゐ》が死《し》につゝあるのである…」
ト云《い》ふところを、誰《だれ》だか、何《なん》でも脊《せ》の高《たか》い男《をとこ》だつたが、撲飛《はりと》ばしたので、辯士《べんし》がころ〳〵と轉《ころ》げ落《お》ちる、旗《はた》が颯《さつ》とまた飜《ひるがへ》つて、又《また》倒《たふ》れる。跡《あと》は直《す》ぐ紛々《ごた〳〵》となつて了《しま》つたので、辯士《べんし》を撲飛《はりとば》した奴《やつ》の面《かほ》をツイ認《みと》める暇《ひま》もなかつた。俄《には》かに其處《そこ》ら中《ぢう》が皆《みな》動《うご》き出《だ》して、揉合《もみあ》ひ、壓《へ》し合《あ》ひ、押《お》し反《かへ》し、喚《わめ》き叫《さけ》ぶ。石塊《いしころ》棍棒《こんばう》が空《くう》を飛《と》び、誰《だれ》を打《う》つ拳《こぶし》だか頭上《づじやう》に閃《ひら》めく。群衆《ぐんじゆ》は靈《れい》ある浪《なみ》の吼《ほゆ》る如《ごと》く哮《たけ》り立《た》つて、私《わたし》を宙《ちう》に釣上《つりあ》げたまゝ、數步《すうほ》の外《ほか》へ運《はこ》んで行《ゆ》き、いやと云《い》ふ程《ほど》垣根《かきね》へ打付《ぶツつ》けて、又《また》後戾《あともど》りして今度《こんど》はあらぬ方《かた》へ逸《そ》れ、到頭《たうとう》高《たか》く薪《まき》を積上《つみあ》げたのに推付《おしつ》けて了《しま》つたので、積《つ》み上《あ》げた薪《まき》が傾《かし》いで、あはや頭上《づじやう》へ崩《くづ》れ落《お》ちさうになる。何《なに》かパチ〳〵と燥《はしや》いだ音《おと》が頻《しき》りにして、材木《ざいもく》にパラ〳〵と中《あた》るものがある。と、靜《しづ》まる――かとすると、又《また》更《さら》にワッと云《い》ふ。鰐口《わにぐち》開《あ》いて叫《さけ》ぶやうな、太《ふと》い大《おほ》きな聲《こゑ》で、人間《にんげん》離《ばな》れしてゐて物凄《ものすご》い。またパチ〳〵と燥《はしや》いだ音《おと》がする。誰《たれ》だか側《そば》で倒《たふ》れたから、見《み》ると眼《め》の在《あ》る處《ところ》に眞紅《まつか》な穴《あな》が二ツ洞開《ほげ》て、血《ち》が滾々《ごぼ〴〵》と流《なが》れて居《を》る。此時《このとき》重《おも》たい棍棒《こんばう》がブンと空《くう》を切《き》つて來《き》て、其端《そのさき》が顏《かほ》に中《あた》ると、私《わたし》は倒《ころ》げたから、踏躪《ふみにじ》る足《あし》の間《あひだ》を無闇《むやみ》に這脫《はひぬ》けて空地《くうち》へ出《で》た。それから何處《どこ》かの垣根《かきね》を越《こ》えて、一つ殘《のこ》らず爪《つめ》を剝《はが》して、薪《まき》を幾側《いくかは》も積上《つみあ》げたのへ攀《よ》ぢ登《のぼ》つた。中《なか》で一|側《かは》體《からだ》の重《おも》みに崩《くづ》れたのが有《あ》つたので、私《わたくし》はグヮラ〳〵と飛散《とびち》る薪《まき》と一緒《いつしよ》に消飛《けしと》んで、四角《しかく》な穴《あな》のやうな中《なか》へ落《お》ちたが、辛《から》うじて其處《そこ》を這出《はひで》ると、轟々《ぐわう〴〵》パチ〳〵ワッと云《い》ふ音《おと》が後《うしろ》から追蒐《おひか》けて來《く》る。何處《どこ》でか半鐘《なんしやう》が鳴《な》る。五階《ごかい》建《たて》の家《いへ》でも崩《くづ》れたやうな、怕《おそ》ろしい音《おと》も聞《きこ》える。黄昏《たそがれ》が凝付《こりつ》いたやうに、中々《なか〳〵》夜《よる》の景色《けしき》にならず、彼方《かなた》の銃聲《ぢうせい》、叫喚《けうくわん》の聲《こゑ》が赤《あか》く色《いろ》づいて夕闇《ゆふやみ》を跡《あと》へ〳〵押戾《おしもど》したやうな趣《おもむき》がある。最後《さいご》の垣《かき》を飛降《とびお》りると、其處《そこ》はめくら壁《かべ》に左右《さいう》を劃《しき》られた、廊下《らうか》のやうな、曲《まが》り拗《くね》つた狭《せま》い橫町《よこちやう》で私《わたくし》は其處《そこ》を駈出《かけだ》した。久《しば》らく駈《か》けて行《い》つて見《み》たが、つんぼ橫町《よこちやう》で、行止《ゆきどま》りは垣根《かきね》、其《その》向《むか》うには又《また》薪《まき》や材木《ざいもく》の積《つ》むだのが黑々《くろ〴〵》と見《み》える。で、又《また》踏《ふ》めば崩《くづ》れて踏應《ふみごた》へのない嵩高《かさだか》な積薪《つみまき》を攀登《よぢのぼ》つては何《なん》だか寂然《しん》として生木《なまき》の匂《にほひ》のする井戶《ゐど》のやうな處《ところ》へ落《お》ち、落《お》ちては又《また》這上《はひあが》つてゐたが、どうも後《うしろ》を振向《ふりむ》いて見《み》る氣《き》になれない。また朦朧《ぼんやり》と薄赤《うすあか》く影《かげ》が射《さ》して、黑《くろ》ずんだ材木《ざいもく》が巨人《きよじん》の亡骸《むくろ》のやうに見《み》えるから、振《ふ》り向《む》いて見《み》んでも、大抵《たいてい》樣子《やうす》は知《し》れてゐる。もう面《かほ》の傷《きず》の出血《しゆつけつ》も止《と》まつたが、面《かほ》が無感覚《ばか》になつて、我《わが》面《かほ》のやうには思《おも》はれず、宛然《さながら》石膏《せつかう》細工《ざいく》の面《めん》を被《かぶ》つてゐるやうな心持《こゝろもち》がする。やがて眞闇《まツくら》な穴《あな》へ落《お》ちた時《とき》、氣《き》が遠《とほ》くなつて遂《つひ》に正體《しやうたい》を失《うしな》つたやうにも思《おも》ふが、眞《しん》に正體《しやうたい》を失《うしな》つたのか、失《うしな》つたやうな氣《き》がしたのか、どつちだつたか分《わか》らぬ、私《わたくし》の覺《おぼ》えて居《ゐ》るのは、唯《たゞ》駈《か》けて行《い》つた事《こと》ばかりだ。
それから久《しば》らく街燈《がいとう》も點《つ》いてゐぬ知《し》らぬ町々《まち〳〵》を駈廻《かけまは》つたが、何方《どちら》向《む》いても、眞黑《まツくら》な、死《し》んだやうな家《いへ》ばかりで、その寂然《しん》とした迷宮《めいきう》の中《うち》を脫出《ぬけだ》すことが出來《でき》なかつた。方角《はうがく》を付《つ》けるのには、立止《たちど》まつて四下《あたり》を視廻《みま》はすが肝腎《かんじん》だが、それが出來《でき》ない。遠方《ゑんぱう》に聞《きこ》える轟々《ぐわう〳〵》といふ物音《ものおと》や、ワッと云《い》ふ人聲《ひとごゑ》が動《やゝと》もすると段々《だん〴〵》追付《おひつ》きさうになる。時《とき》にはふッと角《かど》を曲《まが》らうとして、正面《まとも》に其《その》聲《こゑ》に打付《ぶツつ》かる事《こと》がある。聲《こゑ》は赤黑《あかくろ》い球《たま》になつて舞揚《まひあが》る烟《けむり》の中《うち》から赤々《あか〳〵》と響《ひゞ》いて來《く》る。それッと引返《ひきかへ》して、また後《あと》になる迄《まで》走《はし》る。去《さ》る曲角《まがりかど》で一條《ひとすぢ》燈火《あかり》の射《さ》してゐた所《ところ》があつたが、側《そば》へ行《ゆ》くと、ふッと消《き》えて了《しま》つたのは、何處《どこ》かの商店《しやうてん》で急《きふ》に戶《と》を閉切《しめき》つたのであつた。廣《ひろ》い隙間《すきま》から帳塲《ちやうば》の臺《だい》の片端《かたはし》と何《なん》だか桶《おけ》のやうなものが見《み》えて、忽《たちま》ち寂然《しん》と潜《ひそ》むだやうに暗《くら》くなつた。其《その》商店《しやうてん》から遠《とほ》くは離《はな》れぬ處《ところ》で向《むか》うから駈《か》けて來《く》る人《ひと》に出逢《であ》つた。暗闇《くらやみ》でもう二足《ふたあし》で危《あぶ》なく衝當《つきあた》らうとして、互《たがひ》に立止《たちど》まつた。誰《たれ》だか知《し》らぬが、眞黑《まツくろ》な…、身構《みがまへ》をした人《ひと》の姿《すがた》が見《み》える。
「君《きみ》は彼方《あツち》から來《き》たのか?」
「さうだ。」
「何處《どこ》へ行《い》くんだ?」
「家《うち》へ歸《かへ》るのだ。」
「むゝ、家《うち》へか?」
相手《あひて》は少《すこ》し默《だま》つてゐたが、突然《いきなり》私《わたし》に飛蒐《とびかゝ》つて、推倒《おしたふ》さうとする。咽喉元《のどもと》を探《さぐ》り當《あ》てやうと、搔《か》き廻《まは》す冷《つめ》たい指先《ゆびさき》が衣服《きもの》に絡《から》まつてやツさもツさしてゐる暇《ひま》に、私《わたくし》はその手《て》に喰《く》ひ付《つ》いて、振捥《ふりもぎ》つて置《お》いて駈出《かけだ》した。相手《あひて》は人《ひと》も通《とほ》らぬ町筋《まちすぢ》を靴音《くつおと》高《たか》くしばらく追蒐《おツか》けて來《き》たが、其中《そのうち》に後《おく》れて了《しま》つた――大方《おほかた》喰付《くひつ》いてやつた處《ところ》が痛《いた》むだのであらう。
如何《どう》してか、フト吾《わが》住《す》む町《まち》へ出《で》た。矢張《やツぱり》街燈《がいとう》もない町《まち》で、家々《いへ〳〵》は死《し》んだやうに、火影《ほかげ》一《ひと》つ射《さ》す處《ところ》もなかつたから、これが吾《わが》町《まち》とは氣《き》が附《つ》かずに駈通《かけとほ》つて了《しま》ふ所《ところ》であつたが、偶《ふ》と目《め》を擧《あ》げて見《み》ると、我家《わがや》の前《まへ》だ。が、私《わたくし》は久《しば》らく躊躇《ちうちよ》してゐた。多年《たねん》住慣《すみな》れた家《いへ》ではあるけれど、吐《つ》く息《いき》が荒《あら》ければ悲《かな》しげに物《もの》に響《ひゞ》く、此《こ》の死《し》んだやうな變《かは》つた町中《まちなか》で見《み》ると、我家《わがや》のやうには思《おも》はれない。躊躇《ちうちよ》してゐる中《うち》に、や、顛《ころ》んだ時《とき》に鍵《かぎ》を落《おと》しはせぬかと思《おも》ふと、愕然《ぎよツ》として氣《き》も坐《そゞ》ろになり、遮《しや》二|無《む》二|捜《さが》して見《み》れば、なに、鍵《かぎ》は外隱袋《そとがくし》にあつた。で、錠《ぢやう》をカチリと云《い》はせると、其《そ》の反響《こだま》が高《たか》く變《へん》に響《ひゞ》いて町中《まちぢう》の死《し》んだやうな家《いへ》の戶《と》が一|時《じ》に颯《さツ》と開《ひら》いたやうな心持《こゝろもち》がした。
…初《はじめ》は床下《ゆかした》に隱《かく》れて見《み》たが、それも佗《わび》しく、且《か》つ眼《め》の前《まへ》に何《なに》かちらついて見《み》えるやうで無氣味《ぶきび》だつたから、窃《そツ》と内《うち》へ忍《しの》び込《こ》むだ。暗黑《くらやみ》を手探《てさぐ》りで方々《はう〴〵》の戶締《とじま》りをし、さて勘考《かんかう》の末《すゑ》道具《だうぐ》を押付《おしつ》けて置《お》かうとしたり、それを動《うご》かす每《たび》に怕《おそろ》しい音《おと》がガランとした家中《いへぢう》に響《ひゞ》き渡《わた》る。これに又《また》膽《きも》を冷《ひや》して、「えい、」と思切《おもひき》つて、「このまゝで死《し》なば死《し》ね。如何《どう》して死《し》んだつて、死《し》ぬのは一《ひと》つだ。」
洗面臺《せんめんだい》にまだ生溫《なまあたゝか》い湯《ゆ》があつたから、手探《てさぐ》りで面《かほ》を洗《あら》つて、布片《きれ》で拭《ふ》いたら、面《かほ》の皮《かは》が釣《つ》れて傷《きず》がヒリ〳〵傷《いた》む。鏡《かゞみ》で見《み》やうとして、マツチを點《つ》けて、そのちら〳〵と弱《よわ》い火影《ほかげ》に透《とほ》して見《み》ると、暗黑《くらやみ》に何《なん》だか醜《みにく》い無氣味《ぶきび》な物《もの》が居《ゐ》て、私《わたくし》の顏《かほ》をぢろりと見《み》たので、狼狽《あわて》てマッチを棄《す》てゝ了《しま》つた。が、どうやら鼻《はな》がめツちやになつて居《を》るらしい。
「もう鼻《はな》なんぞ如何《どう》なつたつて構《かま》はん。滿足《まんぞく》だつて仕方《しかた》がない。」
かう思《おも》ふと、愉快《ゆくわい》になつて來《き》た。芝居《しばゐ》で盜賊《ぬすびと》の役《やく》でも勤《つと》めて居《ゐ》るやうに、奇怪《きくわい》な身振《みぶり》や顏色《かほいろ》をしながら、ブフエーへ行《い》つて、殘物《ざんぶつ》を探《さが》し出《だ》した。探《さが》すに何《なに》も身振《みぶり》をする必要《ひつえう》はない。それはさうとも思《おも》ひながら、其《その》癖《くせ》面白《おもしろ》くて身振《みぶり》が止《や》められなかつた。ひどく飢《かつ》えてゐる積《つも》りで、矢張《やツぱ》り奇怪《きくわい》な顏色《かほつき》をしながら、物《もの》を喰《く》つて居《ゐ》た。
眞暗《まツくら》で寂然《しん》としてゐるのが無氣味《ぶきび》だつたから、庭《には》の覗窓《のぞき》を開《あ》けて、聽耳《きゝみゝ》を引立《ひツた》てると、戶外《そと》はもう馬車《ばしや》一《ひと》つ通《とほ》らぬから、初《はじめ》は矢張《やはり》寂然《しん》としてゐるやうに思《おも》はれて、もう銃聲《じゆうせい》も止《や》むだらしい、――と思《おも》ふ側《そば》から、幽《かすか》に遠《とほ》く人聲《ひとごゑ》がする。叫聲《さけびごゑ》も、笑聲《わらひごゑ》も、何《なに》かグヮラ〳〵と崩《くづ》れる音《おと》も、物《もの》に紛《まぎ》れずして、やがてそれが判然《はつきり》と手《て》に取《と》るやうに聞《きこ》えて來《く》る。空《そら》を瞻《み》ると、赤黑《あかぐろ》い物《もの》がサッと飛《と》んで行《ゆ》く。向《むか》ひの納屋《なや》も庭先《にはさき》の敷石《しきいし》も、犬小舎《いぬごや》も、矢張《やはり》ぼッと薄赤《うすあか》く染《そま》つて見《み》える。
「ネプツーン!」
と窃《そツ》と窓《まど》から犬《いぬ》を呼《よ》んで見《み》た。
犬小舎《いぬごや》では何《なに》も動《うご》く氣色《けはひ》がなく、側《そば》の鎖《くさり》の切《き》れたのが赤黑《あかぐろ》く煌々《きら〳〵》と見《み》えるばかり。が、遠方《えんぱう》の叫聲《さけびごゑ》や、何《なに》やらの崩《くづ》れ落《お》ちる音《おと》が、次第《しだい》に高《たか》くなつて來《き》たから、私《わたし》は覗窓《のぞき》を閉《し》めて了《しま》つた。
「段々《だん〳〵》押寄《おしよ》せて來《く》る!」
隱《かく》れ塲所《ばしよ》を探《さが》す氣《き》で、ストーヴの戸《と》を開《あ》けたり、塗込《ぬりご》め煖爐《だんろ》を探《さぐ》つたり、戸棚《とだな》を開《あ》けたりしてみたが、そんな物《もの》では間《ま》に合《あ》はぬ。部屋々々《へや〳〵》をも歩《ある》き廻《まは》つて見《み》たが、書齋《しよさい》だけは覗《のぞ》く氣《き》になれなかつた。屹度《きツと》兄《あに》が肱掛椅子《ひぢかけいす》に腰《こし》を掛《か》けて、書物《しよもつ》に埋《うま》つたテーブルに對《むか》つて居《ゐ》ると思《おも》ふと、餘《あン》まり好《よ》い心持《こゝろもち》がしない。
と、次第《しだい》に歩《ある》いてゐるのは私《わたくし》一人《ひとり》でないやうに思《おも》はれて來《く》る。まだ幾人《いくたり》か近《ちか》くの暗黑《やみ》を默《だま》つて歩《ある》いてゐる者《もの》があつて、殆《ほとん》ど私《わたし》と擦《す》れ〳〵になる事《こと》もあるやうだ。一|度《ど》其中《そのうち》の誰《だれ》やらの息《いき》が領元《えりもと》に觸《ふ》れて慄然《ぞツ》と總毛立《そうげだ》つた事《こと》もある。
「誰《だれ》だ?」と私《わたし》は小聲《こゞゑ》でいつて見《み》たが、返事《へんじ》がない。
又《また》歩《ある》き出《だ》すと、不気味《ぶきび》な奴《やつ》が默《だま》つて跡《あと》に踉《つ》いて來《く》る。加減《かげん》が惡《わる》いので、それでこんな氣《き》がするのだ、さう云《い》へば熱《ねつ》も出《で》て來《き》たやうだ――と思《おも》ふけれども、恐《おそ》ろしさを如何《どう》することも出來《でき》ん。寒氣《さむけ》でもするやうに身體《からだ》が慄《ふる》へて、頭《あたま》に觸《さは》つて見《み》ると、火《ひ》のやうに熱《あつ》い。
「チヨッ、書齋《しよさい》へ行《い》かう。何《なん》と云《い》つても他人《たにん》よりか好《い》い。」
兄《あに》は果《はた》して肱掛椅子《ひぢかけいす》に倚《よ》つて、書物《しよもつ》に埋《うま》つたテーブルに對《むか》つて居《ゐ》たが、今《いま》は彼時《あのとき》のやうに消《き》えもせぬ。帷《カーテン》を卸《おろ》した隙《すき》から外《そと》の明《あか》りが薄赤《うすあか》く射《さ》してゐるけれど、物《もの》を照《て》らす程《ほど》でもないから、兄《あに》の姿《すがた》はぼんやり見《み》える。私《わたくし》は兄《あに》とは懸《か》け離《はな》れて、ソフアに腰《こし》を卸《おろ》して成行《なりゆき》を見《み》て居《ゐ》た。書齋《しよさい》は靜《しづ》かで、のべつに轟《ぐわう》といふ音《おと》、何《なに》かのグッラ〳〵と崩落《くづれお》ちる音《おと》、其處此處《そここゝ》の叫聲《さけびごゑ》が幽《かす》かに聞《きこ》えてゐたのが、次第《しだい》に近《ちか》く押寄《おしよ》せて來《く》る。赤黑《あかぐろ》い光《ひかり》は益々《ます〳〵》強《つよ》くなり、肱掛椅子《ひぢかけいす》に凭《よ》つた兄《あに》の、眞黑《まツくろ》な、鑄鐵《いてつ》で作《つく》つたやうな半面《よこがほ》が、その細《ほそ》い赤《あか》い線《せん》の中《うち》に見《み》えるやうになつた時《とき》、
「兄《にい》さん!」
と呼《よ》んでみた。
が、默《だま》つて居《ゐ》る。石碑《せきひ》のやうに凝然《ぢツ》と眞黑《まつくろ》に居竦《ゐすく》まつてゐる。隣室《りんしつ》の床板《ゆかいた》がピシリと爆《はぜ》て、急《きふ》に妙《めう》に寂《しん》となる。澤山《たくさん》な死骸《しがい》の中《なか》にでもゐるやうだ。音《おと》と云《い》ふ音《おと》は皆《みな》消《き》えて、赤黑《あかぐろ》い光《ひかり》までしんめりとした死《し》の影《かげ》を宿《やど》して、凝《こツ》たやうに動《うご》かなくなり、其色《そのいろ》も稍《やゝ》薄《うす》れる。この寂《さび》しさは兄《あに》からと思《おも》つて、其通《そのとほ》りを云《い》ふと、
「いや、己《おれ》の所爲《せゐ》ぢやない。窓《まど》を覗《のぞ》いて御覽《ごらん》。」
帷《カーテン》を引除《ひきの》けて――私《わたし》はたぢ〳〵となつた。
「おゝ、この故爲《せゐ》か!」
「家内《かない》を呼《よ》んで來《き》て呉《く》れ。彼《あれ》はまだ見《み》たことがないから」、と兄《あに》がいふ。
嫂《あによめ》は食堂《しよくだう》で何《なに》か裁縫《さいほう》をしてゐたが、私《わたし》が行《ゆ》くと、針《はり》を縫物《ぬひもの》に差《さ》して、言《い》はれる儘《まゝ》に起上《たちあが》り、私《わたし》の跡《あと》に隨《つ》いて來《く》る。窓々《まど〳〵》の帷《カーテン》を皆《みんな》引除《ひきの》けたら、薄赤《うすあか》い光《ひかり》が、廣《ひろ》い入口《いりぐち》を射《い》て、思《おも》ひの儘《まゝ》に室内《しつない》へ流《なが》れ込《こ》むだが、何故《なぜ》だか内《うち》は明《あか》るくはならないで、矢張《やはり》暗《くら》かつた、唯《たゞ》窓《まど》だけ四角《しかく》に赤《あか》く大《おほ》きく燦然《ぼツ》と明《あか》るく見《み》えた。
皆《みな》で窓際《まどぎは》へ行《い》つて仰《あふ》いで見《み》ると、家《いへ》の壁《かべ》や軒蛇腹《のきじやばら》から、直《す》ぐ火《ひ》のやうに眞紅《まツか》な、平坦《たひら》な空《そら》になつて、雲《くも》も日《ひ》も星《ほし》も麗《つ》けずに、其儘《そのまゝ》地平線《ちへいせん》の彼方《かなた》に没《ぼつ》したやうに見《み》える。俯《ふ》して見《み》れば、矢張《やはり》平坦《たひら》な赤黑《あかぐろ》い野《の》が死骸《しがい》で埋《うづま》つて居《ゐ》る。死骸《しがい》は皆《みな》裸體《はだか》で、足《あし》を此方《こちら》へ向《む》けて居《を》るから、此方《こちら》からは唯《たゞ》蹠《あしのうら》と三|角《かく》の顎《あご》の下《した》が見《み》えるばかりだ。寂然《しん》としてゐる――皆《みな》死骸《しがい》と見《み》えて、際限《はてし》もない野《の》に置去《おきざ》りにされた負傷者《ふしやうしや》らしい者《もの》は一人《ひとり》も見《み》えなかつた。
「段々《だん〳〵》殖《ふ》えて來《く》る」、と兄《あに》が云《い》ふ。
兄《あに》も窓際《まどぎは》に立《た》つて居《ゐ》たが、母《はゝ》も妹《いもうと》も家内中《かないぢう》殘《のこ》らず此處《こゝ》に居《ゐ》る。誰《だれ》も面《かほ》は能《よ》く見《み》えなかつたが、唯《たゞ》聲《こゑ》でそれと知《し》れた。
「そんな氣《き》がするンだわ」、と妹《いもうと》が云《い》ふ。
「いや、殖《ふ》えて來《く》るのだ。まあ、見《み》て居《ゐ》て御覧《ごらん》。」
成程《なるほど》、死骸《しがい》は殖《ふ》えたやうだ。如何《どう》して殖《ふ》えるのかと、凝然《ぢツ》と注目《ちうもく》して居《ゐ》ると、とある死骸《しがい》の隣《となり》の、今迄《いままで》何《なに》も無《な》かつた處《ところ》に、フト死骸《しがい》が現《あらは》れた。どうやら、皆《みな》地《ち》から湧《わ》くらしい。空《あ》いた處《ところ》がズン〳〵塞《ふさ》がつて行《い》つて、大地《だいち》が忽《たちま》ち微白《ほのじろ》くなる。微白《ほのじろ》くなるのは、蹠《あしのうら》を此方《こちら》へ向《む》けて、列《なら》んで臥《ね》てゐる死骸《しがい》が皆《みな》薄紅《うすあか》いからで、それにつれて室内《しつない》もその死骸《しがい》の色《いろ》に薄紅《うすあか》く明《あか》るくなる。
「さあ、もう塲所《ばしよ》がない」、と兄《あに》が云《い》ふ。
「もう此處《こゝ》にも一人《ひとり》居《ゐ》るよ」、と母《はゝ》がいふ。
皆《みな》振向《ふりむ》いて見《み》ると、成程《なるほど》背後《うしろ》にも一人《ひとり》仰反《のけぞ》つて倒《たふ》れてゐる。と、忽《たちま》ちその側《そば》へ一人《ひとり》現《あらは》れ、二人《ふたり》現《あらは》れる。跡《あと》から〳〵湧《わ》いて出《で》て、薄紅《うすあか》い死骸《しがい》が行儀《ぎやうぎ》よく並《なら》び、忽《たちま》ち部屋《へや》々々《〳〵》に一杯《いつぱい》になる。
保母《ほぼ》が、
「坊《ぼツ》ちやん逹《たち》のお部屋《へや》にも出《で》て來《き》ましたよ。私《わたくし》見《み》て參《まゐ》りました。」
妹《いもうと》が、
「逃《に》げて行《ゆ》きませう。」
兄《あに》が、
「出道《でみち》がない。御覽《ごらん》、もう此通《このとほ》りだ。」
成程《なるほど》、死骸《しがい》は其處《そこ》ら中《ぢう》に素足《すあし》を投出《なげだ》し、腕《うで》を聯《つら》ねて、ギッシリ詰《つま》まつてゐる。それが見《み》る〳〵蠢《うご》めき出《だ》して、恟《ぎよツ》とする間《ま》に、皆《みな》行儀《ぎようぎ》よく列《なら》むだまゝ、むく〳〵と起上《おきあが》る。新《あたら》しい死骸《しがい》が地《ち》から湧《わ》いて出《で》て、舊《もと》から在《あ》るのを推上《おしあ》げたのだ。
「かうして居《ゐ》ると、首《くび》を締《し》められる。窓《まど》から逃《に》げませう。」
と私《わたし》が云《い》ふと、兄《あに》が、
「いや、窓《まど》からはもう逃《に》げられん! 駄目《だめ》だ! それ、あれを御覽《ごらん》!」
…窓外《さうぐわい》には、赤黑《あかぐろ》い光《ひか》りの凝《こ》つた中《なか》に赤《あか》い笑《わらひ》が見《み》える。
血笑記 終
明治四十一年八月五日印刷 血笑記奥付
明治四十一年八月八日發行 正價金八拾五銭
著者 長谷川二葉亭
東京市麹町區飯田町六丁目廿四番地
不 許 發行者 西本波太
東京市小石川區久堅町百八番地
複 製 印刷人 山田英二
東京市小石川區久堅町百八番地
印刷所 博文館印刷所
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發行所 東京市麹町區飯田町 易風社
六丁目二十四番地 振替口座 一二〇三四番
Transcriber's Notes(Page numbers are those of the original text)
誤植と思われる箇所は岩波書店発行二葉亭四迷全集第四巻(昭和三十九年 第一刷)を参照し以下のように訂正した。
原文 生若《まなわか》い (p.25)
訂正 生若《なまわか》い
原文 見《み》たばかりて (p.59)
訂正 見《み》たばかりで
原文 狂人《きちちがひ》 (p.64)
訂正 狂人《きちがひ》
原文 血潮《ししほ》 (p.71)
訂正 血潮《ちしほ》
原文 見《み》れぼ (p.72)
訂正 見《み》れば
原文 便《たよ》りない聲《こゑ》て (p.85)
訂正 便《たよ》りない聲《こゑ》で
原文 二|本指《ほんゆび》て (p.96)
訂正 二|本指《ほんゆび》で
原文 聞《きこ》る! (p.108)
訂正 聞《きこえ》る!
原文 貴方《あなた》を此樣《こん》にすれば (p.121)
訂正 貴方《あなた》を此樣《こん》なにすれば
原文 折合《をりあ》ふ事《こと》が出來《き》ん (p.125)
訂正 折合《をりあ》ふ事《こと》が出來《でき》ん
原文 一所《ひところ》 (p.125)
訂正 一所《ひとところ》
原文 線《せん》か (p.138)
訂正 線《せん》が
原文 紙《かみ》に歿《のこ》つた (p.148)
訂正 紙《かみ》に殘《のこ》つた
原文 遂《お》うて (p.149)
訂正 逐《お》うて
原文 薄無味惡《うすきみわる》かつたが (p.162)
訂正 薄氣味惡《うすきみわる》かつたが
原文 ちらりとしたばかりて有《あ》つたのだ (p.163)
訂正 ちらりとしたばかりで有《あ》つたのだ
原文 銳《するど》い目色《めつき》て (p.171)
訂正 銳《するど》い目色《めつき》で
原文 ピシャり (p.172)
訂正 ピシャリ
原文 迯《にげ》けろ (p.175)
訂正 迯《にげ》ろ
原文 慓《ふる》ひ出《だ》す (p.175)
訂正 慄《ふる》ひ出《だ》す
原文 冷《つた》たい (p.187)
訂正 冷《つめ》たい
原文 向《むか》ふから來《き》る (p.208)
訂正 向《むか》ふから來《く》る
原文 失《うし》つたやうにも (p.230)
訂正 失《うしなつたやうにも》
原文 唯《たゞ》蹶《あしのうら》と (p.243)
訂正 唯《たゞ》蹠《あしのうら》と
原文 蹶《あしのうら》 (p.245)
訂正 蹠《あしのうら》
原文 切《きれ》れ (p.237)
訂正 切《き》れ
●文字・フォーマットに関する補足
113頁「弟は高笑をして、」「妹も合槌を打つて、」、118頁「弟《おとうと》はふと立止《たちど》まつて、」の行は一字字下げした。
233頁の草書体の「志」は「し」に置換えた。「熱」の字は原文では「灬」の上が「執」の字。
「痛《いた》いのだ。もう花《はな》も歌《うた》もないからな。さあ、己《おれ》がお前《まへ》の上《うへ》へ乗《の》つかるぞ!」
「乗《の》つかつちや、重《おも》たい、氣味《きみ》も惡《わる》い。」
「死《し》んだ者《もの》なら、生《い》きてる者《もの》の上《うへ》に乗《のツ》かるべき筈《はず》だ。溫《あツた》かいだらう?」
「溫《あツた》かです。」
「好《い》い心持《こゝろもち》か?」
「死《し》にさうだ。」
「目《め》を覺《さま》してワッといへ。目《め》を覺《さま》してワッと。己《おれ》はもう行《ゆ》く…」
(斷篇第十六)
戰鬪《せんとう》が始《はじ》まつてから、もう八|日目《かめ》になる。過《すぐ》る週《しう》の金曜《きんえう》に始《はじ》まつて、土曜《どえう》、日曜《にちえう》、月曜《げつえう》、火曜《くわえう》、水曜《すゐえう》、木曜《もくえう》と過《す》ぎて、又《また》金曜《きんえう》が來《き》て其《それ》も過《す》ぎたが、まだ戰鬪《せんとう》は止《や》まぬ。兩軍《りやうぐん》の兵數《へいすう》十|萬《まん》、それが相對《あひたい》して一|步《ぽ》も退《ひ》かずに、凄《すさ》まじい音《おと》を立《た》てゝ、息氣《いき》をも續《つ》がず破裂彈《はれつだん》を打《う》ち合《あ》ふので、刻々《こく〳〵》に生人《せいにん》が死人《しにん》になつて行《ゆ》く。段々《だん〳〵》轟々《ごう〳〵》と絕《た》えず空氣《くうき》を撼《ゆす》る其《その》砲聲《はうせい》に、空《そら》も動搖《どよ》んで眞黑《まツくろ》な夕立雲《ゆうだちぐも》を呼《よ》び、雷霆《らいてい》は頭《あたま》の上《うへ》で磤《はた》めくけれど、敵《てき》も味方《みかた》も此處《こゝ》を先途《せんど》と討《う》ちつ討《う》たれつしてゐる。人《ひと》は三|晝夜《ちうや》眠《ねむ》らんと、病《やまひ》を得《え》て物《もの》も覺《おぼ》えぬやうになるといふのに、况《ま》して是《これ》はもう一|週間《しうかん》も眠《ねむ》らずに居《ゐ》るのだから、皆《みな》狂氣《きちがひ》になつてゐる。であるから、苦《くる》しいとも思《おも》はない、退《ひ》かうともしない、一人《ひとり》殘《のこ》らず討死《うちじに》して了《しま》ふ迄《まで》は、奮鬪《ふんとう》せんとするのだ。風聞《ふうぶん》に據《よ》ると、某隊《ぼうたい》では彈藥《だんやく》が盡《つ》きて、石《いし》を投《な》げ合《あ》ひ、拳《こぶし》で毆《う》ち合《あ》ひ、犬《いぬ》のやうに咬《か》み合《あ》つたと云《い》ふ。若《も》し此《この》戰鬪《せんとう》の參加者《さんかしや》で生還《せいくわん》する者《もの》があつたら、狼《おほかみ》のやうに牙《きば》が生《は》えてゐやうも知れぬが、恐《おそ》らく生還者《せいくわんしや》は有《あ》るまい、皆《みな》狂《くる》つてゐるから、一人《ひとり》殘《のこ》らず討死《うちじに》して了《しま》はう。皆《みな》狂《くる》つてゐる。頭《あたま》の中《なか》が顚倒《てんたふ》して何《なに》も分《わか》らなくなつて居《ゐ》るから、若《も》し急《きふ》にグルッと方向《むき》を變《か》へさせられたら、敵《てき》と思《おも》つて味方《みかた》に發砲《はつぱう》しかねまいと思《おも》はれる。
奇怪《きくわい》な噂《うはさ》がある…奇怪《きくわい》な噂《うはさ》で、怖《おそ》ろしくもあるし、只《た》だ事《こと》でないと虫《むし》が知《し》らせたから、皆《みな》蒼《あを》くなつて、ひそ〳〵と咡《さゝや》く。あゝ、兄《あに》に聞《き》かせたい、皆《みな》赤《あか》い笑《わらひ》の噂《うはさ》だ。聞《き》けば、幻《まぼろ》しの部隊《ぶたい》が現《あら》はれたと云《い》ふ。いづれも何《なに》から何迄《なにまで》生人《せいじん》と些《ちつ》とも違《ちが》はぬ亡者《もうじや》の集團《しふだん》だ。夜《よ》は狂《くる》つた人逹《ひとたち》が霎時《しばし》の夢《ゆめ》を結《むす》ぶ時《とき》、晝《ひる》は晴《は》れた日《ひ》も黃泉《よみ》と曇《くも》る戰《たゝかひ》の眞最中《まツさいちう》に、忽然《こつぜん》と現《あら》はれて、幻《まぼろ》しの砲《はう》で發砲《はつぱう》して、怪《あや》しの砲聲《はうせい》に空《そら》を撼《ゆす》ると、生《い》きてはゐるが、氣《き》の狂《くる》つた人逹《ひとたち》が、事《こと》の不意《ふい》なのに度《ど》を失《うしな》つて、死物狂《しにものぐる》ひに其《その》幻《まぼろ》しの敵《てき》と戰《たゝか》ひ、怖《おそ》れて取逆上《とりのぼ》せて、一|瞬《しゆん》の間《ま》に白髮《しらが》になり、紛々《ふんぷん》と死《し》んで行《ゆ》く。幻《まぼろ》しの敵《てき》は忽然《こつぜん》として現《あら》はれて、又《また》忽然《こつぜん》として消《き》え失《う》せる。と、寂然《しん》となつた跡《あと》を見《み》れば、散々《さん〴〵》に形《かたち》の害《そこな》はれたまだ生々《なま〳〵》しい死骸《しがい》が、狼藉《らうぜき》と地上《ちじやう》に橫《よこたは》つてゐる。敵《てき》は果《はた》して何者《なにもの》だつたらう? 敵《てき》の果《はた》して何者《なにもの》だつたかを、私《わたし》の兄《あに》は知《し》つてゐる筈《はず》だ。
二|度目《どめ》の戰鬪《せんとう》も終《をは》つて、四下《あたり》は寂然《ひツそり》となる。敵《てき》は遠方《ゑんぱう》だ。それだのに、闇夜《やみよ》に突然《とつぜん》ドンと一|發《ぱつ》怯《おび》えたやうな筒音《つゝおと》がする。それツと跳起《はねお》きて、皆《みな》暗黑《くらやみ》の中《なか》へ發砲《はつぱう》する、――久《しば》らく、何時間《なんじかん》といふ間《あひだ》、寂《しん》として音沙汰《おとさた》のない暗黑《くらやみ》の中《なか》へ發砲《はつぱう》する。暗中《あんちう》に何《なに》を認《みと》めたのか? 怖《おそ》ろしくも物狂《ものぐる》ほしい無言《むごん》の姿《すがた》を現《げん》した無氣味《ぶきび》な者《もの》は抑《そもそ》も何者《なにもの》だ? 之《これ》を知《し》つてる者《もの》は兄《あに》と私《わたし》とだけで、まだ他《ほか》の人《ひと》は知《し》らない、只《たゞ》感《かん》ずるだけは感《かん》じて居《ゐ》ると見《み》えて、蒼《あを》くなつて此樣《こん》な事《こと》をいふ、「如何《どう》して斯《か》う狂人《きちがひ》が多《おほ》いのでせう? 此樣《こん》なに澤山《たくさん》狂人《きちがひ》の有《あ》つた事《こと》はまだ聞《き》いた事《こと》がない。」
「此樣《こん》なに澤山《たくさん》狂人《きちがひ》の有《あ》つた事《こと》を聞《き》いた事《こと》がない」といつて、皆《みな》蒼《あを》くなる。今《いま》も昔《むかし》も變《かは》らぬと思《おも》つて居《ゐ》たいのだ。遍《あまね》く人《ひと》の良智《りやうち》を無理《むり》に抑《おさ》へて居《ゐ》る力《ちから》は銘々《めい〳〵》の果敢《あへ》ない頭《あたま》の上《うへ》へは及《およ》ばぬと思《おも》つてゐたいのだ。
「昔《むかし》だつて、何時《いつ》だつて、戰爭《せんさう》はあつた、しかし曾《かつ》て此樣《こん》な事《こと》はない。戰爭《せんさう》は生存《せいそん》の理法《りはふ》だ」、と斯《か》ういつて皆《みな》澄《すま》して落着《おちつ》いてゐるけれど、其癖《そのくせ》皆《みな》蒼《あを》くなつてゐる、皆《みな》眼《め》で醫者《いしや》を捜《さが》してゐる、皆《みな》狼狽《うろた》へた聲《こゑ》で、水《みづ》を、早《はや》く水《みづ》を、と叫《さけ》んでゐる。
人《ひと》は皆《みな》内《うち》に動《うご》く良智《りやうち》の聲《こゑ》を聞《き》くまいとして、無意味《むいみ》な事《こと》に爭《あらそ》ひ負《ま》けて其《その》分別《ふんべつ》の鈍《にぶ》り行《ゆ》くのを忘《わす》れやうとして、ならば白痴《たはけ》になりたいと思《おも》ふ。戰地《せんち》では刻々《こく〳〵》に人《ひと》の死《し》に行《ゆ》く今日《けふ》此頃《このごろ》、私《わたし》は如何《どう》しても安閑《あんかん》としてゐられぬから、其處《そこ》ら中《ぢう》世間《せけん》を駈廻《かけまは》つて、人《ひと》の話《はなし》も隨分《ずゐぶん》聞《き》いた、なに、戰爭《せんさう》は遠方《ゑんぱう》だ、我々《われ〳〵》には關係《くわんけい》はないといつて、故意《わざ》とらしく微笑《びせう》する人《ひと》の面《かほ》も隨分《ずゐぶん》見《み》た。が、それよりも多《おほ》く出逢《であ》つたのは、虛飾《きよしよく》を去《さ》つた眞實《しんじつ》の恐怖《きようふ》である。心細《こゝろぼそ》い苦《にが》い淚《なみだ》である、「この狂暴《きやうばう》の殺戮《さつりく》はいつ止《や》めるのだ!」といふ、絕望《ぜつばう》の物狂《ものぐる》ほしい叫聲《さけびごゑ》である。人《ひと》が大《おほい》なる良智《りやうち》に力《ちから》一杯《いつぱい》膓《はらわた》を絞《しぼ》られて、最後《さいご》の祈禱《きたう》、最後《さいご》の呪咀《じゆそ》を唱《とな》へ出《だ》す時《とき》、能《よ》く此《この》叫聲《さけびごゑ》を發《はつ》する。
久《ひさ》しいこと、或《あるひ》は數年《すうねん》になるかも知《し》れぬが、足踏《あしぶ》みしなかつた去方《さるかた》で、狂氣《きやうき》になつて後送《こうさう》せられた一|將校《しやうかう》に出逢《であ》つた。同窓《どうさう》の友《とも》だのに、私《わたし》は見違《みちが》へた位《くらゐ》で、產《う》みの母《はゝ》さへ分《わか》らなかつたと云《い》ふ。一|年《ねん》も墳穴《つかあな》に埋《うま》つてゐて再《ふたゝ》び此世《このよ》に出《で》て來《き》たとて、かうはあるまいと思《おも》はれる程《ほど》の變《かは》り樣《やう》で、頭《あたま》も白《しろ》く、全《まつた》く白《しろ》くなつて了《しま》つてゐた。面貌《かほだち》は餘《あま》り變《かは》つてもゐなかつたが、默《だま》つて聽耳《きゝみゝ》を立《た》てゝゐる其《その》面色《かほつき》は世離《よばな》れして、人間《にんげん》とは緣遠《えんどほ》く怖《おそ》ろしげなので、言葉《ことば》を掛《か》けるさへ無氣味《ぶきび》になる。如何《どう》して氣《き》が違《ちが》つたのだといふと、親戚《しんせき》の聞込《きゝこ》んだ所《ところ》では、彼《かれ》の隊《たい》が豫備隊《よびたい》となつて、隣《とな》りの聯隊《れんたい》が突貫《とつくわん》した事《こと》がある。大勢《おほぜい》が駈《か》けながら、ウラー、ウラーと喚《わめ》く。大聲《おほごゑ》に喚《わめ》くので、殆《ほとん》ど銃聲《じうせい》も聞《きこ》えなくなつた程《ほど》だつたが、其中《そのうち》にふと銃聲《じうせい》が止《や》む、――ウラーが止《や》む。寂然《しん》と墓《はか》の如《ごと》く靜《しづ》かになつたのは、敵《てき》の陣地《ぢんち》に走《はし》り着《つ》いて、彌〻《いよ〳〵》白兵戰《はくへいせん》が始《はじ》まつたのだ。彼《かれ》は此時《このとき》寂然《しん》となつたのに堪《た》へなかつたのだと云《い》ふ。
今《いま》では側《そば》で話《はなし》をしたり、叫《さけ》んだり、騷《さわ》いだりしてゐると、落着《おちつ》いて聽耳《きゝみゝ》を立《た》てゝ何《なに》かの聞《きこ》えるのを待《ま》つてゐるが、一寸《ちよツと》でも閑《しづ》かになると、我《われ》と我頭《わがあたま》に挘《むし》りつくやら、壁《かべ》や家具《かぐ》へ駈上《かけあが》らうとするやら、癲癇《てんかん》めいた發作《ほつさ》を起《おこ》して藻搔《もが》く。親戚《しんせき》が多《おほ》いので、其等《それら》が交《かは》る〴〵病人《びやうにん》を取卷《とりま》いて騷《さわ》いでやつてゐるが、それでも夜《よる》がある、長《なが》い音《おと》のせぬ夜《よる》があるから、父親《ちゝおや》が夜《よる》を引受《ひきう》ける。これも矢張《やツぱり》白髮《しらが》頭《あたま》の少《すこ》し氣《き》の變《へん》な親仁《おやぢ》だが、チクタクの音《おと》の高《たか》い時計《とけい》を幾《いく》つとなく壁《かべ》に掛連《かけつら》ねて、たがひ違《ちが》ひに間斷《しツきり》なく時《とき》を打《う》たせてゐたが、近頃《ちかごろ》では絕《た》えずパチパチといふやうな音《おと》を出《だ》す輪《わ》を仕掛《しか》けてゐるさうな。まだ二十七だから、全快《ぜんくわい》すると思《おも》つて、望《のぞみ》を將來《しやうらい》に繫《か》けてゐるから、今《いま》では家内《かない》が寧《むし》ろ陽氣《やうき》である。軍服《ぐんぷく》は着《き》せないが、瀟洒《さつぱり》した服裝《なり》をさせて、見《み》ともなくないやうに仕《し》て置《お》いてやるから、白髮《しらが》でこそあれ、面相《かほだち》はまだ若々《わか〳〵》しく、擧動《きよどう》も力《ちから》の脫《ぬ》けたやうに悠然《ゆツたり》と品《ひん》が好《よ》く、物思《ものおも》ひ貌《がほ》に凝《ぢツ》と注意《ちうい》してゐる形《かたち》は寧《むし》ろ美《うつく》しい。
始終《しじう》の話《はなし》を聽《き》いて、私《わたし》は側《そば》へ行《い》つて、その男《をとこ》の蒼白《あをじろ》い、萎《な》え〳〵とした、もう刃《やいば》を揮翳《ふりかざ》すこともない筈《はず》の手《て》に接吻《せつぷん》したが、之《これ》には誰《たれ》も目《め》を側《そばだ》てる者《もの》もなかつた。唯《たゞ》友《とも》の若《わか》い妹《いもうと》が目《め》に微笑《びせう》を含《ふく》むで私《わたし》を見《み》たばかりだつたが、それからは其《その》娘《むすめ》が、許嫁《いひなづけ》でもあるやうに、私《わたし》の跡《あと》を追廻《おひまは》して、此世《このよ》に掛易《かけがへ》のない男《をとこ》のやうに私《わたし》を慕《した》ふ。餘《あま》り慕《した》はれるので、私《わたし》も不覺《つい》眞暗《まツくら》なガランとした家《うち》に、獨居《ひとりゐ》よりも厭《いや》な思《おもひ》をしてゐる事《こと》を話《はな》さうとした程《ほど》だつたが、人《ひと》の心《こゝろ》といふものは愛想《あいそ》の盡《つ》きる物《もの》だ。何時《いつ》だつて絕望《ぜつばう》してゐる事《こと》はない。娘《むすめ》の計《はか》らひで差向《さしむか》ひになつた時《とき》、其人《そのひと》が優《やさ》しく、
「まあ、貴方《あなた》のお顏色《かほいろ》の惡《わる》いこと! 眼《め》の下《した》に環《わ》が出來《でき》てますよ。お加減《かげん》でも惡《わる》いのですか? それともお兄樣《あにいさま》がお可哀《かわい》さうでならないの?」
「兄《あに》ばかりぢやない、人間《にんげん》が皆《みな》可哀《かわい》さうです。尤《もツと》も少《すこ》し加減《かげん》も惡《わる》いが…」
「私《あた》し貴方《あなた》が兄《あに》の手《て》に接吻《せつぷん》なすつた譯《わけ》を知《し》つてますよ、――皆《みんな》は氣《き》が附《つ》かなかつたやうですけど。あの、何《なん》でせう、兄《あに》が狂氣《きちがひ》だから、それでゞせう?」
「さうです。狂氣《きちがひ》だから、それでゞす。」
娘《むすめ》は凝《ぢツ》と思案《しあん》に沈《しづ》む、――その樣子《やうす》が兄《あに》に酷肖《そツくり》であつた、――只《たゞ》逈然《ずツ》と若《わか》いばかりで。
「私《あた》し」、と娘《むすめ》は言淀《いひよど》むでサツと赤面《せきめん》したが、伏目《ふしめ》にもならないで、「私《あた》し貴方《あなた》のお手《て》に接吻《せツぷん》したいわ。許《ゆる》して下《くだ》すつて?」
私《わたし》は娘《むすめ》の前《まへ》に膝《ひざ》を突《つ》いて、
「祝福《ブレツス》して下《くだ》さい。」
娘《むすめ》は聊《いさゝ》か顏色《がんしよく》を變《か》へて身《み》を引《ひ》いたが、唇《くちびる》ばかりで囁《さゝや》くのを聞《き》くと、
「私《あた》し信者《しんじや》ぢやないわ。」
「私《わたし》だつてもそれは然《さ》うだ。」
娘《むすめ》の手《て》が一寸《ちよツと》私《わたし》の頭《あたま》に觸《ふ》れた。それが濟《す》むと、
「私《あた》し戰地《せんち》へ行《い》つてよ。」
「それも好《い》いでせう。しかし到底《とて》も耐《た》へられまい。」
「それは如何《どう》だか知《し》れないけど、だつて貴方《あなた》も兄《あに》も然《さ》うだけど、戰地《せんち》の人《ひと》だつて打遣《うツちや》つて置《お》く譯《わけ》には行《い》きますまい? 罪《つみ》も何《なに》もない人逹《ひとたち》ですもの。貴方《あなた》、私《わたし》を忘《わす》れちや下《くだ》さらない?」
「决《けツ》して。貴孃《あなた》は?」
「私《あたし》もそんなら、御機嫌《ごきげん》よう!」
「もう二|度《ど》とはお目《め》に掛《かゝ》れまい。御機嫌《ごきげん》よう!」
死《し》にも狂氣《きやうき》にも尤《もつと》も畏《おそ》るべき處《ところ》がある、――それを私《わたし》は經過《けいくわ》したやうな心持《こゝろもち》がして、ホッとした。氣《き》も落着《おちつ》いた。久《ひさ》し振《ぶり》で昨日《きのふ》は、怖《おそ》ろしいとも何《なん》とも思《おも》はず、平氣《へいき》で家《うち》へ入《はい》つて、兄《あに》の書齋《しよさい》の戶《と》を開《あ》けて、其《その》筐《かたみ》の机《つくえ》に對《たい》して、久《しば》らく椅子《ゐす》に倚《よ》つてゐた。夜中《よなか》にドンと何《なに》かに衝《つ》かれたやうな心持《こゝろもち》でふと目《め》を覺《さま》すと、乾《かわ》いたペン先《さき》が紙上《しじやう》を走《はし》る音《おと》がしたが、私《わたし》は驚《おどろ》かなかつた。殆《ほとん》ど微笑《びせう》せぬばかりの心持《こゝろもち》になつて、心《こゝろ》の中《うち》で、
「澤山《たんと》お書《か》きなさい。ペンも乾《かわ》いたのぢやない、――生々《なま〳〵》しい人間《にんげん》の血潮《ちしほ》を含《ふく》んでゐる。原稿《げんかう》も白紙《はくし》のやうに見《み》えやうが、其方《そのはう》が寧《むし》ろ好《い》い。何《なに》も書《か》いてないだけに無氣味《ぶきみ》で、聰明《さうめい》な人逹《ひとたち》が種々《いろん》な事《こと》を書立《かきた》てるよりも、戰爭《せんさう》や理性《りせい》に付《つ》いて多《おほ》くを語《かた》る。お書《か》きなさい、〳〵、澤山《たんと》お書《か》きなさい。」
…今朝《けさ》新聞《しんぶん》を讀《よ》むで見《み》ると、まだ戰闘《せんとう》が止《や》まぬので、私《わたし》はまた薄氣味惡《うすきみわる》くなつて來《き》て、心《こゝろ》が落居《おちゐ》ず、宛然《さながら》腦《なう》の中《なか》で何《なに》かガタリと落《お》ちたやうな心持《こゝろもち》がした。その何《なに》かゞ向《むか》ふから來《く》る、近《ちか》くなる、――もうガランと明《あか》るい家《うち》の敷居《しきゐ》に立《た》つてゐる。あゝ、彼《か》の人《ひと》が懷《なつ》かしい、何卒《どうぞ》私《わたし》の事《こと》を忘《わす》れて吳《く》れるな。私《わたし》は氣《き》が違《ちが》ひさうだ。戰死《せんし》三|萬《まん》、戰死《せんし》三|萬《まん》…
(斷篇第十七)
…市内《しない》も何《なん》となく血羶《ちなまぐさ》い。判然《はつきり》した事《こと》は分《わか》らぬけれど、何《なん》だか怖《おそ》ろしい噂《うはさ》がある…
(斷篇第十八)
今朝《けさ》新聞《しんぶん》を見《み》ると、澤山《たくさん》の戰死者《せんししや》の姓名《せいめい》が出《で》てゐる中《なか》で、一人《ひとり》知《し》つた名前《なまへ》がある。それは私《わたし》の妹《いもうと》の許嫁《いひなづけ》の一|將校《しやうかう》で、亡兄《ばうけい》と一|緒《しよ》に召集《せうしふ》された人《ひと》だ。一|時間後《じかんご》に配逹夫《はいたつふ》が投込《なげこ》んで行《い》つた手紙《てがみ》を見《み》ると、兄《あに》へ宛《あ》てたもので、表書《うはがき》の書風《しよふう》で分《わか》つたが、その戰死《せんし》した妹《いもうと》の許嫁《いひなづけ》から來《き》たのだ。死人《しにん》が死人《しにん》へ手紙《てがみ》を寄越《よこ》したのだ。けれども死人《しにん》が生《い》きてる人《ひと》に文通《ぶんつう》したよりまだ勝《まし》だ。これは私《わたし》が現《げん》に逢《あ》つた去《さ》る婦人《ふじん》の身《み》の上《うへ》だが、その息子《むすこ》が砲彈《はうだん》に粉韲《ふんさい》されて無殘《むざん》な最後《さいご》を遂《と》げたのを新聞《しんぶん》で知《し》つてから、全《まる》一ケ|月《げつ》の間《あひだ》每日《まいにち》其《その》息子《むすこ》から手紙《てがみ》が來《く》る。優《しほ》らしい息子《むすこ》で、手紙《てがみ》にはいつも優《やさ》しい事《こと》を書《か》いて母《はゝ》を慰《なぐさ》めて、何《なに》か幸福《かうふく》を得《う》る望《のぞ》みあり氣《げ》な若《わか》い愛度氣《あどけ》ない事《こと》ばかり言《い》つて寄越《よこ》す。此世《このよ》の人《ひと》ではないけれど、これが惡魔《あくま》の几帳面《きちやうめん》といふものか、每日《まいにち》缺《か》がさず此世《このよ》の事《こと》を書《か》いて寄越《よこ》すから、母親《はゝおや》は遂《つひ》に伜《せがれ》は戰死《せんし》したのでないと思《おも》ひ出《だ》した。が、ふと音信《おとづれ》が絕《た》えてから、一|日《にち》二日《ふつか》三日《みつか》と過《す》ぎ、それからも死默《しもく》に入《い》つて、何時迄《いつまで》待《ま》つても音沙汰《おとさた》がないので、母親《はゝおや》は兩手《りやうて》で古風《こふう》な大形《おほがた》のピストルを取上《とりあ》げて、胸《むね》へ丸《たま》を打込《うちこ》んだと云《い》ふ。助《たす》かつたやうにもいふが、私《わたし》は能《よ》くは知《し》らぬ。判然《はつきり》した事《こと》を聞《き》かずに了《しま》つた。
私《わたし》は久《しば》らく封筒《ふうとう》を眺《なが》めてゐたが、考《かんが》へて見《み》ると、此《この》封筒《ふうとう》も曾《かつ》て故人《こじん》の手《て》に觸《ふ》れた事《こと》があるのだ。何處《どこ》でか之《これ》を買《か》はうとして、錢《ぜに》を持《も》たせて從卒《じゆうそつ》を、何處《どこ》かの店《みせ》へ遣《や》つたのだ。故人《こじん》は此《この》手紙《てがみ》の封《ふう》をしてから、或《あるひ》は自分《じぶん》でポストへ入《い》れたかも知《し》れぬ。で、郵便《いうびん》といふ複雜《ふくざつ》な機關《きくわん》が運轉《うんてん》し出《だ》して、手紙《てがみ》は森《もり》や野《の》や市街《しがい》を餘所《よそ》に見《み》て、只管《ひたすら》目的地《もくてきち》を指《さ》して走《はし》る。最後《さいご》の日《ひ》の朝《あさ》、手紙《てがみ》の主《ぬし》が長靴《ながぐつ》を穿《は》いた時《とき》、手紙《てがみ》は走《はし》つてゐた。主《ぬし》が戰死《せんし》した時《とき》にも、手紙《てがみ》は走《はし》つてゐた。主《ぬし》が穴《あな》へ投込《なげこ》まれて死骸《しがい》が土《つち》の下《した》になつた時《とき》にも、消印《けしいん》を帶《お》びた灰色《はいゝろ》の封筒《ふうとう》の中《なか》に身《み》を忍《しの》ばせて、靈《れい》ある幻《まぼろし》の如《ごと》く、手紙《てがみ》は森《もり》や野《の》や市街《しがい》を餘所《よそ》に見《み》つゝ走《はし》つて、かうして今《いま》私《わたし》の手中《しゆちう》に在《あ》るのだ。
手紙《てがみ》の文句《もんく》は下《しも》の通《とほ》り。鉛筆《えんぴつ》で幾片《いくひら》かの紙《かみ》の切端《きれはし》に書《か》いたもので、結末《けつまつ》も附《つ》いてゐない。何《なに》か邪魔《じやま》が入《はい》つたものと見《み》える。
⦅…今《いま》となつて始《はじめ》て戰爭《せんさう》の大《おほい》に樂《たの》しむべき所以《ゆえん》を知《し》つた。利口《りこう》な、狡猾《かうくわつ》な、裏表《うらおもて》のある、肉食《にくしよく》動物《どうぶつ》中《ちう》の肉食《にくしよく》動物《どうぶつ》より、遙《はる》かに味《あぢ》のある人間《にんげん》といふやつを殺《ころ》す樂《たの》しみは、古風《こふう》な原始的《げんしてき》な樂《たの》しみで、鎭長《とこしなへ》に人《ひと》の生命《せいめい》を奪《うば》ふといふ事《こと》は、行星《かうせい》なんぞを抛《な》げてテニスを行《や》るよりも、愉快《ゆくわい》なものだ。君《きみ》は哀《あは》れだ。僕《ぼく》は君《きみ》が僕等《ぼくら》と倶《とも》に在《あ》ることを得《え》ずして、無味《むみ》な平凡《へいぼん》な日《ひ》を送《おく》つて、無聊《むりよう》に苦《くる》しむ身《み》の上《うへ》になつたのを悲《かな》しむ。君《きみ》が高尙《かいしやう》な精神《せいしん》から、安《やす》きを偸《ぬす》んで居《ゐ》られずして、永《なが》く求《もと》めた所《ところ》のものは、死地《しち》に入《はい》つて後《のち》、始《はじめ》て獲《え》られる。血《ち》に醉《ゑ》ふといふこと、比喩《ひゆ》は稍《やゝ》古《ふる》めかしいが、眞實《しんじつ》は反《かへつ》て這裏《しやり》に在《あ》る。僕等《ぼくら》は膝《ひざ》まで血《ち》に蘸《ひ》り、此《この》赤葡萄酒《あかぶだうしゆ》に醉《ゑ》つてチロ〳〵目《め》になつてゐる。赤葡萄酒《あかぶだうしゆ》とは名譽《めいよ》ある僕《ぼく》の部下《ぶか》の兵《へい》が戯《たはむ》れに命《めい》じた名《な》だ。人《ひと》の生血《いきち》を飮《の》むといふ風習《ふうしふ》は、人《ひと》の思《おも》ふ程《ほど》、馬鹿氣《ばかげ》たものではない。古人《こじん》も承知《しようち》して行《や》つた事《こと》だ…⦆
⦅…鵶《からす》が啼《な》いてゐる。君《きみ》に聞《きこ》えるか、鵶《からす》が啼《な》いてゐるぞ。何處《どこ》から此樣《こんな》に飛《と》んで來《き》たのだらう! 空《そら》も黑《くろ》む程《ほど》だ。天下《てんか》に可畏物《こはいもの》なしの僕等《ぼくら》と列《なら》んで、鵶《からす》は宿《とま》つてゐる。何處《どこ》へ行《い》つても隨《つ》いて來《く》る。いつも僕等《ぼくら》の頭《あたま》の上《うへ》に居《ゐ》るから、黑《くろ》レースの傘《かさ》を翳《さ》してゐるやうで、又《また》葉《は》の黑《くろ》い木《き》の動《うご》く蔭《かげ》に居《ゐ》るやうだ。一|羽《は》僕《ぼく》の面《かほ》の側《そば》へ來《き》て突《つゝ》つかうとした。彼奴《きやつ》僕《ぼく》を死人《しにん》と間違《まちが》へたのだらう。鴉《からす》が啼《な》いてゐる、少《すこ》し氣《き》になる。何處《どこ》から此樣《こん》なに飛《と》んで來《き》たのだらう?⦆
⦅…昨夜《ゆうべ》僕等《ぼくら》は睡耋《ねぼ》けた敵《てき》を鏖殺《みなごろ》しにした。鴨《かも》を仕留《しと》める時《とき》のやうに、窃《そつ》と、足音《あしおと》を偸《ぬす》んで、巧《うま》く、用心《ようじん》して這《は》つて行《い》つたから、死骸《しがい》に一つ躓《つまづ》かず、鳥《とり》一|羽《は》起《た》たせなかつた。幽靈《いうれい》のやうに、忍《しの》んで行《ゆ》く、それを又《また》夜《よる》が隱《かく》して吳《く》れる。哨兵《せうへい》は僕《ぼく》が片付《かたづ》けてやつた、突倒《つきたふ》して置《お》いて、聲《こゑ》を立《た》てぬやうに咽喉《のど》を締《し》めたのだ。少《すこ》しでも聲《こゑ》を立《た》てられたら、百|年目《ねんめ》だからなあ、君《きみ》。しかし聲《こゑ》を立《た》てなかつた。殺《ころ》されると思《おも》つてゐる暇《ひま》が無《な》かつたやうだ。
篝《かゞり》がぷす〳〵燻《いぶ》つてゐる。敵《てき》は其側《そのそば》に眠《ね》てゐた。我家《わがや》で寢臺《ねだい》に臥《ね》たやうに、安心《あんしん》して眠《ね》てゐた。其處《そこ》を僕等《ぼくら》は一|時間餘《じかんよ》も屠《ほふ》つたのだ。斬《き》らぬ中《うち》に眼《め》を覺《さま》したのは幾人《いくたり》もなかつたが其樣《そん》な奴等《やつら》は悲鳴《ひめい》を揚《あ》げて、無論《むろん》赦《ゆる》して吳《く》れといつた。喰付《くひつ》きもした。一人《ひとり》の奴《やつ》なんぞ、僕《ぼく》が頭《あたま》を引摑《ひツつか》むと、摑《つか》みやうが惡《わる》かつたので、左《ひだり》の手《て》の指《ゆび》を咬《か》み切《き》りをつた。指《ゆび》は咬《か》み切られたが、其代《そのかは》り見事《みごと》に首《くび》を引捻《ひンねぢ》つてやつた。如何《どう》だ、君《きみ》、これなら帳消《ちやうけ》しになるまいか?いや、皆《みな》能《よ》く眠込《ねこ》んで居《ゐ》やがつたよ! 骨《ほね》を斬《き》れば、ポキンといふな、肉《にく》を斬《き》れば、ザクッといふのだ。それから丸裸《まるはだか》にして置《お》いて、お四季施《しきせ》の分配《ぶんぱい》をやつたが、君《きみ》、串戯《じやうだん》いふと思《おも》つて怒《おこ》つちや不好《いけない》ぜ。君《きみ》は小《こ》六かしいから、それぢや野武士臭《のぶしくさ》いといふかも知《し》れんが、仕方《しかた》がないさ。僕等《ぼくら》だつて殆《ほとん》ど裸《はだか》だもの。全然《すツかり》着切《きゝ》つて了《しま》つたのだ。僕《ぼく》は疾《と》うから何《なん》だか女《をんな》の上衣《うはぎ》のやうな物《もの》を着《き》てゐるのだ。これぢや常勝軍《じやうしようぐん》の將校《しやうかう》ぢやなくて、何《なに》かのやうだ。
それはさうと、君《きみ》は結婚《けつこん》した樣《やう》だつたな?それぢや、此樣《こん》な手紙《てがみ》を見《み》ちや、惡《わる》かつたらう。しかし…なあ、君《きみ》、女《をんな》に限《かぎ》るぞ。えい、糞《くそ》、僕《ぼく》だつて靑年《せいねん》だ、戀《こひ》に渇《かつ》してゐるンだ!おツと――君《きみ》にも約束《やくそく》した女《をんな》が有つたつけな?君《きみ》は何處《どこ》かの令孃《れいぢやう》の寫眞《しやしん》を僕《ぼく》に示《み》せて、これが僕《ぼく》の婚約《こんやく》した女《をんな》だと曰《い》つた事《こと》があるぜ。寫眞《しやしん》には何《なん》だか悲《かな》しい、非常《ひじやう》に悲《かな》しい、哀《あは》れな事《こと》が書《か》いてあつたつけ。而《さう》して君《きみ》は泣《な》いたぜ。何《なに》を泣《な》いたのだつけな? 何《なん》でも非常《ひじやう》に悲《かな》しい、非常《ひじやう》に哀《あは》れな、小《ちひ》さな花《はな》のやうな事《こと》が書《か》いてあつたつけが、何《なん》だつけな? 君《きみ》は泣《な》いたぜ、――泣《な》いて〳〵、泣《な》き立《た》てたぜ… 見《みツ》ともない、將校《しやうかう》の癖《くせ》に泣《な》くなんて!⦆
⦅…鴉《からす》が啼《な》いてゐる。君《きみ》、聞《きこ》えるだらう?鴉《からす》が啼《な》いてるぞ。何《なん》だつて彼樣《あんな》に啼《な》くのだらう?…⦆
此後《このあと》は鉛筆《えんぴつ》の跡《あと》が消《き》えてゐて、署名《しよめい》も讀《よ》めかねた。
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不思議《ふしぎ》だ。此人《このひと》の戰死《せんし》したのが知《し》れても、私《わたし》は些《ちつ》とも哀《あは》れと思《おも》はなかつた。面《かほ》を憶出《おもひだ》すと、判然《はツきり》浮《うか》ぶ。優《やさ》しい、しほらしい、女《をんな》のやうな面相《かほだち》で、頰《ほゝ》は桃色《もゝいろ》、眼中《がんちう》は淸《すゞ》しく、朝《あさ》の如《ごと》く潔《いさぎよ》くて、髯《ひげ》は柔《やはら》かなむく毛《げ》で、これなら女《をんな》の面《かほ》の飾《かざ》りにもなりさうに思《おも》はれた。書物《しよもつ》や、花《はな》や、音樂《おんがく》を好《この》み、總《すべ》て粗暴《そぼう》な事《こと》が嫌《きら》ひで、詩《し》など作《つく》つてゐた。批評家《ひゝやうか》の兄《あに》が中々《なか〳〵》巧《たく》みだといつてた位《くらゐ》だ。が、此《この》人《ひと》について私《わたし》の知《し》つてゐる所《ところ》を憶《おも》ひ出《だ》したのでは、どうもこの鴉啼《からすな》きや、夜襲《やしう》の血《ち》の海《うみ》や、死《し》と調和《てうわ》せぬ。
…鴉《からす》が啼《な》いてゐる…
ふツと、瞬《またゝ》く間《ま》、調子《てうし》外《はづ》れの何《なん》とも言《い》ひやうもない嬉《うれ》しい心持《こゝろもち》になつてみると、今迄《いまゝで》の事《こと》は皆《みな》僞《うそ》で、戰爭《せんさう》も何《ない》も有《あ》りはせん。戰死者《せんししや》もなければ、死骸《しがい》もない。思想《しさう》の根底《こんてい》が搖《ゆる》いで便《たよ》りなくなるなぞと、其樣《そん》な怖《おそ》ろしい事《こと》も有《あ》るのではない。私《わたし》は仰向《あふむけ》に臥《ね》て、子供《こども》のやうに怖《おそ》ろしい夢《ゆめ》を見《み》てゐるのだ。死《し》や恐怖《きようふ》に荒《あら》されて寂然《しん》となつた無氣味《ぶきび》な部屋々々《へや〳〵》も、人《ひと》の書《か》いた物《もの》とも思《おも》へぬ手紙《てがみ》を手《て》に持《も》つた私《わたし》も、皆《みな》夢《ゆめ》だ。兄《あに》は生《い》きてゐて、家内《かない》の者《もの》は皆《みな》茶《ちや》を飮《の》むでゐる。茶器《ちやき》の物《もの》に觸《ふ》れて鳴《な》る音《おと》も聞《きこ》える。
…鴉《からす》が啼《な》いてゐる…
いや、矢張《やはり》事實《じじつ》だ。不幸《ふかう》な世《よ》の中《なか》――それが事實《じじつ》では有《あ》るまいか? 鴉《からす》が啼《な》いてゐる。理性《りせい》を失《うしな》つた狂人《きやうじん》や、無事《ぶじ》に苦《くる》しむ文士《ぶんし》などが、安直《あんちよく》の奇《き》を求《もと》めて思《おも》ひ付《つ》いた空言《そらごと》ではない。鴉《からす》が啼《な》いてゐる。兄《あに》は何處《どこ》に居《ゐ》るか。氣品《きひん》の高《たか》い、溫順《おんじゆん》な、誰《だれ》にも迷惑《めいわく》を掛《か》けまいと心掛《こゝろが》けてゐた人《ひと》だ。兄《あに》は何處《どこ》に居《ゐ》る? さあ、忌々《いま〳〵》しい解死人《げしにん》めら、返事《へんじ》をしろ! 呪《のろ》つても足《た》らぬ惡黨《あくとう》めら、牛馬《ぎうば》の屍肉《しにく》に集《たか》つた鴉《からす》めら、情《なさ》けない愚鈍《ぐどん》な畜生《ちくしやう》めら、――さあ、手前逹《てまへたち》は畜生《ちくしやう》だ、――世界《せかい》の人《ひと》の面前《めんぜん》で手前逹《てまへたち》に聞《き》いてるのだぞ! 何咎《なにとが》あつて兄《あに》を殺《ころ》した?手前逹《てまへたち》に面《かほ》があるなら、頰打《ほゝうち》喰《く》はしてやる所《ところ》だが、手前逹《てまへたち》には面《かほ》はない。手前逹《てまへたち》のそれは肉食動物《にくしよくどうぶつ》の鼻面《はなづら》といふものだ。人間《にんげん》の風《ふう》をしてゐても、手套《てぶくろ》の下《した》から爪《つめ》が見《み》えるでないか? 帽子《ばうし》の下《した》から畜生《ちくしやう》のひしやげた惱天《なうてん》が見《み》えるでないか? 幾《いく》ら利口《りこう》さうな口《くち》を利《き》いても、手前逹《てまへたち》の言《い》ふ事《こと》には狂氣《きちがひ》じみた所《ところ》があるわ。繍錠《さびぢやう》のぢやら〳〵いふ音《おと》がするわ。己《おれ》は己《おれ》の悲《かな》しみ、憂《うれ》ひ、侮辱《ぶじよく》せられた思想《しさう》の力《ちから》の有丈《ありたけ》を盡《つく》して、手前逹《てまへたち》を呪《のろ》ふぞ、この情《なさ》けない愚鈍《ぐどん》な畜生《ちくしやう》めら!
(最後の斷片)
「…生存上《せいぞんじやう》新生面《しんせいめん》を開《ひら》くのは諸君《しよくん》の任務《にんむ》であります、」と辯士《べんし》は叫《さけ》むだ。此人《このひと》は「戰爭《せんさう》を戢《や》めよ」と書《か》いた文字《もじ》が皺《しわ》でよれ〳〵になつた旗《はた》を揮《ふ》りながら、手《て》で釣合《つりあひ》を取《と》つて、辛《から》うじて小《ちひ》さな圓柱《ゑんちう》の上《うへ》に立《た》つて居《ゐ》るのだ。
「諸君《しよくん》は靑年《せいねん》である、諸君《しよくん》は未來《みらい》に生活《せいくわつ》すべき人《ひと》である。宜《よろ》しく此《かく》の如《ごと》き狂暴《きやうばう》慘酷《ざんこく》なる事《こと》と關係《くわんけい》を絕《た》つて、以《も》つて自己《じこ》の生命《せいめい》を保《たも》つべきである。未來《みらい》の國民《こくみん》の種《たね》を保全《ほぜん》すべきである、我々《われ〳〵》は今日《こんにち》の慘狀《さんじやう》を見《み》るに忍《しの》びぬ。之《これ》を目擊《もくげき》しては眼中《がんちう》の血走《ちばし》るを禁《きん》ぜぬ。實《じつ》に天《てん》が頭上《づじやう》に落懸《おちかゝ》り大地《たいち》が足下《そつか》に裂《さ》けるやうな感《かん》がある。諸君《しよくん》…」
此時《このとき》群衆《ぐんじゆ》が尋常《ただ》ならぬ動搖《どよみ》を作《つく》つたので、辯士《べんし》の聲《こゑ》は其《それ》に消壓《けおさ》れて一《ひと》しきり聞《きこ》えなくなつたが、實《まこと》に靈《たましひ》でも籠《こも》つて居《ゐ》さうな、物凄《ものすご》い動搖《どよみ》であつた。
「假《か》りに我輩《わがはい》は氣《き》が狂《くる》つてゐるとするも、我輩《わがはい》の云《い》ふ所《ところ》は眞理《しんり》である。我輩《わがはい》には父《ちゝ》があり兄弟《きやうだい》があるが、皆《みな》戰塲《せんぢやう》で牛馬《ぎうば》の屍《しかばね》の如《ごと》く腐敗《ふはい》しつゝある。宜《よろ》しく篝《かゞり》を焚《た》いて、穴《あな》を掘《ほ》つて、武器《ぶき》を鑄潰《いつぶ》して埋《う》めて了《しま》ふが好《よ》い、軍人《ぐんじん》を捕《とら》へてその燦《さん》たる狂氣服《きちがひふく》を剝《は》いで、寸裂《すんれつ》して了《しま》ふが好《よ》い。我々《われ〳〵》は最早《もはや》忍《しの》ぶことが出來《でき》ぬ… 同類《どうるゐ》が死《し》につゝあるのである…」
ト云《い》ふところを、誰《だれ》だか、何《なん》でも脊《せ》の高《たか》い男《をとこ》だつたが、撲飛《はりと》ばしたので、辯士《べんし》がころ〳〵と轉《ころ》げ落《お》ちる、旗《はた》が颯《さつ》とまた飜《ひるがへ》つて、又《また》倒《たふ》れる。跡《あと》は直《す》ぐ紛々《ごた〳〵》となつて了《しま》つたので、辯士《べんし》を撲飛《はりとば》した奴《やつ》の面《かほ》をツイ認《みと》める暇《ひま》もなかつた。俄《には》かに其處《そこ》ら中《ぢう》が皆《みな》動《うご》き出《だ》して、揉合《もみあ》ひ、壓《へ》し合《あ》ひ、押《お》し反《かへ》し、喚《わめ》き叫《さけ》ぶ。石塊《いしころ》棍棒《こんばう》が空《くう》を飛《と》び、誰《だれ》を打《う》つ拳《こぶし》だか頭上《づじやう》に閃《ひら》めく。群衆《ぐんじゆ》は靈《れい》ある浪《なみ》の吼《ほゆ》る如《ごと》く哮《たけ》り立《た》つて、私《わたし》を宙《ちう》に釣上《つりあ》げたまゝ、數步《すうほ》の外《ほか》へ運《はこ》んで行《ゆ》き、いやと云《い》ふ程《ほど》垣根《かきね》へ打付《ぶツつ》けて、又《また》後戾《あともど》りして今度《こんど》はあらぬ方《かた》へ逸《そ》れ、到頭《たうとう》高《たか》く薪《まき》を積上《つみあ》げたのに推付《おしつ》けて了《しま》つたので、積《つ》み上《あ》げた薪《まき》が傾《かし》いで、あはや頭上《づじやう》へ崩《くづ》れ落《お》ちさうになる。何《なに》かパチ〳〵と燥《はしや》いだ音《おと》が頻《しき》りにして、材木《ざいもく》にパラ〳〵と中《あた》るものがある。と、靜《しづ》まる――かとすると、又《また》更《さら》にワッと云《い》ふ。鰐口《わにぐち》開《あ》いて叫《さけ》ぶやうな、太《ふと》い大《おほ》きな聲《こゑ》で、人間《にんげん》離《ばな》れしてゐて物凄《ものすご》い。またパチ〳〵と燥《はしや》いだ音《おと》がする。誰《たれ》だか側《そば》で倒《たふ》れたから、見《み》ると眼《め》の在《あ》る處《ところ》に眞紅《まつか》な穴《あな》が二ツ洞開《ほげ》て、血《ち》が滾々《ごぼ〴〵》と流《なが》れて居《を》る。此時《このとき》重《おも》たい棍棒《こんばう》がブンと空《くう》を切《き》つて來《き》て、其端《そのさき》が顏《かほ》に中《あた》ると、私《わたし》は倒《ころ》げたから、踏躪《ふみにじ》る足《あし》の間《あひだ》を無闇《むやみ》に這脫《はひぬ》けて空地《くうち》へ出《で》た。それから何處《どこ》かの垣根《かきね》を越《こ》えて、一つ殘《のこ》らず爪《つめ》を剝《はが》して、薪《まき》を幾側《いくかは》も積上《つみあ》げたのへ攀《よ》ぢ登《のぼ》つた。中《なか》で一|側《かは》體《からだ》の重《おも》みに崩《くづ》れたのが有《あ》つたので、私《わたくし》はグヮラ〳〵と飛散《とびち》る薪《まき》と一緒《いつしよ》に消飛《けしと》んで、四角《しかく》な穴《あな》のやうな中《なか》へ落《お》ちたが、辛《から》うじて其處《そこ》を這出《はひで》ると、轟々《ぐわう〴〵》パチ〳〵ワッと云《い》ふ音《おと》が後《うしろ》から追蒐《おひか》けて來《く》る。何處《どこ》でか半鐘《なんしやう》が鳴《な》る。五階《ごかい》建《たて》の家《いへ》でも崩《くづ》れたやうな、怕《おそ》ろしい音《おと》も聞《きこ》える。黄昏《たそがれ》が凝付《こりつ》いたやうに、中々《なか〳〵》夜《よる》の景色《けしき》にならず、彼方《かなた》の銃聲《ぢうせい》、叫喚《けうくわん》の聲《こゑ》が赤《あか》く色《いろ》づいて夕闇《ゆふやみ》を跡《あと》へ〳〵押戾《おしもど》したやうな趣《おもむき》がある。最後《さいご》の垣《かき》を飛降《とびお》りると、其處《そこ》はめくら壁《かべ》に左右《さいう》を劃《しき》られた、廊下《らうか》のやうな、曲《まが》り拗《くね》つた狭《せま》い橫町《よこちやう》で私《わたくし》は其處《そこ》を駈出《かけだ》した。久《しば》らく駈《か》けて行《い》つて見《み》たが、つんぼ橫町《よこちやう》で、行止《ゆきどま》りは垣根《かきね》、其《その》向《むか》うには又《また》薪《まき》や材木《ざいもく》の積《つ》むだのが黑々《くろ〴〵》と見《み》える。で、又《また》踏《ふ》めば崩《くづ》れて踏應《ふみごた》へのない嵩高《かさだか》な積薪《つみまき》を攀登《よぢのぼ》つては何《なん》だか寂然《しん》として生木《なまき》の匂《にほひ》のする井戶《ゐど》のやうな處《ところ》へ落《お》ち、落《お》ちては又《また》這上《はひあが》つてゐたが、どうも後《うしろ》を振向《ふりむ》いて見《み》る氣《き》になれない。また朦朧《ぼんやり》と薄赤《うすあか》く影《かげ》が射《さ》して、黑《くろ》ずんだ材木《ざいもく》が巨人《きよじん》の亡骸《むくろ》のやうに見《み》えるから、振《ふ》り向《む》いて見《み》んでも、大抵《たいてい》樣子《やうす》は知《し》れてゐる。もう面《かほ》の傷《きず》の出血《しゆつけつ》も止《と》まつたが、面《かほ》が無感覚《ばか》になつて、我《わが》面《かほ》のやうには思《おも》はれず、宛然《さながら》石膏《せつかう》細工《ざいく》の面《めん》を被《かぶ》つてゐるやうな心持《こゝろもち》がする。やがて眞闇《まツくら》な穴《あな》へ落《お》ちた時《とき》、氣《き》が遠《とほ》くなつて遂《つひ》に正體《しやうたい》を失《うしな》つたやうにも思《おも》ふが、眞《しん》に正體《しやうたい》を失《うしな》つたのか、失《うしな》つたやうな氣《き》がしたのか、どつちだつたか分《わか》らぬ、私《わたくし》の覺《おぼ》えて居《ゐ》るのは、唯《たゞ》駈《か》けて行《い》つた事《こと》ばかりだ。
それから久《しば》らく街燈《がいとう》も點《つ》いてゐぬ知《し》らぬ町々《まち〳〵》を駈廻《かけまは》つたが、何方《どちら》向《む》いても、眞黑《まツくら》な、死《し》んだやうな家《いへ》ばかりで、その寂然《しん》とした迷宮《めいきう》の中《うち》を脫出《ぬけだ》すことが出來《でき》なかつた。方角《はうがく》を付《つ》けるのには、立止《たちど》まつて四下《あたり》を視廻《みま》はすが肝腎《かんじん》だが、それが出來《でき》ない。遠方《ゑんぱう》に聞《きこ》える轟々《ぐわう〳〵》といふ物音《ものおと》や、ワッと云《い》ふ人聲《ひとごゑ》が動《やゝと》もすると段々《だん〴〵》追付《おひつ》きさうになる。時《とき》にはふッと角《かど》を曲《まが》らうとして、正面《まとも》に其《その》聲《こゑ》に打付《ぶツつ》かる事《こと》がある。聲《こゑ》は赤黑《あかくろ》い球《たま》になつて舞揚《まひあが》る烟《けむり》の中《うち》から赤々《あか〳〵》と響《ひゞ》いて來《く》る。それッと引返《ひきかへ》して、また後《あと》になる迄《まで》走《はし》る。去《さ》る曲角《まがりかど》で一條《ひとすぢ》燈火《あかり》の射《さ》してゐた所《ところ》があつたが、側《そば》へ行《ゆ》くと、ふッと消《き》えて了《しま》つたのは、何處《どこ》かの商店《しやうてん》で急《きふ》に戶《と》を閉切《しめき》つたのであつた。廣《ひろ》い隙間《すきま》から帳塲《ちやうば》の臺《だい》の片端《かたはし》と何《なん》だか桶《おけ》のやうなものが見《み》えて、忽《たちま》ち寂然《しん》と潜《ひそ》むだやうに暗《くら》くなつた。其《その》商店《しやうてん》から遠《とほ》くは離《はな》れぬ處《ところ》で向《むか》うから駈《か》けて來《く》る人《ひと》に出逢《であ》つた。暗闇《くらやみ》でもう二足《ふたあし》で危《あぶ》なく衝當《つきあた》らうとして、互《たがひ》に立止《たちど》まつた。誰《たれ》だか知《し》らぬが、眞黑《まツくろ》な…、身構《みがまへ》をした人《ひと》の姿《すがた》が見《み》える。
「君《きみ》は彼方《あツち》から來《き》たのか?」
「さうだ。」
「何處《どこ》へ行《い》くんだ?」
「家《うち》へ歸《かへ》るのだ。」
「むゝ、家《うち》へか?」
相手《あひて》は少《すこ》し默《だま》つてゐたが、突然《いきなり》私《わたし》に飛蒐《とびかゝ》つて、推倒《おしたふ》さうとする。咽喉元《のどもと》を探《さぐ》り當《あ》てやうと、搔《か》き廻《まは》す冷《つめ》たい指先《ゆびさき》が衣服《きもの》に絡《から》まつてやツさもツさしてゐる暇《ひま》に、私《わたくし》はその手《て》に喰《く》ひ付《つ》いて、振捥《ふりもぎ》つて置《お》いて駈出《かけだ》した。相手《あひて》は人《ひと》も通《とほ》らぬ町筋《まちすぢ》を靴音《くつおと》高《たか》くしばらく追蒐《おツか》けて來《き》たが、其中《そのうち》に後《おく》れて了《しま》つた――大方《おほかた》喰付《くひつ》いてやつた處《ところ》が痛《いた》むだのであらう。
如何《どう》してか、フト吾《わが》住《す》む町《まち》へ出《で》た。矢張《やツぱり》街燈《がいとう》もない町《まち》で、家々《いへ〳〵》は死《し》んだやうに、火影《ほかげ》一《ひと》つ射《さ》す處《ところ》もなかつたから、これが吾《わが》町《まち》とは氣《き》が附《つ》かずに駈通《かけとほ》つて了《しま》ふ所《ところ》であつたが、偶《ふ》と目《め》を擧《あ》げて見《み》ると、我家《わがや》の前《まへ》だ。が、私《わたくし》は久《しば》らく躊躇《ちうちよ》してゐた。多年《たねん》住慣《すみな》れた家《いへ》ではあるけれど、吐《つ》く息《いき》が荒《あら》ければ悲《かな》しげに物《もの》に響《ひゞ》く、此《こ》の死《し》んだやうな變《かは》つた町中《まちなか》で見《み》ると、我家《わがや》のやうには思《おも》はれない。躊躇《ちうちよ》してゐる中《うち》に、や、顛《ころ》んだ時《とき》に鍵《かぎ》を落《おと》しはせぬかと思《おも》ふと、愕然《ぎよツ》として氣《き》も坐《そゞ》ろになり、遮《しや》二|無《む》二|捜《さが》して見《み》れば、なに、鍵《かぎ》は外隱袋《そとがくし》にあつた。で、錠《ぢやう》をカチリと云《い》はせると、其《そ》の反響《こだま》が高《たか》く變《へん》に響《ひゞ》いて町中《まちぢう》の死《し》んだやうな家《いへ》の戶《と》が一|時《じ》に颯《さツ》と開《ひら》いたやうな心持《こゝろもち》がした。
…初《はじめ》は床下《ゆかした》に隱《かく》れて見《み》たが、それも佗《わび》しく、且《か》つ眼《め》の前《まへ》に何《なに》かちらついて見《み》えるやうで無氣味《ぶきび》だつたから、窃《そツ》と内《うち》へ忍《しの》び込《こ》むだ。暗黑《くらやみ》を手探《てさぐ》りで方々《はう〴〵》の戶締《とじま》りをし、さて勘考《かんかう》の末《すゑ》道具《だうぐ》を押付《おしつ》けて置《お》かうとしたり、それを動《うご》かす每《たび》に怕《おそろ》しい音《おと》がガランとした家中《いへぢう》に響《ひゞ》き渡《わた》る。これに又《また》膽《きも》を冷《ひや》して、「えい、」と思切《おもひき》つて、「このまゝで死《し》なば死《し》ね。如何《どう》して死《し》んだつて、死《し》ぬのは一《ひと》つだ。」
洗面臺《せんめんだい》にまだ生溫《なまあたゝか》い湯《ゆ》があつたから、手探《てさぐ》りで面《かほ》を洗《あら》つて、布片《きれ》で拭《ふ》いたら、面《かほ》の皮《かは》が釣《つ》れて傷《きず》がヒリ〳〵傷《いた》む。鏡《かゞみ》で見《み》やうとして、マツチを點《つ》けて、そのちら〳〵と弱《よわ》い火影《ほかげ》に透《とほ》して見《み》ると、暗黑《くらやみ》に何《なん》だか醜《みにく》い無氣味《ぶきび》な物《もの》が居《ゐ》て、私《わたくし》の顏《かほ》をぢろりと見《み》たので、狼狽《あわて》てマッチを棄《す》てゝ了《しま》つた。が、どうやら鼻《はな》がめツちやになつて居《を》るらしい。
「もう鼻《はな》なんぞ如何《どう》なつたつて構《かま》はん。滿足《まんぞく》だつて仕方《しかた》がない。」
かう思《おも》ふと、愉快《ゆくわい》になつて來《き》た。芝居《しばゐ》で盜賊《ぬすびと》の役《やく》でも勤《つと》めて居《ゐ》るやうに、奇怪《きくわい》な身振《みぶり》や顏色《かほいろ》をしながら、ブフエーへ行《い》つて、殘物《ざんぶつ》を探《さが》し出《だ》した。探《さが》すに何《なに》も身振《みぶり》をする必要《ひつえう》はない。それはさうとも思《おも》ひながら、其《その》癖《くせ》面白《おもしろ》くて身振《みぶり》が止《や》められなかつた。ひどく飢《かつ》えてゐる積《つも》りで、矢張《やツぱ》り奇怪《きくわい》な顏色《かほつき》をしながら、物《もの》を喰《く》つて居《ゐ》た。
眞暗《まツくら》で寂然《しん》としてゐるのが無氣味《ぶきび》だつたから、庭《には》の覗窓《のぞき》を開《あ》けて、聽耳《きゝみゝ》を引立《ひツた》てると、戶外《そと》はもう馬車《ばしや》一《ひと》つ通《とほ》らぬから、初《はじめ》は矢張《やはり》寂然《しん》としてゐるやうに思《おも》はれて、もう銃聲《じゆうせい》も止《や》むだらしい、――と思《おも》ふ側《そば》から、幽《かすか》に遠《とほ》く人聲《ひとごゑ》がする。叫聲《さけびごゑ》も、笑聲《わらひごゑ》も、何《なに》かグヮラ〳〵と崩《くづ》れる音《おと》も、物《もの》に紛《まぎ》れずして、やがてそれが判然《はつきり》と手《て》に取《と》るやうに聞《きこ》えて來《く》る。空《そら》を瞻《み》ると、赤黑《あかぐろ》い物《もの》がサッと飛《と》んで行《ゆ》く。向《むか》ひの納屋《なや》も庭先《にはさき》の敷石《しきいし》も、犬小舎《いぬごや》も、矢張《やはり》ぼッと薄赤《うすあか》く染《そま》つて見《み》える。
「ネプツーン!」
と窃《そツ》と窓《まど》から犬《いぬ》を呼《よ》んで見《み》た。
犬小舎《いぬごや》では何《なに》も動《うご》く氣色《けはひ》がなく、側《そば》の鎖《くさり》の切《き》れたのが赤黑《あかぐろ》く煌々《きら〳〵》と見《み》えるばかり。が、遠方《えんぱう》の叫聲《さけびごゑ》や、何《なに》やらの崩《くづ》れ落《お》ちる音《おと》が、次第《しだい》に高《たか》くなつて來《き》たから、私《わたし》は覗窓《のぞき》を閉《し》めて了《しま》つた。
「段々《だん〳〵》押寄《おしよ》せて來《く》る!」
隱《かく》れ塲所《ばしよ》を探《さが》す氣《き》で、ストーヴの戸《と》を開《あ》けたり、塗込《ぬりご》め煖爐《だんろ》を探《さぐ》つたり、戸棚《とだな》を開《あ》けたりしてみたが、そんな物《もの》では間《ま》に合《あ》はぬ。部屋々々《へや〳〵》をも歩《ある》き廻《まは》つて見《み》たが、書齋《しよさい》だけは覗《のぞ》く氣《き》になれなかつた。屹度《きツと》兄《あに》が肱掛椅子《ひぢかけいす》に腰《こし》を掛《か》けて、書物《しよもつ》に埋《うま》つたテーブルに對《むか》つて居《ゐ》ると思《おも》ふと、餘《あン》まり好《よ》い心持《こゝろもち》がしない。
と、次第《しだい》に歩《ある》いてゐるのは私《わたくし》一人《ひとり》でないやうに思《おも》はれて來《く》る。まだ幾人《いくたり》か近《ちか》くの暗黑《やみ》を默《だま》つて歩《ある》いてゐる者《もの》があつて、殆《ほとん》ど私《わたし》と擦《す》れ〳〵になる事《こと》もあるやうだ。一|度《ど》其中《そのうち》の誰《だれ》やらの息《いき》が領元《えりもと》に觸《ふ》れて慄然《ぞツ》と總毛立《そうげだ》つた事《こと》もある。
「誰《だれ》だ?」と私《わたし》は小聲《こゞゑ》でいつて見《み》たが、返事《へんじ》がない。
又《また》歩《ある》き出《だ》すと、不気味《ぶきび》な奴《やつ》が默《だま》つて跡《あと》に踉《つ》いて來《く》る。加減《かげん》が惡《わる》いので、それでこんな氣《き》がするのだ、さう云《い》へば熱《ねつ》も出《で》て來《き》たやうだ――と思《おも》ふけれども、恐《おそ》ろしさを如何《どう》することも出來《でき》ん。寒氣《さむけ》でもするやうに身體《からだ》が慄《ふる》へて、頭《あたま》に觸《さは》つて見《み》ると、火《ひ》のやうに熱《あつ》い。
「チヨッ、書齋《しよさい》へ行《い》かう。何《なん》と云《い》つても他人《たにん》よりか好《い》い。」
兄《あに》は果《はた》して肱掛椅子《ひぢかけいす》に倚《よ》つて、書物《しよもつ》に埋《うま》つたテーブルに對《むか》つて居《ゐ》たが、今《いま》は彼時《あのとき》のやうに消《き》えもせぬ。帷《カーテン》を卸《おろ》した隙《すき》から外《そと》の明《あか》りが薄赤《うすあか》く射《さ》してゐるけれど、物《もの》を照《て》らす程《ほど》でもないから、兄《あに》の姿《すがた》はぼんやり見《み》える。私《わたくし》は兄《あに》とは懸《か》け離《はな》れて、ソフアに腰《こし》を卸《おろ》して成行《なりゆき》を見《み》て居《ゐ》た。書齋《しよさい》は靜《しづ》かで、のべつに轟《ぐわう》といふ音《おと》、何《なに》かのグッラ〳〵と崩落《くづれお》ちる音《おと》、其處此處《そここゝ》の叫聲《さけびごゑ》が幽《かす》かに聞《きこ》えてゐたのが、次第《しだい》に近《ちか》く押寄《おしよ》せて來《く》る。赤黑《あかぐろ》い光《ひかり》は益々《ます〳〵》強《つよ》くなり、肱掛椅子《ひぢかけいす》に凭《よ》つた兄《あに》の、眞黑《まツくろ》な、鑄鐵《いてつ》で作《つく》つたやうな半面《よこがほ》が、その細《ほそ》い赤《あか》い線《せん》の中《うち》に見《み》えるやうになつた時《とき》、
「兄《にい》さん!」
と呼《よ》んでみた。
が、默《だま》つて居《ゐ》る。石碑《せきひ》のやうに凝然《ぢツ》と眞黑《まつくろ》に居竦《ゐすく》まつてゐる。隣室《りんしつ》の床板《ゆかいた》がピシリと爆《はぜ》て、急《きふ》に妙《めう》に寂《しん》となる。澤山《たくさん》な死骸《しがい》の中《なか》にでもゐるやうだ。音《おと》と云《い》ふ音《おと》は皆《みな》消《き》えて、赤黑《あかぐろ》い光《ひかり》までしんめりとした死《し》の影《かげ》を宿《やど》して、凝《こツ》たやうに動《うご》かなくなり、其色《そのいろ》も稍《やゝ》薄《うす》れる。この寂《さび》しさは兄《あに》からと思《おも》つて、其通《そのとほ》りを云《い》ふと、
「いや、己《おれ》の所爲《せゐ》ぢやない。窓《まど》を覗《のぞ》いて御覽《ごらん》。」
帷《カーテン》を引除《ひきの》けて――私《わたし》はたぢ〳〵となつた。
「おゝ、この故爲《せゐ》か!」
「家内《かない》を呼《よ》んで來《き》て呉《く》れ。彼《あれ》はまだ見《み》たことがないから」、と兄《あに》がいふ。
嫂《あによめ》は食堂《しよくだう》で何《なに》か裁縫《さいほう》をしてゐたが、私《わたし》が行《ゆ》くと、針《はり》を縫物《ぬひもの》に差《さ》して、言《い》はれる儘《まゝ》に起上《たちあが》り、私《わたし》の跡《あと》に隨《つ》いて來《く》る。窓々《まど〳〵》の帷《カーテン》を皆《みんな》引除《ひきの》けたら、薄赤《うすあか》い光《ひかり》が、廣《ひろ》い入口《いりぐち》を射《い》て、思《おも》ひの儘《まゝ》に室内《しつない》へ流《なが》れ込《こ》むだが、何故《なぜ》だか内《うち》は明《あか》るくはならないで、矢張《やはり》暗《くら》かつた、唯《たゞ》窓《まど》だけ四角《しかく》に赤《あか》く大《おほ》きく燦然《ぼツ》と明《あか》るく見《み》えた。
皆《みな》で窓際《まどぎは》へ行《い》つて仰《あふ》いで見《み》ると、家《いへ》の壁《かべ》や軒蛇腹《のきじやばら》から、直《す》ぐ火《ひ》のやうに眞紅《まツか》な、平坦《たひら》な空《そら》になつて、雲《くも》も日《ひ》も星《ほし》も麗《つ》けずに、其儘《そのまゝ》地平線《ちへいせん》の彼方《かなた》に没《ぼつ》したやうに見《み》える。俯《ふ》して見《み》れば、矢張《やはり》平坦《たひら》な赤黑《あかぐろ》い野《の》が死骸《しがい》で埋《うづま》つて居《ゐ》る。死骸《しがい》は皆《みな》裸體《はだか》で、足《あし》を此方《こちら》へ向《む》けて居《を》るから、此方《こちら》からは唯《たゞ》蹠《あしのうら》と三|角《かく》の顎《あご》の下《した》が見《み》えるばかりだ。寂然《しん》としてゐる――皆《みな》死骸《しがい》と見《み》えて、際限《はてし》もない野《の》に置去《おきざ》りにされた負傷者《ふしやうしや》らしい者《もの》は一人《ひとり》も見《み》えなかつた。
「段々《だん〳〵》殖《ふ》えて來《く》る」、と兄《あに》が云《い》ふ。
兄《あに》も窓際《まどぎは》に立《た》つて居《ゐ》たが、母《はゝ》も妹《いもうと》も家内中《かないぢう》殘《のこ》らず此處《こゝ》に居《ゐ》る。誰《だれ》も面《かほ》は能《よ》く見《み》えなかつたが、唯《たゞ》聲《こゑ》でそれと知《し》れた。
「そんな氣《き》がするンだわ」、と妹《いもうと》が云《い》ふ。
「いや、殖《ふ》えて來《く》るのだ。まあ、見《み》て居《ゐ》て御覧《ごらん》。」
成程《なるほど》、死骸《しがい》は殖《ふ》えたやうだ。如何《どう》して殖《ふ》えるのかと、凝然《ぢツ》と注目《ちうもく》して居《ゐ》ると、とある死骸《しがい》の隣《となり》の、今迄《いままで》何《なに》も無《な》かつた處《ところ》に、フト死骸《しがい》が現《あらは》れた。どうやら、皆《みな》地《ち》から湧《わ》くらしい。空《あ》いた處《ところ》がズン〳〵塞《ふさ》がつて行《い》つて、大地《だいち》が忽《たちま》ち微白《ほのじろ》くなる。微白《ほのじろ》くなるのは、蹠《あしのうら》を此方《こちら》へ向《む》けて、列《なら》んで臥《ね》てゐる死骸《しがい》が皆《みな》薄紅《うすあか》いからで、それにつれて室内《しつない》もその死骸《しがい》の色《いろ》に薄紅《うすあか》く明《あか》るくなる。
「さあ、もう塲所《ばしよ》がない」、と兄《あに》が云《い》ふ。
「もう此處《こゝ》にも一人《ひとり》居《ゐ》るよ」、と母《はゝ》がいふ。
皆《みな》振向《ふりむ》いて見《み》ると、成程《なるほど》背後《うしろ》にも一人《ひとり》仰反《のけぞ》つて倒《たふ》れてゐる。と、忽《たちま》ちその側《そば》へ一人《ひとり》現《あらは》れ、二人《ふたり》現《あらは》れる。跡《あと》から〳〵湧《わ》いて出《で》て、薄紅《うすあか》い死骸《しがい》が行儀《ぎやうぎ》よく並《なら》び、忽《たちま》ち部屋《へや》々々《〳〵》に一杯《いつぱい》になる。
保母《ほぼ》が、
「坊《ぼツ》ちやん逹《たち》のお部屋《へや》にも出《で》て來《き》ましたよ。私《わたくし》見《み》て參《まゐ》りました。」
妹《いもうと》が、
「逃《に》げて行《ゆ》きませう。」
兄《あに》が、
「出道《でみち》がない。御覽《ごらん》、もう此通《このとほ》りだ。」
成程《なるほど》、死骸《しがい》は其處《そこ》ら中《ぢう》に素足《すあし》を投出《なげだ》し、腕《うで》を聯《つら》ねて、ギッシリ詰《つま》まつてゐる。それが見《み》る〳〵蠢《うご》めき出《だ》して、恟《ぎよツ》とする間《ま》に、皆《みな》行儀《ぎようぎ》よく列《なら》むだまゝ、むく〳〵と起上《おきあが》る。新《あたら》しい死骸《しがい》が地《ち》から湧《わ》いて出《で》て、舊《もと》から在《あ》るのを推上《おしあ》げたのだ。
「かうして居《ゐ》ると、首《くび》を締《し》められる。窓《まど》から逃《に》げませう。」
と私《わたし》が云《い》ふと、兄《あに》が、
「いや、窓《まど》からはもう逃《に》げられん! 駄目《だめ》だ! それ、あれを御覽《ごらん》!」
…窓外《さうぐわい》には、赤黑《あかぐろ》い光《ひか》りの凝《こ》つた中《なか》に赤《あか》い笑《わらひ》が見《み》える。
血笑記 終
明治四十一年八月五日印刷 血笑記奥付
明治四十一年八月八日發行 正價金八拾五銭
著者 長谷川二葉亭
東京市麹町區飯田町六丁目廿四番地
不 許 發行者 西本波太
東京市小石川區久堅町百八番地
複 製 印刷人 山田英二
東京市小石川區久堅町百八番地
印刷所 博文館印刷所
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發行所 東京市麹町區飯田町 易風社
六丁目二十四番地 振替口座 一二〇三四番
Transcriber's Notes(Page numbers are those of the original text)
誤植と思われる箇所は岩波書店発行二葉亭四迷全集第四巻(昭和三十九年 第一刷)を参照し以下のように訂正した。
原文 生若《まなわか》い (p.25)
訂正 生若《なまわか》い
原文 見《み》たばかりて (p.59)
訂正 見《み》たばかりで
原文 狂人《きちちがひ》 (p.64)
訂正 狂人《きちがひ》
原文 血潮《ししほ》 (p.71)
訂正 血潮《ちしほ》
原文 見《み》れぼ (p.72)
訂正 見《み》れば
原文 便《たよ》りない聲《こゑ》て (p.85)
訂正 便《たよ》りない聲《こゑ》で
原文 二|本指《ほんゆび》て (p.96)
訂正 二|本指《ほんゆび》で
原文 聞《きこ》る! (p.108)
訂正 聞《きこえ》る!
原文 貴方《あなた》を此樣《こん》にすれば (p.121)
訂正 貴方《あなた》を此樣《こん》なにすれば
原文 折合《をりあ》ふ事《こと》が出來《き》ん (p.125)
訂正 折合《をりあ》ふ事《こと》が出來《でき》ん
原文 一所《ひところ》 (p.125)
訂正 一所《ひとところ》
原文 線《せん》か (p.138)
訂正 線《せん》が
原文 紙《かみ》に歿《のこ》つた (p.148)
訂正 紙《かみ》に殘《のこ》つた
原文 遂《お》うて (p.149)
訂正 逐《お》うて
原文 薄無味惡《うすきみわる》かつたが (p.162)
訂正 薄氣味惡《うすきみわる》かつたが
原文 ちらりとしたばかりて有《あ》つたのだ (p.163)
訂正 ちらりとしたばかりで有《あ》つたのだ
原文 銳《するど》い目色《めつき》て (p.171)
訂正 銳《するど》い目色《めつき》で
原文 ピシャり (p.172)
訂正 ピシャリ
原文 迯《にげ》けろ (p.175)
訂正 迯《にげ》ろ
原文 慓《ふる》ひ出《だ》す (p.175)
訂正 慄《ふる》ひ出《だ》す
原文 冷《つた》たい (p.187)
訂正 冷《つめ》たい
原文 向《むか》ふから來《き》る (p.208)
訂正 向《むか》ふから來《く》る
原文 失《うし》つたやうにも (p.230)
訂正 失《うしなつたやうにも》
原文 唯《たゞ》蹶《あしのうら》と (p.243)
訂正 唯《たゞ》蹠《あしのうら》と
原文 蹶《あしのうら》 (p.245)
訂正 蹠《あしのうら》
原文 切《きれ》れ (p.237)
訂正 切《き》れ
●文字・フォーマットに関する補足
113頁「弟は高笑をして、」「妹も合槌を打つて、」、118頁「弟《おとうと》はふと立止《たちど》まつて、」の行は一字字下げした。
233頁の草書体の「志」は「し」に置換えた。「熱」の字は原文では「灬」の上が「執」の字。