しかし、自分《じぶん》はよく知《し》らぬ家《うち》へ推《おし》かけて行《ゆ》く勇氣《ゆうき》のあらう筈《はず》なく、只《たゞ》時々《とき〴〵》窓《まど》から隣《とな》りの庭《には》や緣側《えんがは》を見下《みくだ》し、その姿《すがた》が現《あら》はれるかと空賴《そらだの》みするのみであつた。隣《とな》りは平屋建《ひらやだ》てゞ左程《さほど》大《おほ》きくはないが、古色《こしよく》を帶《お》びて由緒《よし》ありげに見《み》え、庭《には》が可成《かな》りに廣《ひろ》く秋草《あきくさ》が垣根《かきね》に茂《しげ》り片隅《かたすみ》には小《ちい》さな畠《はたけ》がある。自分《じぶん》はその家庭《かてい》をも連想《れんさう》し、氣品《きひん》のある母《はゝ》と、古風《こふう》の父《ちゝ》と、かの素直《すなほ》な娘《むすめ》とが穩《おだや》かな生活《くらし》をしてゐる樣《さま》を思《おも》ひ浮《うか》べ、源氏《げんじ》物語《ものがたり》などにある床《ゆか》しい住居《すまゐ》を目《め》に見《み》てゐるやうに感《かん》じた。夜《よる》になり、冴《さ》えた月《つき》がその草《くさ》の生《は》へた屋根《やね》を照《て》らし、庭《には》の草叢《くさむら》では蟲《むし》が頻《しき》りに鳴《な》き出《だ》すと、向《むか》ひの家《いへ》が夢《ゆめ》の世界《せかい》になる。自分《じぶん》は憧憬《あこがれ》の目《め》を以《もつ》てそれを眺《なが》め、果《は》てのない空想《くうさう》の浮《うか》び、悅《うれ》しい悲《かなし》みが胸《むね》に滿《み》ちる。
こんな風《ふう》で二三|日《にち》を送《おく》つたが、あの女《をんな》が自分《じぶん》の念頭《ねんとう》を去《さ》らぬことは、少《すこ》しも細野《ほその》に語《かた》らない。細野《ほその》は又《また》卒業後《そつげふご》の責任《せきにん》を感《かん》じながら、絕《た》えず新體詩《しんたいし》に心《こゝろ》を取《と》られ、今《いま》も『知《し》られぬ戀《こひ》』などを作《つく》つてゐる。それで晚食《ばんめし》後《ご》散步《さんぽ》しながら、學問上《がくもんじやう》の議論《ぎろん》や卒業後《そつげふご》の生活《せいくわつ》方法《はうはふ》について互《たが》ひに語《かた》り合《あ》ふ時《とき》も、何時《いつ》の間《ま》にか肝心《かんじん》の話《はなし》が外《そ》れて、人生《じんせい》の問題《もんだい》や戀《こひ》の如何《いかん》が話題《わだい》に上《のぼ》り、熱心《ねつしん》に感想《かんさう》を述《の》べ意見《いけん》を闘《たゝか》はす。細野《ほその》は屡々《しば〳〵》ダンテの悲慘《ひさん》なる失戀《しつれん》に同情《どうじやう》を寄《よ》せて說《と》き、「人生《じんせい》は要《えう》するに悲慘《ひさん》だ」とお定《きま》りの結論《けつろん》をする。ロメオの悲戀《ひれん》、ハムレツトの煩悶《はんもん》、細野《ほその》はそれ等《ら》の物語《ものがたり》を凉《すゞ》しい聲《こゑ》で詩的《してき》の調子《てうし》を以《もつ》て話《はな》し、自分《じぶん》は眞面目《まじめ》に聞《き》いて、間接《かんせつ》に其等《それら》の主人公《しゆじんこう》に同感《どうかん》し、自分《じぶん》も彼等《かれら》と同《おな》じく、浮世《ゆきよ》の哀《あは》れを身《み》にひし〳〵と覺《おぼ》えてゐる一人《ひとり》だと信《しん》じてゐた。それと共《とも》にその哀《あは》れを解《かい》しない我々《われ〳〵》の仲間《なかま》は俗物《ぞくぶつ》だとの自負《じぶ》心《しん》も多少《たせう》ないでもなかつた。

(三)

舊曆《きうれき》八|月《ぐわつ》の十五|夜《や》、これから散步《さんぽ》に出《で》やうとしてる所《ところ》へ女主人《かみさん》が二|階《かい》の入口《いりぐち》へ首《くび》を出《だ》して、
「ね槇田《まきた》さん、今《いま》お隣《とな》りからお使《つか》ひが來《き》ましてね、今夜《こんや》お月見《つきみ》をするから、太郞《たらう》(女主人《かみさん》の子《こ》)と、それから貴下方《あなたがた》にも是非《ぜひ》入《い》らしつて下《くだ》さいと云《い》ふのですよ、行《い》つて御覽《ごらん》なさい、私《わたし》一人《ひとり》でお留守番《るすばん》しますから」と勸《すゝ》めた。
自分《じぶん》は飛立《とびた》つやうであつたが、態《わざ》と躊躇《ちうちよ》の體《てい》で、
「さうですね、細野君《ほそのくん》は行《ゆ》くかい」
「でも知《し》らん家《うち》へ行《い》くのは變《へん》だね」
「だつて太郞《たらう》もまゐるんですから、いゝぢやありませんか」
と、女主人《かみさん》は頻《しき》りに促《うな》がす。
「ぢや行《い》つて見《み》るかな、君《きみ》は」と聞《き》くと細野《ほその》も同意《どうい》した。
で、二人《ふたり》は太郞《たらう》について、裏木戶《うらきど》から庭《には》を橫切《よこぎ》つた。太郞《たらう》は緣側《えんがは》に立《た》つて、
「叔母《をば》さん來《き》ましたよ、皆《み》んなを連《つ》れて」と大聲《おほごゑ》で呼《よ》んだ。すると四十|位《ぐらゐ》の小柄《こがら》な女《をんな》と太郞《たらう》と同《おな》じ年輩《ねんぱい》の顏《かほ》の靑《あを》い男《をとこ》の子《こ》が奧《おく》から出《で》て來《き》て、
「よく入《い》らしつた、さあお上《あが》んなさい」と、頻《しき》りに後退《しりごみ》する自分《じぶん》等《ら》を、引張《ひつぱり》上《あ》げるやうにして座敷《ざしき》へ通《とほ》した。
自分《じぶん》は窮屈《きうくつ》に畏《かしこ》まつて只《たゞ》「はい〳〵」と受答《うけこた》へをしてゐたが、妻君《さいくん》は愛想《あいそ》よく、快活《くわいくわつ》な調子《てうし》で、絕間《たえま》なくいろんな世間《せけん》話《ばなし》を持出《もちだ》すので、自分《じぶん》も何時《いつ》の間《ま》にか釣込《つりこ》まれて、例《れい》の娘《むすめ》が枝豆《えだまめ》や白玉《しらたま》を盆《ぼん》に載《の》せて運《はこ》んで來《き》た時《とき》は、最早《もはや》膝《ひざ》も崩《くづ》れてゐた。
「私《わたし》は面倒《めんだう》臭《くさ》い世態話《しよたいばなし》は大嫌《だいきら》ひな性分《しやうぶん》で御座《ござ》いましてね、若《わか》い方《かた》と一|緖《しよ》になつて、罪《つみ》のないお話《はな》しをするのが一|番《ばん》面白《おもしろ》いんで御座《ござ》いますよ、ですからどうか度々《たび〳〵》入《い》らつして下《くだ》さいましな、此頃《このごろ》は主人《あるじ》が留守《るす》だし、小人數《こにんず》で本當《ほんたう》に淋《さび》しくてね、退屈《たいくつ》で〳〵困《こま》つてるので御座《ござ》いますよ」と白玉《しらたま》をコツプに盛《も》つて、砂糖《さとう》をぶつかけて吳《く》れた。妻君《さいくん》は痩《や》せて目《め》の下《した》に小皺《こじは》があるが、顏立《かほだち》は娘《むすめ》によく似《に》てゐる。娘《むすめ》は岐阜《ぎふ》提灯《ぢやうちん》を點火《とも》して軒《のき》に釣《つ》るし、母《はゝ》の側《そば》に座《すわ》つた。太郞《たらう》は緣側《えんがは》で白玉《しらたま》を頰張《ほゝば》りながら、靑白《あをじろ》い子息《こども》と、蟲籠《むしかご》を弄《もてあそ》んでゐる。
「今夜《こんや》はいゝお月樣《つきさま》だ」と、妻君《さいくん》は仰視《あふむ》いて空《そら》を見上《みあ》げた。
「私《わたし》はこんな晚《ばん》には哀《あは》れな音樂《おんがく》が聞《き》きたくなります」と細野《ほその》が云《い》つた。
「音樂《おんがく》がお好《す》きなの、では此女《これ》がもつと上手《じやうず》だとお聞《き》かせ申《まを》すんですけれど」
「琴《こと》がお上手《じやうず》だつて云《い》ふぢやありませんか、聞《きか》せて頂《いたゞ》くといゝんだが」
「だつて暫《しば》らくお稽古《けいこ》を止《や》めてますから」と娘《むすめ》は低《ひく》い聲《こゑ》で云《い》つて、澄《すま》してゐる。細野《ほその》も自分《じぶん》も强《し》いて求《もと》むる勇氣《ゆうき》はない。
「細野《ほその》君《くん》は新體詩《しんたいし》の朗讀《らうどく》が上手《じやうず》です、全《まつた》く音樂《おんがく》的《てき》です」と自分《じぶん》は座興《ざきよう》を增《ま》すやうにと差出口《さしでぐち》を聞《き》いた。
「おやさう、是非《ぜひ》聞《きか》せて下《くだ》さいましな」と、妻君《さいくん》が促《うなが》すので、細野《ほその》は初《はじ》め一寸《ちよつと》辭退《じたい》したが、遂《つひ》に中音《ちうおん》で「天使《エンゼル》の歌《うた》」を吟《ぎん》じた。こんな場合《ばあひ》、細野《ほその》の性質《せいしつ》として別《べつ》に氣取《きど》りもせず羞耻《はにかみ》もせぬから、如何《いか》にも聲《こゑ》が自然《しぜん》で歌《うた》ひ振《ぶり》が面白《おもしろ》かつた。妻君《さいくん》は口《くち》を極《きは》めて褒《ほ》め、娘《むすめ》は莞爾《につこり》して「いゝ聲《こゑ》だわねえ」と母《はゝ》を見《み》て云《い》つた。
「槇田《まきだ》さんも何《なに》か隱《かく》し藝《げい》がおありなさるでせう」と、妻君《さいくん》が自分《じぶん》の方《はう》を見《み》る。
「いえ僕《ぼく》は駄目《だめ》です、詩吟《しぎん》位《ぐらゐ》だから」と自分《じぶん》は氣乗《きの》りもしなかつたが、あまりに攻《せ》められるので、詮方《せんかた》なく簡短《かんたん》に漢詩《かんし》を怒鳴《どな》つたが、あまり感心《かんしん》はされなかつたらしい。それから太郞《たらう》の軍歌《ぐんか》があつて、互《たが》ひに打解《うちと》けて來《く》ると、妻君《さいくん》はトランプでもと云《い》ひ出《だ》したが、自分《じぶん》等《ら》は後日《ごじつ》を期《き》して宿《やど》へ歸《かへ》つた。
これから堤《つゝみ》の家族《かぞく》と懇意《こんい》になり、二三|度《ど》訪《たづ》ねても行《い》き、その度《たび》每《ごと》に妻君《さいくん》は機嫌《きげん》よく迎《むか》へて吳《く》れるが、娘《むすめ》は何時《いつ》も口數《くちかず》が少《すくな》く、ツンとした態度《たいど》を執《と》つてゐる。自分《じぶん》は東京《とうきやう》の若《わか》い女《をんな》に全《まつた》く知邊《しるべ》のないためか、これに對《たい》しては一|種《しゆ》の畏《おそ》れを感《かん》じて居《を》り、殊《こと》に堤《つゝみ》の娘《むすめ》は神々《かう〴〵》しいやうで、あまり馴《な》れ〳〵しく言葉《ことば》を掛《か》けると、無禮《ぶれい》を咎《とが》められはせぬかと思《おも》つた。で、たまたま「欝陶《うつとう》しいお天氣《てんき》ですこと」とか、「どちらへ御散步《ごさんぽ》に行《いら》つしやつたの」とか、何《なん》でもない挨拶《あいさつ》をされた丈《だけ》で、非常《ひじやう》に愉快《ゆくわい》に感《かん》じてゐた。
「何故《なぜ》あの女《をんな》はあゝ冷《コールド》なんだらう」と細野《ほその》に問《と》ふと、細野《ほその》は、
「肉感《にくかん》が乏《とぼ》しいからだらう、純潔《じゆんけつ》な女《をんな》は冷《ひやゝ》かに見《み》えるんだ、しかしあれで戀《こひ》を感《かん》じやうなら、顏《かほ》に生命《いのち》が現《あら》はれて溫味《あたゝかみ》を帶《お》びて來《く》るよ」と鹿爪《しかつめ》らしく說《と》く。
「さうかも知《し》れん、しかしあの女《をんな》はまだ戀《こひ》を感《かん》じたことがないんだらうか。」
「無《な》いとも、戀《こひ》した目《め》と戀《こひ》しない目《め》とは、ちやんと區別《くべつ》がある。」
「さうかね」と、自分《じぶん》は一も二もなく同意《どうい》して、只《たゞ》その戀《こひ》する目《め》を見《み》たいと思《おも》つた。しかし自分《じぶん》がこの二|階《かい》で、軟《やはら》かい空想《くうさう》に包《つゝ》まれながら、矢鱈《やたら》に勉强《べんきやう》する平和《へいわ》の時代《じだい》は長《なが》くは續《つゞ》かなかつたのである。

(四)

或日《あるひ》同鄉《どうきやう》の友人《いうじん》葛原《くづはら》勇吉《ゆうきち》が訪《たづ》ねて來《き》て、盛《さか》んにこの宿《やど》を褒《ほ》め、「僕《ぼく》も少《すこ》し勉强《べんきやう》したいから、靜《しづ》かな家《うち》へ移《うつ》りたい、此家《こゝ》には置《お》いて吳《く》れんだらうか」と云《い》つたが、自分《じぶん》はこの男《をとこ》の騷々《さう〴〵》しいのを嫌《きら》つてゐたから、「外《ほか》に部屋《へや》もないやうだし、人出《ひとで》がないから大勢《おほぜい》を留《と》める譯《わけ》に行《い》かんだらう」と諦《あきら》めさせた。すると葛原《くづはら》は階下《した》へ下《お》りて、二三十|分《ぷん》間《かん》女主人《かみさん》と話《はな》して來《き》たが、どう說《と》きつけたのか、太郞《たらう》の勉强《べんきやう》部屋《べや》を借《かり》ることに定《き》めたさうだ。口先《くちさ》きの味《うま》い爲《ため》、女主人《かみさん》も否《いや》と云《い》へなかつたのであらう。
案《あん》の通《とほ》りこの男《をとこ》が來《き》てからは、一|家《か》の空氣《くうき》が異《ちが》つてしまう、自分《じぶん》と細野《ほその》とは三|度《ど》の食事《しよくじ》の時《とき》、女主人《かみさん》と話《はなし》をするのみで、箸《はし》を置《を》くと直樣《すぐさま》二|階《かい》へ上《あが》るのだが、葛原《くづはら》は煙草《たばこ》を吸《す》うて一|時間《じかん》も話《はな》し込《こ》み、時々《とき〴〵》は太郞《たらう》の將來《しやうらい》についても親切《しんせつ》さうに相談《さうだん》對手《あひて》になつてやる。根《ね》が我々《われ〳〵》とは違《ちが》ひ、快活《くわいくわつ》で調子《てうし》のいゝ洒落《しやれ》の巧《うま》い男《をとこ》だから、二三|日《にち》の中《うち》に、すつかり女主人《かみさん》の氣《き》に入《い》つた。自分《じぶん》等《ら》は勉强《べんきやう》家《か》で身持《みもち》がよいと褒《ほ》められても好《す》かれはしない。葛原《くづはら》は午寢《ひるね》をしやうと、夜深《よふか》しをしやうと、人間《にんげん》が面白《おもしろ》くて、淋《さび》しい家《いへ》を賑《にぎや》かにするのだから好《す》かれない譯《わけ》がない。土曜日《どえうび》の晚《ばん》には屹度《きつと》一|本《ぽん》つけさせ、微醉《ほろゑひ》で落語《らくご》の眞似《まね》をしたり、色話《いろばな》しをする。細野《ほその》の夕陽美《せきやうび》の講釋《かうしやく》や、新體詩《しんたいし》の說明《せつめい》よりは、どんなに面白《おもしろ》く、女主人《かみさん》の耳《みゝ》に響《ひゞ》いたであらう。或晚《あるばん》も葛原《くづはら》は自分《じぶん》等《ら》を前《まへ》に置《お》いて一|本《ぽん》平《たひ》げて、更《さら》に一|合《がふ》だけを强請《ねだ》り、窪《くぼ》んだ眼《め》の緣《ふち》を紅《あか》くし、尖《とが》つた頤《あご》を突出《つきだ》し、
「だつてお母《つか》さん、僕《ぼく》なんか酒《さけ》でも呑《の》まなけりやつまらないさ、こんな御面相《ごめんさう》で、情婦《いろ》が一人《ひとり》出來《でき》るんじやなしさ。」
「今《いま》からお酒《さけ》なんか召上《めしあが》るから、尙《なほ》出來《でき》ないんぢやありませんか」
「しかし槇田君《まきたくん》だつて細野《ほその》君《くん》だつて、まだ戀人《こひゞと》といふ奴《やつ》が出來《でき》んのは不思議《ふしぎ》だ、磨《みが》き上《あ》げれば皆《みな》色男《いろをとこ》たる風采《ふうさい》を持《も》つてるんだがね、我黨《わがとう》振《ふる》はざる久《ひさ》しだ、ハツヽヽヽ」
「どうして槇田《まきた》さんなぞは、卒業《そつげふ》さへなされば、どんないゝ奧樣《おくさま》でもお好《この》み次第《しだい》ですわねえ、堤《つゝみ》のお孃《じやう》さんだつて、槇田《まきた》さん〳〵つて大騷《おほさわ》ぎなんだから」と、女主人《かみさん》はさも眞實《まこと》らしく云《い》ふ。自分《じぶん》は「あゝ又《また》婆《ばあ》さんが捏造《ねつざう》を初《はじ》めたな」と思《おも》つたが、多少《たせう》嬉《ゝれ》しくも感《かん》ぜられた。
「本當《ほんたう》かい槇田君《まきたくん》」と、葛原《くづはら》は目《め》を丸《まる》くして眞顏《まがほ》で聞《き》いた。
「そんな馬鹿《ばか》なことがあるものか」と、自分《じぶん》は苦笑《くせう》した。
「なにね、槇田《まきた》さんは御存知《ごぞんぢ》なくつても、向《むか》うでは屹度《きつと》思《おも》つて居《ゐ》らつしやるに違《ちが》ひない」と老婆《ばあさん》は意地惡《いぢわる》く確《たしか》めた。
「眞實《ほんと》でも虛僞《うそ》でも、そんな噂《うはさ》が立《た》つだけでも名譽《めいよ》だ、一《ひと》つ奢《おご》り玉《たま》へ、何《なん》ならこれ一|本《ぽん》に負《ま》けて置《お》くから」と瓶子《てうし》を振《ふ》つた。
「下《くだ》らんことを云《い》つてらあ」と、自分《じぶん》は取合《とりあ》はずに二|階《かい》へ上《あが》つた。さら〳〵と雨《あめ》を含《ふく》んだ風《かぜ》が窓《まど》に當《あた》り、蟲《むし》の音《ね》が絕間《たえま》なく聞《き》こえ、折々《をり〳〵》は葛原《くづはら》の高《たか》い笑聲《わらひごゑ》も聞《きこ》える。暫《しばら》くして細野《ほその》が側《そば》へ來《き》て、「今《いま》女主人《かみさん》の云《い》つた事《こと》は本當《ほんと》かい、君《きみ》がゐなくなつてから、いろんな皮肉《ひにく》を云《い》つてたよ」と、低《ひく》い聲《こゑ》で、何《なん》だか氣遣《きづか》はしさうに云《い》つたが、彼《か》れの胸《むね》も鼓動《こどう》してるやうだ。
「馬鹿《ばか》な、そんな事《こと》のある筈《はず》がないぢやないか、滅多《めつた》にあの家《うち》へ行《い》きやしないしさ、只《たゞ》老婆《ばあさん》が何《なん》でもないことを意味《いみ》ありげに云《い》ひたがるんだ」
「でも全《まつた》く種《たね》のないことも云《い》はないだらう」
「屹度《きつと》何《なん》だよ、あの娘《こ》が何《なに》かの拍子《ひやうし》で僕《ぼく》の事《こと》を聞《き》いたのだらう、それが老婆《ばあさん》の口《くち》へ上《のぼ》ると、あんなに誇張《こちやう》されてしまうんだから厭《いや》になつちまう」
「さうかねえ」と、細野《ほその》は安心《あんしん》した風《ふう》だ。
しかし自分《じぶん》は、女主人《かみさん》の言葉《ことば》に、或《あるひ》は多少《たせう》の事實《じゝつ》が含《ふく》まれてはゐないかとも思《おも》ひ、又《また》强《し》いてさう思《おも》ふやうにした。で、萬一《まんいち》さうであつたらどうしやう、如何《いか》なる障礙《しやうがい》を破《やぶ》つても、戀《こひ》を成遂《なしと》げるの外《ほか》はない。葛原《くづはら》に揶揄《やゆ》されやうとも老婆《ばあさん》に嘲《あざ》けられやうとも關《かま》うものか、自分《じぶん》は彼《か》の女《をんな》と靜《しづ》かな所《ところ》に清貧《せいひん》なる生涯《しやうがい》を送《おく》ればそれで足《た》つてゐる。彼《か》の女《をんな》とても世俗《せぞく》の榮華《えいぐわ》を追求《つひきう》する風《ふう》はないから、自分《じぶん》の理想《りさう》に同意《どうい》するに違《ちが》ひない。
一|日《にち》二日《ふつか》こんな取留《とりと》めのない空想《くうさう》に頭《あたま》を惱《なやま》してゐたが、敢《あえ》て彼《か》の女《をんな》に會《あ》つて心中《しんちう》を確《たしか》めやうともしない。葛原《くづはら》は堤《つゝみ》の妻君《さいくん》とも懇意《こんい》になり、太郞《たらう》を連《つ》れて頻《しき》りに出入《しゆつにふ》すれど、自分《じぶん》や細野《ほその》は滅多《めつた》に行《い》く機會《きくわい》がない。そして自分《じぶん》は葛原《くづはら》が隣家《となり》と親《した》しくなり、妻君《さいくん》にもチヤホヤされるのが不快《ふくわい》でならなかつた。自分《じぶん》の渇仰《かつかう》する聖殿《せいでん》を泥足《どろあし》で汚《けが》される氣《き》がした。
或晚《あるばん》葛原《くづはら》が、「隣家《となり》では今夜《こんや》大將《たいしやう》が留守《るす》だから、トランプを取《と》ると云《い》つて來《き》たよ、一|緖《しよ》に行《い》かうぢやないか」と自分《じぶん》等《ら》に勸《すゝ》めた。
「トランプは知《し》らんもの」
「知《し》らなくたつていゝさ、人《ひと》が少《すくな》いと面白《おもしろ》くないから、是非《ぜひ》付合《つきあ》つて吳《く》れ玉《たま》へ、君《きみ》等《ら》もあまり勉强《べんきやう》に凝《こ》ると毒《どく》だよ、少《すこ》しは呑氣《のんき》に遊《あそ》ぶ方《はう》がいゝよ」
「ぢや行《い》つて見《み》やう」
と、太郞《たらう》と共《とも》に凡《すべ》て四|人《にん》で隣家《となり》へ推《おし》かけた。
「叔母《をば》さん、皆《み》んな引張《ひつぱ》つて來《き》ましたよ」と、葛原《くづはら》はずんずん座敷《ざしき》へ上《あが》つた。彼《か》れは宿《やど》の女主人《かみさん》をお母《つか》さんと呼《よ》び、堤《つゝみ》の妻君《さいくん》を叔母《をば》さんと云《い》ひ、娘《むすめ》をお多津《たつ》さんと呼《よ》ぶのだ。
「お多津《たつ》さん、今日《けふ》は負《ま》けたものが奢《おご》るんですよ」
「えゝ〳〵、よう御座《ござ》んすとも、どうせ負《ま》けやしないから」と、娘《むすめ》は違《ちが》ひ棚《だな》から札《ふだ》を取出《とりだ》し、一|同《どう》は輪《わ》をなした。で、葛原《くづはら》が札《ふだ》を切《き》つて順々《じゆん〴〵》に撒《ま》いて行《い》つたが、その手際《てぎは》は甘《うま》いものだ。自分《じぶん》や細野《ほその》は只《たゞ》敎《をそ》はつた通《とほ》り機械的《きかいてき》にやつてるのみで別《べつ》に興味《きようみ》もない。娘《むすめ》は夢中《むちう》になつて、身體《からだ》を搖《ゆす》ぶり札《ふだ》を持《も》つた手《て》をもぢ〴〵させて勝敗《しやうはい》を氣遣《きづか》つてゐる。葛原《くづはら》は叫《さけ》んだり笑《わら》つたり、頭《あたま》を搔《か》いたり舌《した》を出《だ》したり、一人《ひとり》で騷《さわ》いで座《ざ》を賑《にぎや》かにする。自分《じぶん》は折々《をり〳〵》うつとり[#「うつとり」に傍点]して、この家庭《かてい》の行末《ゆくすゑ》を思《おも》ひ、葛原《くづはら》のやうな卑俗《ひぞく》な男《をとこ》が出入《しゆつにふ》して、穩《おだや》かな床《ゆか》しい生活《くらし》を搔亂《かきみだ》し、下等《かとう》な趣味《しゆみ》を注《そゝ》ぎ込《こ》み、一|家《か》が堕落《だらく》してしまうことを氣遣《きづか》ひ、「何《なに》を考《かんが》へて入《いら》つしやるの、貴下《あなた》の番《ばん》ぢやありませんか」と、側《そば》の妻君《さいくん》から叱《しか》られる位《くらゐ》であつた。
遂《つひ》に細野《ほその》と自分《じぶん》とが劣敗者《れつぱいしや》と定《き》まり、蕎麥《そば》を奢《おご》らされた。葛原《くづはら》は萬歲《ばんざい》を唱《とな》へ、娘《むすめ》はほつと息《いき》を吐《つ》き、「あゝよかつた」と莞爾《につこり》する。自分《じぶん》等《ら》は如何《いか》にもつまらない。それで今《いま》一|度《ど》と娘《むすめ》が云《い》ひ出《だ》して外《ほか》の者《もの》は同意《どうい》したが、自分《じぶん》等《ら》二人《ふたり》は辭退《じたい》して歸《かへ》つた。歸《かへ》つて二|階《かい》の窓《まど》を開《あ》けて、星影《ほしかげ》を仰《あふ》いでゐると、堤《つゝみ》の座敷《ざしき》の燈火《あかり》が微《かす》かに見《み》える。まだトランプをやつてるのであらう。
「困《こま》るね、葛原《くづはら》が侵入《しんにふ》しては、此家《こゝ》だつて、あの男《をとこ》が來《き》てから、すつかり婆《ばア》さんの態度《たいど》が違《ちが》つてしまつた。が、それはまあいゝとして、堤《つゝみ》の家《うち》へ行《い》つちや困《こま》るよ、家《うち》の婆《ばア》さんなんか、どうせ趣味《しゆみ》が低《ひく》いんだから、葛原《くづはら》に感化《かんくわ》されるのも當然《たうぜん》だがね、隣《とな》りの家族《かぞく》は敎育《けういく》もあり品位《ひんゐ》も備《そな》へてるのに、何故《なぜ》葛原《くづはら》を勸迎《くわんげい》するんだらう」と、自分《じぶん》が細野《ほその》に話《はな》しかけると、
「さうだね」と細野《ほその》は首《くび》を傾《かし》げ、「僕《ぼく》は隣《とな》りの母子《おやこ》が决《けつ》して葛原《くづはら》を喜《よろこ》んでやしないと思《おも》ふ、擧動《きよどう》や顏色《がんしよく》でさう察《さつ》しられるぢやないか、殊《こと》に娘《むすめ》は胸《むね》に何《なに》かの苦《くるし》みがあつて堪《たま》らないから、それでトランプや馬鹿《ばか》話《ばなし》で忘《わす》れやうとしてるんだ、あの目《め》は確《たし》かに美《うつ》くしい者《もの》や淸《きよ》い戀《こひ》を求《もと》めてるといふ風《ふう》だ」と、上目《うはめ》で空《そら》を見《み》て、落付《おちつ》いた聲《こゑ》で云《い》つた。
自分《じぶん》は細野《ほその》の說《せつ》には少《すこ》しの根據《こんきよ》もないと思《おも》つたが、「さうかねえ」と云《い》つて、別《べつ》に反對《はんたい》もしなかつた。平生《ふだん》自分《じぶん》は己《おの》れの希望《きばう》や想像《さう〴〵》について、多少《たせう》の疑《うたが》ひを有《いう》してゐたが、細野《ほその》は决《けつ》してそんな事《こと》なく、何事《なにごと》についても一|種《しゆ》の意見《いけん》を有《いう》してゐて、自分《じぶん》が聞《き》いてすら、幼稚《えうち》な空想《くうさう》だと思《おも》ふ事《こと》を確信《かくしん》してゐた。
で、兎《と》に角《かく》自分《じぶん》は細野《ほその》の如《ごと》く樂觀《らくゝわん》してゐられぬ。堤《つゝみ》一|家《か》のために、葛原《くづはら》を遠《とほざ》ける工夫《くふう》を講《かう》ぜぬばならぬと、腹《はら》の中《なか》で藻搔《もが》いてゐた。所《ところ》がその翌晚《よくばん》、葛原《くづはら》が女主人《かみさん》と太郞《たらう》とを連《つ》れて寄席《よせ》へ行《い》つた後《あと》、
「御免《ごめん》なさい、叔母《をば》さんはお留守《るす》?」
と勝手《かつて》の方《はう》で呼《よ》ぶ聲《こゑ》がする。自分《じぶん》は留守番《るすばん》を仰《あふ》せつかつてゐるから、早速《さつそく》駈《か》け下《お》りて見《み》ると、それがお多津《たつ》である。萩餅《おはぎ》を持《も》つて來《き》て吳《く》れたのだ。
「まあお上《あが》んなさい、皆《みんな》留守《るす》だけれど」
「葛原《くづはら》さんも」
「え僕《ぼく》と細野《ほその》君《くん》だけです、」
「昨夕《ゆふべ》お負《ま》けなすつて、今夜《こんや》又《また》お留守番《るすばん》ではつまらないわねえ」と、目《め》に笑《わら》ひを含《ふく》んで馴《な》れ〳〵しい態度《たいど》。
「僕《ぼく》は寄席《よせ》は嫌《きら》ひだから行《い》きたくはないんです、トランプだつて些《ちつ》とも面白《おもしろ》くはないし、負《ま》けたつて口惜《くや》しくはありません」といつたが、今夜《こんや》は珍《めづ》らしくお多津《たつ》の態度《たいど》が打解《うちと》け易《やす》いやうであり、又《また》他人《ひと》を交《まじ》へずに差向《さしむか》ひで話《はな》す機會《きくわい》は又《また》と得《え》られぬのであるから、思《おも》ひ切《き》つて、
「僕《ぼく》は是非《ぜひ》貴女《あなた》にお話《はなし》したいことがあるんですが、此方《こちら》へ上《あが》つて聞《き》いて吳《く》れませんか」と、氣《き》を靜《しづ》めて、言葉《ことば》も强《し》いて穩《おだや》かにした。
「何《なん》のお話《はな》し」と、例《いつも》の冷《ひやゝ》かな調子《てうし》で云《い》つて、勝手《かつて》に板《いた》の間《ま》に腰《こし》を下《おろ》し、橫向《よこむ》きに自分《じぶん》の顏《かほ》を見詰《みつ》めた。
「何《なん》と云《い》つて別《べつ》に何《なん》でもないが」とドキマギした揚句《あげく》、「僕《ぼく》は貴女《あなた》初《はじ》め、家族《かぞく》の方《かた》を尊敬《そんけい》してるんです、お宅《たく》へ行《い》くと優雅《いうが》なしつとり[#「しつとり」に傍点]した空氣《くうき》が滿《み》ちてるやうに感《かん》ぜられるんです。貴女《あなた》は幸福《かうふく》な家庭《かてい》に生《うま》れて純白《じゆんぱく》な生涯《しやうがい》を送《おく》るんだから」と、又《また》云《い》ひ淀《よど》んだ。
「あらそんなお話《はな》し、槇田《まきた》さんも隨分《ずゐぶん》可笑《をか》しな方《かた》ね」と、お多津《たつ》は半《なか》ば身《み》を起《おこ》した。
「だから貴女《あなた》は天《てん》から授《さづ》かつた純白《じゆんぱく》な性質《せいしつ》を傷《きづゝ》けんやうにしなくちやならん、下品《げひん》な趣味《しゆみ》や野卑《やひ》な談話《だんわ》は貴女《あなた》には適《てき》しないんです。」
「槇田《まきた》さんは六《むつ》ケ|敷《しい》ことばかり仰有《おつしや》るのね、お說敎《せつけう》でも聞《きい》てるやうだわ」と笑《わら》つて、
「下品《げひん》な趣味《しゆみ》といふのは何《なん》ですか、トランプを取《と》ること」
「さうでもないんだが、兎《と》に角《かく》葛原《ゝづはら》なんかに感化《かんくわ》されちや駄目《だめ》ですよ」
「え、葛原《くづはら》さんがどうかしたの」
「あの男《をとこ》は面白《おもしろ》い人間《にんげん》だけれど、どうも趣味《しゆみ》が下品《げひん》だからいかん、貴女《あなた》もそのつもりで御交際《おつきあひ》なさるがいゝ」
「私《わたし》趣味《ゝゆみ》が下品《げひん》だつていゝのよ」と、例《れい》のツンとして立上《たちあが》つた。
「僕《ぼく》は貴女《あなた》を尊敬《そんけい》してるから云《い》つたのです、惡《わる》い意味《いみ》に取《と》らないやうにして下《くだ》さい」
と、自分《じぶん》は狼狽《うろた》へた氣味《きみ》。
「つまり葛原《くづはら》さんとお交際《つきあひ》するなと仰有《おつしや》るんでせう、貴下《あなた》は何故《なぜ》お友逹《ともだち》を除物《のけもの》になさるの、葛原《くづはら》さんは被入《いらつしや》る度《たび》に、貴下《あなた》方《がた》をお褒《ほ》めなさるのに、貴下《あなた》は葛原《くづはら》さんの惡口《わるくち》なんか云《い》つて、」
「さうぢやないさ、しかし貴下《あなた》はまだ御存知《ごぞんぢ》ないだらうが、葛原《くづはら》はこれ迄《まで》ズボラで評判《ひやうばん》の惡《わる》い男《をとこ》だから、あんな男《をとこ》を家庭《かてい》へ侵入《しんにふ》さすと信用《しんよう》に關《くわん》すると思《おも》つて云《い》つたのです、僕《ぼく》は貴女《あなた》に初《はじ》めてお目《め》に掛《かゝ》つた時《とき》から、貴女《あなた》を品性《ひんせい》の傑《すぐ》れた方《かた》と思《おも》つて、一|生《しやう》天使《エンゼル》のやうな生涯《しやうがい》を送《おく》るやうに願《ねが》つてゐます。」
お多津《たつ》は澄《すま》した顏《かほ》で不審《いぶかし》げに自分《じぶん》の顏《かほ》を見《み》て、「私《わたし》、尊敬《そんけい》されたり、天使《エンゼル》とかになりたくはありませんわ、貴下《あなた》こそ餘程《よつぽど》妙《めう》ね……お話《はな》しつてそれつ切《き》り」と云《い》つて、會釋《ゑしやく》して歸《かへ》つてしまつた。自分《じぶん》は失望《しつばう》して二|階《かい》へ上《あが》ると、細野《ほその》が、
「君《きみ》は何《なに》を話《はな》してたんだ」
「向《むか》ひの娘《むすめ》が來《き》たから葛原《くづはら》の人《ひと》と爲《な》りを聞《き》かせたけれど、薩張《さつぱ》り分《わか》らない、矢張《やはり》平凡《へいぼん》な女《をんな》だね」
「僕《ぼく》はさう思《おも》はない」と、細野《ほその》は彼《か》の女《をんな》を月世界《げつせかい》から降《ふ》つて來《き》た女《をんな》のやうに思《おも》つてゐるらしい。自分《じぶん》は葛原《くづはら》に大事《だいじ》の寶《たから》を踏碎《ふみくだ》かれ、又《また》理想《りさう》の女《をんな》から愛相《あいそ》を盡《つか》された如《ごと》く感《かん》じ、急《きふ》にこの宿《やど》が厭《いや》になり、轉居《てんきよ》しやうと决心《けつしん》し、細野《ほその》に同意《どうい》を求《もと》めたが、細野《ほその》は面倒《めんだう》臭《くさ》いからといふ口實《こうじつ》で賛成《さんせい》しない。
で、その翌日《よくじつ》から學校《がくかう》の歸途《きと》自分《じぶん》一人《ひとり》で宿《やど》を捜《さが》し廻《まは》り、二三|日《にち》の間《うち》に、漸《やうや》く氣《き》に向《む》いた所《ところ》を見《み》つけた。いよ〳〵轉宅《てんたく》と定《きま》つた日《ひ》に、葛原《くづはら》は二|階《かい》へ來《き》て、
「諦《あきら》めて逃《に》げ出《だ》すんか」と、皮肉《ひにく》を云《い》ひ、「君《きみ》はひどいな、レデイに向《むか》つて僕《ぼく》の事《こと》を趣味《しゆみ》の低《ひく》い奴《やつ》だと云《い》つたさうだが」
「何《なに》さうぢやないよ」と、自分《じぶん》は少《すこ》し紅《あか》くなつて辯解《べんかい》しやうとすると、葛原《くづはら》は無邪氣《むじやき》に口《くち》を開《あ》けて笑《わら》ひ、
「それはどうでもいゝさ、しかし、君《きみ》、女《をんな》に向《むか》つて趣味《しゆみ》の高下《かうげ》を論《ろん》ずるなんか、野暮《やぼ》の極《きよく》だぜ、レデーでもエンゼルでもお薩《さつ》を喜《よろこ》んで召上《めしあが》るんだもの」

(五)

自分《じぶん》の轉居《てんきよ》先《さ》きは雜司《ざうし》ケ谷《や》の百|姓家《しやうや》、藁葺《わらぶき》の軒《のき》の傾《かた》むき、壁《かべ》は骨《ほね》を出《だ》し、疊《たゝみ》は擦《す》りむけて足《あし》に引《ひつ》かゝる程《ほど》だが、前《まへ》に大根《たいこん》畑《ばた》があり四|方《はう》は楢《なら》や樅《もみ》が取圍《とりかこ》み、外《ほか》の人家《じんか》とかけ離《はな》れて、荒寺《あれてら》のやうである。下町《したまち》のさる富豪《ふがう》の所有《しよいう》で、やがて地代《ぢだい》の上《あが》るのを待《まち》ち賣《うり》はなす筈《はず》だが、それ迄《まで》番人《ばんにん》として、獨身《ひとりもの》の作藏《さくざう》爺《ぢい》に無代《むだい》で貸與《たいよ》してゐるのだ。自分《じぶん》はこの爺《ぢい》さんの白痴《はくち》の如《ごと》く逹人《たつじん》の如《ごと》く、何《なん》となく世間《せけん》離《ばな》れしてゐるのを面白《おもしろ》く感《かん》じ、一|緖《しよ》に引割《ひきわり》飯《めし》を食《く》ひ、時々《とき〴〵》は大根《だいこ》の蟲取《むしと》りの手傳《てつだひ》をもしてやり、無論《むろん》學問《がくもん》は怠《おこた》らなかつた。で、山吹町《やまぶきちやう》へは全《まつた》く足《あし》を向《む》けぬ。細野《ほその》は屡々《しば〳〵》訪《たづ》ねて來《き》ては、楢林《ならばやし》の下《した》に落葉《おちば》を敷《し》いて、暮《く》れ行《ゆ》く秋《あき》を眺《なが》めて、夢《ゆめ》のやうな話《はなし》に耽《ふけ》つてゐた。しかし自分《じぶん》は堤《つゝみ》の娘《むすめ》の事《こと》は成《なる》べく口《くち》に出《だ》さぬやうにし、細野《ほその》も語《かた》らなかつた。
しかし細野《ほその》も間《ま》もなく山吹町《やまぶきちやう》の宿《やど》を出《で》て、戶塚町《とつかまち》の植木屋《うゑきや》の一|室《ま》を借《か》り、卒業《そつげふ》迄《まで》其處《そこ》で暮《く》らしたのである。
卒業後《そつげふご》は二人《ふたり》とも一|日《にち》も早《はや》く職業《しよくげふ》を求《もと》めねばならぬ。殊《こと》に細野《ほその》は鄉里《きやうり》の家族《かぞく》を補助《ほじよ》する義務《ぎむ》さへあつて、自分《じぶん》よりも糊口《こゝう》の方法《はうはふ》を焦《あせ》らねばならぬのだ。しかるに彼《か》れは試驗《しけん》が濟《す》むと、一|生涯《しやうがい》の重荷《おもに》を卸《おろ》した氣《き》で、衣服《きもの》や敎課書《けうくわしよ》を賣拂《うりはら》つて、相州《さうしう》葉山《はやま》へ旅行《りよかう》した。そして或日《あるひ》自分《じぶん》が先輩《せんぱい》を訪問《はうもん》して職業《しよくげふ》の周旋《しうせん》を依賴《いらい》し、汗《あせ》と埃《ほこり》にまみれて歸《かへ》ると、彼《か》れからの手紙《てがみ》が來《き》てゐた。
「…………僕《ぼく》は今《いま》相模灣《さがみわん》を見下《みおろ》した小高《こだか》い寺《てら》に寄寓《きぐう》し、菜食《さいしよく》に滿足《まんぞく》し、肉慾《にくよく》を忘《わす》れて靈《れい》の生活《せいくわつ》をしてゐる。朝《あさ》は早《はや》く起《お》きて、まだ人影《ひとかげ》もなく、海《うみ》も神秘《しんぴ》の水氣《すゐき》に閉籠《とぢこ》められてゐる頃《ころ》、明神崎《みやうじんざき》へ行《い》つて、岩蔭《いはかげ》に踞《きよ》して作詩《さくし》の工夫《くふう》を凝《こ》らし、晝《ひる》は寺《てら》の廣間《ひろま》に寢《ね》ころんで、海風《かいふう》に耳《みゝ》の穴《あな》まで撫《な》でられて、キーツやヲルヅヲルスの詩《し》を朗讀《らうどく》してゐる。僧侶《そうりよ》の讀經《どくきやう》や筧《かけひ》の水音《みづおと》は、柔《やはら》かに僕《ぼく》の膓《はらわた》まで染《し》み込《こ》む。今《いま》も夕暮《ゆふぐれ》の磯傳《いそづた》ひから歸《かへ》り、苔《こけ》に蔽《おほ》はれた石段《いしだん》を上《あが》つてゐると、鐘《かね》の音《ね》が永遠《エターニチー》の響《ひゞ》きを傳《つた》へ、僕《ぼく》は宇宙《うちう》の神靈《しんれい》に觸《ふ》れた如《ごと》く感《かん》じ、希悅《きえつ》の淚《なみだ》が出《で》た。戀《こひ》に絕望《ぜつばう》し世《よ》に倦《う》んだ古《いにしへ》の人《ひと》が、寺院《じゐん》に身《み》を遁《のが》れたのは、さもあるべき事《こと》と思《おも》はれる。……」
と記《しる》し、最後《さいご》に現在《げんざい》の我《わ》が心《こゝろ》だとして、キーツのソンネツト"Oh! How I love, on a fair summer's eve"の全體《ぜんたい》を寫《うつ》し添《そ》へた。
彼《か》れは殆《ほと》んど生活《せいくわつ》の方針《はうしん》などを念頭《ねんとう》に置《お》いてゐないらしい。歸京《きゝやう》してからでも敢《あえ》て齷齪《あくそく》として職《しよく》を漁《あさ》るでもなく、月給《げつきう》取《とり》となり一|家《か》を構《かま》へるよりも、秋《あき》が來《き》て郊外《かうぐわい》散步《さんぽ》の出來《でき》る時《とき》を待《ま》つてるやうだ。超然《てうぜん》としたその態度《たいど》、純潔《じゆんけつ》なその精神《せいしん》、自分《じぶん》は細野《ほその》を尊敬《そんけい》せずにはゐられなかつた。
幸《さいはひ》にして自分《じぶん》も細野《ほその》も會社員《くわいしやゐん》の口《くち》に有《り》ついたが、自分《じぶん》は大阪《おほさか》、細野《ほその》は東京《とうきやう》、別《わか》れ〳〵に勤《つと》めねばならぬ。で、自分《じぶん》が出立《しゆつたつ》の二三|日前《にちまへ》、二人《ふたり》きりで離別《りべつ》の會《くわい》を催《もよほ》し、自分《じぶん》は將來《しやうらい》活動《くわつどう》の計畵《けいくわく》を詳《くは》しく語《かた》り、細野《ほその》は理想《りさう》、神靈《しんれい》、淸《きよ》き戀《こひ》などについて美《うる》はしい夢《ゆめ》を語《かた》つた。
それから四五|年《ねん》、細野《ほその》に會《あ》ふ機會《きくわい》はなかつた。初《はじ》めの間《うち》は書信《しよしん》の往復《わうふく》が頻繁《ひんぱん》であつたが、月《つき》を重《かさ》ぬるにつれ次第《しだい》に減《げん》じ、後《のち》には殆《ほと》んど音信《おんしん》不通《ふつう》、たまの手紙《てがみ》も極《きは》めて簡短《かんたん》で、君《きみ》も無事《ごぶじ》にや、僕《ぼく》も無事《ぶじ》、殘暑《ざんしよ》酷《きび》しく候《そろ》位《くらゐ》に過《す》ぎぬ。
この間《あひだ》に自分《じぶん》の生活《せいくわつ》狀態《じやうたい》は餘程《よほど》變《かは》つた。酒《さけ》も飮《の》む、遊廓《いうくわく》へも行《ゆ》く、上役《うはやく》の目顏《めがほ》を注視《ちうし》するやうにもなつた。月日《つきひ》の徒《いたづ》らに早《はや》く過《す》ぎて、豫想《よさう》の一《ひと》つ〳〵外《はづ》れて行《ゆ》くことも知《し》つた。しかしまだ若《わか》い血潮《ちしほ》が乾《か》れてはゐない。詩《し》を讀《よ》んで泣《な》き、會社《くわいしや》の冷遇《れいぐう》を憤《いきどほ》り、或《あるひ》は戀人《こひゞと》と共《とも》に淵川《ふちかは》に身《み》を投《とう》ずるの勇氣《ゆうき》がないでもなく、從《したが》つて多少《たせう》の波瀾《はらん》が一|身上《しんじやう》に湧《わ》いて起《おこ》こつたが其等《それら》は他日《たじつ》を期《き》して茲《こゝ》には語《かた》らぬ。
さて或年《あるとし》の夏《なつ》、辛《から》うじて一|週間《しうかん》の休暇《きうか》を得《え》て上京《じやうきやう》した。久振《ひさしぶ》りであり、訪《と》ふべき先輩《せんぱい》や友人《いうじん》も多《おほ》いけれど、先《ま》づ遇《あ》つて見《み》たきは細野《ほその》徹《とほる》。長《なが》らく消息《せうそく》に接《せつ》しなかつたのだが、どんなに變《かは》つてるだらうと、大手町《おほてまち》の會社《くわいしや》を訪《たづ》ねると、先頃《さきごろ》退社《たいしや》したとかで宿所《しゆくしよ》も分《わか》らぬ。で、二三|軒《げん》聞《き》き廻《まわ》つて、漸《やうや》く移轉先《ゐてんさき》を突留《つきと》め、早速《さつそく》車《ゝるま》で駆《か》けつけたのだが品川《しながは》御殿山《ごてんやま》の門構《もんがま》へ嚴《いかめ》しい家《うち》。此處《こゝ》で何《なに》をしてゐるのだらうと訝《いぶか》りながら案内《あんない》を乞《こ》ふと、玄關《げんくわん》に出《で》て來《き》たのが細野《ほその》である。「ヤア」と自分《じぶん》は目《め》を見張《みは》つて、彼《か》れの痩《や》せて靑《あを》く鼻《はな》ばかり尖《とが》つた顏《かほ》を見《み》てゐたが、彼《か》れも驚《おどろ》いて「君《きみ》も非常《ひじやう》に異《ちが》つたね、會社員《くわいしやゐん》らしくなつた」と、兎《と》に角《かく》直《す》ぐ傍《そば》の書生《しよせい》部屋《べや》へ案内《あんない》した。
「君《きみ》は會社《くわいしや》を止《よ》したさうだね、今《いま》は何《なに》をしてるんだ」と、自分《じぶん》は座《すわ》るや否《いな》や聞《き》くと、
「この通《とほ》り書生《しよせい》部屋《べや》にごろ〳〵してる、しかし突然《とつぜん》君《きみ》に會《あ》つたので、何《なん》だか外《ほか》の世界《せかい》へ來《き》てる氣《き》がするよ」と、自分《じぶん》をのぞき込《こ》んで沈《しづ》んだ聲《こゑ》で云《い》ひ、目《め》が潤《うる》んでゐる。
「僕《ぼく》も忙《いそが》しいもんだから、つい手紙《てがみ》も怠《おこた》つて濟《す》まなかつた、その後《ご》君《きみ》はどうしてゐた、何《なん》だか身體《からだ》も惡《わる》さうぢやないか」
「うん少《すこ》し弱《よわ》つてるがね、大《たい》したこともあるまい」と、彼《か》れは云《い》ひさして、急《きふ》に「氷《こほり》でも取《と》つて來《こ》やう」と出《で》て行《い》つた。後《あと》で自分《じぶん》は羽織《はおり》を脫《ぬ》いで、扇子《せんす》を激《はげ》しく使《つか》ひ、汗《あせ》を乾《かは》かせながら、部屋《へや》の隅々《すみ〴〵》を見《み》るに、衣紋竿《えもんざを》にかけた衣服《きもの》も、小《ちい》さい本箱《ほんばこ》も、茶道具《ちやだうぐ》まで四五|年前《ねんまへ》の下宿《げしゆく》屋《や》時代《じだい》とあまり變《かは》つてゐない。只《たゞ》海邊《かいへん》の水彩畵《すゐさいぐわ》が一|枚《まい》かかつてゐるのが目新《めあたら》しい位《ぐらゐ》。本箱《ほんばこ》を開《あ》けて見《み》ると、矢張《やはり》キーツやシエレーの詩集《ししふ》があつて、前《まへ》よりも手垢《てあか》がついてゐる。机《つくゑ》には二三|帖《てう》の半紙《はんし》を載《の》せ、感想錄《かんさうろく》やうの者《もの》を書《か》きかけてゐる。
「昨夜《さくや》公園《こうえん》を散步《さんぽ》して瞑想《めいさう》に耽《ふけ》る、美《うつく》しき世界《せかい》よとの感切《かんせつ》にして、随喜《ずゐき》の淚《なみだ》にむせんだ。夕暮《ゆふぐれ》の紅《あか》い雲《くも》が見《み》る間《ま》に色《いろ》を失《うしな》ひ、一|抹《まつ》の靄《もや》が大崎《おほさき》の平地《へいち》を籠《こ》め、あちこちの燈火《とうくわ》は水中《すゐちう》に浮動《ふどう》してゐるやうであつたが、やがて際立《きはだ》つて赤《あか》い一|點《てん》の燈火《とうくわ》が、大蛇《だいじや》の眼《まなこ》の如《ごと》く光《ひか》つて、靄《もや》を突破《つきやぶ》つて疾驅《しつく》して、轟々《ぐわう〴〵》と音《おと》のみ殘《のこ》して姿《すがた》を隱《かく》すと、靄《もや》は次第《しだい》々々《〳〵》に消《き》え失《う》せ、月光《げつくわう》は隈《くま》なく照《て》り渡《わた》り、谷《たに》を隔《へだ》てた彼方《かなた》の欝蒼《うつさう》たる森林《しんりん》から、目《め》の下《した》の小《ちい》さい藁小屋《わらごや》まで、風情《ふぜい》ある詩《し》の世界《せかい》、床《ゆか》しき夢《ゆめ》の里《さと》となつてしまつた。人間《にんげん》の聲《こゑ》もせぬ。風《かぜ》の音《おと》もせぬ。只《たゞ》停車場《ステーシヨン》の向《むか》う、森《もり》の右端《いうたん》、白雲《しらくも》が渦卷《うづま》いてる遠《とほ》き〳〵所《ところ》に、電光《でんくわう》が銳《するど》く光《ひか》つてる計《ばか》り。予《よ》は翼《つばさ》を得《え》て光《ひかり》の中《なか》に漂《たゞよ》ひたく思《おも》つた。冴《さ》えた月影《つきかげ》は戀《こひ》する男《をとこ》戀《こひ》する女《をんな》を乗《の》せて、遠《とほ》き光明《くわうめう》の鄉《さと》へ送《おく》るに適《てき》してゐる。」
と書《か》き、尙《なほ》「月《つき》曰《い》く」と題《だい》をつけ、何《なに》をか書《か》かんとしてゐる。
自分《じぶん》はこれを讀《よ》んで、「まだこんなことを考《かんが》へてるな、身體《からだ》は非常《ひじやう》に痩《や》せ衰《をとろ》へてるが心《こゝろ》は昔《むかし》の通《とほ》りだな」と思《おも》つてゐると、ドアが開《あ》いて、
「細野《ほその》さん、蟲干《むしぼし》をするんだから、一寸《ちよつと》新座敷《しんざしき》へ來《き》て下《くだ》さいな」と、美人《びじん》が顏《かほ》を出《だ》し、自分《じぶん》を見《み》て直《す》ぐ引込《ひつこ》んだ。
間《ま》もなく細野《ほその》が歸《かへ》つて來《き》た。
「今《いま》美人《びじん》が君《きみ》を呼《よ》びに來《き》たよ、あれは此家《こゝ》の娘《むすめ》かい」
「うん」
「一|體《たい》何《なん》の緣故《えんこ》で君《きみ》は此家《こゝ》へ入《はい》り込《こ》んだ」
「一寸《ちよつと》した關係《かんけい》で來《く》るやうになつたのさ」
「何《なに》か目的《もくてき》があるのか」
「外《ほか》に食《く》ふ道《みち》がないから」
「しかし玄關番《げんくわんばん》はひどいぢやないか、何《なに》か外《ほか》に仕事《しごと》があるだらうに」と、自分《じぶん》は眉《まゆ》を顰《ひそ》めたが、細野《ほその》は敢《あえ》てそれを苦《く》にもしない風《ふう》だ。彼《か》れは無限《むげん》の空《そら》を仰《あふ》いで泣《な》き、詩《し》を讀《よ》んで泣《な》くことが多《おほ》いけれど、自己《じこ》の境遇《けうぐう》について萎《しほ》れることはない。
「僕《ぼく》は放浪《はうらう》すべき運命《うんめい》を有《も》つてるんだ。定職《ていしよく》に拘束《こうそく》されてゐたくてもゐられない。社《しや》を止《や》めたのも、自分《じぶん》でいやで止《や》めたのでもなし、敢《あえ》て免職《めんしよく》さゝれたのでもない。只《たゞ》何《なん》となく止《や》めるやうになつたのだ。運命《うんめい》だね。此處《こゝ》へ來《き》たのも、ほんの偶然《ぐうぜん》の事《こと》さ。社《しや》の或《ある》友人《いうじん》に連《つ》れられて、此處《こゝ》へ古畵《こぐわ》を見《み》せて貰《もら》ひに來《き》た時《とき》、主人《しゆじん》に繪《ゑ》の話《はなし》をしたら、此處《こゝ》の主人《しゆじん》も少《すこ》し變物《へんぶつ》と見《み》えてね、僕《ぼく》の感想《かんさう》が面白《おもしろ》いと云《い》ふんだ。それから懇意《こんい》になつて、食扶持《くひふち》に離《はな》れた時《とき》、轉《ころ》がり込《こ》むことになつたんだが、何《なに》、長《なが》く居《ゐ》るつもりはないんさ。一體《いつたい》僕《ぼく》は祖父《ぢいさん》に能《よ》く似《に》てるさうだがね、祖父《ぢいさん》は維新前《いしんまへ》に西國《さいこく》四|國《こく》と巡禮《じゆんれい》の旅《たび》ばかりして、最後《さいご》に善光寺《ぜんくわうじ》で往生《わうじやう》したんだ。面白《おもしろ》い一|生《しやう》ぢやないか。僕《ぼく》は昨夜《ゆふべ》その祖父《ぢいさん》の巡禮《じゆんれい》姿《すがた》を夢《ゆめ》に見《み》たよ、雲《くも》に乗《の》つて、脊《せな》には負笈《おひづる》、手《て》には金剛杖《こんがうづゑ》、菅笠《すげがさ》には同行《どうぎやう》二|人《にん》と書《か》いてある。二人《ふたり》の一人《ひとり》は僕《ぼく》かも知《し》れん、僕《ぼく》も多少《たせう》の旅費《りよひ》が出來《でき》たら、都會《とくわい》を出《で》て巡禮《じゆんれい》で暮《くら》して見《み》たい」と、云《い》つて微笑《びせう》した。が、彼《か》れの面《おもて》は四五|年前《ねんぜん》よりも更《さら》に俗氣《ぞくき》が少《すくな》い。
「それも面白《おもしろ》からう、君《きみ》は生存《せいそん》競爭《けうさう》の渦中《くわちゆう》に投《とう》ずる人《ひと》ぢやないんだから。しかし國《くに》の家族《かぞく》はどうする、君《きみ》が貢《みつ》がなくてもいゝんかい。」
「いや國《くに》ぢや困《こま》つてるだらう」
「ぢや、君《きみ》一人《ひとり》仙人《せんにん》になる譯《わけ》にも行《い》かんぢやないか、第《だい》一|經濟科《けいざいくわ》に入《はい》つたのが、既《すで》に君《きみ》自身《じしん》の好《この》みぢやなくつて、一|家《か》の事《こと》を思《おも》つたからだもの」
「無論《むろん》さうだがね」と細野《ほその》の面《おもて》にも少《すこ》しは憂色《いうしよく》が現《あら》はれたが、それも瞬《またゝ》く間《うち》に消《き》え失《う》せ、「しかし僕《ぼく》は鄉家《くに》の事《こと》ばかり考《かんが》へちやゐられない、それで彼方《あちら》から手紙《てがみ》でも來《く》ると、厭《いや》な氣《き》がしてならんから、成《なる》べく讀《よ》まんやうにしてる」
「だつて、何時《いつ》までもそれぢやゐられまい、君《きみ》だつて既《すで》に二三|年《ねん》も會社《くわいしや》で働《はたら》いてたんだから、多少《たせう》事務《じむ》の經驗《けいけん》も積《つ》んだらうしね、捜《さが》したら相當《さうたう》な職《しよく》が得《え》られるだらう、何《なん》なら僕《ぼく》が周旋《しうせん》しやうか」
「先《ま》づ當分《たうぶん》見合《みあは》せる、それに僕《ぼく》にや經驗《けいけん》が役《やく》に立《た》たんから駄目《だめ》だよ。尤《もつと》も社《しや》へ出《で》てる間《あひだ》は漸《やうや》く一人《ひとり》前《まへ》の事《こと》だけ出來《でき》んでもなかつたがね、社《しや》を出《で》ると直《す》ぐにその經驗《けいけん》が消《き》えてしまつた氣《き》がする。社《しや》にゐた時《とき》でも、帳簿《ちやうぼ》に向《むか》つてると、何《なん》だかかう、脊《せな》に石《いし》でも脊負《せお》つてるやうで、呼吸《いき》も苦《くる》しくなるんだ、それで社《しや》から歸《かへ》りに堀端《ほりばた》へ出《で》て、あの石垣《いしがき》や松《まつ》を見《み》ると、急《きふ》に重荷《おもに》が下《お》りて氣《き》が淸々《せい〳〵》するよ。で、終《しまひ》には算盤《そろばん》持《も》つて何《なに》かやつてゝも、目《め》の前《まへ》に石垣《いしがき》がちら〳〵することがあつた位《くらゐ》だ」
「何時《いつ》までも君《きみ》は變《かは》らないね、その點《てん》は羨《うらや》ましいが、少《すこ》しは生活《せいくわつ》も考《かんが》へ玉《たま》へな」
「あゝその間《うち》どうかする」
それから二人《ふたり》は、戀《こひ》を談《だん》じ詩《し》を語《かた》り、人生《じんせい》の憂苦《いうく》を歎《たん》じた。細野《ほその》の顏《かほ》は窶《やつ》れて、如何《いか》にも世路《せいろ》に疲《つか》れてるやうに見《み》えるが、心《こゝろ》は昔《むかし》のまゝだ。人間《にんげん》の冷熱《れいねつ》世路《せろ》の艱難《かんなん》は彼《か》れの肉《にく》を殺《そ》ぎ骨《ほね》を削《けづ》つても、その心《こゝろ》を傷《きづゝ》けることは出來《でき》ぬのであらう。彼《か》れの胸中《きやうちゆう》には永《とこし》へに汚《けが》されぬ靈花《れいくわ》が潛《ひそ》んでゐる。自分《じぶん》の心《こゝろ》にもまだ多少《たせう》昔《むかし》の影《かげ》が殘《のこ》つてるのか彼《か》れの詩《し》の話《はなし》を聞《き》くと胸躍《むねおど》つて、俗事《ぞくじ》に身《み》を沒《ぼつ》するのが厭《いと》はしく、社長《しやちやう》や重役《ぢうやう》の俗氣《ぞくき》紛々《ふん〴〵》たる顏《かほ》に唾《つばき》でも引《きつ》かけたくなる。
「時《とき》に山伏町《やまぶしちやう》の婆《ばア》さんはどうしたらう、君《きみ》はちつとも行《い》かないか」と、自分《じぶん》は突如《だしぬけ》に聞《き》いた。
「むん、婆《ばア》さんには一|度《ど》も會《あ》はないが、先月《せんげつ》だつたか、あの近所《きんじよ》へ行《い》つたからね、餘所《よそ》ながらどうなつたか見《み》やうと思《おも》つて、迂廻《まわりみち》して行《い》つて見《み》ると、もう前《まへ》の家《いへ》はない、打壞《うちこわ》して新築《しんちく》に取《と》りかゝつてる」
「で、堤《つゝみ》の家《うち》はどうだ」
「あれは元《もと》の通《とほ》りだ、家《うち》の者《もの》には會《あ》はないが、妻君《さいくん》の話《はなし》聲《ごゑ》はしてゐたよ、それで僕《ぼく》はいろんな事《こと》が考《かんが》へられて、暫《しば》らくあの前《まへ》をうろ〳〵してゐたよ、君《きみ》、僕《ぼく》等《ら》が住《す》んでた二|階《かい》はもう倒《たほ》されて影《かげ》も形《かたち》もないのだ」と細野《ほその》は感《かん》じを籠《こ》めた聲《こゑ》で、白目《しろめ》を寄《よ》せて云《い》ふ。
「あの二|階《かい》時代《じだい》が僕《ぼく》の一|生《しやう》で一|番《ばん》愉快《ゆくわい》な空想《くうさう》の時代《じだい》だつたがね、もう壞《こわ》されたかね。そして堤《つゝみ》の娘《むすめ》はどうしたらう、無論《むろん》何處《どこ》かへ片付《かたづ》いたらうが、君《きみ》は知《し》らないか」
「知《し》らんよ」
「さうか、僕《ぼく》はね、今《いま》だから云《い》ふんだが、あの女《をんな》にラブしてたよ」と自分《じぶん》は初《はじ》めて他人《たにん》に打明《うちあ》けた。
「さうか」と細野《ほその》は驚《おどろ》いた風《ふう》もなく、「君《きみ》は獨《ひと》りで思《おも》つてただけか」
「無論《むろん》さ、今《いま》ならあの位《くらゐ》の女《をんな》に恐《おそ》れを抱《いだ》きやしない、成功《せいこう》か失敗《しつぱい》か、兎《と》に角《かく》當《あた》つて見《み》るがね、あの時《とき》は奇麗《きれい》な女《をんな》を見《み》りや、頭《てん》から天女《てんによ》のやうな氣《き》がして、うつかり手出《てだ》しは出來《でき》やしない、只《たゞ》拜《おが》んでばかりゐたんさ、」
「しかしあの女《をんな》は純潔《じゆんけつ》だよ、僕《ぼく》は今《いま》でもあの女《をんな》を思《おも》ふと、一|種《しゆ》の刺激《しげき》を受《う》ける。そして若《も》しか彼女《あれ》が卑俗《ひぞく》な男《をとこ》に結婚《けつこん》してゐやしないかと思《おも》ふと、非常《ひじやう》に哀《あは》れに感《かん》ぜられる、」
「なあにあれだつて只《たゞ》の女《をんな》だらう、で、君《きみ》はどうだつた、あの女《をんな》に思召《おぼしめ》しがあつたか」
細野《ほその》は少《すこ》し頰《ほゝ》を紅《あか》めて、「あの女《をんな》は一|時《じ》僕《ぼく》の理想《りさう》だつたんさ、無論《むろん》結婚《けつこん》したいの何《なん》のといふ考《かんが》へは更《さら》になかつたがね、その代《かは》り他人《たにん》とも結婚《けつこん》しないやうに望《のぞ》んでゐた、結婚《けつこん》すれば堕落《だらく》する、だから何時《いつ》までも獨身《どくしん》で、女神《めがみ》で一|生《しやう》を送《おく》るやうに願《ねが》つてたんだ」
「だが、幾《いく》ら君《きみ》だつて、今《いま》あの女《をんな》に會《あ》つたら失望《しつばう》するだらう、理想《りさう》の女神《めがみ》先生《せんせい》、もう子供《こども》の一人《ひとり》や二人《ふたり》は生《う》んで、所帶《しよたい》染《じ》みてるだらう、」と、自分《じぶん》は冷笑《れいせう》して、「あれから、葛原《くづはら》の大將《たいしやう》は何處《どこ》にゐるだらう、僕《ぼく》は堤《つゝみ》の奴《やつ》よりも葛原《くづはら》に遇《あ》ひたいよ」
「あの男《をとこ》は凾館《はこだて》にゐるさうだ、物產《ぶつさん》會社《くわいしや》で多少《たせう》重《おも》く用《もち》ひられて、今《いま》は彼地《あちら》へ派遣《はけん》されてるさうだ」
「さうか、葛原《くづはら》は理想《りさう》のない俗物《ぞくぶつ》だが、どうもエライ所《ところ》があるよ」

(七)

自分《じぶん》は大阪《おほさか》へ歸《かへ》つて、半歲《はんとし》程《ほど》は月《つき》に二三|度《ど》必《かなら》ず細野《ほその》へ手紙《てがみ》を送《おく》つてゐたが、次第《しだい》に怠《おこた》り勝《がち》になり、以前《いぜん》と同《おな》じく全《まつた》く音信《おんしん》の絕《た》えるやうになつた。で、殆《ほと》んど彼《か》れの名《な》をすら思《おも》ひ浮《うか》べなくなつた。所《ところ》が或日《あるひ》、全《まつた》く緣《えん》のない人《ひと》から彼《か》れの變死《へんし》の噂《うはさ》を聞《き》いたのである。自分《じぶん》は驚《おどろ》いて詳《くは》しいことを尋《たづ》ねたが、明瞭《めいれう》には分《わか》らない。只《たゞ》或《ある》山間《さんかん》の溪《たに》に落《お》ちて死《し》んだとばかり、自殺《じさつ》やら過失《くわしつ》やら、それも分《わか》らぬ。で、自分《じぶん》は色々《いろ〳〵》に想像《さう〴〵》して見《み》た。巡禮《じゆんれい》に出《で》て崖《がけ》の上《うへ》で、何《なに》か考《かんが》へ込《こ》んで足《あし》を辷《すべ》らしたのかも知《し》れぬ。水中《すゐちゆう》に天女《てんによ》の影《かげ》を見《み》て飛込《とびこ》んだのかも知《し》れぬ。しかし彼《か》れは生活《せいくわつ》の困難《こんなん》の爲《ため》に自殺《じさつ》するやうな男《をとこ》ではない。ウエルテルに同感《どうかん》してゐたけれど、决《けつ》して失戀《しつれん》の爲《ため》に自殺《じさつ》する男《をとこ》ではない。自分《じぶん》の生活《せいくわつ》や戀《こひ》の苦《くるし》みも、自分《じぶん》から離《はな》して見《み》て、泣《な》いたり笑《わら》つたりしてゐた男《をとこ》だと、一人《ひとり》で定《き》めて、敢《あえ》て細野《ほその》の死《し》について、彼《か》れの鄉家《くに》や友人《いうじん》から事情《じゞやう》を聞《き》かうともしなかつた。それから五|年《ねん》の後《のち》、自分《じぶん》は東京《とうきやう》の支店《してん》に勤《つと》めることゝなり、飛立《とびた》つやうに喜《よろこ》んで上京《じやうきやう》し、小石川《こいしかは》に一|家《か》を構《かま》へた。この時《とき》は既《すで》に結婚《けつこん》をして子供《こども》も一人《ひとり》設《まう》けてゐたのである。
或夏《あるなつ》の午後《ごゞ》仕事《しごと》を濟《す》ませ茅場町《かやばちやう》の會社《くわいしや》を出《で》て、電車《でんしや》の停留場《ていりうぢやう》へ向《む》けて步《ある》いてると、向《むか》うから鍔《つば》の廣《ひろ》いパナマの帽子《ぼうし》を被《かぶ》つた大柄《おほがら》の男《をとこ》が、綱引《つなびき》付《つき》の車《くるま》で駈《か》けて來《く》る。稍々《やや》近《ちか》づいて見《み》ると、それが葛原《くづはら》のやうだ。もしやと疑《うたが》ひながらその顏《かほ》を見詰《みつ》めてゐた。するとその男《をとこ》も自分《じぶん》の顏《かほ》を不審《ふしん》げに見《み》てゐたが、摺違《すれちが》う機會《とたん》に、彼《か》れから大聲《おほごゑ》で、「槇田君《まきたくん》ぢやないか」と云《い》つて車《くるま》を止《と》めた。
「葛原《くづはら》君《くん》ですか、どうもさうだらうと思《おも》つた。久振《ひさしぶ》りだねえ」
「いゝ所《ところ》で會《あ》つた、色々《いろ〳〵》話《はなし》もしたいんだが、今日《けふ》は急用《きふよう》があるんだからね、近日《きんじつ》改《あらた》めて會《あ》はうぢやないか、堅《かた》く約束《やくそく》して置《お》かう」と互《たが》ひに住所《じうしよ》を交換《かうくわん》して別《わか》れた。
この後《ご》自分《じぶん》は二三|度《ど》葛原《くづはら》に會《あ》つて、彼《か》れのお供《とも》をして料理屋《れうりや》や待合《まちあひ》入《ばいり》をして呑《の》み明《あ》かすこともある。或時《あるとき》彼《か》れに向《むか》つて、
「僕《ぼく》は山伏町《やまぶしちやう》時代《じだい》には寧《むし》ろ君《きみ》を嫌《きら》つてたが、今《いま》ぢや君《きみ》に感服《かんぷく》する、君《きみ》はあの時分《じぶん》から世間《せけん》を心得《こゝろえ》てたからね、確《たし》かに僕《ぼく》等《ら》より十|年《ねん》も進步《しんぽ》してゐたのだ」と云《い》つて細野《ほその》の話《はなし》をすると、葛原《くづはら》も久振《ひさしぶ》りで細野《ほその》を思《おも》ひ出《だ》したらしく、
「あの男《をとこ》には一|度《ど》停車場《ステーシヨン》で會《あ》つたよ、あれが死《し》にに旅行《りよかう》する時《とき》だつたらう、元氣《げんき》のない顏《かほ》で、ぼんやり立《た》つてたよ」と面白《おもしろ》さうに笑《わら》ひ、
「山吹町《やまぶきちやう》にゐた時《とき》、何《なん》でも君《きみ》が一人《ひとり》で外《ほか》へ移《うつ》つた後《あと》でね、餘程《よほど》面白《おもしろ》かつた。細野《ほその》奴《め》、隣《とな》りの美人《びじん》に惚《ほ》れてゝ、獨《ひと》りで煩悶的《はんもんてき》のことをやつてたさ、或時《あるとき》も何《なに》を考《かんが》へたかね、夜中《よなか》に起《お》きて、裏木戶《うらきど》から堤《つゝみ》の庭《には》へ入《はい》り込《こ》んでうろ〳〵してたんだらう、其處《そこ》を書生《しよせい》か誰《だ》れかに見《み》つかつて、大騷《おほさわ》ぎになつたんだがね、隨分《ずゐぶん》滑稽《こつけい》だつたよ。水《みづ》で死《し》んだのも、流行《りうかう》の失戀《しつれん》的《てき》煩悶《はんもん》か何《なに》かの結果《けつくわ》だらう」と、冷笑的《れいせうてき》に云《い》ふ。しかし自分《じぶん》は細野《ほその》が庭《には》に忍《しの》び込《こ》んだのも、何《なに》かの夢《ゆめ》に誘《さそ》はれたので、別《べつ》に意味《いみ》もなからうと思《おも》ふ。彼《か》れの死《し》については偶然《ぐうぜん》か故意《こい》か、誰《だ》れも知《し》らぬ。只《たゞ》葛原《くづはら》は細野《ほその》のことを話《はな》す每《ごと》に、「變《へん》な男《をとこ》だ」とか「あれぢや飯《めし》が食《う》へん、生《い》きてられる譯《わけ》がない」とか、一口《ひとくち》に嘲《あざけ》つてしまうのが例《れい》で、自分《じぶん》も同意《どうい》はする。しかし時々《とき〴〵》は細野《ほその》が空《そら》を仰《あふ》いでる姿《すがた》を思《おも》ひ出《だ》し、彼《か》れが白雲《しらくも》の徂徠《そらい》を見《み》て感淚《かんるゐ》にむせんでる五|分間《ふんかん》と、葛原《くづはら》の一|代《だい》の事業《じげふ》と、何《いづ》れが味《あぢ》が深《ふか》いだらうかと疑《うたが》ふこともある。


株虹

太平洋岸《たいへいやうがん》の激浪《げきらう》怒濤《どとう》、東北《とうほく》地方《ちはう》の荒凉《かうれう》たる光景《くわうけい》は見馴《みな》れてゐるが、これ等《ら》はどうも予《よ》の性《しやう》に合《あ》はぬ。それでこの秋《あき》は局面《きよくめん》を變《か》へて、瀨戶内海《せとないかい》の沿岸《えんがん》に寫生《しやせい》旅行《りよかう》をした。氣《き》に入《い》つた土地《とち》には五日《いつか》でも六日《むいか》でも滯在《たいざい》し、厭《いや》になれば夜中《よなか》にでも出立《しゆつたつ》する。贅澤《ぜいたく》を盡《つく》す旅《たび》でもなく、名所《めいしよ》舊蹟《きうせき》を遍歷《へんれき》するのでもなく、只《たゞ》海岸《かいがん》を巡《めぐ》つて柔《やはら》かい波《なみ》の音《おと》を聞《き》き、よく食《くら》ひよく眠《ねむ》るを喜《よろこ》んで一月《ひとつき》ばかりを過《すご》した。その中《うち》旅費《りよひ》も乏《とぼ》しくなり、歸京《きゝやう》の期《き》も迫《せま》り、申譯《まをしわけ》ばかりのスケツチも、大分《だいぶん》量張《かさば》つた頃《ころ》、或《ある》無名《むめい》の海岸《かいがん》に最後《さいご》の旅裝《りよさう》を解《と》いて數日《すうじつ》を送《おく》ることゝした。
夜《よる》遲《おそ》く着《つ》いて撰擇《せんたく》の暇《ひま》もなく、酒樓《しゆらう》兼帶《けんたい》の小《ちい》さい薄汚《うすぎたな》い旅人宿《はたごや》に宿《とま》つたが、案外《あんぐわい》によく眠《ねむ》れたので、翌日《よくじつ》は早朝《さうてう》から畫板《ぐわばん》を提《ひつさ》げて海邊《かいへん》へ出《で》た。藻草《もくさ》の臭《にほ》ひや魚《さかな》の臭《にほひ》はするが、既《すで》に鼻《はな》に馳《な》れて、それが何《なん》となくいゝ氣持《きもち》がする。呟《つぶや》く如《ごと》く足下《あしもと》へ寄《よ》る波《なみ》の音《おと》を聞《き》くと、潮《うしほ》の中《なか》へ全身《ぜんしん》を浸《ひた》して、骨髓《こつずゐ》まで海氣《かいき》に染《そ》みたくなる。山間《やまが》には秋《あき》の哀《あは》れさ淋《さび》しさが露骨《むきだし》にあらはれてゐやうが、少《すくな》くも瀨戶内海《せとないかい》の潮風《しほかぜ》には、しんみり[#「しんみり」に傍点]した穩《おだや》かな香《にほひ》が漂《たゞよ》うてゐても、萬物《ばんぶつ》を凋落《てうらく》せしむる氣《き》を含《ふく》んで居《ゐ》ない。