何處へ - 08
Total number of words is 14907
Total number of unique words is 2599
37.4 of words are in the 2000 most common words
62.4 of words are in the 5000 most common words
73.5 of words are in the 8000 most common words
予《よ》は二三十|分間《ぷんかん》徐《おもむ》ろに滿《み》ち來《く》る潮《うしほ》に對《たい》し、陸《りく》から十|丁《ちやう》乃至《ないし》一|里《り》の海中《かいちゆう》に浮《うか》んでる二三の小《ちい》さい島《しま》の間《あひだ》から、一つ二つ夜漁《やれふ》の舟《ふね》の歸《かへ》りかけてるのを見《み》て後《のち》、スケツチに取《とり》かゝつてると、知《し》らぬ間《ま》に後《うしろ》から誰《たれ》やら覗《のぞ》いてゐて、「うまい物《もの》だな」と無遠慮《ぶえんりよ》に聲《こゑ》を掛《か》けた。旅行中《りよかうちゆう》寫生《しやせい》の度《たび》每《ごと》に田舎物《ゐなかもの》に取卷《とりま》かれて、高《たか》い聲《こゑ》で奇妙《きめう》な批評《ひゝやう》を聞《き》かされるのに馴《な》れてゐるから、別《べつ》に氣《き》にも留《と》めなかつたが、この男《をとこ》は予《よ》の前《まへ》に立《た》つて、如何《いか》にも馴《な》れ〳〵しく、
「貴下《あなた》は何處《どこ》からお出《いで》なすつた、岡山《をかやま》ですか、上方《かみがた》ですか」と問《と》ひ掛《か》ける。
予《よ》は變《へん》に思《おも》つて見上《みあ》げると、丈《たけ》の短《みじ》かい筒袖《つゝそで》を着《き》、鼻下《びか》に髯《ひげ》を蓄《たくは》へた男《をとこ》で、釣竿《つりざほ》を肩《かた》にかけ、手《て》に魚籠《びく》を提《さ》げてゐる。言葉《ことば》つきから態度《たいど》まで、只《たゞ》の漁夫《れうし》とは思《おも》へない。肥《ふと》つた柔和《にうわ》な顏《かほ》には微笑《ゑみ》を含《ふく》んでゐる。
「東京《とうきやう》です」と、予《よ》が簡單《かんたん》に答《こた》へると、
「はゝは東京《とうきやう》ですか、私《わたし》も十|年《ねん》も前《まへ》に彼地《あちら》に參《まゐ》つたことがあります」と、多少《たせう》自慢《じまん》の色《いろ》を見《み》せて、「そして、今《いま》は何處《どこ》に宿《やど》をお取《と》りですか」と、さも懇意《こんい》さうに話《はな》しかける。
「日野屋《ひのや》といふ家《うち》です」
「うん、彼家《あすこ》ですか」と、眉《まゆ》を顰《ひそ》めて、「ぢや八釜《やかま》しくてお困《こま》りでせう。あれは下等《かとう》な家《うち》でさあ、とても東京《とうきやう》の方《かた》がお宿《とま》りなさる所《ところ》ぢやありません。と云《い》つて、外《ほか》にいゝ宿《やど》もないんですが」と、賴《たの》みもせぬに、首《くび》を傾《かし》げて考《かんが》へてゐたが、やがて、「ぢや、どうです、私《わたし》の家《うち》へお出《い》でなすつちや、丁度《ちやうど》離座敷《はなれ》が空《あ》いてゐますから、お貸《か》し申《まを》しても差支《さしつか》へありません」
「はあ、都合《つがふ》でお願《ねが》ひに參《まゐ》りませう」と予《よ》は卒氣《そつけ》ない返事《へんじ》をして、あまり取合《とりあ》はなかつたが、彼《か》れは「是非《ぜひ》お出《い》でなさい」と繰返《くりかへ》し、「あの宮《みや》の後《うしろ》です、鶴崎《つるざき》といやあ直《す》ぐ分《わか》ります」と、顋《あご》で敎《をし》へて、丁寧《ていねい》に予《よ》に一|禮《れい》し、杭《くひ》に繋《つな》いである小舟《こぶね》に飛乗《とびの》つた。予《よ》はその漕《こ》ぎ行《ゆ》く姿《すがた》を見送《みおく》り、田舎物《ゐなかもの》の呑氣《のんき》で隔《へだ》てなきを羨《うらや》ましく感《かん》じた。それからぞろ〳〵[#「ぞろ〳〵」に傍点]集《あつま》つて來《く》る鼻垂《はなた》れ小憎《こぞう》子守《こもり》などを相手《あひて》に寫生《しやせい》したり、無邪氣《むじやき》な話《はなし》をして一|日《にち》を暮《くら》した。で、宿《やど》へ歸《かへ》ると、据風呂《すゑふろ》に入《はい》つて後《のち》、相宿《あひやど》の旅商人《たびしやうにん》と世間《せけん》話《ばなし》をしながら、夕食《ゆふめし》を食《く》つてゐたが、ふと彼《か》の男《をとこ》を思《おも》ひ出《だ》し、お給仕《きうじ》の女主人《かみさん》に向《むか》ひ、
「女主人《おかみさん》、鶴崎《つるざき》といふ家《うち》があるだらう、何《なに》をする家《うち》かね」
と聞《き》くと、女主人《かみさん》は頓狂聲《とんきやうごゑ》を出《だ》して、
「何《なに》もしちやゐなさらん、お金持《かねもち》だもの」
「髯《ひげ》のある人《ひと》は、あれが鶴崎《つるざき》の旦那《だんな》かい」
「ありや若旦那《わかだんな》だあ」
「ぢやあの人《ひと》は釣《つり》ばかりして、遊《あそ》んで暮《く》らしてるんかい」
「えゝ、釣《つり》にも行《ゆ》きなさるし、獵《れう》にも行《ゆ》きなさる。結構《けつかう》な身分《みぶん》で御座《ござ》いまさあ」
「ぢや釣《つり》も獵《れう》も上手《じやうず》だらうな」
「なあに、去年《きよねん》も鐵砲《てつぱう》の狙《ねら》ひを間違《まちが》へて、柴草《しばくさ》あ刈《か》つてる女《をんな》の足《あし》に傷《きづ》をつけたんで御座《ござ》いまさあ、それからちうものは、若旦那樣《わかだんなさま》が鐵砲打《てつぱうゝ》ちに出《で》なさると、芝刈《しばかり》は逃《に》げ出《だ》す位《くらゐ》だ」と女主人《かみさん》は鐵漿《おはぐろ》の齒莖《はぐき》を出《だ》してにつたり[#「につたり」に傍点]笑《わら》つた。
「鶴崎《つるざき》といやあ、この界隈《かいわい》で一|番《ばん》の家柄《いへがら》でさあ、隨分《ずゐぶん》村《むら》の事《こと》にや肩《かた》を入《い》れたもので、この海端《うみばた》の道普請《みちぶしん》なんか一人《ひとり》でやつたものでね、村《むら》の者《もの》がお禮《れい》に石碑《せきひ》を立《た》てた程《ほど》だ。村《むら》にや大《たい》した恩人《おんじん》で、鶴崎《つるざき》の屋敷《やしき》にや落書《らくがき》一《ひと》つする者《もの》がないていふ評判《ひやうばん》だつたが、今《いま》は世《よ》が違《ちが》つて來《き》た」と、旅商人《たびあきんど》の素麺屋《そうめんや》は、薄黑《うすぐろ》い飯《めし》を鵜呑《うの》みにして、赧《あか》い顏《かほ》に歎息《たんそく》の樣子《やうす》を見《み》せた。「ねえ、お神《かみ》さん、今《いま》の鶴崎《つるざき》の大將《たいしやう》も惡《わる》いぢやないか、丸《まる》八の嚊《かゝ》を引掛《ひつか》けてるちうぢやないかい」
「そんな噂《うはさ》だがな、困《こま》つた若旦那《わかだんな》だ。去年《きよねん》も吉《きち》どんが鮪《まぐろ》取《と》りに土佐《とさ》へ行《い》つた留守《るす》にも、何《なん》だかあつたやうだしな」と、女主人《かみさん》は小聲《こごゑ》で云《い》つた。
「大將《たいしやう》、金《かね》はあるし懷手《ふところで》で遊《あそ》んでるから、そんなことでもせねや日《ひ》が立《た》つまい。それに丸《まる》八も鶴崎《つるざき》の家《うち》にや親爺《おやぢ》の代《だい》から借金《しやくきん》があるし、世話《せわ》になつてるんだから、目《め》をつぶつて我慢《がまん》してるんだらう。嚊《かゝあ》のお伽《とぎ》は借金《しやくきん》の利息《りそく》のやうなものだ、ハツヽヽヽ」
予《よ》はこんな話《はなし》を聞《き》いて、好奇心《かうきしん》が湧《わ》き上《あが》り、急《きふ》に鶴崎《つるざき》を訪《たづ》ねて見《み》たくなり、飯《めし》が濟《す》むと、女主人《かみさん》に案内《あんない》させ、提灯《ちやうちん》ぶら提《さ》げて、その家《うち》へ行《い》つた。潜戶《くゞり》を入《はい》ると、庭前《にはさき》で盲目《めくら》の男《をとこ》が唐臼《からうす》を搗《つ》き、かの若主人《わかしゆじん》は臼《うす》の側《そば》に立《た》つて、何《なに》やら小言《こごと》を云《い》つてゐたが、予《よ》を見《み》ると、ぺこ〳〵二三|度《ど》も頭《あたま》を下《さ》げて、「よくお出《い》で下《くだ》すつた」と、手《て》を取《と》らぬばかりにして、座敷《ざしき》へ通《とほ》した。
予《よ》が旅行中《りよかうちう》の見聞談《けんぶんだん》を緖《いとぐち》とし、主人《しゆじん》は釣《つり》の話《はなし》獵《れう》の話《はなし》をぺら〳〵と絕間《たえま》なく述《の》べ立《た》て、終《しまひ》には倉《くら》から書畵《しよぐわ》を一|抱《かゝ》へも持出《もちだ》して、一々|所由《いはれ》の說明《せつめい》を始《はじ》める。舊家《きうか》ほどあつて、山陽《さんやう》や文晁《ぶんてう》や竹田等《ちくでんとう》の眞筆《しんぴつ》もあるが、中《なか》にはひどい贋作《がんさく》も交《まじ》つてゐる。
「御覽《ごらん》の通《とほ》りの貧乏村《びんばふむら》で、外《ほか》に書畵《しよぐわ》なんか持《も》つてる家《うち》は一|軒《けん》もありませんがね、私《わたし》の家《うち》は祖父《ぢゞ》の代《だい》から、多少《たせう》風流氣《ふうりうぎ》がありましてな、矢鱈《やたら》にこんな者《もの》を集《あつ》めたのです。この竹田《ちくでん》のなぞは祖父《ぢゞ》が九|州《しう》へ參《まゐ》つた時《とき》、わざ〳〵賴《たの》みましたので、丹山翁《たんざんおう》の需《もと》めに應《おう》ずとある丹山《たんざん》は、祖父《ぢい》の雅號《ががう》ですよ」
「しかし隨分《ずゐぶん》お集《あつ》めになつたものですな、これ丈《だけ》あれば東京《とうきやう》へ持《も》つてゝも大《たい》したものですよ」
と、褒《ほ》め立《た》てれば、主人《しゆじん》は「へゝゝゝ」と笑《わら》つて、「なあにこれ許《ばか》りぢや、まだ自慢《じまん》になりません、私《わたし》も一《ひと》つ奮發《ふんぱつ》して名作《めいさく》を蒐《あつ》めたいと思《おも》つてゐます。で、どうでせう、折角《せつかく》お近付《ちかづき》になつたんですから、貴下《あなた》にも一《ひと》つ書《か》いて頂《いたゞ》く譯《わけ》に行《い》きませんか、大切《たいせつ》にして子孫《しそん》に傳《つた》へます」
「どうして私《わたし》共《ども》の者《もの》が」
「いえ是非《ぜひ》お願《ねが》ひ申《まを》したい。こんな好機會《かうきくわい》はないんですから」
と、東京《とうきやう》では埃屑《ごみくづ》の如《ごと》き予《よ》を、天下《てんか》の大美術家《だいびじゆつか》でゝもあるやうに、頻《しき》りに嘆願《たんぐわん》し、
「こんな田舎《ゐなか》でもね、昔《むかし》から年《ねん》に二|度《ど》や三|度《ど》は、書家《しよか》だの歌人《うたよみ》だのが、私《わたし》の家《うち》を訪《たづ》ねて、幾日《いくか》も逗留《とうりう》して行《い》きますよ、貴下《あなた》も御遠慮《ごゑんりよ》なく私《わたし》の家《うち》へお越《こ》しになつて、五|日《か》でも六|日《か》でも御逗留《ごとうりう》なすつて、ゆつくりお書《か》き下《くだ》さい、明日《あす》あたり釣《つり》にでも御案内《ごあんない》しませう」
予《よ》はこれ程《ほど》尊敬《そんけい》され優待《ゆうたい》されたことは、甞《かつ》て例《れい》がないのだから、多少《たせう》得意《とくい》になり、二三|度《ど》形式的《けいしきてき》に辭退《じたい》した後《のち》、翌日《よくじつ》から此家《こゝ》の離座敷《はなれ》に移《うつ》ることを約《やく》した。
一|村《そん》の半《なかば》は疊《たゝみ》のない家《いへ》で、障子《しやうじ》の代《かは》りに蓆《むしろ》を垂《た》れてる程《ほど》だが、その間《あひだ》に在《あ》つて鶴崎《つるざき》の家《うち》は一|箇《こ》の小城廓《せうじやうくわく》の趣《おもむ》きがある、四|方《はう》を練塀《ねりべい》で圍《かこ》み、屋敷内《やしきうち》に數畝《すうほ》の菜園《さいえん》もあり、土藏《どざう》が二《ふた》つ、母屋《おもや》は百|餘年《よねん》を經《へ》たもので、柱《はしら》に蝕《むし》ばんだ跡《あと》もあるが、如何《いか》にも手丈夫《てじやうぶ》で宏壯《こうさう》に出來《でき》てゐる。
若主人《わかしゆじん》は丁度《ちやうど》三十|歲《さい》、小學校《せうがくかう》卒業後《そつげふご》、近村《きんそん》の漢學塾《かんがくじゆく》に學《まな》んだのみで、左程《さほど》學問《がくもん》をしたらしくはない。今《いま》は一|家《か》の主權者《しゆけんしや》だが、何《なん》と定《きま》つた仕事《しごと》もなく、一|村《そん》の問題《もんだい》にも少《すこ》しも關係《くわんけい》せぬさうだ。
「しかし貴下《あなた》が村《むら》を指導《しだう》なさらなくちや、外《ほか》に適任者《てきにんしや》はないでせう」と、予《よ》が問《と》うと、彼《か》れは髯《ひげ》を捻《ひね》つて鹿爪《しかつめ》らしく、
「いやこの村《むら》の奴《やつ》は皆《みな》野獸《やじう》のやうでしてね、目上《めうへ》の者《もの》を敬《うやま》うことを知《し》らず、行儀《ぎやうぎ》作法《さはふ》も辨《わきま》へんのですから、指導《しだう》も何《なに》もありませんよ、だから私《わたし》は村《むら》の者《もの》等《ら》が何《なに》をしやうと、一|切《さい》關《かま》はないで、自分《じぶん》は自分《じぶん》で好《す》きな事《こと》をして氣樂《きらく》に暮《くら》してゐます。しかし四五|年前《ねんまへ》から私《わたし》が先《さ》きに立《た》つて碁《ご》の會《くわい》や淨瑠璃《じやうるり》の稽古《けいこ》を始《はじ》めました。そのために多少《たせう》は上品《じやうひん》な氣風《きふう》が出來《でき》て來《き》たやうです、明日《あす》も朝《あさ》から碁《ご》の師匠《しゝやう》が來《く》る筈《はず》ですが、貴下《あなた》も會《くわい》にお加《くはゝ》りなすちや如何《いかゞ》です」
「えゝ有難《ありがた》う、しかし田舎《ゐなか》にゐると長命《ながいき》をする譯《わけ》ですね、私《わたし》もどうかして、こんな風景《ふうけい》のいゝ田舎《ゐなか》の遊民《いうみん》になりたいものだ」
と、染々《しみ〴〵》彼《か》れの境遇《けうぐう》を羨《うらや》んだが、彼《か》れはそれを當然《たうぜん》の如《ごと》く思《おも》つて、「ぢやどうです、此地《こゝ》に永住《えいじう》なすつちや、向《むか》ひの島《しま》は私《わたし》の家《うち》で有《も》つてるんですが、お望《のぞ》みならば、あれを全部《ぜんぶ》お貸《か》し申《まを》してもいゝ。今《いま》は近所《きんじよ》の者《もの》に貸《か》してるんですが、何《なに》、何時《いつ》だつて取上《とりあ》げりやいゝんでさあ」
と、事《こと》もなげに云《い》つて、大口《おほぐち》開《あ》けて笑《わら》ふ。
「はあ、私《わたし》もうんと稼《かせ》いで財產《ざいさん》を造《つく》つたら、島《しま》を拜借《はいしやく》して、別莊《べつさう》でも建《た》てるんですね、しかし島《しま》一《ひと》つ御自身《ごじしん》の者《もの》だと、貴下《あなた》は丸《まる》で王樣《わうさま》のやうですね」
と、予《よ》も相手《あひて》を見《み》て煽動《おだて》ると、
「いや、この小《ちい》さい村《むら》ですが、畠《はたけ》の三|分《ぶん》の一ばかりは私《わたし》の所有《しよいう》です、全體《ぜんたい》この村《むら》の草分《くさわけ》は私《わたし》の先祖《せんぞ》で、代々《だい〴〵》村《むら》のためには盡《つく》したものです。だから明治《めいぢ》の初《はじ》めに頌德碑《しやうとくひ》を立《た》てゝ、お祭《まつり》をした位《くらゐ》ですが、どうも世《よ》の中《なか》の風儀《ふうぎ》は惡《わる》くなりましたね、今《いま》じや石碑《せきひ》も滅茶《めちや》々々《〳〵》に瑕《きづ》がついてゐます。一《ひと》つは今《いま》の學校《がくかう》敎育《けういく》が惡《わる》いんですな、貴賤《きせん》の區別《くべつ》も敎《をし》へるぢやなし」
と、大《おほい》に憤慨《ふんがい》した。それから下女《げぢよ》がわざ〳〵隣村《りんそん》から取《と》つて來《き》た酒《さけ》の御馳走《ごちそう》があり、予《よ》は十|時《じ》過《す》ぎに宿《やど》へ歸《かへ》り、旅商人《たびしやうにん》と一|緖《しよ》に、襖《ふすま》もない居室《へや》に眠《ねむ》つた。
その翌朝《よくてう》から予《よ》は鶴崎《つるざき》の賓客《ひんかく》となり、三|度《ど》々々|取立《とりた》ての魚《さかな》を饗《きやう》せられ、絹夜具《きぬやぐ》に寢《ね》かされ、「先生《せんせい》」と呼《よ》ばれて、二三|日《にち》を送《おく》つた。で、主人《しゆじん》の日常《にちじやう》生活《せいくわつ》を見《み》てると、彼《か》れは朝《あさ》早《はや》く起《お》きて、褞袍《どてら》を着《き》たまゝ胡座《あぐら》をかき、煙草《たばこ》を吸《す》ひながら、作男《さくをとこ》を指圖《さしづ》し、自身《じゝん》も時々《とき〴〵》はぶらり〳〵畠廻《はたけまは》りに行《ゆ》くらしい、家《うち》にゐる間《あひだ》は一|時間《じかん》に一|度《ど》位《ぐらゐ》、下女《げぢよ》か下男《げなん》か妻君《さいくん》か誰《だ》れかに向《む》かつて、何《なに》か云《い》つては怒鳴《どな》つてゐる。屡々《しば〳〵》屋敷《やしき》の周圍《まはり》を懷手《ふところて》でぶらつき、偶々《たま〳〵》落書《らくがき》でも見《み》やうなら、凄《すさま》じい聲《こゑ》で下男《げなん》を呼《よ》んで削《けづ》らせ、惡戯者《いたづらもの》でも見《み》つけたらば、子供《こども》であらうと女《をんな》であらうと引捕《ひつとら》へて縛《しば》り上《あげ》る。しかし予《よ》に對《たい》しては穩《おだや》かで親切《しんせつ》で、全《まつ》たく人《ひと》が異《ちが》うやうだ。妻君《さいくん》は痩《や》せて靑《あを》く、大抵《たいてい》は奧《おく》へ引込《ひつこ》んでゝ、家《いへ》の事《こと》にはあまり關《かま》つてゐないやうだが、一人《ひとり》變《へん》な男《をとこ》が始終《しよつちう》出入《でいり》して、下男《げなん》下女《げぢよ》以上《いじやう》の特權《とくけん》を持《もつ》てゐるやうだ。婢僕《ひぼく》はこの男《をとこ》を馬鹿市《ばかいち》々々々と蔭《かげ》で呼《よ》んで居るが、主人《しゆじん》には餘程《よほど》のお氣《き》に入《い》りと見《み》え、何《なに》をしても小言《こゞと》を喰《く》つたことがない。丈《たけ》が短《ひく》くて顏《かほ》が圖拔《づぬけ》て大《おほ》きく、智慧《ちゑ》の足《た》らんやうな所《ところ》もあるが、又《また》極《きは》めて敏捷《びんしやう》で、樹登《きのぼ》りや屋根傳《やねづた》ひをさすと、飛鳥《ひてう》の如《ごと》く身《み》を運《はこ》ぶ。それに不仁身《ふじみ》であつて、打《ぶ》たれても毆《なぐ》られても痛《いた》くはないといふ。
或晚《あるばん》主人《しゆじん》は、予《よ》の前《まへ》にこの馬鹿市《ばかいち》を呼《よ》び、鞭《むち》を持《も》つてぴしやり〳〵脊中《せなか》を打《う》ち、「不思議《ふしぎ》ぢやありませんか、これで何《なん》とも感《かん》じないんですから、さあ貴下《あなた》も一《ひと》つ打《ぶ》つて御覽《ごらん》なさい、實際《じつさい》當人《たうにん》に苦痛《くつう》はないんです」と、鞭《むち》を前《まへ》に置《お》いて勸《すゝ》めたが、予《よ》は如何《いか》にも殘酷《ざんこく》な氣《き》がして、座興《ざきよう》にもそんな眞似《まね》は出來《でき》ず、その代《かは》りに杯《さかづき》を差《さ》してやると、市公《いちこう》は續《つゞ》け樣《ざま》に五六|杯《はい》を煽《あほ》つて、その悟《さと》れる如《ごと》く愚《ぐ》なるが如《ごと》き顏《かほ》を赤《あか》くして、船頭唄《せんどうゝた》を唄《うた》つた。聲《こゑ》もいゝし唄《うた》も面白《おもしろ》いが、予《よ》には何《なん》となく哀《あは》れに感《かん》ぜられる。
で、主人《しゆじん》に向《むか》つて、「一|體《たい》この男《をとこ》は何物《なにもの》です」と聞《き》くと、
「孤兒《こじ》ですよ、親爺《おやぢ》は鳴門《なると》で難船《なんせん》して死《し》ぬる、阿母《おふくろ》は旅商人《たびあきんど》と駈落《かけおち》する、後《あと》に一人《ひとり》殘《のこ》されてたのを、可愛《かあい》さうだから、私《わたし》共《ども》が育《そだ》て上《あ》げてやつたんです、今《いま》は舟乗《ふなのり》になつて、糊口《くちすぎ》だけは出來《でき》るんですが、氣《き》まぐれ物《もの》で、何處《どこ》へ行《い》つても永《なが》くは勤《つとま》らんのです」
「しかし孤兒《こじ》ぢや可愛《かあい》さうですね」と、市公《いちこう》を見《み》て、同情《どうじやう》を表《ひやう》したが、彼《か》れは平氣《へいき》な顏《かほ》をして、予《よ》と主人《しゆじん》とを見比《みくら》べてゐる。
予《よ》は出立《しゆつたつ》の前日《ぜんじつ》、スケツチ帖《てう》の一《ひと》つを材料《ざいれう》とし、主人《しゆじん》に約束《やくそく》の小《ちい》さい風景畵《ふうけいぐわ》を申譯《まをしわけ》だけに書《か》き上《あ》げ、獨《ひと》り屋後《おくご》の丘《をか》や畠《はたけ》の畦《あぜ》を散步《さんぽ》し、感興《かんきよう》に耽《ふけ》つた。中秋《ちうしう》の空《そら》は底深《そこふか》く澄《す》み、目《め》の下《した》には靜《しづ》かな海《うみ》が廣《ひろ》がり、一|村《そん》は柔《やはら》かな光《ひかり》を浴《あ》びて眠《ねむ》れるが如《ごと》く、寂《せき》として人語《じんご》なく、只《たゞ》漁船《れうせん》から物打《ものう》つ音《おと》がコト〳〵と幽《かす》かに響《ひゞ》くのみ。小徑《こみち》の左右《さいう》には大木《たいぼく》はなく、山間《さんかん》のやうに落葉《おちば》を踏《ふ》むの興《きよう》はなけれど、灌木《くわんぼく》が繁《しげ》つて、その間《あひだ》に女郞花《をみなへし》濱萩《はまはぎ》が交《まじ》つてゐる。予《よ》は此等《これら》の花《はな》を雜草《ざつさう》の間《うち》から、一|本《ぽん》づつ撰《え》り出《だ》しては折《を》り、花束《はなたば》を作《つく》りながら、無意識《むいしき》に菜畠《なばたけ》を橫《よこ》ぎつてると、後《うしろ》から怒鳴《どな》る聲《こゑ》がする。顧《かへり》みると一|丁《ちやう》程《ほど》隔《へだ》てゝ頰被《ほゝかむ》りをした大男《おほをとこ》が鍬《くわ》をついて立《た》つてゐる。予《よ》は別《べつ》に氣《き》にも止《と》めず、ずん〳〵步《ある》いてると、彼《か》の男《をとこ》は物《もの》をも云《い》はず、いきなり、後《うしろ》から予《よ》の後腦《こうのう》を打《う》つた。力《ちから》が籠《こも》つてるのでもないが、痩身《やせみ》には酷《ひど》く應《こた》へて、前《まへ》へのめつたのを、漸《やうや》く踏《ふ》み止《と》まつて、「何《なに》をするんだ」と、身構《みがま》へすると、
「馬鹿《ばか》、何《なに》をするもあつたものか、おれの大事《だいじ》な畠《はたけ》を何故《なぜ》踏《ふ》みやがつた、今《いま》鍬《くわ》を入《い》れたばかりぢやないか」
と、恐《おそ》ろしい劍幕《けんまく》に、予《よ》は吃愕《びつくり》して、一口《ひとくち》の返答《へんたふ》も出來《でき》ず、ぼんやり相手《あひて》の顏《かほ》を見《み》てると、突如《だしぬけ》に目《め》の前《まへ》に市公《いちこう》が現《あら》はれて、
「この人《ひと》は若旦那《わかだんな》の大事《だいじ》なお客樣《きゃくさま》だぞ」
と相手《あひて》を叱《しか》り、予《よ》の手《て》を執《と》つて、さも保護者《ほごしや》でゝもあるやうな態度《たいど》をして、大股《おほまた》に步《あゆ》み出《だ》した。予《よ》は胸《むね》を鎮《しづ》めて、
「彼奴《あいつ》は誰《だ》れだ」と問《と》ふと、
「丸《まる》八といふ奴《やつ》さ」と云《い》ふ。
「うん、あれか」と獨《ひと》りで首肯《うなづ》いて「市《いち》さん、お前《まへ》は鶴崎《つるざき》の旦那《だんな》のことを知《し》つてるだらう」
「そりや知《し》つてるとも、何《なん》でも知《し》つてらあ、あの旦那《だんな》はえらい人《ひと》だ、誰《だ》れでも意地《いぢ》める者《もの》があつたら、旦那《だんな》にさへ云《い》ひつけやうなら、直《す》ぐ敵《かたき》を取《と》つて吳《く》れらあ、何《なに》しろ我等《おいら》あ、旦那《だんな》のお氣《き》に入《い》りだもの」と、大得意《だいとくゐ》の風《ふう》をして、「それで我等《おいら》あ、村《むら》の者《もの》が、旦那《だんな》の惡口《わるくち》を云《い》つてると、直《す》ぐ吿口《つげぐち》をしてやらあ、旦那《だんな》は喜《よろこ》ぶせ」と首《くび》をすくめて予《よ》の顏《かほ》をのぞき〳〵、その吿口《つげぐち》の例《れい》を話《はな》す。
予《よ》は市公《いちこう》に連《つ》れられて、宿《やど》へ歸《かへ》つたが、百|姓《しやう》に毆《なぐ》られたことは一言《ひとこと》も語《かた》らず、獨《ひと》り離座敷《はなれ》に引籠《ひきこも》り、鞄《かばん》を整頓《せいとん》し、翌朝《よくてう》出立《しゆつたつ》の用意《ようい》をなし東京《とうきやう》の友人《いうじん》宛《あ》てに、二三の端書《はがき》を認《したゝ》めて居ると、母屋《おもや》の方《はう》で、主人《しゆじん》の怒鳴《どな》り聲《ごゑ》がして、靜《しづ》かな空《そら》に尖《するど》く異樣《ゐやう》に響《ひゞ》く。又《また》始《はじ》めたなと、障子《しやうじ》の隙間《すきま》から窺《のぞ》くと、主人《しゆじん》は小高《こだか》い緣側《えんがは》に座《すわ》り、その下《した》の石段《いしだん》に、かの見覺《みおぼ》えある百|姓《しやう》が蹲《しやが》んでゐる。少《すこ》し隔《へだ》つてる爲《ため》、言葉《ことば》の綾《あや》はよく分《わか》らぬが、見《み》た所《ところ》、白洲《しらす》のお捌《さば》きといつた風《ふう》だ。
主人《しゆじん》は疎《まば》らな髯《ひげ》を捻《ひね》つて尊大《そんだい》に構《かま》へ、眉《まゆ》を怒《いか》らせて相手《あひて》を睨《にら》みつけてゐたが、百|姓《しやう》は俯《うつむ》いて、口《くち》を噤《つぐ》み、暫《しば》らくして挨拶《あひさつ》もせずに歸《かへ》つてしまつた。
予《よ》は主人《しゆじん》に對《たい》して、不快《ふくわい》な氣《き》が萠《きざ》し、優遇《いうぐう》も有難味《ありがたみ》がなくなり、この平靜《へいせい》の漁村《ぎよそん》も多少《たせう》厭《い》やになり出《だ》した。
すると主人《しゆじん》は微笑《にこ》〳〵して入《はい》つて來《き》て、
「散步《さんぽ》して入《いら》しつたんですか、今《いま》ね、市公《いちこう》に聞《きゝ》ますと、馬鹿奴《ばかめ》が貴下《あなた》に大變《たいへん》御無禮《ごぶれい》な事《こと》を致《いた》したさうで、どうも無敎育《むけういく》の者《もの》は仕方《しかた》がありませんよ、それについて私《わたし》も申譯《まをしわけ》がないと思《おも》ひましてな、早速《さつそく》彼奴《あいつ》を呼《よ》びつけて小言《こゞと》を云《い》つときました。なあに不都合《ふつがふ》な奴《やつ》には、田地《でんぢ》を取上《とりあ》げてやりますよ、あの田地《でんぢ》だつて皆《みな》私《わたし》の者《もの》ですからな」
と、自身《じゝん》の威光《いくわう》を見《み》よと云《い》はぬばかりの風《ふう》をする。
「だつて、それ位《くらゐ》の事《こと》で、あんな貧乏者《びんばふもの》の田地《でんぢ》を取上《とりあ》げるのは可愛想《かあいさう》ぢやありませんか、どうせ私《わたし》が惡《わる》いんだし」
「いや〳〵、あんな蟲《むし》けら同然《どうぜん》の者《もの》には口《くち》で敎《をし》へたつて駄目《だめ》です、食《く》ふにも困《こま》るやうになつたら、少《すこ》しは性根《しやうね》が入《い》るでせう」
と、彼《か》れは百|姓共《しやうども》の卑《いや》しい汚《きたな》い生活《くらし》の樣《さま》を說明《せつめい》して、頻《しき》りに「蟲《むし》けら同然《どうぜん》です」を繰返《くりかへ》した後《のち》、「どうです、釣《つり》にお出《い》でなすつちや、私《わたし》が御案内《ごあんない》致《ゝた》しませう」と勸《すゝ》める。予《よ》は今日《けふ》に限《かぎ》り釣魚《つり》に心《こゝろ》も向《む》かなかつたが、この一|日《にち》が瀨戶内海《せとないかい》の見收《みおさ》めであれば、强《し》いて心《こゝろ》を引立《ひきた》てゝ承諾《しやうだく》した。
で、市公《いちこう》に釣道具《つりだうぐ》を擔《かつ》がせて、一足《ひとあし》先《さき》へやり、予《よ》と主人《しゆじん》とは後《あと》から磯《いそ》へ出《で》たが、何時《いつ》もの通《とほ》り肥桶《こへたご》を擔《かつ》いだ老農夫《らうのうふ》も網《あみ》を抱《だ》いてるチヨン髷《まげ》の漁夫《れうし》も、皆《みな》擦《す》れ違《ちが》ひ樣《ざま》に鉢卷《はちまき》を取《と》つて恭《うや〳〵》しく挨拶《あひさつ》し、主人《しゆじん》は目《め》か顎《あご》で會釋《ゑしやく》して村王《そんわう》の威《ゐ》を示《しめ》す。中《なか》には予《よ》に對《たい》しても腰《こし》を屈《かゞ》める者《もの》もあつたが、ふと埠頭場《はとば》に集《あつ》まつて艫綱《ともづな》を造《つく》つてる二三の若《わか》い漁夫《れうし》が、互《たが》ひに予《よ》を見《み》ては嘲《あざ》けつてるやうなのが目《め》についた。ほんの耳語《さゝや》いてるのであらうが、田舎者《ゐなかもの》なれば、自然《しぜん》に聲《こゑ》が大《おほ》きくて、予《よ》の過敏《くわびん》な耳《みゝ》には響《ひゞ》いて來《く》る。
「あの人間《にんげん》をぶん毆《なぐ》つたら、田地《でんぢ》を捲上《まきあ》げられるんぢやちうぜ」
「彼奴《あいつ》は馬鹿市《ばかいち》の相棒《あひぼう》だらう、馬鹿《ばか》旦那《だんな》の御機嫌取《ごきげんと》りに遠方《ゑんぱう》から來《き》たんさ」
「おれ逹《たち》や腕《うで》さへありや、五|兩《りやう》や十|兩《りやう》は何時《いつ》でも稼《かせ》げらあ、船板《ふないた》三|尺《しやく》下《した》あ地獄《ぢごく》と决《きま》つてるんだから、誰《だ》れだつて恐《こわ》かあないさ、」
「さうとも、あの大將《たいしやう》、又《また》漁場《れふば》へ邪魔《じやま》をしに行《い》きやがらあ、鰒《ふぐ》でも釣《つ》るんかい」
と、彼等《かれら》の一人《ひとり》は予《よ》に向《むか》つて握拳《にぎりこぶし》を突出《つきだ》して見《み》せ、くつ〳〵笑《わら》つてゐる。予《よ》は不快《ふくわい》で溜《たま》らなくなつた。主人《しゆじん》には聞《きこ》えぬのか聞《きこ》えたのか知《し》らぬが、高聲《たかごゑ》で釣《つり》の講釋《こうしやく》をしながら、舟《ふね》に乗《の》り、市公《いちこう》には閼伽《あか》をすくはせ、自分《じぶん》では櫓《ろ》を操《あやつ》る。予《よ》は舳《へさき》に彳《たゝづ》んで煙草《たばこ》を吹《ふ》かせてゐたが、不快《ふくわい》の念《ねん》は容易《ようい》に去《さ》らぬ。
舟《ふね》は油《あぶら》を流《なが》したやうな水面《すゐめん》を辷《すべ》つて、島蔭《しまかげ》へ來《き》た。主人《しゆじん》は櫓《ろ》を棄《す》てゝ水棹《みさほ》を取《と》り、
「魚《うを》にも巢《す》があります、だから釣《つり》もその巢《す》を見《み》つけてからでなくちや、幾《いく》ら上手《じやうず》でも釣《つ》れるもんぢやありません」と、舟《ふね》をその魚《うを》の巢《す》の側《そば》へ留《と》め、市公《いちこう》に碇《いかり》を卸《おろ》させた。蒼《あを》く澄《す》んだ水《みづ》の底《そこ》に藻屑《もくづ》が生《お》ひ茂《しげ》り、小《ちい》さい魚《うを》が水面《すゐめん》に飛《と》び上《あが》るのを見《み》ると、予《よ》は心躍《こゝろおど》り、先《さき》の不快《ふくわい》も忘《わす》れてしまう。此處《こゝ》には既《すで》に二三|艘《さう》の漁船《れうせん》がゐて、一|心《しん》に釣《つり》をしてゐたが、我等《われら》の舟《ふね》を見《み》ると、漁夫《れうし》は變《へん》な顏《かほ》をして、相《あひ》ついで他方《たはう》へ逃《に》げて行《ゆ》く。
「そら疫病神《やくびやうがみ》が」と云《い》つてるやうに見《み》える。
「私《わたし》等《ら》が釣《つ》ると、外《ほか》の漁夫《れうし》の妨害《ばうがい》になるんぢやありませんか」
と、予《よ》が氣兼《きがね》をすると、
「いや、此處《こゝ》は私《わたし》が見《み》つけたので、先《ま》づ私《わたし》の領分《れうぶん》のやうなものです、何卒《どうぞ》御遠慮《ごゑんりよ》なくお釣《つ》りなさい」
と、主人《しゆじん》は小蝦《こゑび》の肉《にく》を餌《えさ》にして、釣針《つりばり》を垂《た》れると、見《み》る間《ま》に大《おほ》きな沙魚《はぜ》が釣《つ》れた。予《よ》は市公《いちこう》に敎《をそ》はつては釣《つり》を垂《た》れ、不馴《ふな》れな手《て》ですら二三|時間《じかん》に、沙魚《はぜ》や海鯽《ちぬ》や或《あるひ》は鰒《ふぐ》が數《すう》十|尾《び》も釣《つ》れた。
釣《つ》りの面白《おもしろ》さに、我等《われら》は多《おほ》く話《はな》しもせず夕方《ゆふがた》までこの島蔭《しまかげ》に漂《たゞよ》ひ、釣《つ》つては魚《うを》を舟《ふね》の底《そこ》に投《な》げ入《い》れ〳〵してゐた。
「どうです一|服《ぷく》やりますか」と、主人《しゆじん》は釣竿《つりさを》を置《お》いてマツチを擦《す》つた。
「成程《なるほど》よく釣《つ》れますね、これだと商賣《しやうばい》になるでせう、僕《ぼく》も繪《ゑ》を止《や》めて漁夫《れうし》になるかな」と、予《よ》は舟底《ふなぞこ》に重《かさ》なり合《あ》つてる魚《うを》が、ばしや〳〵音《おと》をさせるを聞《き》き、漁村《ぎよそん》の秋氣《しうき》の膓《はらわた》まで染《し》み込《こ》むを覺《おぼ》えた。風《かぜ》はます〳〵凪《な》ぎ、ちぎれ〴〵の夕雲《ゆふぐも》も空《そら》に固定《こてい》してるやうだ。
主人《しゆじん》は兩膝《りやうひざ》を抱《いだ》いて銜《くは》へ煙管《ぎせる》で、「どうだ、市公《いちこう》、水練《すゐれん》を御覽《ごらん》に入《い》れちや」と、予《よ》に向《むか》ひ、「此男《これ》は水潜《みづくゞり》の名人《めいじん》です」と云《い》つたが、市公《いちこう》はその言葉《ことば》の耳《みゝ》に入《い》らぬ程《ほど》、一|心《しん》に空《そら》を見《み》つめ、
「や、株虹《かぶにじ》が出《で》た、大風《おほかぜ》だ〳〵」と叫《さけ》んだ。
主人《しゆじん》もその方《はう》を見上《みあ》げて、「御覽《ごらん》なさい、あの虹《にじ》を、あれが出《で》ると、屹度《きつと》空模樣《そらもやう》が變《かは》るんです」
山《やま》の端《は》には、太《ふと》い短《みじか》い虹《にじ》が物凄《ものすご》くかゝつてゐた。この内海《ないかい》の大嵐《おほあらし》はどんなであらう。予《よ》が歸京後《きゝやうご》に描《ゑが》いた大作《たいさく》は、三|人《にん》が舟中《しうちう》でこの虹《にじ》を見《み》て居《ゐ》る所《ところ》である。
凄い眼
工場《こうぢやう》の奧《おく》に疊《たゝみ》を敷《し》いた一室《ひとま》がある。狹《せま》い一|方《ぽう》口《ぐち》で丁度《ちやうど》袋《ふくろ》のやうだ。滅多《めつた》に掃除《さうじ》もせねば隅々《すみ〴〵》には埃《ほこり》が積《つ》もり、壁《かべ》は一|體《たい》に黑《くろ》ずんでゐる。棚《たな》にある磨滅《まめつ》した活字《くわつじ》、開《ひら》いてる傘《からかさ》窄《すぼ》めてる傘《からかさ》、散《ちら》ばつてる衣服《きもの》や帶《おび》、この居室《ゐま》にある者《もの》に一《ひと》つとして汚《よご》れめのない者《もの》はない。それに空氣《くうき》の流通《りうつう》は惡《わる》い。時候《じこう》は梅雨《つゆ》で二三|日《にち》來《らい》鮮《あざや》かな日光《につくわう》が窓《まど》ガラスを通《とほ》つたことはない。異樣《ゐやう》の臭氣《しうき》が室内《しつない》に漲《みなぎ》る。
しかしこの廢物《はいぶつ》同樣《どうやう》の居室《ゐま》も、數多《あまた》の人《ひと》に利用《りよう》されてゐる。騷《さわ》がしい社會《しやくわい》の隱《かく》れ家《が》となつてゐる。仕事《しごと》に疲《つか》れた老《お》いたる社員《しやゐん》が、こつそり此處《こゝ》に忍《しの》んで、肱枕《ひぢまくら》で腰《こし》を叩《たゝ》いてゐることもある。丸髷《まるまげ》の女工《ぢよこう》が火鉢《ひばち》の前《まへ》に立膝《たてひざ》をして二三|服《ぷく》煙草《たばこ》を吸《す》うて行《ゆ》く。夜勤《やきん》の四五|人《にん》がジメ〳〵した座蒲團《ざぶとん》を取捲《とりま》いて、片肌《かたはだ》拔《ぬ》いで花札《はなふだ》を弄《もてあそ》ぶ。折々《をり〳〵》は艶《なま》めかしい言葉《ことば》さへ聞《き》かれるさうだ。
そして集金《しふきん》掛《がゝり》帆田《ほだ》常造《つねざう》は十|數年《すうねん》來《らい》此處《こゝ》に起臥《おきふし》してゐる。年齡《とし》は五十を越《こ》したばかりだが、顏《かほ》が萎《し》なびて頰《ほゝ》が凹《くぼ》み、櫛梳《くしけづ》らぬ髮《かみ》は野生《やせい》の雜草《ざつさう》の如《ごと》く、星明《ほしあか》りに黃《き》ばんだ痩腕《やせうで》を投《な》げ出《だ》して寢《ね》てゐる姿《すがた》はこの世《よ》の人《ひと》とも思《おも》はれぬ。朝《あさ》は職工《しよくこう》が威勢《いせい》よく入《はい》つて來《き》て、周圍《まはり》で騷《さわ》ぐのに目《め》を醒《さ》まされ、ヒヨロ〳〵と起上《おきあが》つて、足《あし》を引《ひき》ずり匐《は》ふやうにして階子段《はしごだん》を下《お》りる。顏《かほ》を洗《あら》ふと裏《うら》の屋臺店《やたいみせ》で鹽餡《しほあん》の大福餅《だいふくもち》を三つ買《か》つて來《き》て、應接所《おうせつじよ》か車夫《しやふ》溜《だま》りで、顏《かほ》中《ぢゆう》をモグ〳〵させて食《く》ふ。喰《く》うてしまふと水道《すゐだう》の水《みづ》を茶椀《ちやわん》に一|杯《ぱい》呑《の》んで、自分《じぶん》の居室《ゐま》へ歸《かへ》る。それから外出《そとで》の身仕度《みじたく》をして草鞋《わらじ》を穿《は》き、風呂敷《ふろしき》を脊負《せお》ひ、細《ほそ》い竹《たけ》の杖《つゑ》をついて、トボ〳〵と集金《しふきん》に廻《まは》る。雨《あめ》が降《ふ》ると番傘《ばんがさ》を竹《たけ》の杖《つゑ》に代《か》へるのみで、一|日《にち》たりとも休《やす》んだことがない。吹《ふ》けば飛《と》ぶやうな身體《からだ》で重《おも》さうな傘《かさ》をかついで、風雨《ふうゝ》を衝《つ》いて步《ある》いてゐるのは、外目《よそめ》には悲慘《みじめ》に感《かん》ぜられるが、當人《たうにん》は苦《く》にもしない。命《めい》ぜられた通《とほ》りに賣捌店《うりさばきてん》を順《じゆん》ぐりに廻《めぐ》つて、夕暮《ゆふぐれ》には時刻《じこく》を違《たが》へずに歸《かへ》つて來《く》る。それから足《あし》を濯《すゝ》いで、晩餐《ばんめし》に取掛《とりかゝ》るのだが、晩餐《ばんめし》も朝《あさ》と同《おな》じく一《ひと》つ一|錢《せん》の大福《だいふく》か鐵砲卷《てつぱうまき》、只《たゞ》朝《あさ》は生水《なまみづ》で濟《す》ますのに、晚《ばん》には小使《こづかひ》部屋《べや》から暖《あたゝ》かい茶《ちや》を貰《もら》つて來《き》て飮《の》むだけ異《ちが》つてゐる。夜《よる》はこの居室《ゐま》には不似合《ふにあひ》な電燈《でんとう》の下《した》に腹這《はらば》ひになつて、珠盤《そろばん》を前《まへ》に帳簿《ちやうぼ》を調《しら》べ、一|錢《せん》の相違《さうゐ》もないのを幾度《いくたび》も見屆《みとゞ》けて、初《はじ》めて安心《あんしん》してごろり[#「ごろり」に傍点]と橫《よこ》になる。尤《もつと》も時々《とき〴〵》は自分《じぶん》の財產《ざいさん》調《しら》べもするので、胴卷《どうまき》の金庫《きんこ》から幾重《いくへ》にも白紙《はくし》で包《つゝ》んだ紙幣《しへい》を取出《とりだ》し一|枚《まい》々々《〳〵》調《しら》べて押頂《おしいたゞ》き、又《また》元《もと》の通《とほ》りに收《をさ》めて胴卷《どうまき》を枕《まくら》の下《した》にかくして眠《ねむ》る。この財產《ざいさん》調《しら》べの折《をり》には、人目《ひとめ》を憚《はゞか》るのと悅《うれ》しいのとで元氣《げんき》のない目《め》も活々《いき〳〵》して來《く》る。貯蓄額《ちよちくがく》はせい〴〵二三百|圓《ゑん》であらうが、社員《しやゐん》の噂《うはさ》では千|圓《ゑん》には逹《たつ》したと定《き》められてゐる。費用《つひへ》を恐《おそ》れて妻《つま》を離緣《りえん》し子《こ》をも勘當《かんだう》して、獨《ひと》りぼつちで食《く》ふ者《もの》も食《く》はずに貯蓄《ちよちく》して何《なに》にするのであらうとは、若《わか》い社員等《しやゐんら》の疑問《ぎもん》で、屡々《しば〳〵》調戯《からかひ》半分《はんぶん》に聞《き》いて見《み》るが、彼《か》れは薄氣味《うすきみ》惡《わる》く笑《わら》ふのみで相手《あひて》にもしない。一|日《にち》の仕事《しごと》――食事《しよくじ》もこの人《ひと》には樂《たのし》みではなくて仕事《しごと》の一《ひと》つだ――を終《をは》ると、居室《ゐま》の片隅《かたすみ》に他人《ひと》の邪魔《じやま》にならぬやうに煎餅蒲團《せんべいぶとん》を額《ひたひ》まで被《かぶ》つて寢《ね》る。寢《ね》てからは只《たゞ》翌日《あす》を待《ま》つばかりで、側《そば》で誰《だ》れが何《なに》をしてゐようと、少《すこ》しも心《こゝろ》に留《と》めぬ。輪轉機《りんてんき》の音《おと》、植字歌《しよくじうた》、雨《あめ》の音《おと》、嵐《あらし》の響《ひゞき》、職工《しよくこう》の喧嘩《けんくわ》も口論《こうろん》も、皆《みな》老人《らうじん》の耳《みゝ》を煩《わづら》はさずに消《き》えて行《ゆ》く、睡《ねむ》りを妨《さまた》ぐる者《もの》もない。
所《ところ》がこの二三|日《にち》、帆田《ほだ》老人《らうじん》は腰《こし》のあたりにビリ〳〵微《かす》かな疼痛《いたみ》を感《かん》じて、容易《ようい》に眠《ね》つかれぬ。かねて醫藥《いやく》の料《れう》にと物干臺《ものほしだい》で乾《かは》かした蕺草《どくだみ》枇杷《びは》の葉《は》などの藥草《やくさう》を煎《せん》じて呑《の》んでも利目《きゝめ》がない。で、今日《けふ》――六|月《ぐわつ》二十三|日《にち》――も蒲團《ふとん》へ橫《よこ》になると自分《じぶん》で腰《こし》を撫《な》でゝ小聲《こごゑ》で呻吟《うめい》てゐたが、不圖《ふと》枕許《まくらもと》で自分《じぶん》を呼《よ》ぶ聲《こゑ》がする。
「君《きみ》一《ひと》つお賴《たの》みがあるんだがね」と、夜勤《やきん》の宇野《うの》が靴《くつ》のまゝ疊《たゝみ》の上《うへ》に立《た》つて、「今《いま》香川《かがは》から電話《でんわ》が掛《かゝ》つたんだが、赤坂《あかさか》で飮《の》んで金《かね》が足《た》らぬので歸《かへ》れんそうだから、君《きみ》迎《むか》へに行《い》つて吳《く》れ玉《たま》へ」と云《い》ふ。
帆田《ほだ》は白布《しらぬの》の夜具《やぐ》から乗《の》り出《だ》し、顏《かほ》を顰《しか》めて宇野《うの》を見《み》たが、暫《しば》らく返事《へんじ》をしない。
「ねえ君《きみ》行《い》つて吳《く》れ玉《たま》へ、金《かね》は今《いま》會計《くわいけい》から借《か》りて持《も》つて來《き》てるんだ。使賃《つかひちん》は出《だ》すよ」
「行《い》つてもえゝが、今夜《けふ》は氣分《きぶん》が惡《わる》いでなあ」と、皺枯《しやが》れ聲《ごゑ》で云《い》つた。
「二十|錢《せん》出《だ》すよ、一|時間《じかん》で行《い》つて來《こ》られるんだから、先日《こなひだ》よりや割《わり》がいゝよ」
帆田《ほだ》は尙《なほ》躊躇《ちうちよ》してゐたが、やがて、
「ぢや行《い》かうかい」と、蒲團《ふとん》から匐《は》ひ出《だ》した。寢衣《ねまき》は着《き》ず菱形《ひしがた》の腹當《はらあて》のみを着《つ》け、脊骨《せぼね》は高《たか》く現《あら》はれてゐる。破扉《やれドア》二《ふた》つを繼《つ》ぎ併《あは》せた衣桁《いかう》から衣服《きもの》を卸《おろ》して、ゆる〳〵身體《からだ》に卷《ま》きつけ、胴卷《どうまき》をぐつと締《し》め、尻端折《しりはしを》つて出《で》て行《い》つた。糠《ぬか》のやうな五月雨《さみだれ》の降《ふ》つてゐる中《なか》を傘《かさ》もさゝず、電車《でんしや》にも乗《の》らぬ。小石《こいし》に躓《つま》づいても倒《たふ》れさうな足《あし》を踏占《ふみし》め〳〵、竹《たけ》の杖《つゑ》を手賴《たよ》りに赤坂《あかさか》まで往復《わうふく》した。
二十|錢《せん》銀貨《ぎんくわ》を財布《さいふ》に入《い》れ、腰《こし》の疼《いた》みを我慢《がまん》して步《ある》いたが、次第《しだい》に疲《つか》れて、社《しや》近《ちか》くなると途《みち》にへたばり[#「へたばり」に傍点]そうになる。喉《のど》は渇《かは》いて來《く》る。そしてふつと[#「ふつと」に傍点]酒《さけ》が飮《の》みたくなつた。酒《さけ》と云《い》ふもの月《つき》に一|度《ど》飮《の》むことも稀《まれ》だが、今夜《こんや》はよく〳〵堪《た》へがたくなつて、使賃《つかひちん》の半分《はんぶん》を捨《す》てるつもりで、ギヨロ〳〵見《み》まはした。酒屋《さかや》もビアーホールも左右《さいう》にあれど、電燈《でんとう》に輝《かゞや》いて美《うつく》しく、氣臆《きおく》れがしてとても入《はい》れそうにない。で、わざ〳〵社《しや》の前《まへ》を行過《ゆきす》ぎ迂道《まはりみち》して、大根《だいこん》河岸《がし》向《むか》うの繩暖簾《なはのれん》を潜《くゞ》つた。ランプは薄暗《うすぐら》く、土間《どま》は連日《れんじつ》の雨《あめ》に濕《しめ》り、腐《くさ》つた臭《にほ》ひが漂《たゞよ》うてゐて、外《ほか》に客《きやく》は一人《ひとり》もゐない。彼《か》れはべた〳〵汚《よご》れた腰掛《こしかけ》にぐつたり身體《からだ》を曲《ま》げて座《すわ》り、燒酎《せうちう》を啜《すゝ》つた。一|杯《ぱい》が五|錢《せん》だ。
手《て》についた滴《しづく》を頰《ほゝ》になすくり、十五|錢《せん》の釣錢《つり》を財布《さいふ》に入《い》れて戶外《そと》へ出《で》たが、頭《あたま》も足《あし》も一|緖《しよ》にふら〳〵[#「ふら〳〵」に傍点]する。手拭《てぬぐひ》で鉢卷《はちまき》をして細《ほそ》い雨《あめ》の中《なか》を踊《をど》るやうな手《て》つきで通《とほ》つて
「ア、コラ〳〵」と皺枯《しやが》れ聲《ごゑ》で拍子《ひやうし》を取《と》つて社《しや》へ入《はい》つた。
「大變《たいへん》景氣《けいき》がいゝね、君《きみ》が酒《さけ》を飮《の》んだのは初《はじ》めて見《み》た」
と、宇野《うの》は微笑《にこ》々々《〳〵》して云《い》つた。
帆田《ほだ》は「へゝゝ」と笑《わら》つて奧《おく》へ行《ゆ》きかけたが、又《また》後戾《あともど》りして、懷《ふところ》から鉛筆《えんぴつ》の受取書《うけとりがき》を宇野《うの》に渡《わた》した。
「受取《うけとり》なんか入《い》らないのに」
「でも間違《まちが》ひがあつちやならん」
と云《い》つて、帆田《ほだ》は又《また》「ア、コラ〳〵」を續《つゞ》けて、自分《じぶん》の居室《ゐま》へ入《はい》ると、電燈《でんとう》の側《そば》で職工《しよくこう》が四人《よにん》花札《はなふだ》を並《なら》べ、銅貨《どうくわ》の音《おと》をさせてゐた。
物珍《ものめづ》らしそうに上《うへ》から覘《のぞ》くと、その中《うち》の一人《ひとり》が、
「帆田《ほだ》さん明日《あす》まで五十|錢《せん》ばかり借《か》して吳《く》れませんか」
と、顏《かほ》を上《あ》げた。
帆田《ほだ》はへゝゝと云《い》つたきり、隅《すみ》の寢床《ねどこ》へ轉《ころ》げ込《こ》んだ。濡《ぬ》れた衣服《きもの》のまゝ鉢卷《まちまき》をも取《と》らずグツスリ睡《ね》てしまつた。
それから一|時間《じかん》、香川《かがは》が赤《あか》い顏《かほ》をして、ビシヨ濡《ぬ》れで歸《かへ》つて來《き》た。上衣《うはぎ》を脫《ぬ》いで黑《くろ》ずんだ肉色《にくいろ》のシヤツ一|枚《まい》になり、宇野《うの》と賑《にぎ》やかに話《はな》してゐたが、夜《よ》は更《ふ》けて、周圍《あたり》も靜《しづ》かに、繁吹《しぶ》きに曇《くも》つた玻璃窓《ガラスまど》から、柳葉《りうえう》の風《かぜ》に亂《みだ》れてゐるのが見《み》える。
「さあ歸《かへ》らうか、電車《でんしや》のある中《うち》に」と、宇野《うの》は椅子《いす》を離《はな》れた。
「僕《ぼく》も寢《ね》ようか」と、香川《かゞは》は眠《ねむ》そうな目《め》で時計《とけい》を見《み》て欠伸《あくび》をした。
「可愛《かあい》そうだね、そんな大《おほ》きな身體《からだ》をして宿《やど》るに家《いへ》なしぢや、」
「うゝん」
宇野《うの》の靴《くつ》の音《おと》が消《き》えると、香川《かゞは》は椅子《いす》を二|脚《きやく》づゝ兩手《れうて》で提《さ》げて、隣《とな》りの豫備《よび》應接室《おうせつしつ》へ行《はい》つた。此處《こゝ》には新聞《しんぶん》の綴込《とぢこ》みが保存《ほぞん》され、テーブルと椅子《いす》が据《す》ゑつけられてゐる。光《ひかり》は廊下《らうか》の電燈《でんとう》が隅《すみ》の方《はう》から薄《うす》く照《て》らすばかり。香川《かゞは》はテーブルを片寄《かたよ》せ、椅子《いす》を四|脚《きやく》づゝ二|列《れつ》にくつゝけて並《なら》べ、その上《うへ》に毛布《けつと》を敷《し》き、厚《あつ》い冬夜具《ふゆやぐ》をかけ、素裸《すつぱだか》になつて藻《も》ぐり込《こ》んだ。書物《しよもつ》を枕《まくら》に首《くび》だけ出《だ》して寢《ね》てゐたが、蒸暑《むしあつ》くて身體《からだ》が汗《あせ》ばんで來《く》るので、我知《われし》らず夜具《やぐ》を腰《こし》から下《した》へ押《おし》のけ、胸毛《むなげ》のある赤《あか》らんだ胴《どう》を曝《さ》らし、一《ひと》つ二《ふた》つ蚊《か》の襲《おそ》ふのも知《し》らずに眠入《ねい》つた。
夜《よ》は更《ふ》けて電車《でんしや》も絕《た》え、街上《がいじやう》は靜《しづ》かに、雨《あめ》は或《あるひ》は急《きふ》に或《あるひ》は緩《ゆる》く降《ふ》りつゞけてゐる。香川《かゞは》は酒《さけ》の醉《よ》ひに若《わか》い血汐《ちしほ》の心《こゝろ》よくめぐつて、夢《ゆめ》も見《み》ず、片足《かたあし》を投《な》げ出《だ》して、太《ふと》い緩《ゆる》い息《いき》をして眠《ねむ》つてゐる。帆田《ほだ》は一|時《じ》忘《わす》れてゐた疼痛《いたみ》の又《また》も起《おこ》つては、屡々《しば〳〵》夢《ゆめ》を破《やぶ》られて呻吟《うめい》てゐる。
工場《こうぢやう》の奧《おく》の電燈《でんとう》も消《け》された。暗《くら》い中《なか》に老人《らうじん》の低《ひく》い呻吟《うめき》と香川《かゞは》の高《たか》い鼾鼻《いびき》とが漂《たゞよ》うてゐた。その間《あひだ》に階下《した》では輪轉機《りんてんき》の音《おと》、新聞《しんぶん》を積出《つみだ》す音《おと》がしてゐる。
空《むな》しき編輯局《へんしうきよく》には時計《とけい》が一|時《じ》を打《う》ち、二|時《じ》を打《う》つ。三|時《じ》を打《う》たんとした頃《ころ》、香川《かゞは》は口《くち》をもが〳〵させ唾《つばき》を呑《の》んでゐたが、やがて鼻《はな》を鳴《な》らして深《ふか》く息《いき》を吸《す》ひ、目《め》を細《ほそ》くして寢返《ねが》へりをした。喉《のど》が乾《かは》く。
で、椅子《いす》を脫《ぬ》け出《で》て、柱《はしら》の釘《くぎ》に釣《つる》した洋服《やうふく》の上衣《うはぎ》を裸身《はだかみ》に纏《まと》ひ、階下《した》へ驅《か》け下《お》りて水道《すゐだう》の水《みづ》をガブ呑《の》みして歸《かへ》つた。
此頃《このごろ》は癖《くせ》になつて今《いま》時分《じぶん》に目《め》が醒《さ》める。今夜《こんや》は酒《さけ》の勢《いきほ》ひで睡過《ねす》ごしたが、それでもまだ短《みじ》かい夜《よる》の明《あ》けんともせぬ。空氣《くうき》は寢《ね》た間《ま》に冷《ひ》えて來《き》て、身體《からだ》がゾク〳〵する。彼《か》れは嚔《くさめ》をした。椅子《いす》の足《あし》にからまつてる夜具《やぐ》を引上《ひきあ》げて首《くび》まで被《かぶ》つた。
天井《てんじやう》の黃《きい》ろい紙《かみ》が垂《た》れ、連日《れんじつ》の雨《あめ》に黴臭《かびくさ》い香《にほ》ひが、締切《しめき》つた居室《ゐま》の中《うち》に何處《どこ》からともなく湧《わ》き出《で》て來《く》る。
彼《か》れの目《め》は冴《さ》えて再《ふたゝ》び睡《ね》つかれぬ。筋肉《きんにく》の逞《たく》ましい腕《うで》に力《ちから》を籠《こ》め、脊延《せの》びをして、
「おれも何時《いつ》になつたら滿足《まんぞく》に疊《たゝみ》の上《うへ》に寢《ね》られることか」と思《おも》つた。グツと夜明《よあけ》まで睡《ね》れゝばよいが、暗《くら》い中《うち》に目《め》が開《あ》くと、屹度《きつと》この惡念《あくねん》に取《とり》つかれる。殊《こと》に醉《よ》つて騷《さわ》いだ晚《ばん》はひどい。
しかし醉《よ》つた間《あひだ》に何《なに》を唄《うた》つたか、何《なに》を喋舌《しやべ》つたか、何《ど》んなにして女《をんな》と戯《たはむ》れたか、彼《か》れの頭《あたま》にはハツキリ殘《のこ》つてゐない。只《たゞ》ボンヤリ「面白《おもしろ》かつた」と云《い》ふ感《かん》じが浮《うか》んで來《く》る。それにつれて、「明日《あす》の辨當代《べんたうだい》もなくて、こんな事《こと》をしてゐたつて」と云《い》ふ感《かん》じが激《はげ》しく胸《むね》に響《ひゞ》ゐて來《く》る。
彼《か》れは又《また》强《つよ》い嚔《くさめ》をした。それが淋《さび》しい居間《ゐま》に鳴《な》り渡《わた》る。
「まだ夜《よ》の明《あ》けるに間《ま》があらう」と、頭《あたま》を持上《もた》げて玻璃《ガラス》越《ご》しに廊下《らうか》を見《み》ると、工場《こうば》の入口《いりくち》からコソ〳〵と草履《ざうり》の足音《あしおと》が聞《きこ》える。外《そと》は雨《あめ》で暗《くら》い、足音《あしおと》は次第《しだい》に近《ちか》づいて寢室《しんしつ》の側《そば》まで來《き》た、「今《いま》時分《じぶん》誰《だ》れだらう」と疑《うたが》つて、薄氣味《うすきみ》惡《わる》く思《おも》つて見《み》てゐると、薄光《うすびかり》に幽靈《ゆうれい》のやうな帆田《ほだ》の半身《はんしん》が現《あら》はれた。幽《かす》かに呻吟《うめ》きながら階子段《はしごだん》の手摺《てすり》に凭《もた》れた。
香川《かゞは》はこの痩《や》せさらぼへる老人《らうじん》が、自分《じぶん》と同《おな》じように一人《ひとり》ぼつちで、奧《おく》で寢《ね》てゐることを思《おも》ひ出《だ》した。で、ドアを開《あ》けて首《くび》を出《だ》し、
「お爺《ぢい》さん、何《なに》をしてる」と、陽氣《やうき》な聲《こゑ》で問《と》うた。
「腹《はら》が痛《いた》くつて」と、帆田《ほだ》は牡蠣《かき》のやうな目《め》を向《む》けて、虫《むし》の音《ね》で云《い》ふ。
「そうか困《こま》つたね、醫者《いしや》でも呼《よ》んで來《こ》ようか」
「なあにそれにや及《およ》ばん」
帆田《ほだ》は匐《は》ふやうにして階下《した》へ下《お》りた。厠《かはや》へでも行《い》つたのだらう。
香川《かゞは》は階子段《はしごだん》の隅《すみ》の玻璃《ガラス》窓《まど》を開《あ》けて冷《つめ》たい空氣《くうき》を吸《す》うた。暗澹《あんたん》たる雲《くも》は低《ひく》い屋根《やね》から屋根《やね》へ垂《た》れて、曙光《しよくわう》はまだ堰《せ》き止《と》められてゐる。
彼《か》れは再《ふたゝ》び寢床《ねどこ》へ歸《かへ》つたが、帆田《ほだ》老人《らうじん》の事《こと》が氣《き》になる。あれで金《かね》ばかり溜《た》めてゝ何《なに》をするんだらう。家《いへ》もなく、病氣《びやうき》の看護《かんご》もされず、紙幣《さつ》を抱《だ》いて死《し》んでしまう。それつきりだ。それ以上《いじやう》になすべきこともないのだ。しかし自分《じぶん》は歲《とし》も若《わか》い、身體《からだ》も强《つよ》い、爲《な》すべきことが多《おほ》い。爲《な》すべき時《とき》に何《なに》もせず、徒《いたづ》らに帆田《ほだ》のやうな骸骨《がいこつ》になるのは無念《むねん》だ。「あゝ金《かね》が欲《ほ》しい」帆田《ほだ》には無用《むよう》の金《かね》だが、自分《じぶん》には生《い》きて役《やく》に立《た》つ。隣《となり》同士《どうし》で寢《ね》てゐて、老人《らうじん》は何時《いつ》死《し》ぬかも分《わか》らぬ。財產《ざいさん》の相續人《さうぞくにん》もなく、財產《ざいさん》の高《たか》も知《し》つた人《ひと》はない。
で、香川《かゞは》は夜具《やぐ》で顏《かほ》を蔽《おほ》うて、それからそれと雜念《ざつねん》に襲《おそ》はれてゐたが、周圍《まはり》の騷々《さう〴〵》しくなるに氣付《きづ》いて、首《くび》を出《だ》すと、何時《いつ》の間《ま》にか夜《よ》は明《あ》けて、小使《こづかひ》が掃除《さうじ》をしてゐる。
香川《かゞは》の雜念《ざつねん》は搔《か》き消《け》す如《ごと》く消《き》えてしまう。で、元氣《げんき》よく起《お》きて、洋服《やうふく》を着《つ》け、顏《かほ》を洗《あら》つて後《のち》、髯《ひげ》を捻《ひね》りながら、無心《むしん》に社内《しやない》をぶら[#「ぶら」に傍点]ついてゐると、應接室《おうせつしつ》に帆田《ほだ》の後姿《うしろすがた》が見《み》える。朝餐《あさめし》を食《く》ひながら、前《まへ》に算盤《そろばん》を置《お》いて帳簿《ちやうぼ》を調《しら》べてゐる。
香川《かゞは》が後《うしろ》から近《ちか》づくと、老人《らうじん》は驚《おどろ》いたやうに胸《むね》に手《て》を當《あ》てゝ振向《むりむ》いた。
「もう病氣《びやうき》はよくなつたのかね」
「もう大丈夫《だいじやうぶ》だ」
「でも大事《だいじ》にせんといかんよ、一|日《にち》位《くらゐ》休《やす》んでもいゝだらう」
「はゝゝ、休《やす》む譯《わけ》にも行《い》かんでな」
「僕《ぼく》が代理《だいり》で廻《まは》らうか、僕《ぼく》は君《きみ》に肖《あや》かつて金持《かねもち》になりたいから」
帆田《ほだ》は鹽餡《しほあん》の大福《だいふく》を豆粒《まめつぶ》程《ほど》に千切《ちぎ》つては口《くち》に入《い》れて、相手《あひて》に耳《みゝ》を貸《か》さず、震《ふる》へる指先《ゆびさき》で算盤《そろばん》を彈《はじ》いてゐた。
「君《きみ》は僕《ぼく》を養子《やうし》にして吳《く》れんかね、二人《ふたり》で家《うち》を持《も》つて稼《かせ》いだ方《はう》がいゝぢやないか、僕《ぼく》は親爺《おやぢ》がないんだから、君《きみ》を實《じつ》の親《おや》のやうにして孝行《かう〳〵》するよ、ねえ、その方《はう》がいいぢやないか」と、香川《かゞは》は笑《わら》ひながら五月蠅《うるさ》く云《い》ふので、帆田《ほだ》は物《もの》をも云《い》はず、帳簿《ちやうぼ》を抱《いだ》いて應接所《おうせつしよ》を出《で》て行《い》つた。
一|時間《じかん》後《ご》には帆田《ほだ》は草鞋《わらじ》脚絆《きやはん》の身裝《みづくり》をして、集金《しふきん》に出《で》かけた。二|時間《じかん》後《ご》に香川《かゞは》は車《くるま》に乗《の》つて政黨《せいとう》本部《ほんぶ》や官省《くわんしやう》を廻《まは》つた。
この日《ひ》帆田《ほだ》は一手柄《ひとてがら》をしたつもりで新聞《しんぶん》の材料《たね》を持《も》つて來《き》た。云《い》ふ事《こと》がボンヤリしてよく要點《えうてん》を得《え》ないが、何《なん》でも本鄉《ほんがう》の弓町《ゆみちやう》邊《へん》で人殺《ひとごろ》しがあつたのださうだ。被害者《ひがいしや》は高利貸《かうりかし》、殺害《さつがい》の原因《げんいん》は借金《しやくきん》を催促《さいそく》したからだと云《い》ふ。
「老爺《おぢい》さん、又《また》夢《ゆめ》でも見《み》たのだらう」
「先月《せんげつ》も公園《こうえん》で首《くび》くゝりがあつたつて知《し》らせて來《き》たが、あれでも社員《しやゐん》と云《い》ふ意識《いしき》があるからだらう。態々《わざ〳〵》知《し》らせに來《く》るだけ感心《かんしん》だ」
「首《くび》くゝりか人殺《ひとごろ》しか、何時《いつ》かも下《くだ》らない小泥棒《こどろぼう》の噂《うはさ》を持《も》つて來《き》た。老爺《おぢい》碌《ろく》な事《こと》を見《み》ないんだね」
と、三|面《めん》の連中《れんちう》はあまり取合《とりあ》はず、探訪《たんぼう》をも特派《とくは》しなかつた。
帆田《ほだ》は顏《かほ》と足《あし》とを水道《すゐだう》で洗《あら》つて、自分《じぶん》の居間《ゐま》へ上《あが》つた。擦《す》れちがひに歸《かへ》つて行《ゆ》く職工《しよくこう》、入《はい》つて來《く》る職工《しよくこう》、階子段《はしごだん》は傘《かさ》の雫《しづく》でズブ濡《ぬ》れになつてゐる。日《ひ》は早《はや》く暮《く》れて、電燈《でんとう》はジメ〳〵した疊《たゝみ》を照《て》らしてゐる。老人《らうじん》は例《れい》によつて帳簿《ちやうぼ》調《しら》べをしようと思《おも》つたが、疲勞《ひらう》と腹《はら》の痛《いた》みに弱《よわ》つて、晩餐《ばんめし》も食《く》はずに寢床《ねどこ》へ入《はい》つた。何《なん》となく寢苦《ねぐる》しい。それに晝《ひる》の人殺《ひとごろ》し騷《さわ》ぎが折々《をり〳〵》思《おも》ひ出《だ》したように胸《むね》に浮《うか》ぶ。
で、長《なが》い間《あひだ》眠《ね》つ醒《さ》めつした揚句《あげく》、眞夜中《まよなか》頃《ごろ》人氣《ひとけ》のないのを見《み》て、藥湯《やくとう》を飮《の》み、唯一《ゆゐいつ》の樂《たのし》みの財產《ざいさん》調《しら》べを初《はじ》めた。
「老爺《おやぢ》さん、淋《さび》しいだらう」と、香川《かゞは》は突如《だしぬけ》に入《はい》つて來《き》た。酒《さけ》の息《いき》を吐《は》いてゐる。帆田《ほだ》はモグ〳〵口《くち》の中《なか》で云《い》つたが、それは香川《かゞは》には聞《きこ》えない。
「いよ〳〵工場《こうば》も建增《たてま》しをすることに决《きま》つたそうだから、この部屋《へや》も壞《こは》されるのだらう。そしたら老爺《おぢい》さんも何處《どこ》かへ立退《たちの》かなくちやなるまい、どうするつもりかね」
と、詰責《きつせき》するような調子《てうし》で問《と》うたが、老人《らうじん》は何《なん》とも答《こた》へない。心《こゝろ》では只《たゞ》自分《じぶん》の樂《たのし》みの妨害者《ぼうがいしや》を怒《いか》つてゐた。工場《こうぢやう》建增《たてま》しの噂《うはさ》は時々《とき〴〵》老人《らうじん》の耳《みゝ》にも入《はい》つて來《く》るが、それが別段《べつだん》刺激《しげき》をも與《あた》へない。過去《くわこ》と將來《しやうらい》はこの老人《らうじん》の衰《おとろ》へた頭《あたま》を惱《なや》ますに足《た》らぬのである。
で、香川《かゞは》の去《さ》つた後《のち》は、何《なに》か不安《ふあん》らしく、有合《ありあは》せの板片《いたぎれ》で入口《いりくち》を蔽《おほ》うて眠《ねむり》に就《つ》いた。翌朝《よくてう》も雨《あめ》で、顏《かほ》を見《み》ると人々《ひと〴〵》は皆《みな》いやな天氣《てんき》を歎《たん》じてゐたが、帆田《ほだ》は獨《ひと》り默《だま》つて仕事《しごと》に出《で》た。衰弱《すゐじやく》せる上《うへ》に氣候《きこう》の不順《ふじゆん》に害《そこな》はれて、顏《かほ》は死人《しにん》のようであるが、誰《た》れも怪《あや》しむ者《もの》はなく、氣遣《きづか》つてやる者《もの》もない。
香川《かゞは》は尙《なほ》夜中《よなか》に目《め》の醒《さ》める癖《くせ》が止《や》まぬ。醒《さ》めると雜念《ざつねん》が起《おこ》る。雜念《ざつねん》の中《うち》には帆田《ほだ》老人《らうじん》が織《お》り込《こ》まれる。かの無用《むよう》の財產《ざいさん》は自分《じぶん》の手《て》にあらば幸福《こうふく》に使《つか》へるのだとの思《おも》ひは夜々《よゝ》に嵩《かさ》まつて來《く》る。男《をとこ》一|匹《ぴき》世《よ》の中《なか》に活躍《くわつやく》するの地步《ちほ》もつくれるとも思《おも》はれる。そして香川《かゞは》は老人《らうじん》の牡蠣《かき》のやうな凄《すご》い眼《め》を暗中《あんちう》にも思《おも》ひ浮《うか》べるようになつた。二人《ふたり》は何《なん》となく關係《くわんけい》があるやうな氣《き》がする。宿世《しゆくせ》の緣《ゑん》が成立《なりた》つてゐるやうな氣《き》がするのであつた。
降《ふ》るか曇《くも》るかの鬱陶《うつとう》しい梅雨期《ばいうき》がつゞく。その中《うち》に老人《らうじん》は衰弱《すゐじやく》を重《かさ》ねて、步《あゆ》むにも堪《た》へかね、或《ある》晚《ばん》階子段《はしごだん》で倒《たふ》れたなり、遂《つひ》に床《とこ》に就《つ》いて起《お》き得《え》なくなつた。
小使《こづかひ》に粥《かゆ》を煑《に》て貰《もら》ふばかりで、誰《だ》れにも顧《かへり》みられず看護《かんご》されず、殆《ほど》んど存在《そんざい》をも認《みと》められずに、幽《かす》かな呻吟《うめき》と昏睡《こんすゐ》とを續《つゞ》けてゐた。
只《たゞ》香川《かゞは》のみは半《なか》ば好奇心《かうきしん》から、時々《とき〴〵》見舞《みま》つてやるが、老人《らうじん》は不快《ふくわい》な目《め》を向《む》けて、少《すこ》しも喜《よろこ》ぶ風《ふう》はない。恨《うら》めしいやうな恐《おそ》ろしいやうな顏《かほ》をして、側《そば》へ寄《よ》られるのを厭《いや》がり、痩腕《やせうで》で防禦《ばうぎよ》するやうな身構《みがま》へをすることもある。或《ある》晚《ばん》は夢心地《ゆめごゝち》で、「この野郞《やらう》まだおれを意地《いぢ》めに來《く》るか、もう親《おや》でないぞ、子《こ》とは思《おも》はんぞ」と叫《さけ》んで、尙《なほ》不明瞭《ふめいれう》な聲《こゑ》で獨言《ひとりごと》を云《い》つた。香川《かゞは》は理由《わけ》は分《わか》らないが、何《なん》となく恐《おそ》ろしくなつて逃《に》げて歸《かへ》つた。そして老人《らうじん》は職工《しよくこう》などが幾《いく》ら周圍《まはり》で立騷《たちさわ》がうと、自分《じぶん》を冷《ひや》かしてゐやうと、無感《むかん》無覺《むかく》でゐるが、香川《かゞは》を見《み》ると面相《めんさう》が變《かは》つて來《く》る。
「何故《なぜ》だらう」と、香川《かゞは》は怪《あや》しんで宇野《うの》に話《はな》した。
「何《なに》か惡《わる》いことをしたんぢやないか、金《かね》でも借《か》りたんぢやないか」
「あの老爺《ぢいさん》が何《なん》で人《ひと》に金《かね》を貸《か》すものか、それに僕《ぼく》だけが多少《たせう》同情《どうじやう》してるんだから、感謝《かんしや》すべき筈《はず》だ」
「君《きみ》の顏《かほ》が老爺《ぢいさん》の息子《むすこ》にでも似《に》てるんぢやないか」
「なあに彼奴《あいつ》の子《こ》は身體《からだ》が痩《や》せてゝ、親爺《おやぢ》のやうな恐《こわ》い目《め》をしてるそうだ」
「兎《と》に角《かく》君《きみ》も酷《ひど》い奴《やつ》に見込《みこ》まれたものだね」
「氣味《きみ》の惡《わる》い老耄《おいぼれ》だよ」
香川《かゞは》はその夜《よ》から目《め》が醒《さ》めると、暗中《あんちゆう》にかの凄《すご》い目《め》を見《み》て震《ふる》えることがある。で、二三|日《にち》すると遂《つひ》に堪《た》へかねて、詮方《せんかた》なく外《ほか》へ轉居《てんきよ》した。
暫《しば》らく老人《らうじん》の事《こと》を忘《わす》れて、金《かね》の苦面《くめん》に惱《なや》んでゐたが、或《ある》日《ひ》不圖《ふと》社《しや》の前《まへ》で彼《か》れに出會《であ》つた。病氣《びやうき》は治《なほ》つたのか治《なほ》らぬのか、尋《たづ》ねても、齒《は》の拔《ぬ》けた口《くち》をもぐ〳〵させた許《ばか》りで分《わか》らなかつたが、風呂敷《ふろしき》包《づゝみ》を脊負《せお》うて、フラつく足《あし》で出《で》て行《い》つた。
香川《かゞは》は眉《まゆ》を顰《ひそ》めて顏《かほ》を脊《そむ》けた。
世間並
(一)
「貴下《あなた》は何處《どこ》からお出《いで》なすつた、岡山《をかやま》ですか、上方《かみがた》ですか」と問《と》ひ掛《か》ける。
予《よ》は變《へん》に思《おも》つて見上《みあ》げると、丈《たけ》の短《みじ》かい筒袖《つゝそで》を着《き》、鼻下《びか》に髯《ひげ》を蓄《たくは》へた男《をとこ》で、釣竿《つりざほ》を肩《かた》にかけ、手《て》に魚籠《びく》を提《さ》げてゐる。言葉《ことば》つきから態度《たいど》まで、只《たゞ》の漁夫《れうし》とは思《おも》へない。肥《ふと》つた柔和《にうわ》な顏《かほ》には微笑《ゑみ》を含《ふく》んでゐる。
「東京《とうきやう》です」と、予《よ》が簡單《かんたん》に答《こた》へると、
「はゝは東京《とうきやう》ですか、私《わたし》も十|年《ねん》も前《まへ》に彼地《あちら》に參《まゐ》つたことがあります」と、多少《たせう》自慢《じまん》の色《いろ》を見《み》せて、「そして、今《いま》は何處《どこ》に宿《やど》をお取《と》りですか」と、さも懇意《こんい》さうに話《はな》しかける。
「日野屋《ひのや》といふ家《うち》です」
「うん、彼家《あすこ》ですか」と、眉《まゆ》を顰《ひそ》めて、「ぢや八釜《やかま》しくてお困《こま》りでせう。あれは下等《かとう》な家《うち》でさあ、とても東京《とうきやう》の方《かた》がお宿《とま》りなさる所《ところ》ぢやありません。と云《い》つて、外《ほか》にいゝ宿《やど》もないんですが」と、賴《たの》みもせぬに、首《くび》を傾《かし》げて考《かんが》へてゐたが、やがて、「ぢや、どうです、私《わたし》の家《うち》へお出《い》でなすつちや、丁度《ちやうど》離座敷《はなれ》が空《あ》いてゐますから、お貸《か》し申《まを》しても差支《さしつか》へありません」
「はあ、都合《つがふ》でお願《ねが》ひに參《まゐ》りませう」と予《よ》は卒氣《そつけ》ない返事《へんじ》をして、あまり取合《とりあ》はなかつたが、彼《か》れは「是非《ぜひ》お出《い》でなさい」と繰返《くりかへ》し、「あの宮《みや》の後《うしろ》です、鶴崎《つるざき》といやあ直《す》ぐ分《わか》ります」と、顋《あご》で敎《をし》へて、丁寧《ていねい》に予《よ》に一|禮《れい》し、杭《くひ》に繋《つな》いである小舟《こぶね》に飛乗《とびの》つた。予《よ》はその漕《こ》ぎ行《ゆ》く姿《すがた》を見送《みおく》り、田舎物《ゐなかもの》の呑氣《のんき》で隔《へだ》てなきを羨《うらや》ましく感《かん》じた。それからぞろ〳〵[#「ぞろ〳〵」に傍点]集《あつま》つて來《く》る鼻垂《はなた》れ小憎《こぞう》子守《こもり》などを相手《あひて》に寫生《しやせい》したり、無邪氣《むじやき》な話《はなし》をして一|日《にち》を暮《くら》した。で、宿《やど》へ歸《かへ》ると、据風呂《すゑふろ》に入《はい》つて後《のち》、相宿《あひやど》の旅商人《たびしやうにん》と世間《せけん》話《ばなし》をしながら、夕食《ゆふめし》を食《く》つてゐたが、ふと彼《か》の男《をとこ》を思《おも》ひ出《だ》し、お給仕《きうじ》の女主人《かみさん》に向《むか》ひ、
「女主人《おかみさん》、鶴崎《つるざき》といふ家《うち》があるだらう、何《なに》をする家《うち》かね」
と聞《き》くと、女主人《かみさん》は頓狂聲《とんきやうごゑ》を出《だ》して、
「何《なに》もしちやゐなさらん、お金持《かねもち》だもの」
「髯《ひげ》のある人《ひと》は、あれが鶴崎《つるざき》の旦那《だんな》かい」
「ありや若旦那《わかだんな》だあ」
「ぢやあの人《ひと》は釣《つり》ばかりして、遊《あそ》んで暮《く》らしてるんかい」
「えゝ、釣《つり》にも行《ゆ》きなさるし、獵《れう》にも行《ゆ》きなさる。結構《けつかう》な身分《みぶん》で御座《ござ》いまさあ」
「ぢや釣《つり》も獵《れう》も上手《じやうず》だらうな」
「なあに、去年《きよねん》も鐵砲《てつぱう》の狙《ねら》ひを間違《まちが》へて、柴草《しばくさ》あ刈《か》つてる女《をんな》の足《あし》に傷《きづ》をつけたんで御座《ござ》いまさあ、それからちうものは、若旦那樣《わかだんなさま》が鐵砲打《てつぱうゝ》ちに出《で》なさると、芝刈《しばかり》は逃《に》げ出《だ》す位《くらゐ》だ」と女主人《かみさん》は鐵漿《おはぐろ》の齒莖《はぐき》を出《だ》してにつたり[#「につたり」に傍点]笑《わら》つた。
「鶴崎《つるざき》といやあ、この界隈《かいわい》で一|番《ばん》の家柄《いへがら》でさあ、隨分《ずゐぶん》村《むら》の事《こと》にや肩《かた》を入《い》れたもので、この海端《うみばた》の道普請《みちぶしん》なんか一人《ひとり》でやつたものでね、村《むら》の者《もの》がお禮《れい》に石碑《せきひ》を立《た》てた程《ほど》だ。村《むら》にや大《たい》した恩人《おんじん》で、鶴崎《つるざき》の屋敷《やしき》にや落書《らくがき》一《ひと》つする者《もの》がないていふ評判《ひやうばん》だつたが、今《いま》は世《よ》が違《ちが》つて來《き》た」と、旅商人《たびあきんど》の素麺屋《そうめんや》は、薄黑《うすぐろ》い飯《めし》を鵜呑《うの》みにして、赧《あか》い顏《かほ》に歎息《たんそく》の樣子《やうす》を見《み》せた。「ねえ、お神《かみ》さん、今《いま》の鶴崎《つるざき》の大將《たいしやう》も惡《わる》いぢやないか、丸《まる》八の嚊《かゝ》を引掛《ひつか》けてるちうぢやないかい」
「そんな噂《うはさ》だがな、困《こま》つた若旦那《わかだんな》だ。去年《きよねん》も吉《きち》どんが鮪《まぐろ》取《と》りに土佐《とさ》へ行《い》つた留守《るす》にも、何《なん》だかあつたやうだしな」と、女主人《かみさん》は小聲《こごゑ》で云《い》つた。
「大將《たいしやう》、金《かね》はあるし懷手《ふところで》で遊《あそ》んでるから、そんなことでもせねや日《ひ》が立《た》つまい。それに丸《まる》八も鶴崎《つるざき》の家《うち》にや親爺《おやぢ》の代《だい》から借金《しやくきん》があるし、世話《せわ》になつてるんだから、目《め》をつぶつて我慢《がまん》してるんだらう。嚊《かゝあ》のお伽《とぎ》は借金《しやくきん》の利息《りそく》のやうなものだ、ハツヽヽヽ」
予《よ》はこんな話《はなし》を聞《き》いて、好奇心《かうきしん》が湧《わ》き上《あが》り、急《きふ》に鶴崎《つるざき》を訪《たづ》ねて見《み》たくなり、飯《めし》が濟《す》むと、女主人《かみさん》に案内《あんない》させ、提灯《ちやうちん》ぶら提《さ》げて、その家《うち》へ行《い》つた。潜戶《くゞり》を入《はい》ると、庭前《にはさき》で盲目《めくら》の男《をとこ》が唐臼《からうす》を搗《つ》き、かの若主人《わかしゆじん》は臼《うす》の側《そば》に立《た》つて、何《なに》やら小言《こごと》を云《い》つてゐたが、予《よ》を見《み》ると、ぺこ〳〵二三|度《ど》も頭《あたま》を下《さ》げて、「よくお出《い》で下《くだ》すつた」と、手《て》を取《と》らぬばかりにして、座敷《ざしき》へ通《とほ》した。
予《よ》が旅行中《りよかうちう》の見聞談《けんぶんだん》を緖《いとぐち》とし、主人《しゆじん》は釣《つり》の話《はなし》獵《れう》の話《はなし》をぺら〳〵と絕間《たえま》なく述《の》べ立《た》て、終《しまひ》には倉《くら》から書畵《しよぐわ》を一|抱《かゝ》へも持出《もちだ》して、一々|所由《いはれ》の說明《せつめい》を始《はじ》める。舊家《きうか》ほどあつて、山陽《さんやう》や文晁《ぶんてう》や竹田等《ちくでんとう》の眞筆《しんぴつ》もあるが、中《なか》にはひどい贋作《がんさく》も交《まじ》つてゐる。
「御覽《ごらん》の通《とほ》りの貧乏村《びんばふむら》で、外《ほか》に書畵《しよぐわ》なんか持《も》つてる家《うち》は一|軒《けん》もありませんがね、私《わたし》の家《うち》は祖父《ぢゞ》の代《だい》から、多少《たせう》風流氣《ふうりうぎ》がありましてな、矢鱈《やたら》にこんな者《もの》を集《あつ》めたのです。この竹田《ちくでん》のなぞは祖父《ぢゞ》が九|州《しう》へ參《まゐ》つた時《とき》、わざ〳〵賴《たの》みましたので、丹山翁《たんざんおう》の需《もと》めに應《おう》ずとある丹山《たんざん》は、祖父《ぢい》の雅號《ががう》ですよ」
「しかし隨分《ずゐぶん》お集《あつ》めになつたものですな、これ丈《だけ》あれば東京《とうきやう》へ持《も》つてゝも大《たい》したものですよ」
と、褒《ほ》め立《た》てれば、主人《しゆじん》は「へゝゝゝ」と笑《わら》つて、「なあにこれ許《ばか》りぢや、まだ自慢《じまん》になりません、私《わたし》も一《ひと》つ奮發《ふんぱつ》して名作《めいさく》を蒐《あつ》めたいと思《おも》つてゐます。で、どうでせう、折角《せつかく》お近付《ちかづき》になつたんですから、貴下《あなた》にも一《ひと》つ書《か》いて頂《いたゞ》く譯《わけ》に行《い》きませんか、大切《たいせつ》にして子孫《しそん》に傳《つた》へます」
「どうして私《わたし》共《ども》の者《もの》が」
「いえ是非《ぜひ》お願《ねが》ひ申《まを》したい。こんな好機會《かうきくわい》はないんですから」
と、東京《とうきやう》では埃屑《ごみくづ》の如《ごと》き予《よ》を、天下《てんか》の大美術家《だいびじゆつか》でゝもあるやうに、頻《しき》りに嘆願《たんぐわん》し、
「こんな田舎《ゐなか》でもね、昔《むかし》から年《ねん》に二|度《ど》や三|度《ど》は、書家《しよか》だの歌人《うたよみ》だのが、私《わたし》の家《うち》を訪《たづ》ねて、幾日《いくか》も逗留《とうりう》して行《い》きますよ、貴下《あなた》も御遠慮《ごゑんりよ》なく私《わたし》の家《うち》へお越《こ》しになつて、五|日《か》でも六|日《か》でも御逗留《ごとうりう》なすつて、ゆつくりお書《か》き下《くだ》さい、明日《あす》あたり釣《つり》にでも御案内《ごあんない》しませう」
予《よ》はこれ程《ほど》尊敬《そんけい》され優待《ゆうたい》されたことは、甞《かつ》て例《れい》がないのだから、多少《たせう》得意《とくい》になり、二三|度《ど》形式的《けいしきてき》に辭退《じたい》した後《のち》、翌日《よくじつ》から此家《こゝ》の離座敷《はなれ》に移《うつ》ることを約《やく》した。
一|村《そん》の半《なかば》は疊《たゝみ》のない家《いへ》で、障子《しやうじ》の代《かは》りに蓆《むしろ》を垂《た》れてる程《ほど》だが、その間《あひだ》に在《あ》つて鶴崎《つるざき》の家《うち》は一|箇《こ》の小城廓《せうじやうくわく》の趣《おもむ》きがある、四|方《はう》を練塀《ねりべい》で圍《かこ》み、屋敷内《やしきうち》に數畝《すうほ》の菜園《さいえん》もあり、土藏《どざう》が二《ふた》つ、母屋《おもや》は百|餘年《よねん》を經《へ》たもので、柱《はしら》に蝕《むし》ばんだ跡《あと》もあるが、如何《いか》にも手丈夫《てじやうぶ》で宏壯《こうさう》に出來《でき》てゐる。
若主人《わかしゆじん》は丁度《ちやうど》三十|歲《さい》、小學校《せうがくかう》卒業後《そつげふご》、近村《きんそん》の漢學塾《かんがくじゆく》に學《まな》んだのみで、左程《さほど》學問《がくもん》をしたらしくはない。今《いま》は一|家《か》の主權者《しゆけんしや》だが、何《なん》と定《きま》つた仕事《しごと》もなく、一|村《そん》の問題《もんだい》にも少《すこ》しも關係《くわんけい》せぬさうだ。
「しかし貴下《あなた》が村《むら》を指導《しだう》なさらなくちや、外《ほか》に適任者《てきにんしや》はないでせう」と、予《よ》が問《と》うと、彼《か》れは髯《ひげ》を捻《ひね》つて鹿爪《しかつめ》らしく、
「いやこの村《むら》の奴《やつ》は皆《みな》野獸《やじう》のやうでしてね、目上《めうへ》の者《もの》を敬《うやま》うことを知《し》らず、行儀《ぎやうぎ》作法《さはふ》も辨《わきま》へんのですから、指導《しだう》も何《なに》もありませんよ、だから私《わたし》は村《むら》の者《もの》等《ら》が何《なに》をしやうと、一|切《さい》關《かま》はないで、自分《じぶん》は自分《じぶん》で好《す》きな事《こと》をして氣樂《きらく》に暮《くら》してゐます。しかし四五|年前《ねんまへ》から私《わたし》が先《さ》きに立《た》つて碁《ご》の會《くわい》や淨瑠璃《じやうるり》の稽古《けいこ》を始《はじ》めました。そのために多少《たせう》は上品《じやうひん》な氣風《きふう》が出來《でき》て來《き》たやうです、明日《あす》も朝《あさ》から碁《ご》の師匠《しゝやう》が來《く》る筈《はず》ですが、貴下《あなた》も會《くわい》にお加《くはゝ》りなすちや如何《いかゞ》です」
「えゝ有難《ありがた》う、しかし田舎《ゐなか》にゐると長命《ながいき》をする譯《わけ》ですね、私《わたし》もどうかして、こんな風景《ふうけい》のいゝ田舎《ゐなか》の遊民《いうみん》になりたいものだ」
と、染々《しみ〴〵》彼《か》れの境遇《けうぐう》を羨《うらや》んだが、彼《か》れはそれを當然《たうぜん》の如《ごと》く思《おも》つて、「ぢやどうです、此地《こゝ》に永住《えいじう》なすつちや、向《むか》ひの島《しま》は私《わたし》の家《うち》で有《も》つてるんですが、お望《のぞ》みならば、あれを全部《ぜんぶ》お貸《か》し申《まを》してもいゝ。今《いま》は近所《きんじよ》の者《もの》に貸《か》してるんですが、何《なに》、何時《いつ》だつて取上《とりあ》げりやいゝんでさあ」
と、事《こと》もなげに云《い》つて、大口《おほぐち》開《あ》けて笑《わら》ふ。
「はあ、私《わたし》もうんと稼《かせ》いで財產《ざいさん》を造《つく》つたら、島《しま》を拜借《はいしやく》して、別莊《べつさう》でも建《た》てるんですね、しかし島《しま》一《ひと》つ御自身《ごじしん》の者《もの》だと、貴下《あなた》は丸《まる》で王樣《わうさま》のやうですね」
と、予《よ》も相手《あひて》を見《み》て煽動《おだて》ると、
「いや、この小《ちい》さい村《むら》ですが、畠《はたけ》の三|分《ぶん》の一ばかりは私《わたし》の所有《しよいう》です、全體《ぜんたい》この村《むら》の草分《くさわけ》は私《わたし》の先祖《せんぞ》で、代々《だい〴〵》村《むら》のためには盡《つく》したものです。だから明治《めいぢ》の初《はじ》めに頌德碑《しやうとくひ》を立《た》てゝ、お祭《まつり》をした位《くらゐ》ですが、どうも世《よ》の中《なか》の風儀《ふうぎ》は惡《わる》くなりましたね、今《いま》じや石碑《せきひ》も滅茶《めちや》々々《〳〵》に瑕《きづ》がついてゐます。一《ひと》つは今《いま》の學校《がくかう》敎育《けういく》が惡《わる》いんですな、貴賤《きせん》の區別《くべつ》も敎《をし》へるぢやなし」
と、大《おほい》に憤慨《ふんがい》した。それから下女《げぢよ》がわざ〳〵隣村《りんそん》から取《と》つて來《き》た酒《さけ》の御馳走《ごちそう》があり、予《よ》は十|時《じ》過《す》ぎに宿《やど》へ歸《かへ》り、旅商人《たびしやうにん》と一|緖《しよ》に、襖《ふすま》もない居室《へや》に眠《ねむ》つた。
その翌朝《よくてう》から予《よ》は鶴崎《つるざき》の賓客《ひんかく》となり、三|度《ど》々々|取立《とりた》ての魚《さかな》を饗《きやう》せられ、絹夜具《きぬやぐ》に寢《ね》かされ、「先生《せんせい》」と呼《よ》ばれて、二三|日《にち》を送《おく》つた。で、主人《しゆじん》の日常《にちじやう》生活《せいくわつ》を見《み》てると、彼《か》れは朝《あさ》早《はや》く起《お》きて、褞袍《どてら》を着《き》たまゝ胡座《あぐら》をかき、煙草《たばこ》を吸《す》ひながら、作男《さくをとこ》を指圖《さしづ》し、自身《じゝん》も時々《とき〴〵》はぶらり〳〵畠廻《はたけまは》りに行《ゆ》くらしい、家《うち》にゐる間《あひだ》は一|時間《じかん》に一|度《ど》位《ぐらゐ》、下女《げぢよ》か下男《げなん》か妻君《さいくん》か誰《だ》れかに向《む》かつて、何《なに》か云《い》つては怒鳴《どな》つてゐる。屡々《しば〳〵》屋敷《やしき》の周圍《まはり》を懷手《ふところて》でぶらつき、偶々《たま〳〵》落書《らくがき》でも見《み》やうなら、凄《すさま》じい聲《こゑ》で下男《げなん》を呼《よ》んで削《けづ》らせ、惡戯者《いたづらもの》でも見《み》つけたらば、子供《こども》であらうと女《をんな》であらうと引捕《ひつとら》へて縛《しば》り上《あげ》る。しかし予《よ》に對《たい》しては穩《おだや》かで親切《しんせつ》で、全《まつ》たく人《ひと》が異《ちが》うやうだ。妻君《さいくん》は痩《や》せて靑《あを》く、大抵《たいてい》は奧《おく》へ引込《ひつこ》んでゝ、家《いへ》の事《こと》にはあまり關《かま》つてゐないやうだが、一人《ひとり》變《へん》な男《をとこ》が始終《しよつちう》出入《でいり》して、下男《げなん》下女《げぢよ》以上《いじやう》の特權《とくけん》を持《もつ》てゐるやうだ。婢僕《ひぼく》はこの男《をとこ》を馬鹿市《ばかいち》々々々と蔭《かげ》で呼《よ》んで居るが、主人《しゆじん》には餘程《よほど》のお氣《き》に入《い》りと見《み》え、何《なに》をしても小言《こゞと》を喰《く》つたことがない。丈《たけ》が短《ひく》くて顏《かほ》が圖拔《づぬけ》て大《おほ》きく、智慧《ちゑ》の足《た》らんやうな所《ところ》もあるが、又《また》極《きは》めて敏捷《びんしやう》で、樹登《きのぼ》りや屋根傳《やねづた》ひをさすと、飛鳥《ひてう》の如《ごと》く身《み》を運《はこ》ぶ。それに不仁身《ふじみ》であつて、打《ぶ》たれても毆《なぐ》られても痛《いた》くはないといふ。
或晚《あるばん》主人《しゆじん》は、予《よ》の前《まへ》にこの馬鹿市《ばかいち》を呼《よ》び、鞭《むち》を持《も》つてぴしやり〳〵脊中《せなか》を打《う》ち、「不思議《ふしぎ》ぢやありませんか、これで何《なん》とも感《かん》じないんですから、さあ貴下《あなた》も一《ひと》つ打《ぶ》つて御覽《ごらん》なさい、實際《じつさい》當人《たうにん》に苦痛《くつう》はないんです」と、鞭《むち》を前《まへ》に置《お》いて勸《すゝ》めたが、予《よ》は如何《いか》にも殘酷《ざんこく》な氣《き》がして、座興《ざきよう》にもそんな眞似《まね》は出來《でき》ず、その代《かは》りに杯《さかづき》を差《さ》してやると、市公《いちこう》は續《つゞ》け樣《ざま》に五六|杯《はい》を煽《あほ》つて、その悟《さと》れる如《ごと》く愚《ぐ》なるが如《ごと》き顏《かほ》を赤《あか》くして、船頭唄《せんどうゝた》を唄《うた》つた。聲《こゑ》もいゝし唄《うた》も面白《おもしろ》いが、予《よ》には何《なん》となく哀《あは》れに感《かん》ぜられる。
で、主人《しゆじん》に向《むか》つて、「一|體《たい》この男《をとこ》は何物《なにもの》です」と聞《き》くと、
「孤兒《こじ》ですよ、親爺《おやぢ》は鳴門《なると》で難船《なんせん》して死《し》ぬる、阿母《おふくろ》は旅商人《たびあきんど》と駈落《かけおち》する、後《あと》に一人《ひとり》殘《のこ》されてたのを、可愛《かあい》さうだから、私《わたし》共《ども》が育《そだ》て上《あ》げてやつたんです、今《いま》は舟乗《ふなのり》になつて、糊口《くちすぎ》だけは出來《でき》るんですが、氣《き》まぐれ物《もの》で、何處《どこ》へ行《い》つても永《なが》くは勤《つとま》らんのです」
「しかし孤兒《こじ》ぢや可愛《かあい》さうですね」と、市公《いちこう》を見《み》て、同情《どうじやう》を表《ひやう》したが、彼《か》れは平氣《へいき》な顏《かほ》をして、予《よ》と主人《しゆじん》とを見比《みくら》べてゐる。
予《よ》は出立《しゆつたつ》の前日《ぜんじつ》、スケツチ帖《てう》の一《ひと》つを材料《ざいれう》とし、主人《しゆじん》に約束《やくそく》の小《ちい》さい風景畵《ふうけいぐわ》を申譯《まをしわけ》だけに書《か》き上《あ》げ、獨《ひと》り屋後《おくご》の丘《をか》や畠《はたけ》の畦《あぜ》を散步《さんぽ》し、感興《かんきよう》に耽《ふけ》つた。中秋《ちうしう》の空《そら》は底深《そこふか》く澄《す》み、目《め》の下《した》には靜《しづ》かな海《うみ》が廣《ひろ》がり、一|村《そん》は柔《やはら》かな光《ひかり》を浴《あ》びて眠《ねむ》れるが如《ごと》く、寂《せき》として人語《じんご》なく、只《たゞ》漁船《れうせん》から物打《ものう》つ音《おと》がコト〳〵と幽《かす》かに響《ひゞ》くのみ。小徑《こみち》の左右《さいう》には大木《たいぼく》はなく、山間《さんかん》のやうに落葉《おちば》を踏《ふ》むの興《きよう》はなけれど、灌木《くわんぼく》が繁《しげ》つて、その間《あひだ》に女郞花《をみなへし》濱萩《はまはぎ》が交《まじ》つてゐる。予《よ》は此等《これら》の花《はな》を雜草《ざつさう》の間《うち》から、一|本《ぽん》づつ撰《え》り出《だ》しては折《を》り、花束《はなたば》を作《つく》りながら、無意識《むいしき》に菜畠《なばたけ》を橫《よこ》ぎつてると、後《うしろ》から怒鳴《どな》る聲《こゑ》がする。顧《かへり》みると一|丁《ちやう》程《ほど》隔《へだ》てゝ頰被《ほゝかむ》りをした大男《おほをとこ》が鍬《くわ》をついて立《た》つてゐる。予《よ》は別《べつ》に氣《き》にも止《と》めず、ずん〳〵步《ある》いてると、彼《か》の男《をとこ》は物《もの》をも云《い》はず、いきなり、後《うしろ》から予《よ》の後腦《こうのう》を打《う》つた。力《ちから》が籠《こも》つてるのでもないが、痩身《やせみ》には酷《ひど》く應《こた》へて、前《まへ》へのめつたのを、漸《やうや》く踏《ふ》み止《と》まつて、「何《なに》をするんだ」と、身構《みがま》へすると、
「馬鹿《ばか》、何《なに》をするもあつたものか、おれの大事《だいじ》な畠《はたけ》を何故《なぜ》踏《ふ》みやがつた、今《いま》鍬《くわ》を入《い》れたばかりぢやないか」
と、恐《おそ》ろしい劍幕《けんまく》に、予《よ》は吃愕《びつくり》して、一口《ひとくち》の返答《へんたふ》も出來《でき》ず、ぼんやり相手《あひて》の顏《かほ》を見《み》てると、突如《だしぬけ》に目《め》の前《まへ》に市公《いちこう》が現《あら》はれて、
「この人《ひと》は若旦那《わかだんな》の大事《だいじ》なお客樣《きゃくさま》だぞ」
と相手《あひて》を叱《しか》り、予《よ》の手《て》を執《と》つて、さも保護者《ほごしや》でゝもあるやうな態度《たいど》をして、大股《おほまた》に步《あゆ》み出《だ》した。予《よ》は胸《むね》を鎮《しづ》めて、
「彼奴《あいつ》は誰《だ》れだ」と問《と》ふと、
「丸《まる》八といふ奴《やつ》さ」と云《い》ふ。
「うん、あれか」と獨《ひと》りで首肯《うなづ》いて「市《いち》さん、お前《まへ》は鶴崎《つるざき》の旦那《だんな》のことを知《し》つてるだらう」
「そりや知《し》つてるとも、何《なん》でも知《し》つてらあ、あの旦那《だんな》はえらい人《ひと》だ、誰《だ》れでも意地《いぢ》める者《もの》があつたら、旦那《だんな》にさへ云《い》ひつけやうなら、直《す》ぐ敵《かたき》を取《と》つて吳《く》れらあ、何《なに》しろ我等《おいら》あ、旦那《だんな》のお氣《き》に入《い》りだもの」と、大得意《だいとくゐ》の風《ふう》をして、「それで我等《おいら》あ、村《むら》の者《もの》が、旦那《だんな》の惡口《わるくち》を云《い》つてると、直《す》ぐ吿口《つげぐち》をしてやらあ、旦那《だんな》は喜《よろこ》ぶせ」と首《くび》をすくめて予《よ》の顏《かほ》をのぞき〳〵、その吿口《つげぐち》の例《れい》を話《はな》す。
予《よ》は市公《いちこう》に連《つ》れられて、宿《やど》へ歸《かへ》つたが、百|姓《しやう》に毆《なぐ》られたことは一言《ひとこと》も語《かた》らず、獨《ひと》り離座敷《はなれ》に引籠《ひきこも》り、鞄《かばん》を整頓《せいとん》し、翌朝《よくてう》出立《しゆつたつ》の用意《ようい》をなし東京《とうきやう》の友人《いうじん》宛《あ》てに、二三の端書《はがき》を認《したゝ》めて居ると、母屋《おもや》の方《はう》で、主人《しゆじん》の怒鳴《どな》り聲《ごゑ》がして、靜《しづ》かな空《そら》に尖《するど》く異樣《ゐやう》に響《ひゞ》く。又《また》始《はじ》めたなと、障子《しやうじ》の隙間《すきま》から窺《のぞ》くと、主人《しゆじん》は小高《こだか》い緣側《えんがは》に座《すわ》り、その下《した》の石段《いしだん》に、かの見覺《みおぼ》えある百|姓《しやう》が蹲《しやが》んでゐる。少《すこ》し隔《へだ》つてる爲《ため》、言葉《ことば》の綾《あや》はよく分《わか》らぬが、見《み》た所《ところ》、白洲《しらす》のお捌《さば》きといつた風《ふう》だ。
主人《しゆじん》は疎《まば》らな髯《ひげ》を捻《ひね》つて尊大《そんだい》に構《かま》へ、眉《まゆ》を怒《いか》らせて相手《あひて》を睨《にら》みつけてゐたが、百|姓《しやう》は俯《うつむ》いて、口《くち》を噤《つぐ》み、暫《しば》らくして挨拶《あひさつ》もせずに歸《かへ》つてしまつた。
予《よ》は主人《しゆじん》に對《たい》して、不快《ふくわい》な氣《き》が萠《きざ》し、優遇《いうぐう》も有難味《ありがたみ》がなくなり、この平靜《へいせい》の漁村《ぎよそん》も多少《たせう》厭《い》やになり出《だ》した。
すると主人《しゆじん》は微笑《にこ》〳〵して入《はい》つて來《き》て、
「散步《さんぽ》して入《いら》しつたんですか、今《いま》ね、市公《いちこう》に聞《きゝ》ますと、馬鹿奴《ばかめ》が貴下《あなた》に大變《たいへん》御無禮《ごぶれい》な事《こと》を致《いた》したさうで、どうも無敎育《むけういく》の者《もの》は仕方《しかた》がありませんよ、それについて私《わたし》も申譯《まをしわけ》がないと思《おも》ひましてな、早速《さつそく》彼奴《あいつ》を呼《よ》びつけて小言《こゞと》を云《い》つときました。なあに不都合《ふつがふ》な奴《やつ》には、田地《でんぢ》を取上《とりあ》げてやりますよ、あの田地《でんぢ》だつて皆《みな》私《わたし》の者《もの》ですからな」
と、自身《じゝん》の威光《いくわう》を見《み》よと云《い》はぬばかりの風《ふう》をする。
「だつて、それ位《くらゐ》の事《こと》で、あんな貧乏者《びんばふもの》の田地《でんぢ》を取上《とりあ》げるのは可愛想《かあいさう》ぢやありませんか、どうせ私《わたし》が惡《わる》いんだし」
「いや〳〵、あんな蟲《むし》けら同然《どうぜん》の者《もの》には口《くち》で敎《をし》へたつて駄目《だめ》です、食《く》ふにも困《こま》るやうになつたら、少《すこ》しは性根《しやうね》が入《い》るでせう」
と、彼《か》れは百|姓共《しやうども》の卑《いや》しい汚《きたな》い生活《くらし》の樣《さま》を說明《せつめい》して、頻《しき》りに「蟲《むし》けら同然《どうぜん》です」を繰返《くりかへ》した後《のち》、「どうです、釣《つり》にお出《い》でなすつちや、私《わたし》が御案内《ごあんない》致《ゝた》しませう」と勸《すゝ》める。予《よ》は今日《けふ》に限《かぎ》り釣魚《つり》に心《こゝろ》も向《む》かなかつたが、この一|日《にち》が瀨戶内海《せとないかい》の見收《みおさ》めであれば、强《し》いて心《こゝろ》を引立《ひきた》てゝ承諾《しやうだく》した。
で、市公《いちこう》に釣道具《つりだうぐ》を擔《かつ》がせて、一足《ひとあし》先《さき》へやり、予《よ》と主人《しゆじん》とは後《あと》から磯《いそ》へ出《で》たが、何時《いつ》もの通《とほ》り肥桶《こへたご》を擔《かつ》いだ老農夫《らうのうふ》も網《あみ》を抱《だ》いてるチヨン髷《まげ》の漁夫《れうし》も、皆《みな》擦《す》れ違《ちが》ひ樣《ざま》に鉢卷《はちまき》を取《と》つて恭《うや〳〵》しく挨拶《あひさつ》し、主人《しゆじん》は目《め》か顎《あご》で會釋《ゑしやく》して村王《そんわう》の威《ゐ》を示《しめ》す。中《なか》には予《よ》に對《たい》しても腰《こし》を屈《かゞ》める者《もの》もあつたが、ふと埠頭場《はとば》に集《あつ》まつて艫綱《ともづな》を造《つく》つてる二三の若《わか》い漁夫《れうし》が、互《たが》ひに予《よ》を見《み》ては嘲《あざ》けつてるやうなのが目《め》についた。ほんの耳語《さゝや》いてるのであらうが、田舎者《ゐなかもの》なれば、自然《しぜん》に聲《こゑ》が大《おほ》きくて、予《よ》の過敏《くわびん》な耳《みゝ》には響《ひゞ》いて來《く》る。
「あの人間《にんげん》をぶん毆《なぐ》つたら、田地《でんぢ》を捲上《まきあ》げられるんぢやちうぜ」
「彼奴《あいつ》は馬鹿市《ばかいち》の相棒《あひぼう》だらう、馬鹿《ばか》旦那《だんな》の御機嫌取《ごきげんと》りに遠方《ゑんぱう》から來《き》たんさ」
「おれ逹《たち》や腕《うで》さへありや、五|兩《りやう》や十|兩《りやう》は何時《いつ》でも稼《かせ》げらあ、船板《ふないた》三|尺《しやく》下《した》あ地獄《ぢごく》と决《きま》つてるんだから、誰《だ》れだつて恐《こわ》かあないさ、」
「さうとも、あの大將《たいしやう》、又《また》漁場《れふば》へ邪魔《じやま》をしに行《い》きやがらあ、鰒《ふぐ》でも釣《つ》るんかい」
と、彼等《かれら》の一人《ひとり》は予《よ》に向《むか》つて握拳《にぎりこぶし》を突出《つきだ》して見《み》せ、くつ〳〵笑《わら》つてゐる。予《よ》は不快《ふくわい》で溜《たま》らなくなつた。主人《しゆじん》には聞《きこ》えぬのか聞《きこ》えたのか知《し》らぬが、高聲《たかごゑ》で釣《つり》の講釋《こうしやく》をしながら、舟《ふね》に乗《の》り、市公《いちこう》には閼伽《あか》をすくはせ、自分《じぶん》では櫓《ろ》を操《あやつ》る。予《よ》は舳《へさき》に彳《たゝづ》んで煙草《たばこ》を吹《ふ》かせてゐたが、不快《ふくわい》の念《ねん》は容易《ようい》に去《さ》らぬ。
舟《ふね》は油《あぶら》を流《なが》したやうな水面《すゐめん》を辷《すべ》つて、島蔭《しまかげ》へ來《き》た。主人《しゆじん》は櫓《ろ》を棄《す》てゝ水棹《みさほ》を取《と》り、
「魚《うを》にも巢《す》があります、だから釣《つり》もその巢《す》を見《み》つけてからでなくちや、幾《いく》ら上手《じやうず》でも釣《つ》れるもんぢやありません」と、舟《ふね》をその魚《うを》の巢《す》の側《そば》へ留《と》め、市公《いちこう》に碇《いかり》を卸《おろ》させた。蒼《あを》く澄《す》んだ水《みづ》の底《そこ》に藻屑《もくづ》が生《お》ひ茂《しげ》り、小《ちい》さい魚《うを》が水面《すゐめん》に飛《と》び上《あが》るのを見《み》ると、予《よ》は心躍《こゝろおど》り、先《さき》の不快《ふくわい》も忘《わす》れてしまう。此處《こゝ》には既《すで》に二三|艘《さう》の漁船《れうせん》がゐて、一|心《しん》に釣《つり》をしてゐたが、我等《われら》の舟《ふね》を見《み》ると、漁夫《れうし》は變《へん》な顏《かほ》をして、相《あひ》ついで他方《たはう》へ逃《に》げて行《ゆ》く。
「そら疫病神《やくびやうがみ》が」と云《い》つてるやうに見《み》える。
「私《わたし》等《ら》が釣《つ》ると、外《ほか》の漁夫《れうし》の妨害《ばうがい》になるんぢやありませんか」
と、予《よ》が氣兼《きがね》をすると、
「いや、此處《こゝ》は私《わたし》が見《み》つけたので、先《ま》づ私《わたし》の領分《れうぶん》のやうなものです、何卒《どうぞ》御遠慮《ごゑんりよ》なくお釣《つ》りなさい」
と、主人《しゆじん》は小蝦《こゑび》の肉《にく》を餌《えさ》にして、釣針《つりばり》を垂《た》れると、見《み》る間《ま》に大《おほ》きな沙魚《はぜ》が釣《つ》れた。予《よ》は市公《いちこう》に敎《をそ》はつては釣《つり》を垂《た》れ、不馴《ふな》れな手《て》ですら二三|時間《じかん》に、沙魚《はぜ》や海鯽《ちぬ》や或《あるひ》は鰒《ふぐ》が數《すう》十|尾《び》も釣《つ》れた。
釣《つ》りの面白《おもしろ》さに、我等《われら》は多《おほ》く話《はな》しもせず夕方《ゆふがた》までこの島蔭《しまかげ》に漂《たゞよ》ひ、釣《つ》つては魚《うを》を舟《ふね》の底《そこ》に投《な》げ入《い》れ〳〵してゐた。
「どうです一|服《ぷく》やりますか」と、主人《しゆじん》は釣竿《つりさを》を置《お》いてマツチを擦《す》つた。
「成程《なるほど》よく釣《つ》れますね、これだと商賣《しやうばい》になるでせう、僕《ぼく》も繪《ゑ》を止《や》めて漁夫《れうし》になるかな」と、予《よ》は舟底《ふなぞこ》に重《かさ》なり合《あ》つてる魚《うを》が、ばしや〳〵音《おと》をさせるを聞《き》き、漁村《ぎよそん》の秋氣《しうき》の膓《はらわた》まで染《し》み込《こ》むを覺《おぼ》えた。風《かぜ》はます〳〵凪《な》ぎ、ちぎれ〴〵の夕雲《ゆふぐも》も空《そら》に固定《こてい》してるやうだ。
主人《しゆじん》は兩膝《りやうひざ》を抱《いだ》いて銜《くは》へ煙管《ぎせる》で、「どうだ、市公《いちこう》、水練《すゐれん》を御覽《ごらん》に入《い》れちや」と、予《よ》に向《むか》ひ、「此男《これ》は水潜《みづくゞり》の名人《めいじん》です」と云《い》つたが、市公《いちこう》はその言葉《ことば》の耳《みゝ》に入《い》らぬ程《ほど》、一|心《しん》に空《そら》を見《み》つめ、
「や、株虹《かぶにじ》が出《で》た、大風《おほかぜ》だ〳〵」と叫《さけ》んだ。
主人《しゆじん》もその方《はう》を見上《みあ》げて、「御覽《ごらん》なさい、あの虹《にじ》を、あれが出《で》ると、屹度《きつと》空模樣《そらもやう》が變《かは》るんです」
山《やま》の端《は》には、太《ふと》い短《みじか》い虹《にじ》が物凄《ものすご》くかゝつてゐた。この内海《ないかい》の大嵐《おほあらし》はどんなであらう。予《よ》が歸京後《きゝやうご》に描《ゑが》いた大作《たいさく》は、三|人《にん》が舟中《しうちう》でこの虹《にじ》を見《み》て居《ゐ》る所《ところ》である。
凄い眼
工場《こうぢやう》の奧《おく》に疊《たゝみ》を敷《し》いた一室《ひとま》がある。狹《せま》い一|方《ぽう》口《ぐち》で丁度《ちやうど》袋《ふくろ》のやうだ。滅多《めつた》に掃除《さうじ》もせねば隅々《すみ〴〵》には埃《ほこり》が積《つ》もり、壁《かべ》は一|體《たい》に黑《くろ》ずんでゐる。棚《たな》にある磨滅《まめつ》した活字《くわつじ》、開《ひら》いてる傘《からかさ》窄《すぼ》めてる傘《からかさ》、散《ちら》ばつてる衣服《きもの》や帶《おび》、この居室《ゐま》にある者《もの》に一《ひと》つとして汚《よご》れめのない者《もの》はない。それに空氣《くうき》の流通《りうつう》は惡《わる》い。時候《じこう》は梅雨《つゆ》で二三|日《にち》來《らい》鮮《あざや》かな日光《につくわう》が窓《まど》ガラスを通《とほ》つたことはない。異樣《ゐやう》の臭氣《しうき》が室内《しつない》に漲《みなぎ》る。
しかしこの廢物《はいぶつ》同樣《どうやう》の居室《ゐま》も、數多《あまた》の人《ひと》に利用《りよう》されてゐる。騷《さわ》がしい社會《しやくわい》の隱《かく》れ家《が》となつてゐる。仕事《しごと》に疲《つか》れた老《お》いたる社員《しやゐん》が、こつそり此處《こゝ》に忍《しの》んで、肱枕《ひぢまくら》で腰《こし》を叩《たゝ》いてゐることもある。丸髷《まるまげ》の女工《ぢよこう》が火鉢《ひばち》の前《まへ》に立膝《たてひざ》をして二三|服《ぷく》煙草《たばこ》を吸《す》うて行《ゆ》く。夜勤《やきん》の四五|人《にん》がジメ〳〵した座蒲團《ざぶとん》を取捲《とりま》いて、片肌《かたはだ》拔《ぬ》いで花札《はなふだ》を弄《もてあそ》ぶ。折々《をり〳〵》は艶《なま》めかしい言葉《ことば》さへ聞《き》かれるさうだ。
そして集金《しふきん》掛《がゝり》帆田《ほだ》常造《つねざう》は十|數年《すうねん》來《らい》此處《こゝ》に起臥《おきふし》してゐる。年齡《とし》は五十を越《こ》したばかりだが、顏《かほ》が萎《し》なびて頰《ほゝ》が凹《くぼ》み、櫛梳《くしけづ》らぬ髮《かみ》は野生《やせい》の雜草《ざつさう》の如《ごと》く、星明《ほしあか》りに黃《き》ばんだ痩腕《やせうで》を投《な》げ出《だ》して寢《ね》てゐる姿《すがた》はこの世《よ》の人《ひと》とも思《おも》はれぬ。朝《あさ》は職工《しよくこう》が威勢《いせい》よく入《はい》つて來《き》て、周圍《まはり》で騷《さわ》ぐのに目《め》を醒《さ》まされ、ヒヨロ〳〵と起上《おきあが》つて、足《あし》を引《ひき》ずり匐《は》ふやうにして階子段《はしごだん》を下《お》りる。顏《かほ》を洗《あら》ふと裏《うら》の屋臺店《やたいみせ》で鹽餡《しほあん》の大福餅《だいふくもち》を三つ買《か》つて來《き》て、應接所《おうせつじよ》か車夫《しやふ》溜《だま》りで、顏《かほ》中《ぢゆう》をモグ〳〵させて食《く》ふ。喰《く》うてしまふと水道《すゐだう》の水《みづ》を茶椀《ちやわん》に一|杯《ぱい》呑《の》んで、自分《じぶん》の居室《ゐま》へ歸《かへ》る。それから外出《そとで》の身仕度《みじたく》をして草鞋《わらじ》を穿《は》き、風呂敷《ふろしき》を脊負《せお》ひ、細《ほそ》い竹《たけ》の杖《つゑ》をついて、トボ〳〵と集金《しふきん》に廻《まは》る。雨《あめ》が降《ふ》ると番傘《ばんがさ》を竹《たけ》の杖《つゑ》に代《か》へるのみで、一|日《にち》たりとも休《やす》んだことがない。吹《ふ》けば飛《と》ぶやうな身體《からだ》で重《おも》さうな傘《かさ》をかついで、風雨《ふうゝ》を衝《つ》いて步《ある》いてゐるのは、外目《よそめ》には悲慘《みじめ》に感《かん》ぜられるが、當人《たうにん》は苦《く》にもしない。命《めい》ぜられた通《とほ》りに賣捌店《うりさばきてん》を順《じゆん》ぐりに廻《めぐ》つて、夕暮《ゆふぐれ》には時刻《じこく》を違《たが》へずに歸《かへ》つて來《く》る。それから足《あし》を濯《すゝ》いで、晩餐《ばんめし》に取掛《とりかゝ》るのだが、晩餐《ばんめし》も朝《あさ》と同《おな》じく一《ひと》つ一|錢《せん》の大福《だいふく》か鐵砲卷《てつぱうまき》、只《たゞ》朝《あさ》は生水《なまみづ》で濟《す》ますのに、晚《ばん》には小使《こづかひ》部屋《べや》から暖《あたゝ》かい茶《ちや》を貰《もら》つて來《き》て飮《の》むだけ異《ちが》つてゐる。夜《よる》はこの居室《ゐま》には不似合《ふにあひ》な電燈《でんとう》の下《した》に腹這《はらば》ひになつて、珠盤《そろばん》を前《まへ》に帳簿《ちやうぼ》を調《しら》べ、一|錢《せん》の相違《さうゐ》もないのを幾度《いくたび》も見屆《みとゞ》けて、初《はじ》めて安心《あんしん》してごろり[#「ごろり」に傍点]と橫《よこ》になる。尤《もつと》も時々《とき〴〵》は自分《じぶん》の財產《ざいさん》調《しら》べもするので、胴卷《どうまき》の金庫《きんこ》から幾重《いくへ》にも白紙《はくし》で包《つゝ》んだ紙幣《しへい》を取出《とりだ》し一|枚《まい》々々《〳〵》調《しら》べて押頂《おしいたゞ》き、又《また》元《もと》の通《とほ》りに收《をさ》めて胴卷《どうまき》を枕《まくら》の下《した》にかくして眠《ねむ》る。この財產《ざいさん》調《しら》べの折《をり》には、人目《ひとめ》を憚《はゞか》るのと悅《うれ》しいのとで元氣《げんき》のない目《め》も活々《いき〳〵》して來《く》る。貯蓄額《ちよちくがく》はせい〴〵二三百|圓《ゑん》であらうが、社員《しやゐん》の噂《うはさ》では千|圓《ゑん》には逹《たつ》したと定《き》められてゐる。費用《つひへ》を恐《おそ》れて妻《つま》を離緣《りえん》し子《こ》をも勘當《かんだう》して、獨《ひと》りぼつちで食《く》ふ者《もの》も食《く》はずに貯蓄《ちよちく》して何《なに》にするのであらうとは、若《わか》い社員等《しやゐんら》の疑問《ぎもん》で、屡々《しば〳〵》調戯《からかひ》半分《はんぶん》に聞《き》いて見《み》るが、彼《か》れは薄氣味《うすきみ》惡《わる》く笑《わら》ふのみで相手《あひて》にもしない。一|日《にち》の仕事《しごと》――食事《しよくじ》もこの人《ひと》には樂《たのし》みではなくて仕事《しごと》の一《ひと》つだ――を終《をは》ると、居室《ゐま》の片隅《かたすみ》に他人《ひと》の邪魔《じやま》にならぬやうに煎餅蒲團《せんべいぶとん》を額《ひたひ》まで被《かぶ》つて寢《ね》る。寢《ね》てからは只《たゞ》翌日《あす》を待《ま》つばかりで、側《そば》で誰《だ》れが何《なに》をしてゐようと、少《すこ》しも心《こゝろ》に留《と》めぬ。輪轉機《りんてんき》の音《おと》、植字歌《しよくじうた》、雨《あめ》の音《おと》、嵐《あらし》の響《ひゞき》、職工《しよくこう》の喧嘩《けんくわ》も口論《こうろん》も、皆《みな》老人《らうじん》の耳《みゝ》を煩《わづら》はさずに消《き》えて行《ゆ》く、睡《ねむ》りを妨《さまた》ぐる者《もの》もない。
所《ところ》がこの二三|日《にち》、帆田《ほだ》老人《らうじん》は腰《こし》のあたりにビリ〳〵微《かす》かな疼痛《いたみ》を感《かん》じて、容易《ようい》に眠《ね》つかれぬ。かねて醫藥《いやく》の料《れう》にと物干臺《ものほしだい》で乾《かは》かした蕺草《どくだみ》枇杷《びは》の葉《は》などの藥草《やくさう》を煎《せん》じて呑《の》んでも利目《きゝめ》がない。で、今日《けふ》――六|月《ぐわつ》二十三|日《にち》――も蒲團《ふとん》へ橫《よこ》になると自分《じぶん》で腰《こし》を撫《な》でゝ小聲《こごゑ》で呻吟《うめい》てゐたが、不圖《ふと》枕許《まくらもと》で自分《じぶん》を呼《よ》ぶ聲《こゑ》がする。
「君《きみ》一《ひと》つお賴《たの》みがあるんだがね」と、夜勤《やきん》の宇野《うの》が靴《くつ》のまゝ疊《たゝみ》の上《うへ》に立《た》つて、「今《いま》香川《かがは》から電話《でんわ》が掛《かゝ》つたんだが、赤坂《あかさか》で飮《の》んで金《かね》が足《た》らぬので歸《かへ》れんそうだから、君《きみ》迎《むか》へに行《い》つて吳《く》れ玉《たま》へ」と云《い》ふ。
帆田《ほだ》は白布《しらぬの》の夜具《やぐ》から乗《の》り出《だ》し、顏《かほ》を顰《しか》めて宇野《うの》を見《み》たが、暫《しば》らく返事《へんじ》をしない。
「ねえ君《きみ》行《い》つて吳《く》れ玉《たま》へ、金《かね》は今《いま》會計《くわいけい》から借《か》りて持《も》つて來《き》てるんだ。使賃《つかひちん》は出《だ》すよ」
「行《い》つてもえゝが、今夜《けふ》は氣分《きぶん》が惡《わる》いでなあ」と、皺枯《しやが》れ聲《ごゑ》で云《い》つた。
「二十|錢《せん》出《だ》すよ、一|時間《じかん》で行《い》つて來《こ》られるんだから、先日《こなひだ》よりや割《わり》がいゝよ」
帆田《ほだ》は尙《なほ》躊躇《ちうちよ》してゐたが、やがて、
「ぢや行《い》かうかい」と、蒲團《ふとん》から匐《は》ひ出《だ》した。寢衣《ねまき》は着《き》ず菱形《ひしがた》の腹當《はらあて》のみを着《つ》け、脊骨《せぼね》は高《たか》く現《あら》はれてゐる。破扉《やれドア》二《ふた》つを繼《つ》ぎ併《あは》せた衣桁《いかう》から衣服《きもの》を卸《おろ》して、ゆる〳〵身體《からだ》に卷《ま》きつけ、胴卷《どうまき》をぐつと締《し》め、尻端折《しりはしを》つて出《で》て行《い》つた。糠《ぬか》のやうな五月雨《さみだれ》の降《ふ》つてゐる中《なか》を傘《かさ》もさゝず、電車《でんしや》にも乗《の》らぬ。小石《こいし》に躓《つま》づいても倒《たふ》れさうな足《あし》を踏占《ふみし》め〳〵、竹《たけ》の杖《つゑ》を手賴《たよ》りに赤坂《あかさか》まで往復《わうふく》した。
二十|錢《せん》銀貨《ぎんくわ》を財布《さいふ》に入《い》れ、腰《こし》の疼《いた》みを我慢《がまん》して步《ある》いたが、次第《しだい》に疲《つか》れて、社《しや》近《ちか》くなると途《みち》にへたばり[#「へたばり」に傍点]そうになる。喉《のど》は渇《かは》いて來《く》る。そしてふつと[#「ふつと」に傍点]酒《さけ》が飮《の》みたくなつた。酒《さけ》と云《い》ふもの月《つき》に一|度《ど》飮《の》むことも稀《まれ》だが、今夜《こんや》はよく〳〵堪《た》へがたくなつて、使賃《つかひちん》の半分《はんぶん》を捨《す》てるつもりで、ギヨロ〳〵見《み》まはした。酒屋《さかや》もビアーホールも左右《さいう》にあれど、電燈《でんとう》に輝《かゞや》いて美《うつく》しく、氣臆《きおく》れがしてとても入《はい》れそうにない。で、わざ〳〵社《しや》の前《まへ》を行過《ゆきす》ぎ迂道《まはりみち》して、大根《だいこん》河岸《がし》向《むか》うの繩暖簾《なはのれん》を潜《くゞ》つた。ランプは薄暗《うすぐら》く、土間《どま》は連日《れんじつ》の雨《あめ》に濕《しめ》り、腐《くさ》つた臭《にほ》ひが漂《たゞよ》うてゐて、外《ほか》に客《きやく》は一人《ひとり》もゐない。彼《か》れはべた〳〵汚《よご》れた腰掛《こしかけ》にぐつたり身體《からだ》を曲《ま》げて座《すわ》り、燒酎《せうちう》を啜《すゝ》つた。一|杯《ぱい》が五|錢《せん》だ。
手《て》についた滴《しづく》を頰《ほゝ》になすくり、十五|錢《せん》の釣錢《つり》を財布《さいふ》に入《い》れて戶外《そと》へ出《で》たが、頭《あたま》も足《あし》も一|緖《しよ》にふら〳〵[#「ふら〳〵」に傍点]する。手拭《てぬぐひ》で鉢卷《はちまき》をして細《ほそ》い雨《あめ》の中《なか》を踊《をど》るやうな手《て》つきで通《とほ》つて
「ア、コラ〳〵」と皺枯《しやが》れ聲《ごゑ》で拍子《ひやうし》を取《と》つて社《しや》へ入《はい》つた。
「大變《たいへん》景氣《けいき》がいゝね、君《きみ》が酒《さけ》を飮《の》んだのは初《はじ》めて見《み》た」
と、宇野《うの》は微笑《にこ》々々《〳〵》して云《い》つた。
帆田《ほだ》は「へゝゝ」と笑《わら》つて奧《おく》へ行《ゆ》きかけたが、又《また》後戾《あともど》りして、懷《ふところ》から鉛筆《えんぴつ》の受取書《うけとりがき》を宇野《うの》に渡《わた》した。
「受取《うけとり》なんか入《い》らないのに」
「でも間違《まちが》ひがあつちやならん」
と云《い》つて、帆田《ほだ》は又《また》「ア、コラ〳〵」を續《つゞ》けて、自分《じぶん》の居室《ゐま》へ入《はい》ると、電燈《でんとう》の側《そば》で職工《しよくこう》が四人《よにん》花札《はなふだ》を並《なら》べ、銅貨《どうくわ》の音《おと》をさせてゐた。
物珍《ものめづ》らしそうに上《うへ》から覘《のぞ》くと、その中《うち》の一人《ひとり》が、
「帆田《ほだ》さん明日《あす》まで五十|錢《せん》ばかり借《か》して吳《く》れませんか」
と、顏《かほ》を上《あ》げた。
帆田《ほだ》はへゝゝと云《い》つたきり、隅《すみ》の寢床《ねどこ》へ轉《ころ》げ込《こ》んだ。濡《ぬ》れた衣服《きもの》のまゝ鉢卷《まちまき》をも取《と》らずグツスリ睡《ね》てしまつた。
それから一|時間《じかん》、香川《かがは》が赤《あか》い顏《かほ》をして、ビシヨ濡《ぬ》れで歸《かへ》つて來《き》た。上衣《うはぎ》を脫《ぬ》いで黑《くろ》ずんだ肉色《にくいろ》のシヤツ一|枚《まい》になり、宇野《うの》と賑《にぎ》やかに話《はな》してゐたが、夜《よ》は更《ふ》けて、周圍《あたり》も靜《しづ》かに、繁吹《しぶ》きに曇《くも》つた玻璃窓《ガラスまど》から、柳葉《りうえう》の風《かぜ》に亂《みだ》れてゐるのが見《み》える。
「さあ歸《かへ》らうか、電車《でんしや》のある中《うち》に」と、宇野《うの》は椅子《いす》を離《はな》れた。
「僕《ぼく》も寢《ね》ようか」と、香川《かゞは》は眠《ねむ》そうな目《め》で時計《とけい》を見《み》て欠伸《あくび》をした。
「可愛《かあい》そうだね、そんな大《おほ》きな身體《からだ》をして宿《やど》るに家《いへ》なしぢや、」
「うゝん」
宇野《うの》の靴《くつ》の音《おと》が消《き》えると、香川《かゞは》は椅子《いす》を二|脚《きやく》づゝ兩手《れうて》で提《さ》げて、隣《とな》りの豫備《よび》應接室《おうせつしつ》へ行《はい》つた。此處《こゝ》には新聞《しんぶん》の綴込《とぢこ》みが保存《ほぞん》され、テーブルと椅子《いす》が据《す》ゑつけられてゐる。光《ひかり》は廊下《らうか》の電燈《でんとう》が隅《すみ》の方《はう》から薄《うす》く照《て》らすばかり。香川《かゞは》はテーブルを片寄《かたよ》せ、椅子《いす》を四|脚《きやく》づゝ二|列《れつ》にくつゝけて並《なら》べ、その上《うへ》に毛布《けつと》を敷《し》き、厚《あつ》い冬夜具《ふゆやぐ》をかけ、素裸《すつぱだか》になつて藻《も》ぐり込《こ》んだ。書物《しよもつ》を枕《まくら》に首《くび》だけ出《だ》して寢《ね》てゐたが、蒸暑《むしあつ》くて身體《からだ》が汗《あせ》ばんで來《く》るので、我知《われし》らず夜具《やぐ》を腰《こし》から下《した》へ押《おし》のけ、胸毛《むなげ》のある赤《あか》らんだ胴《どう》を曝《さ》らし、一《ひと》つ二《ふた》つ蚊《か》の襲《おそ》ふのも知《し》らずに眠入《ねい》つた。
夜《よ》は更《ふ》けて電車《でんしや》も絕《た》え、街上《がいじやう》は靜《しづ》かに、雨《あめ》は或《あるひ》は急《きふ》に或《あるひ》は緩《ゆる》く降《ふ》りつゞけてゐる。香川《かゞは》は酒《さけ》の醉《よ》ひに若《わか》い血汐《ちしほ》の心《こゝろ》よくめぐつて、夢《ゆめ》も見《み》ず、片足《かたあし》を投《な》げ出《だ》して、太《ふと》い緩《ゆる》い息《いき》をして眠《ねむ》つてゐる。帆田《ほだ》は一|時《じ》忘《わす》れてゐた疼痛《いたみ》の又《また》も起《おこ》つては、屡々《しば〳〵》夢《ゆめ》を破《やぶ》られて呻吟《うめい》てゐる。
工場《こうぢやう》の奧《おく》の電燈《でんとう》も消《け》された。暗《くら》い中《なか》に老人《らうじん》の低《ひく》い呻吟《うめき》と香川《かゞは》の高《たか》い鼾鼻《いびき》とが漂《たゞよ》うてゐた。その間《あひだ》に階下《した》では輪轉機《りんてんき》の音《おと》、新聞《しんぶん》を積出《つみだ》す音《おと》がしてゐる。
空《むな》しき編輯局《へんしうきよく》には時計《とけい》が一|時《じ》を打《う》ち、二|時《じ》を打《う》つ。三|時《じ》を打《う》たんとした頃《ころ》、香川《かゞは》は口《くち》をもが〳〵させ唾《つばき》を呑《の》んでゐたが、やがて鼻《はな》を鳴《な》らして深《ふか》く息《いき》を吸《す》ひ、目《め》を細《ほそ》くして寢返《ねが》へりをした。喉《のど》が乾《かは》く。
で、椅子《いす》を脫《ぬ》け出《で》て、柱《はしら》の釘《くぎ》に釣《つる》した洋服《やうふく》の上衣《うはぎ》を裸身《はだかみ》に纏《まと》ひ、階下《した》へ驅《か》け下《お》りて水道《すゐだう》の水《みづ》をガブ呑《の》みして歸《かへ》つた。
此頃《このごろ》は癖《くせ》になつて今《いま》時分《じぶん》に目《め》が醒《さ》める。今夜《こんや》は酒《さけ》の勢《いきほ》ひで睡過《ねす》ごしたが、それでもまだ短《みじ》かい夜《よる》の明《あ》けんともせぬ。空氣《くうき》は寢《ね》た間《ま》に冷《ひ》えて來《き》て、身體《からだ》がゾク〳〵する。彼《か》れは嚔《くさめ》をした。椅子《いす》の足《あし》にからまつてる夜具《やぐ》を引上《ひきあ》げて首《くび》まで被《かぶ》つた。
天井《てんじやう》の黃《きい》ろい紙《かみ》が垂《た》れ、連日《れんじつ》の雨《あめ》に黴臭《かびくさ》い香《にほ》ひが、締切《しめき》つた居室《ゐま》の中《うち》に何處《どこ》からともなく湧《わ》き出《で》て來《く》る。
彼《か》れの目《め》は冴《さ》えて再《ふたゝ》び睡《ね》つかれぬ。筋肉《きんにく》の逞《たく》ましい腕《うで》に力《ちから》を籠《こ》め、脊延《せの》びをして、
「おれも何時《いつ》になつたら滿足《まんぞく》に疊《たゝみ》の上《うへ》に寢《ね》られることか」と思《おも》つた。グツと夜明《よあけ》まで睡《ね》れゝばよいが、暗《くら》い中《うち》に目《め》が開《あ》くと、屹度《きつと》この惡念《あくねん》に取《とり》つかれる。殊《こと》に醉《よ》つて騷《さわ》いだ晚《ばん》はひどい。
しかし醉《よ》つた間《あひだ》に何《なに》を唄《うた》つたか、何《なに》を喋舌《しやべ》つたか、何《ど》んなにして女《をんな》と戯《たはむ》れたか、彼《か》れの頭《あたま》にはハツキリ殘《のこ》つてゐない。只《たゞ》ボンヤリ「面白《おもしろ》かつた」と云《い》ふ感《かん》じが浮《うか》んで來《く》る。それにつれて、「明日《あす》の辨當代《べんたうだい》もなくて、こんな事《こと》をしてゐたつて」と云《い》ふ感《かん》じが激《はげ》しく胸《むね》に響《ひゞ》ゐて來《く》る。
彼《か》れは又《また》强《つよ》い嚔《くさめ》をした。それが淋《さび》しい居間《ゐま》に鳴《な》り渡《わた》る。
「まだ夜《よ》の明《あ》けるに間《ま》があらう」と、頭《あたま》を持上《もた》げて玻璃《ガラス》越《ご》しに廊下《らうか》を見《み》ると、工場《こうば》の入口《いりくち》からコソ〳〵と草履《ざうり》の足音《あしおと》が聞《きこ》える。外《そと》は雨《あめ》で暗《くら》い、足音《あしおと》は次第《しだい》に近《ちか》づいて寢室《しんしつ》の側《そば》まで來《き》た、「今《いま》時分《じぶん》誰《だ》れだらう」と疑《うたが》つて、薄氣味《うすきみ》惡《わる》く思《おも》つて見《み》てゐると、薄光《うすびかり》に幽靈《ゆうれい》のやうな帆田《ほだ》の半身《はんしん》が現《あら》はれた。幽《かす》かに呻吟《うめ》きながら階子段《はしごだん》の手摺《てすり》に凭《もた》れた。
香川《かゞは》はこの痩《や》せさらぼへる老人《らうじん》が、自分《じぶん》と同《おな》じように一人《ひとり》ぼつちで、奧《おく》で寢《ね》てゐることを思《おも》ひ出《だ》した。で、ドアを開《あ》けて首《くび》を出《だ》し、
「お爺《ぢい》さん、何《なに》をしてる」と、陽氣《やうき》な聲《こゑ》で問《と》うた。
「腹《はら》が痛《いた》くつて」と、帆田《ほだ》は牡蠣《かき》のやうな目《め》を向《む》けて、虫《むし》の音《ね》で云《い》ふ。
「そうか困《こま》つたね、醫者《いしや》でも呼《よ》んで來《こ》ようか」
「なあにそれにや及《およ》ばん」
帆田《ほだ》は匐《は》ふやうにして階下《した》へ下《お》りた。厠《かはや》へでも行《い》つたのだらう。
香川《かゞは》は階子段《はしごだん》の隅《すみ》の玻璃《ガラス》窓《まど》を開《あ》けて冷《つめ》たい空氣《くうき》を吸《す》うた。暗澹《あんたん》たる雲《くも》は低《ひく》い屋根《やね》から屋根《やね》へ垂《た》れて、曙光《しよくわう》はまだ堰《せ》き止《と》められてゐる。
彼《か》れは再《ふたゝ》び寢床《ねどこ》へ歸《かへ》つたが、帆田《ほだ》老人《らうじん》の事《こと》が氣《き》になる。あれで金《かね》ばかり溜《た》めてゝ何《なに》をするんだらう。家《いへ》もなく、病氣《びやうき》の看護《かんご》もされず、紙幣《さつ》を抱《だ》いて死《し》んでしまう。それつきりだ。それ以上《いじやう》になすべきこともないのだ。しかし自分《じぶん》は歲《とし》も若《わか》い、身體《からだ》も强《つよ》い、爲《な》すべきことが多《おほ》い。爲《な》すべき時《とき》に何《なに》もせず、徒《いたづ》らに帆田《ほだ》のやうな骸骨《がいこつ》になるのは無念《むねん》だ。「あゝ金《かね》が欲《ほ》しい」帆田《ほだ》には無用《むよう》の金《かね》だが、自分《じぶん》には生《い》きて役《やく》に立《た》つ。隣《となり》同士《どうし》で寢《ね》てゐて、老人《らうじん》は何時《いつ》死《し》ぬかも分《わか》らぬ。財產《ざいさん》の相續人《さうぞくにん》もなく、財產《ざいさん》の高《たか》も知《し》つた人《ひと》はない。
で、香川《かゞは》は夜具《やぐ》で顏《かほ》を蔽《おほ》うて、それからそれと雜念《ざつねん》に襲《おそ》はれてゐたが、周圍《まはり》の騷々《さう〴〵》しくなるに氣付《きづ》いて、首《くび》を出《だ》すと、何時《いつ》の間《ま》にか夜《よ》は明《あ》けて、小使《こづかひ》が掃除《さうじ》をしてゐる。
香川《かゞは》の雜念《ざつねん》は搔《か》き消《け》す如《ごと》く消《き》えてしまう。で、元氣《げんき》よく起《お》きて、洋服《やうふく》を着《つ》け、顏《かほ》を洗《あら》つて後《のち》、髯《ひげ》を捻《ひね》りながら、無心《むしん》に社内《しやない》をぶら[#「ぶら」に傍点]ついてゐると、應接室《おうせつしつ》に帆田《ほだ》の後姿《うしろすがた》が見《み》える。朝餐《あさめし》を食《く》ひながら、前《まへ》に算盤《そろばん》を置《お》いて帳簿《ちやうぼ》を調《しら》べてゐる。
香川《かゞは》が後《うしろ》から近《ちか》づくと、老人《らうじん》は驚《おどろ》いたやうに胸《むね》に手《て》を當《あ》てゝ振向《むりむ》いた。
「もう病氣《びやうき》はよくなつたのかね」
「もう大丈夫《だいじやうぶ》だ」
「でも大事《だいじ》にせんといかんよ、一|日《にち》位《くらゐ》休《やす》んでもいゝだらう」
「はゝゝ、休《やす》む譯《わけ》にも行《い》かんでな」
「僕《ぼく》が代理《だいり》で廻《まは》らうか、僕《ぼく》は君《きみ》に肖《あや》かつて金持《かねもち》になりたいから」
帆田《ほだ》は鹽餡《しほあん》の大福《だいふく》を豆粒《まめつぶ》程《ほど》に千切《ちぎ》つては口《くち》に入《い》れて、相手《あひて》に耳《みゝ》を貸《か》さず、震《ふる》へる指先《ゆびさき》で算盤《そろばん》を彈《はじ》いてゐた。
「君《きみ》は僕《ぼく》を養子《やうし》にして吳《く》れんかね、二人《ふたり》で家《うち》を持《も》つて稼《かせ》いだ方《はう》がいゝぢやないか、僕《ぼく》は親爺《おやぢ》がないんだから、君《きみ》を實《じつ》の親《おや》のやうにして孝行《かう〳〵》するよ、ねえ、その方《はう》がいいぢやないか」と、香川《かゞは》は笑《わら》ひながら五月蠅《うるさ》く云《い》ふので、帆田《ほだ》は物《もの》をも云《い》はず、帳簿《ちやうぼ》を抱《いだ》いて應接所《おうせつしよ》を出《で》て行《い》つた。
一|時間《じかん》後《ご》には帆田《ほだ》は草鞋《わらじ》脚絆《きやはん》の身裝《みづくり》をして、集金《しふきん》に出《で》かけた。二|時間《じかん》後《ご》に香川《かゞは》は車《くるま》に乗《の》つて政黨《せいとう》本部《ほんぶ》や官省《くわんしやう》を廻《まは》つた。
この日《ひ》帆田《ほだ》は一手柄《ひとてがら》をしたつもりで新聞《しんぶん》の材料《たね》を持《も》つて來《き》た。云《い》ふ事《こと》がボンヤリしてよく要點《えうてん》を得《え》ないが、何《なん》でも本鄉《ほんがう》の弓町《ゆみちやう》邊《へん》で人殺《ひとごろ》しがあつたのださうだ。被害者《ひがいしや》は高利貸《かうりかし》、殺害《さつがい》の原因《げんいん》は借金《しやくきん》を催促《さいそく》したからだと云《い》ふ。
「老爺《おぢい》さん、又《また》夢《ゆめ》でも見《み》たのだらう」
「先月《せんげつ》も公園《こうえん》で首《くび》くゝりがあつたつて知《し》らせて來《き》たが、あれでも社員《しやゐん》と云《い》ふ意識《いしき》があるからだらう。態々《わざ〳〵》知《し》らせに來《く》るだけ感心《かんしん》だ」
「首《くび》くゝりか人殺《ひとごろ》しか、何時《いつ》かも下《くだ》らない小泥棒《こどろぼう》の噂《うはさ》を持《も》つて來《き》た。老爺《おぢい》碌《ろく》な事《こと》を見《み》ないんだね」
と、三|面《めん》の連中《れんちう》はあまり取合《とりあ》はず、探訪《たんぼう》をも特派《とくは》しなかつた。
帆田《ほだ》は顏《かほ》と足《あし》とを水道《すゐだう》で洗《あら》つて、自分《じぶん》の居間《ゐま》へ上《あが》つた。擦《す》れちがひに歸《かへ》つて行《ゆ》く職工《しよくこう》、入《はい》つて來《く》る職工《しよくこう》、階子段《はしごだん》は傘《かさ》の雫《しづく》でズブ濡《ぬ》れになつてゐる。日《ひ》は早《はや》く暮《く》れて、電燈《でんとう》はジメ〳〵した疊《たゝみ》を照《て》らしてゐる。老人《らうじん》は例《れい》によつて帳簿《ちやうぼ》調《しら》べをしようと思《おも》つたが、疲勞《ひらう》と腹《はら》の痛《いた》みに弱《よわ》つて、晩餐《ばんめし》も食《く》はずに寢床《ねどこ》へ入《はい》つた。何《なん》となく寢苦《ねぐる》しい。それに晝《ひる》の人殺《ひとごろ》し騷《さわ》ぎが折々《をり〳〵》思《おも》ひ出《だ》したように胸《むね》に浮《うか》ぶ。
で、長《なが》い間《あひだ》眠《ね》つ醒《さ》めつした揚句《あげく》、眞夜中《まよなか》頃《ごろ》人氣《ひとけ》のないのを見《み》て、藥湯《やくとう》を飮《の》み、唯一《ゆゐいつ》の樂《たのし》みの財產《ざいさん》調《しら》べを初《はじ》めた。
「老爺《おやぢ》さん、淋《さび》しいだらう」と、香川《かゞは》は突如《だしぬけ》に入《はい》つて來《き》た。酒《さけ》の息《いき》を吐《は》いてゐる。帆田《ほだ》はモグ〳〵口《くち》の中《なか》で云《い》つたが、それは香川《かゞは》には聞《きこ》えない。
「いよ〳〵工場《こうば》も建增《たてま》しをすることに决《きま》つたそうだから、この部屋《へや》も壞《こは》されるのだらう。そしたら老爺《おぢい》さんも何處《どこ》かへ立退《たちの》かなくちやなるまい、どうするつもりかね」
と、詰責《きつせき》するような調子《てうし》で問《と》うたが、老人《らうじん》は何《なん》とも答《こた》へない。心《こゝろ》では只《たゞ》自分《じぶん》の樂《たのし》みの妨害者《ぼうがいしや》を怒《いか》つてゐた。工場《こうぢやう》建增《たてま》しの噂《うはさ》は時々《とき〴〵》老人《らうじん》の耳《みゝ》にも入《はい》つて來《く》るが、それが別段《べつだん》刺激《しげき》をも與《あた》へない。過去《くわこ》と將來《しやうらい》はこの老人《らうじん》の衰《おとろ》へた頭《あたま》を惱《なや》ますに足《た》らぬのである。
で、香川《かゞは》の去《さ》つた後《のち》は、何《なに》か不安《ふあん》らしく、有合《ありあは》せの板片《いたぎれ》で入口《いりくち》を蔽《おほ》うて眠《ねむり》に就《つ》いた。翌朝《よくてう》も雨《あめ》で、顏《かほ》を見《み》ると人々《ひと〴〵》は皆《みな》いやな天氣《てんき》を歎《たん》じてゐたが、帆田《ほだ》は獨《ひと》り默《だま》つて仕事《しごと》に出《で》た。衰弱《すゐじやく》せる上《うへ》に氣候《きこう》の不順《ふじゆん》に害《そこな》はれて、顏《かほ》は死人《しにん》のようであるが、誰《た》れも怪《あや》しむ者《もの》はなく、氣遣《きづか》つてやる者《もの》もない。
香川《かゞは》は尙《なほ》夜中《よなか》に目《め》の醒《さ》める癖《くせ》が止《や》まぬ。醒《さ》めると雜念《ざつねん》が起《おこ》る。雜念《ざつねん》の中《うち》には帆田《ほだ》老人《らうじん》が織《お》り込《こ》まれる。かの無用《むよう》の財產《ざいさん》は自分《じぶん》の手《て》にあらば幸福《こうふく》に使《つか》へるのだとの思《おも》ひは夜々《よゝ》に嵩《かさ》まつて來《く》る。男《をとこ》一|匹《ぴき》世《よ》の中《なか》に活躍《くわつやく》するの地步《ちほ》もつくれるとも思《おも》はれる。そして香川《かゞは》は老人《らうじん》の牡蠣《かき》のやうな凄《すご》い眼《め》を暗中《あんちう》にも思《おも》ひ浮《うか》べるようになつた。二人《ふたり》は何《なん》となく關係《くわんけい》があるやうな氣《き》がする。宿世《しゆくせ》の緣《ゑん》が成立《なりた》つてゐるやうな氣《き》がするのであつた。
降《ふ》るか曇《くも》るかの鬱陶《うつとう》しい梅雨期《ばいうき》がつゞく。その中《うち》に老人《らうじん》は衰弱《すゐじやく》を重《かさ》ねて、步《あゆ》むにも堪《た》へかね、或《ある》晚《ばん》階子段《はしごだん》で倒《たふ》れたなり、遂《つひ》に床《とこ》に就《つ》いて起《お》き得《え》なくなつた。
小使《こづかひ》に粥《かゆ》を煑《に》て貰《もら》ふばかりで、誰《だ》れにも顧《かへり》みられず看護《かんご》されず、殆《ほど》んど存在《そんざい》をも認《みと》められずに、幽《かす》かな呻吟《うめき》と昏睡《こんすゐ》とを續《つゞ》けてゐた。
只《たゞ》香川《かゞは》のみは半《なか》ば好奇心《かうきしん》から、時々《とき〴〵》見舞《みま》つてやるが、老人《らうじん》は不快《ふくわい》な目《め》を向《む》けて、少《すこ》しも喜《よろこ》ぶ風《ふう》はない。恨《うら》めしいやうな恐《おそ》ろしいやうな顏《かほ》をして、側《そば》へ寄《よ》られるのを厭《いや》がり、痩腕《やせうで》で防禦《ばうぎよ》するやうな身構《みがま》へをすることもある。或《ある》晚《ばん》は夢心地《ゆめごゝち》で、「この野郞《やらう》まだおれを意地《いぢ》めに來《く》るか、もう親《おや》でないぞ、子《こ》とは思《おも》はんぞ」と叫《さけ》んで、尙《なほ》不明瞭《ふめいれう》な聲《こゑ》で獨言《ひとりごと》を云《い》つた。香川《かゞは》は理由《わけ》は分《わか》らないが、何《なん》となく恐《おそ》ろしくなつて逃《に》げて歸《かへ》つた。そして老人《らうじん》は職工《しよくこう》などが幾《いく》ら周圍《まはり》で立騷《たちさわ》がうと、自分《じぶん》を冷《ひや》かしてゐやうと、無感《むかん》無覺《むかく》でゐるが、香川《かゞは》を見《み》ると面相《めんさう》が變《かは》つて來《く》る。
「何故《なぜ》だらう」と、香川《かゞは》は怪《あや》しんで宇野《うの》に話《はな》した。
「何《なに》か惡《わる》いことをしたんぢやないか、金《かね》でも借《か》りたんぢやないか」
「あの老爺《ぢいさん》が何《なん》で人《ひと》に金《かね》を貸《か》すものか、それに僕《ぼく》だけが多少《たせう》同情《どうじやう》してるんだから、感謝《かんしや》すべき筈《はず》だ」
「君《きみ》の顏《かほ》が老爺《ぢいさん》の息子《むすこ》にでも似《に》てるんぢやないか」
「なあに彼奴《あいつ》の子《こ》は身體《からだ》が痩《や》せてゝ、親爺《おやぢ》のやうな恐《こわ》い目《め》をしてるそうだ」
「兎《と》に角《かく》君《きみ》も酷《ひど》い奴《やつ》に見込《みこ》まれたものだね」
「氣味《きみ》の惡《わる》い老耄《おいぼれ》だよ」
香川《かゞは》はその夜《よ》から目《め》が醒《さ》めると、暗中《あんちゆう》にかの凄《すご》い目《め》を見《み》て震《ふる》えることがある。で、二三|日《にち》すると遂《つひ》に堪《た》へかねて、詮方《せんかた》なく外《ほか》へ轉居《てんきよ》した。
暫《しば》らく老人《らうじん》の事《こと》を忘《わす》れて、金《かね》の苦面《くめん》に惱《なや》んでゐたが、或《ある》日《ひ》不圖《ふと》社《しや》の前《まへ》で彼《か》れに出會《であ》つた。病氣《びやうき》は治《なほ》つたのか治《なほ》らぬのか、尋《たづ》ねても、齒《は》の拔《ぬ》けた口《くち》をもぐ〳〵させた許《ばか》りで分《わか》らなかつたが、風呂敷《ふろしき》包《づゝみ》を脊負《せお》うて、フラつく足《あし》で出《で》て行《い》つた。
香川《かゞは》は眉《まゆ》を顰《ひそ》めて顏《かほ》を脊《そむ》けた。
世間並
(一)
You have read 1 text from Japanese literature.