裁判 - 1
裁判
エルマー・ライス
各場面概要
プロローグ 法廷
第一幕
第一場 一九一三年六月二十四日午後九時三十分 ジェラルド・トラスク家の
書斎
第二場 法廷
第二幕
第一場 法廷
第二場 一九一三年六月二十四日午後七時三十分 ロバート・ストリックラン
ド家の居間
第三場 法廷
裁判二日目
第三幕
第一場 法廷
第二場 十三年前、ロング・アイランドのホテルの一室
第三場 法廷
エピローグ
第一場 陪審室
第二場 法廷
――――
いずれの幕も観客が席に着いてから幕を開けることが肝要。
第一幕と第二幕のあいだには五分間隔を置くこと。
第二幕と第三幕のあいだには九分間隔を置くこと。
第三幕とエピローグのあいだには五分間隔を置くこと。
プロローグ
場面 法廷。裁判官席に座る裁判官、等々。陪審員席には十二名の男。
書記
ミスタ・サマーズ、陪審員席の空いているところにお座りください。(足音)
グレイ
お名前は?
サマーズ
ジョン・サマーズです。
(幕が上がる)
グレイ
ミスタ・サマーズ、ご職業は?
サマーズ
電気技師です。
グレイ
個人でお仕事を?
サマーズ
ええ。マジソン・アヴェニュの一番地で。
グレイ
ミスタ・サマーズ、あなたは死刑に反対ですか?
サマーズ
いいえ。
グレイ
あなたはこの裁判の被告人、ロバート・ストリックランドをご存じですか。
(ストリックランド、立ちあがる。右腕を三角巾でつっている)
サマーズ
いいえ。
(ストリックランド、着席)
グレイ
彼と関わりのある人を誰か知っていますか。
サマーズ
いいえ。
グレイ
ジェラルド・トラスクはご存じですか。その殺害容疑でストリックランドは
裁判にかけられるのですが。
サマーズ
いいえ。お名前は新聞でよく見かけますが、会ったことはありません。
グレイ
殺された男性の未亡人、ミセス・トラスクはご存じですか。
サマーズ
いいえ。
グレイ
スタンレー・グローバーはご存じですか。ミスタ・トラスクが亡くなったと
き、彼の私設秘書を務めていたのですが。
サマーズ
(自信なげに)グローバーですか? どうでしょうか。
グレイ
ミスタ・グローバーを呼んでください。
廷吏
(上手のドアを開ける)スタンレー・グローバー。
(グローバー、上手よりあらわれる)
グレイ
こちらがミスタ・グローバーです。
サマーズ
いいえ。存じ上げません。
グレイ
お戻りください、ミスタ・グローバー。
(グローバー、上手に去る)
グレイ
あなたは地区検事の仕事に関わる人、あるいは被告人の弁護士、ミスタ・ア
ーバックルの仕事に関わる人を誰かご存じですか。
サマーズ
いいえ。
グレイ
この事件の詳細をご存じですか。
サマーズ
ほんの少しだけ。殺人事件の記事なんていちいち細かく読むことはありませ
んよ!
グレイ
公平で厳正な評決を下す際、妨げになるような意見をお持ちですか。
サマーズ
いいえ、持っていません。
グレイ
以上です。質問がありますか、ミスタ・アーバックル?
アーバックル
(テーブルの上手側に座っていたが、立ち上がり)ミスタ・サマーズ、あな
たは結婚していますか。
サマーズ
ええ、してますよ。
アーバックル
結婚して何年になりますか。
サマーズ
十五年です、次の三月で。
アーバックル
お子さんは?
サマーズ
います。男の子が二人、女の子が一人。
アーバックル
陪審団に不満はありません、裁判官。(着席)
ディンズモア
あなたのほうも不満はないかね、ミスタ・グレイ。
グレイ
はい、ございません。
ディンズモア
(書記にむかって)宣誓させなさい。
書記
(陪審員にむかって)皆さん、ご起立願います。右手を挙げてください。(陪
審員、言われた通りにする)ここにいる陪審員はひとりひとりが、ロバート・
ストリックランドに対するニューヨーク州検察局の告発を充分かつ適切に審
理し、証拠に従って正しい評決を下すことを、永遠の神の前におごそかに誓
います。
ディンズモア
始めたまえ、ミスタ・グレイ。
グレイ
(陪審団にむかって)では、おそれながら。陪審員の皆さん、本件は非常に
単純な事件です。ときどき新聞に発表された事実を、皆さんはきっとよくご
存じでしょう。のちほど証拠を提出しますが、ここでは皆さんの記憶をあら
たにするため、ごくかいつまんで状況を説明いたします。ミスタ・ジェラル
ド・トラスクは、ご存じのように、この街では著名な銀行家でした。この土
地の名士であり、社交界と金融界において重要な地位に就いていたのです。
ミスタ・トラスクの知り合いのなかに被告のロバート・ストリックランドが
いました。二人が知り合った頃、ストリックランドはビジネスマンとしてそ
こそこ成功を収めていて、彼とミスタ・トラスクは頻繁に顔を合わせていま
した。ところが数ヶ月前からストリックランドは事業が行き詰まり始めたの
です。トラブルの原因はここでは問題ではありません。しかしわれわれの関
心を引く点は、皆さん、ストリックランドがますます財政困難に陥り、友人
のジェラルド・トラスクに金銭的な助けを求めなければならなくなったこと
です。ミスタ・トラスクはいつもの気前のよさで、約束手形を担保に受け取
り、即座に一万ドルをストリックランドに貸し与えました。しかしストリッ
クランドの事業は好転せず、彼は西部に移住することを決心したのです。約
束手形は六月二十二日、殺人の二日前が支払期日になっていました。二十二
日の日、ストリックランドはオハイオ州クリーブランドで自分と家族のため
に、引っ越しの支度を整えていました。しかし二十四日、殺人のあった日の
晩、ミスタ・トラスクを呼んで、約束手形と引き替えに借金を返済したので
す。皆さん、注意していただきたいのは、ストリックランドが借金を現金で
払ったという事実です。彼はビジネスマンだったのですよ。(アーバックル
がストリックランドに耳打ちする)それなのに小切手や為替ではなく、現金
で支払ったのです! 一万ドルを現金で! ミスタ・トラスクは立ち直るこ
とができるまで貸した金を返さなくてもいいと申し出たのですが、ストリッ
クランドはそれを無視しました。皆さん、彼がなぜそんなに熱心に借金を返
そうとしたのか、ここですぐお聞かせしましょう。彼は一セントも金を払わ
ずに負債をちゃらにしてしまう、ちょっとした計画を練り上げていたからで
す。別に手の込んだ計画ではありません。彼はミスタ・トラスクがその晩、
一万ドルを自宅に保管するだろうと考えていました。きっと書斎の金庫に入
れるだろうと思っていたのです。しかも、皆さん、彼はミスタ・トラスクの
金庫の数字を知っていました。いいですか、金庫を開ける数字の組み合わせ
を知っている人は二人しかいませんでした。ミスタ・トラスクとストリック
ランドです。しかしストリックランドにはその仕事を一人でやる度胸がなかっ
た。そこで手伝ってくれる人間を呼び入れたのです。かくして彼と共犯者は、
借金を返済した数時間後にミスタ・トラスクの家に忍び込みました。共犯者
が金庫を開け、ストリックランドが見張りに立ちました。泥棒はさして苦も
なく金庫を開け、一万ドルを取り出しました。一方、ストリックランドはそ
の仕事ぶりを監督していたわけです。ところが逃げようとするときに邪魔が
入りました。最初にミセス・トラスクが、次に彼女の夫があらわれたのです。
共犯者は盗品を抱えたままあわてて逃げ出しました。皆さん、共犯者の消息
はそこまでしかつかめていません。彼が誰なのか、どこに行ったのか、今の
ところ分かっていないのです。しかしミスタ・ストリックランドは盗みの現
場を見られてしまった。そして彼は、死人に口なしとばかりに、ミスタ・ト
ラスクを冷血にも射殺したのです。皆さん、これが事件のあらましです。ミ
セス・トラスク、つまり殺人被害者の未亡人が、皆さんに詳しい話を聞かせ
てくれるでしょう。彼女の証言はミスタ・グローバー、ミスタ・トラスクの
秘書によって裏付けられるはずです。この秘書の勇気ある行動のおかげで、
殺人者は武器を奪われ逮捕されたのです。そしてこの秘書が彼を有罪に結び
つける一連の証拠を積みあげるのに大いに力を貸してくれたのです。被告の
行為は逐一、疑いの余地なく明らかにされています。ストリックランドは弁
護をしてもむだと悟り、一切の……。
アーバックル
異議あり。(立ちあがる)
ディンズモア
弁護側は口をはさまないでください。
(アーバックル、着席)
グレイ
ストリックランドは一切の自己弁護を拒否してきたのです。罪状認否を問わ
れたとき……
アーバックル
異議あり。(立ちあがる)
ディンズモア
弁護側は口をはさまぬよう。
(アーバックル、着席)
グレイ
罪状認否を問われたとき、彼は第一級殺人という起訴に対してみずから有罪
を認めたのです。もしかすると皆さんはこうお尋ねになるかも知れない。も
しもそうなら、なぜわれわれはここに集まったのか、と。なぜ郡はわざわざ
費用を払ってまで裁判をするのか。その費用は結局は納税者の負担になると
いうのに。なぜビジネスマンであるあなたがたは仕事を休まなければならな
いのか。貴重な時間を奪われるというのに。なぜ殺人者に与えられるべき刑
罰が被告人に課せられないのか。皆さん、その答えを申し上げましょう。そ
れは国家が市民の生命を大切に守っているからなのです。国家にとって個人
の存在は神聖なものなのです。その人がどれほど腐敗堕落し、犯罪的で社会
の脅威になろうとも。みずから殺人者を名乗る者にすら、十二人の同じ市民
が厳かな裁判の場で、冷静沈着に事実を聞いて比較検討し、その者が犯罪の
報いをうけてしかるべきだと決するまで国家は処刑を認めないのです。それ
ゆえに皆さんは今日ここにいるのです。それゆえに裁判官はストリックラン
ドに立派な弁護士をつけたのです。そしてそれゆえに、被告に加えられて当
然の罰が皆さんによって加えられる前に、検察は非の打ち所のない目撃者の
証言を提示して、皆さんに被告の罪を確信させようとしているのです。不運
なことに、被告の共犯者には逃げられてしまいました。しかし、皆さん、主
犯格は捕えられています。われわれは彼に、法の定める罰を与えるつもりで
す。これ以上は何も申しません。事実はおのずから明らかになるはずです。
(陪審団を見まわす。テーブルの下手側に着席)
アーバックル
(起立し、テーブルの脇に立って陪審員にむかって話しかける)では、おそ
れながら。陪審員の皆さん、裁判官からこの事件の弁護を命じられたとき、
わたしは検察の主張はとても認めることができないと思いました。わたしは
ストリックランド氏の評判を知っています。強盗に入ったなど、見当違いの
憶説であります。この信念はミスタ・ストリックランドを親しく知るにつれ、
ますます強まっていきました。彼はこの上なく名誉を重んじる誠実な人間で
す。すばらしい知性と立派な評判の持ち主です。そして悪癖や贅沢にふける
ことなく、妻と子供を深く愛していらっしゃる。このような人物が物取り目
当てに友人宅に押し入るわけがない。この事件は、検察のミスタ・グレイが
信じさせようとするほど明快でも単純でもないように思われます。しかしこ
の残忍な事件には謎が潜んでいるという確信にもかかわらず、わたしはその
証拠を何一つ見つけられませんでした。検察が言ったように、ミスタ・スト
リックランドは最初から頑固に、堅く口を閉ざしつづけています。弁護士を
始めてから、このように断固として説得に応じない人は見たことがありませ
ん。脅しにも懇願にも理屈にも、同じように彼は無関心です。その結果、わ
たしはストリックランドが誰かをかばっているのではないか、という結論に
達しました。いちばん考えられるのはミセス・トラスクを襲い、金庫をこじ
開けた正体不明の共犯者です。この人物の正体を突き止め、ストリックラン
ドがこの男をかばう理由を知ろうと、わたしは被告の家族を捜しました。皆
さん、わたしはそこで愕然としました。悲劇のあった晩から被告の妻は姿を
消し、以来消息不明になっていたのです。彼女を捜し出そうと手を尽しまし
たが、すべてが無駄に終わりました。わたしは(間を置き、ストリックラン
ドを見る)彼女が自殺したと信じざるを得ません。しかしながら被告の幼い
娘であるドリスは見つけることができました。皆さん、彼女の話を聞けば、
ストリックランドを死刑台に送ることがとんでもない誤りであると、納得し
ていただけると思います。今はこれだけにしておきます。(着席)
ストリックランド
(上手のテーブル手前に坐っていたが立ち上がる)裁判官、やめてください。
娘をこの事件に引っ張りこむのはやめてください。わたしは有罪を認めたので
す。喜んでその償いをします。
(アーバックルがストリックランドに着席するように言う)
ディンズモア
申し立てはあなたの弁護人がします。
ストリックランド
弁護人なんていらない。弁護することなんてないんです。どうして判決を言
い渡さないんです? どうして?
ディンズモア
続けてください、ミスタ・グレイ。
ストリックランド
裁判官――。
ディンズモア
静粛に!
(ストリックランド、着席する)
グレイ
ミセス・トラスクを呼んでください。(廷吏が上手のドアから退場、ミセス・
トラスクの名を呼ぶ。彼女が上手から登場)ミセス・トラスク、どうぞ証人
台へ。
書記
右手をあげてください。これからあなたが行う証言はすべて例外なく真実で
あることを神に誓いますか?(彼女はうなずく)お名前は?
ミセス・トラスク
ジョーン・トラスクです。
グレイ
ミセス・トラスク、あなたはジェラルド・トラスクの未亡人ですね。
ミセス・トラスク
さようでございます。
グレイ
ミスタ・トラスクと結婚してどれくらいになりますか。
ミセス・トラスク
ほぼ十五年です。
グレイ
六月二十四日の晩のことを覚えていますか。
ミセス・トラスク
もちろん覚えています。
グレイ
あの晩、どちらにいらっしゃいましたか。
ミセス・トラスク
友達と外で食事をしていました。
グレイ
何時に家に戻りましたか。
ミセス・トラスク
九時半頃でした。
グレイ
では、ミセス・トラスク。法廷と陪審員に、帰宅してから起きたことをすべ
てお話しください。
ミセス・トラスク
家のなかに入るとすぐに書斎の電話が鳴りました。
(暗転。幕)
第一幕
第一場
場面 トラスクの書斎。上手に入り口。下手にミセス・トラスクの部屋に通
じるドア。舞台奥にはフレンチ・ウインドウ。上手に金庫。
幕が上がると同時に電話が鳴る。ミセス・トラスクが上手後方から登場、電
話のほうへむかう。
ミセス・トラスク
(下手の電話を取り)もしもし。はい、はい、こちらはリバー182番です
が。いいえ、主人はおりません。どちら様でしょうか。わたしは妻ですが。
お名前をいただけますか。どういったご用件でしょう。主人のことならわた
しが承りますわ。ああ、そうですか。いつ戻るか分かりませんが。さあ、ど
うでしょう。結構ですわ。失礼します。(見るからに動揺した様子で電話か
ら離れる)
グローバー
(下手から登場。電話のほうにむかう)電話が鳴ったと思ったんですが。
ミセス・トラスク
ええ。わたしが出ました。(上手に行く)
グローバー
ああ、奥様に来たんですか。
ミセス・トラスク
いいえ、夫に。
グローバー
誰からです?
ミセス・トラスク
(上手ドアのところで)女よ、いつものように。
グローバー
そうでしたか。(下手テーブルに着く)
ミセス・トラスク
(中央上手寄りにむかい)誰か知っている?
グローバー
いいえ、まったく。
ミセス・トラスク
でしょうね。夫が秘書にそんなことまで打ち明けるとは思えないから。でも
とくに隠そうともしないなんて、恥知らずもいいところだわ。
グローバー
そのような話しはどうかご容赦を――。
ミセス・トラスク
そうよね。普通はこんなこと話さないんだけど、でもわたしだって我慢に限
界があるわ。(上手前方でケープをソファに置く)
グローバー
奥様、本当にどうか――。
ミセス・トラスク
十五年、耐えてきたのよ。ああ、わたしはなんて馬鹿なのかしら、こんな我
慢の生活。
グローバー
奥様、わたしの立場もご理解ください。(彼女のほうへむかう)
ミセス・トラスク
(上手ソファに座る)ええ、その通りね。許してちょうだい。あなたにぐち
を言ったりして悪かったわ。
グローバー
いいえ、ちっとも。ただ――。
ミセス・トラスク
ときどきこらえられなくなるの。でも、こんな話しはもうやめましょう。夫
は今晩帰ってくるのかしら。
グローバー
(下手にむかい、時計を見る)はい。今朝電話で、ロングブランチから九時
十二分の汽車で帰るとおっしゃいました。今九時半ですから、もう着いても
いい頃合いです。(テーブルの下手側に座る)
ミセス・トラスク
二日間、あちらで何をしていたのかしら。
グローバー
ゴルフと釣りじゃないでしょうか。
ミセス・トラスク
来週まで待ってもよかったのに。そのあとは夏のあいだじゅう、むこうにい
るんだから。そうそう、店屋の請求書を見ておいてちょうだい。わたしたち
が街をはなれる前に。
グローバー
すぐにやりましょう。会計簿はどこです?
ミセス・トラスク
金庫のなかよ。
グローバー
(金庫のところへ行き、開けようとする)鍵が掛かっていますね。コンビネ
ーションはご存じですか。
ミセス・トラスク
いいえ。新しい金庫のは知らないわ。あなたは知らないの?
グローバー
ええ。ミスタ・トラスクがいらっしゃらないときに金庫を開けたことはあり
ません。
ミセス・トラスク
コンビネーションを教えてもらわないとだめね。(中央上手寄り後方へ)
(中央上手寄りからトラスク登場)
トラスク
ただいま、ジョーン!(ミセス・トラスクは彼に背をむけ、上手前方へ)や
あ、グローバー!
グローバー
お帰りなさい、ミスタ・トラスク。
(ミセス・トラスクは返事をしない)
トラスク
(ミセス・トラスクに)どうしたんだい?(上手前方へ)
ミセス・トラスク
なんでもないわ。(ソファに座る)
トラスク
おや、挨拶はそれだけかい?
グローバー
(立ち上がる)わたしにお貸しください。(トラスクから帽子とコートを受
け取り、下手後方の椅子にかける)
トラスク
留守中、なにかあったか、グローバー。
グローバー
(下手のテーブルのほうに行き、座る)いいえ、なにも。
ミセス・トラスク
女から電話があったわ。
トラスク
ほう。誰からだった?
ミセス・トラスク
よくご存じでしょうに。
トラスク
知っていたら訊きはしないよ。誰だったんだ?
ミセス・トラスク
知らないわ。
トラスク
名前を訊かなかったのか?
ミセス・トラスク
名前を言うはずがないじゃない。
トラスク
また電話するといっていたか?
ミセス・トラスク
知らないわ。
グローバー
(あわてて立ち上がり)ミスタ・トラスク、金庫を開けてもらえませんか。
奥様の会計簿がいりますので。
トラスク
分かった。(ポケットを探る)どこにやったんだっけ。
グローバー
なにか無くし物でも?
トラスク
(まだ探している)ああ。名刺にコンビネーションを書きつけておいたんだ。
おかしいな。
グローバー
内ポケットじゃないですか。
トラスク
(内ポケットを探る)いや、ないな。いったいどこに突っ込んだんだろう。
ミセス・トラスク
別のスーツじゃない?
トラスク
(いらいらと)違う、違う。このポケットに入れたんだ。
グローバー
最後に見たのはいつです?
トラスク
昨日の朝、出発する前だ。小切手帳を取り出すために金庫を開けた。
ミセス・トラスク
ロングブランチに置いてきたんじゃない?
トラスク
そんなはずないさ。ロングブランチに金庫のコンビネーションを置いてきて
どうする?
グローバー
ほかのものと一緒に引っ張り出したのかもしれませんね。
トラスク
いや、ポケットにはほかに何も入っていない。(舞台後方に行きかけ、立ち
止まる)そうだ。思い出したぞ。
グローバー
どうしたんです?
トラスク
ストリックランドにやったんだ。
グローバー
ストリックランドに?
トラスク
そうだ。いまあいつの家から帰ってきたんだ。日曜日にロングブランチに来
いと言って、名刺に住所を書いたんだ。
グローバー
名刺にコンビネーションが書いてあったことは間違いありませんか?
トラスク
ああ。裏側をひっくり返して見ようともしなかった。まったく不注意だな。
会計簿は明日まで待ってくれ。(上手後方に行きかけ、中央下手寄りへむか
う)
グローバー
まあ、急ぐことはありませんから。
トラスク
(考えながら)待てよ。コンビネーションを思い出せそうだな。(金庫のほ
うに行き、ダイヤルをいじくる)いや、これじゃないか。
グローバー
朝まで待ってもかまいませんよ。
トラスク
君、話しかけられると番号が思いだせんじゃないか。分かった。ほら。(金
庫を開ける)さあ、どうぞ。(上手に行き、本棚の加湿器をいじくる)
グローバー
ありがとうございます。(金庫のところに行き、会計簿を取り出す)今晩は
お仕事をなさいますか?(テーブルの下手側に座る)
トラスク
いや、そのつもりはない。早めに寝たいんだ。一日中ゴルフで疲れたよ。
ミセス・トラスク
少し出発を日延べしてくれたらよかったのに。みんなでロングブランチに行
けたじゃない。
トラスク
いつ行くんだい?(中央上手寄りに移動)
ミセス・トラスク
月曜日。一緒に行かないの?
トラスク
土曜日の晩に行くよ。
ミセス・トラスク
どうして?
トラスク
日曜日に仲間と釣りに行くんだ。君も来るか、グローバー?
グローバー
ありがとうございます。喜んで。
トラスク
ストリックランドも来るよ。
グローバー
いつ西部から戻ったんです?
トラスク
今晩さ。電報でうちに来いと言われてね。
グローバー
例の手形はどうなさるんですか。支払期限は二十二日だったのに。
トラスク
払ってくれたよ。(テーブルの上手側に座る)
グローバー
払ったんですか?
トラスク
ああ。ここに一万ドルがある。(ポケットから金を取り出し数える)
グローバー
驚きましたね。払えないだろうと思っていたから。
トラスク
クリーブランドの取引先からかき集めたらしい。今晩あいつの家に行ったら、
この一万ドルを用意していてね。無理にもらいたくはなかったから、困ってい
るなら、返すのはもう少し先でもかまわないって言ったんだ。
グローバー
彼はなんて言いました?
トラスク
聞く耳持たずさ。返してきれいさっぱりになりたいんだと言っていた。
グローバー
ストリックランドらしいな。あくまで潔癖なところが。
トラスク
そうだな。
グローバー
彼はいい男ですよ。事業がうまくいかなかったのは気の毒だけど。
トラスク
まあ、ビジネスなんてそんなものさ。誰かが失敗しなきゃならない。
グローバー
ストリックランドはがっくりしてますよ。奥さんのことがあるせいでしょう
ね。大の愛妻家ですから。
ミセス・トラスク
奥さんて、すてきな人なの?
トラスク
(あくびしながら)さあなあ。会ったことがない。(グローバーに金を渡す)
一万ドルは金庫にしまっておいてくれ、グローバー。(ミセス・トラスクはフ
レンチ・ウィンドウのほうへ行く)
グローバー
どうして現金なんです?(立ち上がる)
トラスク
それがね、かき集めるのにえらく苦労したから、千ドル札十枚で返して、わ
たしを驚かせたくなったらしいよ。明日の朝、銀行に預金しておいてくれ。
グローバー
分かりました。(金庫のところへ行く。そのそばで)鍵を掛けますか?(ダ
イヤルを回すあいだ、身体で金庫を隠す)
トラスク
うん。(上手後方に行く。棚の本をいじくる)
グローバー
(立ち上がり)ほかにご用は?
トラスク
とくにないよ。
グローバー
それじゃ部屋に帰ります。(会計簿を取り上げる)朝までに用意しておきま
すよ、ミセス・トラスク。
ミセス・トラスク
ありがとう、ミスタ・グローバー。お休みなさい。(上手前方へ。ソファに
座る)
グローバー
お休みなさい。
トラスク
お休み。(上手前方へ)
ミセス・トラスク
お休み。
(グローバー、下手より退場)
トラスク
(グローバーに呼びかける)そうだ、グローバー。
グローバー
何でしょう。
トラスク
さっきの名刺だが、ストリックランドから返してもらうことを忘れちゃいけ
ないから、明日、一言注意してくれ。
グローバー
分かりました。
トラスク
(あくびをしながらミセス・トラスクを見る)わたしは寝るよ。(帽子とコ
ートを取り、下手へむかおうとする)
ミセス・トラスク
(立ち上がる)ジェラルド、あの女は誰なの?(中央にむかっていく)
トラスク
どの女だい?
ミセス・トラスク
さっき電話を掛けてきた人。
トラスク
まだ気が済まないのか? さっき言っただろう、知らないって。
ミセス・トラスク
知っているくせに。
トラスク
(下手へ行きながら)お休み!
ミセス・トラスク
逃げないで。あの女が誰なのか、知りたいわ。
トラスク
こんなふうにがみがみ言って、いったい何になるんだ? 知らないって言っ
ているじゃないか。仕事の話でもあったんだろう。
ミセス・トラスク
夜中のこんな時間に仕事の電話なんかかかってこないわ。そんなこと、百も
承知でしょうに。
トラスク
じゃあ、何だと言うんだね?(帽子とコートを下手の椅子に置き直す。テー
ブルの下手側に座る)
ミセス・トラスク
あなたはちっとも変わろうとしないのね。(テーブルの上手側に座る)
トラスク
わたしには一分間の平和もないんだな。女学生みたいにやきもちを焼いたり
して。
ミセス・トラスク
やきもちですって!
トラスク
そうだよ。いつもたわいのないことで大騒ぎする。
ミセス・トラスク
あら、これがたわいのないことなの?
トラスク
わたしが女を見たり、女が話しかけてきただけで、相手の喉もとに飛び掛か
ろうとするじゃないか。
ミセス・トラスク
あなたがその原因をつくっていると思わないの? あなたのその振る舞いが。
妻があることをお忘れのようね。
トラスク
おまえは忘れる暇も与えちゃくれない。二人きりになったら、いっつもこれ
だ。
ミセス・トラスク
じゃあ、どうしてわたしを妻として扱わないんです?
トラスク
いったい何が不満なのか、分からんね。わたしは殴ったりはしないだろう?
欲しいものは何でもあげている。おまえの好きなときに、好きなところへ行
かせ、使い切れないくらいの小遣いもやっている。時間だってちっとも拘束
しちゃいない。そんな女がどれだけいると思っているんだ?
ミセス・トラスク
わたしがそんなことしか気にかけないと思っているの? わたしにとって結
婚がお金を使ったり、娯楽にふける以上のことを意味するとは考えないの?
夫に見放された結婚なんてなんの意味があるの?
トラスク
やめてくれよ、そんなしめっぽい話しは。
ミセス・トラスク
(上手に行く)いままで本当の意味で結婚するってどういうことか分からな
かった。六年間、わたしは隠れるように生きてきた。あなたの家族に気に入
られなかったから。
トラスク
しかし、それで損したわけじゃないだろう。おやじがわたしを勘当していた
ら、いま贅沢な生活はできなかっただろうからな。
ミセス・トラスク
あなたにとってはお金がすべてみたいね。結婚してからずっとそうだったわ。
わたしは結婚のことを隠したくはなかった。でもあなたはわたしのことより遺
産のほうを大切にした。
トラスク
おやじがわたしを一文無しにしていたら、そんなことは言わなかっただろう
よ。
ミセス・トラスク
あなたのお金のすべてをもってしてもわたしを幸せにはできなかったわ。わ
たしが十五年間耐えてきたものを、ほかのどんな女が耐えられるというので
しょう。あなたに男らしさがひとかけらでもあったなら、もっとまともな生
活を送っていたでしょうね。わたしのためとは言わないまでも、あなたの子
供たちのために。
トラスク
また子供の話か!
ミセス・トラスク
(ソファに座る)あなたは子供たちのことなど考えてもいない。もうすぐ物
心のつく年頃だというのに。
トラスク
(テーブルをたたいて立ち上がる)なんだ、それがどうした。子供たちにも
欲しいものはなんでも与えている。(妻のほうへ歩み寄る)いい教育を受け
させ、小遣いもたっぷりやっているじゃないか。子供たちがわたしに要求で
きるのはそれだけだ。
ミセス・トラスク
子供を不名誉とともに世の中に送り出そうというのね――。
トラスク
不名誉だなんて馬鹿馬鹿しい。わたしはまっとうに生きているぞ。
ミセス・トラスク
よくそんなことが言えるわね!
トラスク
いや、まっとうに生きているさ。まさか暇をもてあました男みたいに、暖炉
のそばで両手の親指をくるくる回すことなど、わたしに期待はしていないだ
ろう? そんなことは三十年後にたっぷりやる時間がある。もっともその頃
には子供たちのほうがわたしに生活を合わせようとしないだろうがね。違う
かい。
ミセス・トラスク
あなたは何度も変わるって約束したわ。
トラスク
そうしなけりゃ平和は得られないからな。(テーブルの上手側に座る)
ミセス・トラスク
これ以上は耐えられない。
トラスク
じゃあ、どうするんだい。
ミセス・トラスク
離婚よ。(夫のほうにむかっていく)
トラスク
じゃあ、そうしろよ。止めはしない。
ミセス・トラスク
でしょうね。そうなったら喜ぶでしょうね。(中央上手寄り後方へ行き、そ
こから下手側へ)
トラスク
わたしは後悔なんかしない。そいつは間違いないね。
ミセス・トラスク
あなたみたいな人といままで一緒だったなんて!
トラスク
ふん、なんだって一緒だったんだ?
ミセス・トラスク
(テーブルの下手側に座る)分かっているでしょう。子供たちのために体面
を保たなければならなかったのよ。子供たちの評判のためよ。
トラスク
そしてわたしが君のめんどうをよく見たからだ。
ミセス・トラスク
その言い方、まるでわたしに自尊心を捨てさせるために今までお金を払って
きたみたい。もう我慢できないわ。(下手側へ)
トラスク
好きなようにするさ。
ミセス・トラスク
そうするわよ。明日あなたを告訴する。
トラスク
さっそくどうぞ。
ミセス・トラスク
ずっと前にそうするべきだった。
トラスク
どうしてしなかったんだ?
ミセス・トラスク
(夫のほうにむかってくる)あなたの言葉をいつも信じていたから。いつも
自分をごまかすように、あなたは変わるものと信じていた。待つのが長すぎ
たわ、十三年も。グレート・ネックの事件のあと、気がつくべきだった――。
トラスク
おいおい。
ミセス・トラスク
わたしは忘れていないわ。十三年前のことだけれど。あのいじらしい純真な
ミス・ディーンのこと。あんな事があったあとも、あなたと一緒に暮らして
きたなんて。(上手側へ)
トラスク
過去を蒸し返すのはやめろよ。(彼女のほうに歩いて行く)
ミセス・トラスク
いいえ、蒸し返すわ。包み隠さず全部話してやる。
トラスク
聞けよ、ジョーン、騒動を起こして何の得があるんだ? 一緒に仲良くやっ
ていけない理由なんか何もありはしないよ。(妻の手を取ろうとする)
ミセス・トラスク
いいえ、あなたには愛想が尽きました。(上手ソファに座る)十回以上許し
てあげたのに、また同じことの繰り返し。
トラスク
(彼女におおいかぶさるようにソファに座る)もう二度としないよ。わたし
にどうして欲しいんだね?
ミセス・トラスク
(夫のほうを振りむく)わたしが望んでいるのは――。いいえ、無駄だわ。
結局は何も変わらない。
トラスク
そんなことはない。この上さらに君が望むものとはなんだい? その通りに
すると約束する。
ミセス・トラスク
前にもそういって約束を破ったわね。
トラスク
でも今度は真剣なんだ。
ミセス・トラスク
いつもそう言うわ。
トラスク
じゃあ、君を納得させるチャンスをくれ。今度ばかりはまじめに言ってるん
だ。わたしを離婚裁判所にひきずりこんで何になるって言うんだ? 君が苦
しむだけだよ――君と子供たちが。スキャンダラスな新聞ネタになるだけ。
もう一度やり直そうじゃないか。
ミセス・トラスク
ジェラルド、そうするとしても、これが最後よ。
トラスク
(彼女の手を取り)よかった! 初めからやり直すんだね?
ミセス・トラスク
ええ。
トラスク
過去のことは水に流して?
ミセス・トラスク
そうね――。
トラスク
(キスをする。立ち上がって下手へ行き、帽子とコートを取って下手のドア
にむかう)よし、これで片がついた。
ミセス・トラスク
ジェラルド、約束は守るわね?(立ち上がって中央へ)
トラスク
守ると言ったじゃないか。
ミセス・トラスク
じゃあ、あの女と別れると約束して。
トラスク
どの女だ?
ミセス・トラスク
電話の女よ。
トラスク
(彼女のほうへ歩いてくる)おいおい、勘違いしているぜ。今度ばかりは邪
推だよ。
ミセス・トラスク
誓える?
トラスク
もちろん。
ミセス・トラスク
それなら謝るわ。(夫の肩に手を置く)
トラスク
気にしちゃいないよ。
ミセス・トラスク
今度はうまくいくように努力しましょう。(二人はキスをする)
トラスク
ああ、よかった! じゃ、寝るとしよう。くたくたに疲れたよ。お休み。(下
手に行く)明かりはつけておくかい?
ミセス・トラスク
消してちょうだい。お休み!(上手に行く)
トラスク
(電気を消す)お休み。(舞台暗くなる。トラスクは寝室に入る)
ミセス・トラスク
お休み。
(暗転)
(ミセス・トラスクは上手の寝室へ。舞台は暗い。グローバー、中央上手寄り
から登場。金庫のほうへ行き、扉を開け、現金箱から金を取り出そうとし――
箱を落とす。ミセス・トラスクがドアノブをがたがた鳴らして上手より登場)
ミセス・トラスク
そこにいるのは誰? 誰かいるの?
(その瞬間にグローバーは彼女をソファに押し倒す。争っているところへスト
リックランドが後方の窓から入ってくる。グローバーが物音を聞きつけ顔を上
げる。ストリックランド、部屋の中に入り、グローバーは上手側の暗闇に消え
る。ストリックランドはミセス・トラスクのもとへ行き、呆然と彼女を見る。
電話が鳴る。トラスクがふらふらと寝室からあらわれ電気をつける。――明転
――ミセス・トラスクは床の上に横たわっている。ストリックランドは彼女の
脇にしゃがんで、拳銃をむけている)
トラスク
(電話にむかって)もしもし! ああ、トラスクです。メイ、君か?
ストリックランド
き――貴様――(発砲するが狙いはそれる。同時にミセス・トラスクが悲鳴
をあげる。トラスクは受話器を落とし、くるりと反対をむく。ストリックラ
ンドは再び銃を撃ち、トラスクは絶命して倒れる。グローバーが下手より重
い杖を持って飛び出し、ストリックランドに打ちかかろうとする。彼が杖を
振りかざすと、ストリックランドは反射的に腕を上げる。杖はストリックラ
ンドの前腕をしたたか打つ。拳銃は手から落ち、腕は脇にだらりと垂れ下が
る。彼はうめき、床にうずくまる)
ミセス・トラスク
(中央へ)大変、ジェラルドが殺されたわ!
グローバー
医者を呼んでください。(電話をかける音)
ミセス・トラスク
ジェラルド! ジェラルド!
(暗転。幕)
第二場
法廷
グレイ
なるほど、それで?
ミセス・トラスク
数分後に警察が来ました。
グレイ
ご主人はその時にはもう絶命していたのですね。
ミセス・トラスク
さようでございます。お医者様は即死だったと。
グレイ
さて、ミセス・トラスク、あなたは警察が到着する前に金庫をご覧になりま
したか。
ミセス・トラスク
ええ。開いておりました。
グレイ
なくなっている物がありましたか。
ミセス・トラスク
はい。一万ドルがなくなっていました。
グレイ
以上です、ミセス・トラスク。(着席する)反対尋問をどうぞ、ミスタ・ア
ーバックル。
アーバックル
(立ち上がる)ミセス・トラスク、あなたを襲った男を見ましたか――金庫
を開けた男を?
ミセス・トラスク
いいえ。いきなり襲われましたし、部屋の中は真っ暗でした。
アーバックル
ミスタ・トラスク以外、誰も金庫のコンビネーションを知らないということ
は間違いないですか。
ミセス・トラスク
ミスタ・ストリックランドが知っていました。
アーバックル
質問に対する答えをなしていません。削除の動議を提出します。
グレイ
(飛び上がって)なんですと――? 裁判官。
ディンズモア
動議を却下します。
アーバックル
異議を申し上げます。ミセス・トラスク、ストリックランドとあなたの助手
のあいだで言葉のやりとりがありましたか。
ミセス・トラスク
よく憶えていません。耳鳴りがして。絞め殺されそうになったのです。
アーバックル
あなたの知るかぎり、二人は話しをしなかったと?
ミセス・トラスク
どちらとも言えませんわ。
アーバックル
ミセス・トラスク、「メイ」というのは誰かご存じですか。
ミセス・トラスク
いいえ。まったく知りません。
アーバックル
これ以上質問はありません、裁判官。
グレイ
これで終りです、ミセス・トラスク。(彼女は証人台を降り、上手に行くが、
退場する前に立ち止まってストリックランドを見る)ドクタ・モーガンは証
人控え室にいるかね?
廷吏
(ドアを開け退場)ドクタ・モーガン!(返事がない)
グレイ
(ミセス・トラスクが退場するまで待ち、裁判官ディンズモアにむかって)
ドクタ・モーガンはミスタ・トラスクの死体を検視した医者であります、裁
判官。遅れるかも知れないとのことでした。
(廷吏入場)
廷吏
ドクタ・モーガンは来ていません。
グレイ
裁判官のお許しがあれば、裁判に遅れをきたさないよう、ミスタ・グローバ
ーを喚問したいと思いますが。
ディンズモア
いいでしょう。
グレイ
ミスタ・スタンレー・グローバーを呼びたまえ!
廷吏
(上手のドアを開け、呼びかける)スタンレー・グローバー。
(グローバー、上手より登場)
グレイ
ミスタ・グローバー。証人台に立っていただけますか。
(グローバー、証人台に立つ)
書記
右手をあげてください。これからあなたが行う証言はすべて例外なく真実で
あることを神に誓いますか? お名前は?
グローバー
スタンレー・グローバーです。
グレイ
(舞台前方で)ミスタ・グローバー、あなたはミスタ・トラスクの私設秘書
を勤めていましたね。
グローバー
そうです。
グレイ
六月二十四日の晩、ミセス・トラスクの会計簿を持って書斎を出てから、あ
なたは何をしましたか。
グローバー
すぐに自室に行きました。
グレイ
それから起きたことを説明してください。
グローバー
会計簿を調べ始めて半時間ぐらい経ったとき、ピストルの音がしました。そ
れからミセス・トラスクの悲鳴が聞こえ、そのあとでもう一度ピストルの音
がしました。わたしは部屋にあった太い杖を持って下の書斎に駆け下りまし
た。ミスタ・トラスクの身体が床に横たわり、ストリックランドが銃を手に
して部屋の反対側に立っていました。
グレイ
それから何をしたのです?
グローバー
ストリックランドにむかって突進し、杖で腕を打ちました。彼は拳銃を落と
し、床に倒れました。
グレイ
部屋に入ったとき、ほかに人がいるようでしたか。
グローバー
いいえ。後ろのフレンチ・ウィンドウは開いていました。そこから逃げたに
違いありません。
グレイ
で、そのあと何があったんです?
グローバー
ミセス・トラスクが警察に電話しているあいだ、わたしはストリックランド
を見張っていました。そのときミスタ・トラスクが金庫のコンビネーション
を書き記した名刺をストリックランドに渡したと言っていたことを思い出し
たんです。それで、もしかしたら名刺を持っているんじゃないだろうか、(ア
ーバックル、陳述をさえぎる)持っていたら、証拠として警察の役に立つだ
ろうなと思ったんです。
アーバックル
異議あり。証人は自分が思ったことを証言しています。
ディンズモア
認めます。その部分は削除してください。
(速記者、削除する)
グレイ
(舞台後方で)あなたがしたこと、見たことだけをお話しください、ミスタ・
グローバー。
グローバー
ええと、わたしはストリックランドのポケットを探り始めました。
グレイ
それは警察が到着する前ですね?
グローバー
そうです。証拠を湮滅してしまうんじゃないかと思いまして。
アーバックル
(飛び上がって)裁判官、質問されたこと以外は発言しないよう証人に指示
することを要求します。
ディンズモア
認めます。ただいまの返答を削除してください。(グローバーにむかって)
聞かれたことだけについて発言してください。自分からは何も言ってはいけ
ません。また心のなかで思ったことを話してはいけません。よろしいですか。
グローバー
分かりました、裁判官。
ディンズモア
続けてください、ミスタ・グレイ。
グレイ
ミスタ・グローバー、あなたはストリックランドのポケットから名刺を取り
出しましたか。(上手テーブル上の綴じ込みから名刺を取り出す)
グローバー
はい。
グレイ
これですか?(グローバーに名刺を手渡す)
グローバー
(調べながら)はい。
グレイ
(グローバーから名刺を受け取る)これを証拠として提出します、裁判官。
(速記者に名刺を渡すと、速記者はそれに印をつけグレイに返す)
グレイ
(上手中央へ――陪審員にむかって)この検察側証拠物件Aは名刺でありま
す。表には古い活字体で「ミスタ・ジェラルド・トラスク」と名前が刻まれ、
その下には「ロングブランチ、ヘンダーソン・プレイス206番地」と鉛筆
書きされています。裏側には言葉と数字が書かれています。「14右2,27
左3」とです。筆跡についてご質問がありますか、ミスタ・アーバックル?
アーバックル
それが本物だということを示してください。
グレイ
(舞台前方へ)ミスタ・グローバー、あなたはミスタ・トラスクの筆跡をよ
くご存じですか。
グローバー
ええ、確実に判定できますよ。
グレイ
手紙や書類でよく見ていたんですね?
グローバー
何百回も。
グレイ
(グローバーに名刺を渡す)名刺をお見せしますので、「ロングブランチ、
ヘンダーソン・プレイス206番地」という住所がミスタ・トラスクの筆跡
かどうか答えてください。
グローバー
彼の筆跡です。
グレイ
では名刺を裏返してください。「14右2,27左3」という言葉と数字は
ミスタ・トラスクの筆跡ですか。
グローバー
そうです。
グレイ
間違いありませんか。(名刺を受け取る)
グローバー
絶対間違いありません。
グレイ
「14右2,27左3」という記号の意味を知っていますか。
グローバー
はい。ミスタ・トラスクの金庫のコンビネーションです。
グレイ
どうして知っているのです?
グローバー
警察が来たとき、わたしがこの名刺を差し出したんです。警察は金庫を閉め、
それからこのコンビネーションで開けました。
グレイ
さて、ミスタ・グローバー、名刺がほぼ二つに引き裂かれていることに注意
してください。どうしてこうなったのか、説明できますか。
(ゆっくりと幕)
グローバー
はい。ストリックランドのポケットから名刺を取り出したとき、彼にひった
くられ、半分に裂かれそうになったんです。その前にわたしがなんとか取り
返したのですが。
グレイ
なるほど! で、そのあと何があったのですか。
(註 グレイの台詞はカーテンが降りたあとに発せられる)
第二幕
第一場
法廷
グレイ
ドクタ・モーガン、ミスタ・トラスクの遺体の状態を説明してください。
モーガン
(証人台に立っている)銃創が二つありました。
グレイ
詳しく説明してください。
モーガン
一つは銃弾が右肩をかすってできた軽い傷です。
グレイ
もう一つは?
モーガン
もう一発は左の胸から貫入し、心臓に達していました。
グレイ
以上です、ドクタ・モーガン。
アーバックル
反対尋問はありません、裁判官。
(モーガン、証人台を降り、上手へ)
グレイ
検察側の証人喚問は以上です、裁判官。
ディンズモア
弁護側どうぞ、ミスタ・アーバックル。
アーバックル
ミス・ドリス・ストリックランドを喚問します。
(廷吏、上手から出ていき「ドリス・ストリックランド」と呼ばわる)
ストリックランド
(飛び上がって)やめてください、裁判官――証言させないでください。わ
たしの娘なんです。彼女だけなんです、わたしに残されているのは。証言は
やめさせてください。
ディンズモア
本件に関することは弁護士にお任せなさい。弁護士があなたの権利を守りま
す。
(アーバックル、ストリックランドを座らせようとする)
ストリックランド
わたしは守られたくはない。娘を守ってください。ここに引きずり込まない
でください。(座る)
(ドリス、上手から登場。ストリックランドに近づくと両腕を巻き付ける)
アーバックル
ほら、ストリックランド、放してあげなさい。ドリス、あそこの椅子に座る
んだ。
ストリックランド
(立ち上がって)やめてくれ。彼女をここから出してくれ。わたしには娘し
かないんだ。
アーバックル
ここだよ、ドリス。(ドリスを証人台に立たせる)
ストリックランド
裁判官、娘を巻き込まないでください。そのほかのことは何も要求しません。
あなただって人の子でしょう、裁判官、恐らく父親でもあるでしょう――。
ディンズモア
わたしにはどうすることもできません。あなたに裁きを下す法の執行人にす
ぎないのですから。法の命ずるところに従うまでです。続けなさい、ミスタ・
アーバックル。
(ストリックランド、椅子に沈み込み、顔を腕のなかに埋める。アーバックル、
上手のテーブルのほうへ行く)
グレイ
(立ち上がる)裁判官、恐れながら、この子供の証言能力をご確認いただき
たいと思います。
アーバックル
異存ありません、裁判官。
(グレイ、座る)
ディンズモア
いまいくつかね、ドリス?
ドリス
十一月六日で九つになります。
ディンズモア
学校には行っているかね?
ドリス
はい。わたし、進級したんです。いまは初等中学に行っています。
ディンズモア
日曜学校には行ったことがあるかな?
ドリス
はい。お母さんがいなくなる前は毎週日曜日に行っていました。でもいまは
ヘレンおばさんが許してくれないんです。みんながわたしのことを噂するし、
泣かそうとするから。
ディンズモア
人はいつも真実を話さなければならないということを、日曜学校で習ったか
ね?
ドリス
はい。十戒の一つにあります。「あなたは隣人について偽証してはならない」
嘘をついてはいけません、という意味です。ウエストン先生がおっしゃいま
した。
ディンズモア
ウエストン先生とは誰ですか?
ドリス
日曜学校の先生です。十戒をぜんぶ教えてくれました。暗唱しましょうか。
ディンズモア
いまはいいですよ。(グレイに)証言できると思います。続けてください、
ミスタ・アーバックル。
アーバックル
ドリス、フルネームをいってください。
ドリス
ドリス・ヘレン・ストリックランド。
アーバックル
お父さんは誰ですか。
ドリス
お父さんはあそこ。(彼女は台から降りようとするが、アーバックルが押さ
える)
アーバックル
ロバート・ストリックランドがお父さんですね?
ドリス
そうです。
アーバックル
ドリス、ミスタ・トラスクが撃たれた晩のことを覚えていますか。
ドリス
はい、覚えてます。(間があく)
アーバックル
お父さんは出かけていましたか?
ドリス
そうです。クリーブランドでわたしたちが住む家を買っていました。
アーバックル
そしてその晩に帰ってきたんだね?
ドリス
はい。
アーバックル
お父さんが帰ってくる前、あなたはどこにいましたか。
ドリス
居間にいました。
アーバックル
七時半頃だね?
ドリス
はい。
アーバックル
何をしていましたか。
ドリス
お父さんを待っていました。
アーバックル
ああ、そうだね。でも本を読んでいたのかな? 遊んでいたのかな? それ
ともじっと座っていたのかな?
ドリス
ピアノのけいこをしていました。
第二場
(舞台は暗く、ピアノの音が聞こえる。明転するとストリックランドの家の書
斎。下手の近くに出入り口。上手後方にドリスの部屋につながるドア。ドリス、
ピアノを弾いている。下手側ソファの後ろの小さい椅子に座り、人形と遊ぶ。
メイが下手から登場。電話のところへ行き、持っている名刺に書かれた番号を
見る)
メイ
(電話のそば。ソファに背中をむけて)もしもし。ジャージー・シティ40
00番をお願い……もしもし。ジャージー鉄道ですか?……落とし物の係を
お願いします……もしもし。わたし、ニューヨーク・シティのミセス・ロバー
ト・ストリックランドと申します……そうです。わたしのお財布、見つかり
ましたか……間違いありません?……さあ、分かりませんわ。昨日の午後、
ロング・ブランチから乗ってきたんです。そうしたら、汽車を降りたとき、
ハンドバッグが開いていることに気づいて。きっとお財布を落としたんだと
思います……ええ、ロング・ブランチの駅長さんに何度か電話しました……
いいえ、ありませんでした……駅長さんがそちらに問い合わせるようにと…
…(ドリス、ソファに座る)昨日ロング・ブランチから四時十七分に出発し
た汽車なんですが。……小さい黒いベルベットのお財布です……お札で四十
ドルくらい、それからわたしの名前と住所を記した名刺と、とても大切なメ
モ帳と……そうだといいのですが……分かりましたわ。失礼します。(電話
を切り、振り返ってソファの後ろからあらわれたドリスを見る)ドリス!
どこから出て来たの?
ドリス
ソファの後ろに座っていたの。
メイ
(テーブルの下手側に座る)あんなところでいったい何をしていたのよ。
ドリス
お人形さんと遊んでいたの。(メイに近寄る)お母さん、落とし物って、あ
のすてきな、ふわふわした、黒い財布?
メイ
よくお聞き、ドリス。お父さんが帰ってきたとき、財布のことは何も言っち
ゃだめよ。
ドリス
どうして?(母の横にひざまずく)
メイ
なくしたことが分かったらお父さんが怒って、心配するから。お父さんを心
配させたくないでしょう?
ドリス
うん。でも、お母さん、きのうはお買い物じゃなかったの?
メイ
もちろんよ。
ドリス
でもロング・ブランチに行っていたって言ってたじゃない。
メイ
お友達が行っていたのよ。わたしは彼女にお財布を貸して、なくされちゃっ
たの。
ドリス
お友達ってだれ?
メイ
あなたの知らない人。
ドリス
どうしてお財布を貸したの?
メイ
自分のお金を持ってなかったからよ。
ドリス
でも、お母さん、それって電話の相手に嘘をつくことにならない……?
メイ
いいえ。そのことはいつか説明するわね。何も言わないってお母さんに約束
してちょうだい。(下手からドアのバタンと閉まる音)
ドリス
約束する。
ストリックランド
(舞台の外で)ただいま、バーサ、元気かい?
バーサ
おや、お帰りなさい、ご主人様。
ストリックランド
何もなかったかな?
ドリス
お父さんだわ、お母さん! お父さん!(走って舞台の外へ)
(メイ、名刺をドレスの胸元に隠し、人形を椅子の上に置く。中央下手寄りへ
移動)
ストリックランド
(呼びかける)そうら、お父さんが帰ってきたよ。ただいま、お嬢ちゃん!
ドリス
おかえり、お父さん! おみやげは?
ストリックランド
すてきなおみやげがあるぞ。もう一回キスしておくれ。お父さんが帰ってき
てうれしいかい?
ドリス
お母さんもわたしもさびしかったわ。
ストリックランド
お母さんはどこだい?
ドリス
中よ。(ドリスとストリックランド登場。メイは待っているしぐさ)
ストリックランド
ただいま、メイ!
(ドリス、テーブルにバッグを置き、二人の後ろに回る)
メイ
(駆け寄る。興奮している)まあ、あなた! お帰りなさい。
エルマー・ライス
各場面概要
プロローグ 法廷
第一幕
第一場 一九一三年六月二十四日午後九時三十分 ジェラルド・トラスク家の
書斎
第二場 法廷
第二幕
第一場 法廷
第二場 一九一三年六月二十四日午後七時三十分 ロバート・ストリックラン
ド家の居間
第三場 法廷
裁判二日目
第三幕
第一場 法廷
第二場 十三年前、ロング・アイランドのホテルの一室
第三場 法廷
エピローグ
第一場 陪審室
第二場 法廷
――――
いずれの幕も観客が席に着いてから幕を開けることが肝要。
第一幕と第二幕のあいだには五分間隔を置くこと。
第二幕と第三幕のあいだには九分間隔を置くこと。
第三幕とエピローグのあいだには五分間隔を置くこと。
プロローグ
場面 法廷。裁判官席に座る裁判官、等々。陪審員席には十二名の男。
書記
ミスタ・サマーズ、陪審員席の空いているところにお座りください。(足音)
グレイ
お名前は?
サマーズ
ジョン・サマーズです。
(幕が上がる)
グレイ
ミスタ・サマーズ、ご職業は?
サマーズ
電気技師です。
グレイ
個人でお仕事を?
サマーズ
ええ。マジソン・アヴェニュの一番地で。
グレイ
ミスタ・サマーズ、あなたは死刑に反対ですか?
サマーズ
いいえ。
グレイ
あなたはこの裁判の被告人、ロバート・ストリックランドをご存じですか。
(ストリックランド、立ちあがる。右腕を三角巾でつっている)
サマーズ
いいえ。
(ストリックランド、着席)
グレイ
彼と関わりのある人を誰か知っていますか。
サマーズ
いいえ。
グレイ
ジェラルド・トラスクはご存じですか。その殺害容疑でストリックランドは
裁判にかけられるのですが。
サマーズ
いいえ。お名前は新聞でよく見かけますが、会ったことはありません。
グレイ
殺された男性の未亡人、ミセス・トラスクはご存じですか。
サマーズ
いいえ。
グレイ
スタンレー・グローバーはご存じですか。ミスタ・トラスクが亡くなったと
き、彼の私設秘書を務めていたのですが。
サマーズ
(自信なげに)グローバーですか? どうでしょうか。
グレイ
ミスタ・グローバーを呼んでください。
廷吏
(上手のドアを開ける)スタンレー・グローバー。
(グローバー、上手よりあらわれる)
グレイ
こちらがミスタ・グローバーです。
サマーズ
いいえ。存じ上げません。
グレイ
お戻りください、ミスタ・グローバー。
(グローバー、上手に去る)
グレイ
あなたは地区検事の仕事に関わる人、あるいは被告人の弁護士、ミスタ・ア
ーバックルの仕事に関わる人を誰かご存じですか。
サマーズ
いいえ。
グレイ
この事件の詳細をご存じですか。
サマーズ
ほんの少しだけ。殺人事件の記事なんていちいち細かく読むことはありませ
んよ!
グレイ
公平で厳正な評決を下す際、妨げになるような意見をお持ちですか。
サマーズ
いいえ、持っていません。
グレイ
以上です。質問がありますか、ミスタ・アーバックル?
アーバックル
(テーブルの上手側に座っていたが、立ち上がり)ミスタ・サマーズ、あな
たは結婚していますか。
サマーズ
ええ、してますよ。
アーバックル
結婚して何年になりますか。
サマーズ
十五年です、次の三月で。
アーバックル
お子さんは?
サマーズ
います。男の子が二人、女の子が一人。
アーバックル
陪審団に不満はありません、裁判官。(着席)
ディンズモア
あなたのほうも不満はないかね、ミスタ・グレイ。
グレイ
はい、ございません。
ディンズモア
(書記にむかって)宣誓させなさい。
書記
(陪審員にむかって)皆さん、ご起立願います。右手を挙げてください。(陪
審員、言われた通りにする)ここにいる陪審員はひとりひとりが、ロバート・
ストリックランドに対するニューヨーク州検察局の告発を充分かつ適切に審
理し、証拠に従って正しい評決を下すことを、永遠の神の前におごそかに誓
います。
ディンズモア
始めたまえ、ミスタ・グレイ。
グレイ
(陪審団にむかって)では、おそれながら。陪審員の皆さん、本件は非常に
単純な事件です。ときどき新聞に発表された事実を、皆さんはきっとよくご
存じでしょう。のちほど証拠を提出しますが、ここでは皆さんの記憶をあら
たにするため、ごくかいつまんで状況を説明いたします。ミスタ・ジェラル
ド・トラスクは、ご存じのように、この街では著名な銀行家でした。この土
地の名士であり、社交界と金融界において重要な地位に就いていたのです。
ミスタ・トラスクの知り合いのなかに被告のロバート・ストリックランドが
いました。二人が知り合った頃、ストリックランドはビジネスマンとしてそ
こそこ成功を収めていて、彼とミスタ・トラスクは頻繁に顔を合わせていま
した。ところが数ヶ月前からストリックランドは事業が行き詰まり始めたの
です。トラブルの原因はここでは問題ではありません。しかしわれわれの関
心を引く点は、皆さん、ストリックランドがますます財政困難に陥り、友人
のジェラルド・トラスクに金銭的な助けを求めなければならなくなったこと
です。ミスタ・トラスクはいつもの気前のよさで、約束手形を担保に受け取
り、即座に一万ドルをストリックランドに貸し与えました。しかしストリッ
クランドの事業は好転せず、彼は西部に移住することを決心したのです。約
束手形は六月二十二日、殺人の二日前が支払期日になっていました。二十二
日の日、ストリックランドはオハイオ州クリーブランドで自分と家族のため
に、引っ越しの支度を整えていました。しかし二十四日、殺人のあった日の
晩、ミスタ・トラスクを呼んで、約束手形と引き替えに借金を返済したので
す。皆さん、注意していただきたいのは、ストリックランドが借金を現金で
払ったという事実です。彼はビジネスマンだったのですよ。(アーバックル
がストリックランドに耳打ちする)それなのに小切手や為替ではなく、現金
で支払ったのです! 一万ドルを現金で! ミスタ・トラスクは立ち直るこ
とができるまで貸した金を返さなくてもいいと申し出たのですが、ストリッ
クランドはそれを無視しました。皆さん、彼がなぜそんなに熱心に借金を返
そうとしたのか、ここですぐお聞かせしましょう。彼は一セントも金を払わ
ずに負債をちゃらにしてしまう、ちょっとした計画を練り上げていたからで
す。別に手の込んだ計画ではありません。彼はミスタ・トラスクがその晩、
一万ドルを自宅に保管するだろうと考えていました。きっと書斎の金庫に入
れるだろうと思っていたのです。しかも、皆さん、彼はミスタ・トラスクの
金庫の数字を知っていました。いいですか、金庫を開ける数字の組み合わせ
を知っている人は二人しかいませんでした。ミスタ・トラスクとストリック
ランドです。しかしストリックランドにはその仕事を一人でやる度胸がなかっ
た。そこで手伝ってくれる人間を呼び入れたのです。かくして彼と共犯者は、
借金を返済した数時間後にミスタ・トラスクの家に忍び込みました。共犯者
が金庫を開け、ストリックランドが見張りに立ちました。泥棒はさして苦も
なく金庫を開け、一万ドルを取り出しました。一方、ストリックランドはそ
の仕事ぶりを監督していたわけです。ところが逃げようとするときに邪魔が
入りました。最初にミセス・トラスクが、次に彼女の夫があらわれたのです。
共犯者は盗品を抱えたままあわてて逃げ出しました。皆さん、共犯者の消息
はそこまでしかつかめていません。彼が誰なのか、どこに行ったのか、今の
ところ分かっていないのです。しかしミスタ・ストリックランドは盗みの現
場を見られてしまった。そして彼は、死人に口なしとばかりに、ミスタ・ト
ラスクを冷血にも射殺したのです。皆さん、これが事件のあらましです。ミ
セス・トラスク、つまり殺人被害者の未亡人が、皆さんに詳しい話を聞かせ
てくれるでしょう。彼女の証言はミスタ・グローバー、ミスタ・トラスクの
秘書によって裏付けられるはずです。この秘書の勇気ある行動のおかげで、
殺人者は武器を奪われ逮捕されたのです。そしてこの秘書が彼を有罪に結び
つける一連の証拠を積みあげるのに大いに力を貸してくれたのです。被告の
行為は逐一、疑いの余地なく明らかにされています。ストリックランドは弁
護をしてもむだと悟り、一切の……。
アーバックル
異議あり。(立ちあがる)
ディンズモア
弁護側は口をはさまないでください。
(アーバックル、着席)
グレイ
ストリックランドは一切の自己弁護を拒否してきたのです。罪状認否を問わ
れたとき……
アーバックル
異議あり。(立ちあがる)
ディンズモア
弁護側は口をはさまぬよう。
(アーバックル、着席)
グレイ
罪状認否を問われたとき、彼は第一級殺人という起訴に対してみずから有罪
を認めたのです。もしかすると皆さんはこうお尋ねになるかも知れない。も
しもそうなら、なぜわれわれはここに集まったのか、と。なぜ郡はわざわざ
費用を払ってまで裁判をするのか。その費用は結局は納税者の負担になると
いうのに。なぜビジネスマンであるあなたがたは仕事を休まなければならな
いのか。貴重な時間を奪われるというのに。なぜ殺人者に与えられるべき刑
罰が被告人に課せられないのか。皆さん、その答えを申し上げましょう。そ
れは国家が市民の生命を大切に守っているからなのです。国家にとって個人
の存在は神聖なものなのです。その人がどれほど腐敗堕落し、犯罪的で社会
の脅威になろうとも。みずから殺人者を名乗る者にすら、十二人の同じ市民
が厳かな裁判の場で、冷静沈着に事実を聞いて比較検討し、その者が犯罪の
報いをうけてしかるべきだと決するまで国家は処刑を認めないのです。それ
ゆえに皆さんは今日ここにいるのです。それゆえに裁判官はストリックラン
ドに立派な弁護士をつけたのです。そしてそれゆえに、被告に加えられて当
然の罰が皆さんによって加えられる前に、検察は非の打ち所のない目撃者の
証言を提示して、皆さんに被告の罪を確信させようとしているのです。不運
なことに、被告の共犯者には逃げられてしまいました。しかし、皆さん、主
犯格は捕えられています。われわれは彼に、法の定める罰を与えるつもりで
す。これ以上は何も申しません。事実はおのずから明らかになるはずです。
(陪審団を見まわす。テーブルの下手側に着席)
アーバックル
(起立し、テーブルの脇に立って陪審員にむかって話しかける)では、おそ
れながら。陪審員の皆さん、裁判官からこの事件の弁護を命じられたとき、
わたしは検察の主張はとても認めることができないと思いました。わたしは
ストリックランド氏の評判を知っています。強盗に入ったなど、見当違いの
憶説であります。この信念はミスタ・ストリックランドを親しく知るにつれ、
ますます強まっていきました。彼はこの上なく名誉を重んじる誠実な人間で
す。すばらしい知性と立派な評判の持ち主です。そして悪癖や贅沢にふける
ことなく、妻と子供を深く愛していらっしゃる。このような人物が物取り目
当てに友人宅に押し入るわけがない。この事件は、検察のミスタ・グレイが
信じさせようとするほど明快でも単純でもないように思われます。しかしこ
の残忍な事件には謎が潜んでいるという確信にもかかわらず、わたしはその
証拠を何一つ見つけられませんでした。検察が言ったように、ミスタ・スト
リックランドは最初から頑固に、堅く口を閉ざしつづけています。弁護士を
始めてから、このように断固として説得に応じない人は見たことがありませ
ん。脅しにも懇願にも理屈にも、同じように彼は無関心です。その結果、わ
たしはストリックランドが誰かをかばっているのではないか、という結論に
達しました。いちばん考えられるのはミセス・トラスクを襲い、金庫をこじ
開けた正体不明の共犯者です。この人物の正体を突き止め、ストリックラン
ドがこの男をかばう理由を知ろうと、わたしは被告の家族を捜しました。皆
さん、わたしはそこで愕然としました。悲劇のあった晩から被告の妻は姿を
消し、以来消息不明になっていたのです。彼女を捜し出そうと手を尽しまし
たが、すべてが無駄に終わりました。わたしは(間を置き、ストリックラン
ドを見る)彼女が自殺したと信じざるを得ません。しかしながら被告の幼い
娘であるドリスは見つけることができました。皆さん、彼女の話を聞けば、
ストリックランドを死刑台に送ることがとんでもない誤りであると、納得し
ていただけると思います。今はこれだけにしておきます。(着席)
ストリックランド
(上手のテーブル手前に坐っていたが立ち上がる)裁判官、やめてください。
娘をこの事件に引っ張りこむのはやめてください。わたしは有罪を認めたので
す。喜んでその償いをします。
(アーバックルがストリックランドに着席するように言う)
ディンズモア
申し立てはあなたの弁護人がします。
ストリックランド
弁護人なんていらない。弁護することなんてないんです。どうして判決を言
い渡さないんです? どうして?
ディンズモア
続けてください、ミスタ・グレイ。
ストリックランド
裁判官――。
ディンズモア
静粛に!
(ストリックランド、着席する)
グレイ
ミセス・トラスクを呼んでください。(廷吏が上手のドアから退場、ミセス・
トラスクの名を呼ぶ。彼女が上手から登場)ミセス・トラスク、どうぞ証人
台へ。
書記
右手をあげてください。これからあなたが行う証言はすべて例外なく真実で
あることを神に誓いますか?(彼女はうなずく)お名前は?
ミセス・トラスク
ジョーン・トラスクです。
グレイ
ミセス・トラスク、あなたはジェラルド・トラスクの未亡人ですね。
ミセス・トラスク
さようでございます。
グレイ
ミスタ・トラスクと結婚してどれくらいになりますか。
ミセス・トラスク
ほぼ十五年です。
グレイ
六月二十四日の晩のことを覚えていますか。
ミセス・トラスク
もちろん覚えています。
グレイ
あの晩、どちらにいらっしゃいましたか。
ミセス・トラスク
友達と外で食事をしていました。
グレイ
何時に家に戻りましたか。
ミセス・トラスク
九時半頃でした。
グレイ
では、ミセス・トラスク。法廷と陪審員に、帰宅してから起きたことをすべ
てお話しください。
ミセス・トラスク
家のなかに入るとすぐに書斎の電話が鳴りました。
(暗転。幕)
第一幕
第一場
場面 トラスクの書斎。上手に入り口。下手にミセス・トラスクの部屋に通
じるドア。舞台奥にはフレンチ・ウインドウ。上手に金庫。
幕が上がると同時に電話が鳴る。ミセス・トラスクが上手後方から登場、電
話のほうへむかう。
ミセス・トラスク
(下手の電話を取り)もしもし。はい、はい、こちらはリバー182番です
が。いいえ、主人はおりません。どちら様でしょうか。わたしは妻ですが。
お名前をいただけますか。どういったご用件でしょう。主人のことならわた
しが承りますわ。ああ、そうですか。いつ戻るか分かりませんが。さあ、ど
うでしょう。結構ですわ。失礼します。(見るからに動揺した様子で電話か
ら離れる)
グローバー
(下手から登場。電話のほうにむかう)電話が鳴ったと思ったんですが。
ミセス・トラスク
ええ。わたしが出ました。(上手に行く)
グローバー
ああ、奥様に来たんですか。
ミセス・トラスク
いいえ、夫に。
グローバー
誰からです?
ミセス・トラスク
(上手ドアのところで)女よ、いつものように。
グローバー
そうでしたか。(下手テーブルに着く)
ミセス・トラスク
(中央上手寄りにむかい)誰か知っている?
グローバー
いいえ、まったく。
ミセス・トラスク
でしょうね。夫が秘書にそんなことまで打ち明けるとは思えないから。でも
とくに隠そうともしないなんて、恥知らずもいいところだわ。
グローバー
そのような話しはどうかご容赦を――。
ミセス・トラスク
そうよね。普通はこんなこと話さないんだけど、でもわたしだって我慢に限
界があるわ。(上手前方でケープをソファに置く)
グローバー
奥様、本当にどうか――。
ミセス・トラスク
十五年、耐えてきたのよ。ああ、わたしはなんて馬鹿なのかしら、こんな我
慢の生活。
グローバー
奥様、わたしの立場もご理解ください。(彼女のほうへむかう)
ミセス・トラスク
(上手ソファに座る)ええ、その通りね。許してちょうだい。あなたにぐち
を言ったりして悪かったわ。
グローバー
いいえ、ちっとも。ただ――。
ミセス・トラスク
ときどきこらえられなくなるの。でも、こんな話しはもうやめましょう。夫
は今晩帰ってくるのかしら。
グローバー
(下手にむかい、時計を見る)はい。今朝電話で、ロングブランチから九時
十二分の汽車で帰るとおっしゃいました。今九時半ですから、もう着いても
いい頃合いです。(テーブルの下手側に座る)
ミセス・トラスク
二日間、あちらで何をしていたのかしら。
グローバー
ゴルフと釣りじゃないでしょうか。
ミセス・トラスク
来週まで待ってもよかったのに。そのあとは夏のあいだじゅう、むこうにい
るんだから。そうそう、店屋の請求書を見ておいてちょうだい。わたしたち
が街をはなれる前に。
グローバー
すぐにやりましょう。会計簿はどこです?
ミセス・トラスク
金庫のなかよ。
グローバー
(金庫のところへ行き、開けようとする)鍵が掛かっていますね。コンビネ
ーションはご存じですか。
ミセス・トラスク
いいえ。新しい金庫のは知らないわ。あなたは知らないの?
グローバー
ええ。ミスタ・トラスクがいらっしゃらないときに金庫を開けたことはあり
ません。
ミセス・トラスク
コンビネーションを教えてもらわないとだめね。(中央上手寄り後方へ)
(中央上手寄りからトラスク登場)
トラスク
ただいま、ジョーン!(ミセス・トラスクは彼に背をむけ、上手前方へ)や
あ、グローバー!
グローバー
お帰りなさい、ミスタ・トラスク。
(ミセス・トラスクは返事をしない)
トラスク
(ミセス・トラスクに)どうしたんだい?(上手前方へ)
ミセス・トラスク
なんでもないわ。(ソファに座る)
トラスク
おや、挨拶はそれだけかい?
グローバー
(立ち上がる)わたしにお貸しください。(トラスクから帽子とコートを受
け取り、下手後方の椅子にかける)
トラスク
留守中、なにかあったか、グローバー。
グローバー
(下手のテーブルのほうに行き、座る)いいえ、なにも。
ミセス・トラスク
女から電話があったわ。
トラスク
ほう。誰からだった?
ミセス・トラスク
よくご存じでしょうに。
トラスク
知っていたら訊きはしないよ。誰だったんだ?
ミセス・トラスク
知らないわ。
トラスク
名前を訊かなかったのか?
ミセス・トラスク
名前を言うはずがないじゃない。
トラスク
また電話するといっていたか?
ミセス・トラスク
知らないわ。
グローバー
(あわてて立ち上がり)ミスタ・トラスク、金庫を開けてもらえませんか。
奥様の会計簿がいりますので。
トラスク
分かった。(ポケットを探る)どこにやったんだっけ。
グローバー
なにか無くし物でも?
トラスク
(まだ探している)ああ。名刺にコンビネーションを書きつけておいたんだ。
おかしいな。
グローバー
内ポケットじゃないですか。
トラスク
(内ポケットを探る)いや、ないな。いったいどこに突っ込んだんだろう。
ミセス・トラスク
別のスーツじゃない?
トラスク
(いらいらと)違う、違う。このポケットに入れたんだ。
グローバー
最後に見たのはいつです?
トラスク
昨日の朝、出発する前だ。小切手帳を取り出すために金庫を開けた。
ミセス・トラスク
ロングブランチに置いてきたんじゃない?
トラスク
そんなはずないさ。ロングブランチに金庫のコンビネーションを置いてきて
どうする?
グローバー
ほかのものと一緒に引っ張り出したのかもしれませんね。
トラスク
いや、ポケットにはほかに何も入っていない。(舞台後方に行きかけ、立ち
止まる)そうだ。思い出したぞ。
グローバー
どうしたんです?
トラスク
ストリックランドにやったんだ。
グローバー
ストリックランドに?
トラスク
そうだ。いまあいつの家から帰ってきたんだ。日曜日にロングブランチに来
いと言って、名刺に住所を書いたんだ。
グローバー
名刺にコンビネーションが書いてあったことは間違いありませんか?
トラスク
ああ。裏側をひっくり返して見ようともしなかった。まったく不注意だな。
会計簿は明日まで待ってくれ。(上手後方に行きかけ、中央下手寄りへむか
う)
グローバー
まあ、急ぐことはありませんから。
トラスク
(考えながら)待てよ。コンビネーションを思い出せそうだな。(金庫のほ
うに行き、ダイヤルをいじくる)いや、これじゃないか。
グローバー
朝まで待ってもかまいませんよ。
トラスク
君、話しかけられると番号が思いだせんじゃないか。分かった。ほら。(金
庫を開ける)さあ、どうぞ。(上手に行き、本棚の加湿器をいじくる)
グローバー
ありがとうございます。(金庫のところに行き、会計簿を取り出す)今晩は
お仕事をなさいますか?(テーブルの下手側に座る)
トラスク
いや、そのつもりはない。早めに寝たいんだ。一日中ゴルフで疲れたよ。
ミセス・トラスク
少し出発を日延べしてくれたらよかったのに。みんなでロングブランチに行
けたじゃない。
トラスク
いつ行くんだい?(中央上手寄りに移動)
ミセス・トラスク
月曜日。一緒に行かないの?
トラスク
土曜日の晩に行くよ。
ミセス・トラスク
どうして?
トラスク
日曜日に仲間と釣りに行くんだ。君も来るか、グローバー?
グローバー
ありがとうございます。喜んで。
トラスク
ストリックランドも来るよ。
グローバー
いつ西部から戻ったんです?
トラスク
今晩さ。電報でうちに来いと言われてね。
グローバー
例の手形はどうなさるんですか。支払期限は二十二日だったのに。
トラスク
払ってくれたよ。(テーブルの上手側に座る)
グローバー
払ったんですか?
トラスク
ああ。ここに一万ドルがある。(ポケットから金を取り出し数える)
グローバー
驚きましたね。払えないだろうと思っていたから。
トラスク
クリーブランドの取引先からかき集めたらしい。今晩あいつの家に行ったら、
この一万ドルを用意していてね。無理にもらいたくはなかったから、困ってい
るなら、返すのはもう少し先でもかまわないって言ったんだ。
グローバー
彼はなんて言いました?
トラスク
聞く耳持たずさ。返してきれいさっぱりになりたいんだと言っていた。
グローバー
ストリックランドらしいな。あくまで潔癖なところが。
トラスク
そうだな。
グローバー
彼はいい男ですよ。事業がうまくいかなかったのは気の毒だけど。
トラスク
まあ、ビジネスなんてそんなものさ。誰かが失敗しなきゃならない。
グローバー
ストリックランドはがっくりしてますよ。奥さんのことがあるせいでしょう
ね。大の愛妻家ですから。
ミセス・トラスク
奥さんて、すてきな人なの?
トラスク
(あくびしながら)さあなあ。会ったことがない。(グローバーに金を渡す)
一万ドルは金庫にしまっておいてくれ、グローバー。(ミセス・トラスクはフ
レンチ・ウィンドウのほうへ行く)
グローバー
どうして現金なんです?(立ち上がる)
トラスク
それがね、かき集めるのにえらく苦労したから、千ドル札十枚で返して、わ
たしを驚かせたくなったらしいよ。明日の朝、銀行に預金しておいてくれ。
グローバー
分かりました。(金庫のところへ行く。そのそばで)鍵を掛けますか?(ダ
イヤルを回すあいだ、身体で金庫を隠す)
トラスク
うん。(上手後方に行く。棚の本をいじくる)
グローバー
(立ち上がり)ほかにご用は?
トラスク
とくにないよ。
グローバー
それじゃ部屋に帰ります。(会計簿を取り上げる)朝までに用意しておきま
すよ、ミセス・トラスク。
ミセス・トラスク
ありがとう、ミスタ・グローバー。お休みなさい。(上手前方へ。ソファに
座る)
グローバー
お休みなさい。
トラスク
お休み。(上手前方へ)
ミセス・トラスク
お休み。
(グローバー、下手より退場)
トラスク
(グローバーに呼びかける)そうだ、グローバー。
グローバー
何でしょう。
トラスク
さっきの名刺だが、ストリックランドから返してもらうことを忘れちゃいけ
ないから、明日、一言注意してくれ。
グローバー
分かりました。
トラスク
(あくびをしながらミセス・トラスクを見る)わたしは寝るよ。(帽子とコ
ートを取り、下手へむかおうとする)
ミセス・トラスク
(立ち上がる)ジェラルド、あの女は誰なの?(中央にむかっていく)
トラスク
どの女だい?
ミセス・トラスク
さっき電話を掛けてきた人。
トラスク
まだ気が済まないのか? さっき言っただろう、知らないって。
ミセス・トラスク
知っているくせに。
トラスク
(下手へ行きながら)お休み!
ミセス・トラスク
逃げないで。あの女が誰なのか、知りたいわ。
トラスク
こんなふうにがみがみ言って、いったい何になるんだ? 知らないって言っ
ているじゃないか。仕事の話でもあったんだろう。
ミセス・トラスク
夜中のこんな時間に仕事の電話なんかかかってこないわ。そんなこと、百も
承知でしょうに。
トラスク
じゃあ、何だと言うんだね?(帽子とコートを下手の椅子に置き直す。テー
ブルの下手側に座る)
ミセス・トラスク
あなたはちっとも変わろうとしないのね。(テーブルの上手側に座る)
トラスク
わたしには一分間の平和もないんだな。女学生みたいにやきもちを焼いたり
して。
ミセス・トラスク
やきもちですって!
トラスク
そうだよ。いつもたわいのないことで大騒ぎする。
ミセス・トラスク
あら、これがたわいのないことなの?
トラスク
わたしが女を見たり、女が話しかけてきただけで、相手の喉もとに飛び掛か
ろうとするじゃないか。
ミセス・トラスク
あなたがその原因をつくっていると思わないの? あなたのその振る舞いが。
妻があることをお忘れのようね。
トラスク
おまえは忘れる暇も与えちゃくれない。二人きりになったら、いっつもこれ
だ。
ミセス・トラスク
じゃあ、どうしてわたしを妻として扱わないんです?
トラスク
いったい何が不満なのか、分からんね。わたしは殴ったりはしないだろう?
欲しいものは何でもあげている。おまえの好きなときに、好きなところへ行
かせ、使い切れないくらいの小遣いもやっている。時間だってちっとも拘束
しちゃいない。そんな女がどれだけいると思っているんだ?
ミセス・トラスク
わたしがそんなことしか気にかけないと思っているの? わたしにとって結
婚がお金を使ったり、娯楽にふける以上のことを意味するとは考えないの?
夫に見放された結婚なんてなんの意味があるの?
トラスク
やめてくれよ、そんなしめっぽい話しは。
ミセス・トラスク
(上手に行く)いままで本当の意味で結婚するってどういうことか分からな
かった。六年間、わたしは隠れるように生きてきた。あなたの家族に気に入
られなかったから。
トラスク
しかし、それで損したわけじゃないだろう。おやじがわたしを勘当していた
ら、いま贅沢な生活はできなかっただろうからな。
ミセス・トラスク
あなたにとってはお金がすべてみたいね。結婚してからずっとそうだったわ。
わたしは結婚のことを隠したくはなかった。でもあなたはわたしのことより遺
産のほうを大切にした。
トラスク
おやじがわたしを一文無しにしていたら、そんなことは言わなかっただろう
よ。
ミセス・トラスク
あなたのお金のすべてをもってしてもわたしを幸せにはできなかったわ。わ
たしが十五年間耐えてきたものを、ほかのどんな女が耐えられるというので
しょう。あなたに男らしさがひとかけらでもあったなら、もっとまともな生
活を送っていたでしょうね。わたしのためとは言わないまでも、あなたの子
供たちのために。
トラスク
また子供の話か!
ミセス・トラスク
(ソファに座る)あなたは子供たちのことなど考えてもいない。もうすぐ物
心のつく年頃だというのに。
トラスク
(テーブルをたたいて立ち上がる)なんだ、それがどうした。子供たちにも
欲しいものはなんでも与えている。(妻のほうへ歩み寄る)いい教育を受け
させ、小遣いもたっぷりやっているじゃないか。子供たちがわたしに要求で
きるのはそれだけだ。
ミセス・トラスク
子供を不名誉とともに世の中に送り出そうというのね――。
トラスク
不名誉だなんて馬鹿馬鹿しい。わたしはまっとうに生きているぞ。
ミセス・トラスク
よくそんなことが言えるわね!
トラスク
いや、まっとうに生きているさ。まさか暇をもてあました男みたいに、暖炉
のそばで両手の親指をくるくる回すことなど、わたしに期待はしていないだ
ろう? そんなことは三十年後にたっぷりやる時間がある。もっともその頃
には子供たちのほうがわたしに生活を合わせようとしないだろうがね。違う
かい。
ミセス・トラスク
あなたは何度も変わるって約束したわ。
トラスク
そうしなけりゃ平和は得られないからな。(テーブルの上手側に座る)
ミセス・トラスク
これ以上は耐えられない。
トラスク
じゃあ、どうするんだい。
ミセス・トラスク
離婚よ。(夫のほうにむかっていく)
トラスク
じゃあ、そうしろよ。止めはしない。
ミセス・トラスク
でしょうね。そうなったら喜ぶでしょうね。(中央上手寄り後方へ行き、そ
こから下手側へ)
トラスク
わたしは後悔なんかしない。そいつは間違いないね。
ミセス・トラスク
あなたみたいな人といままで一緒だったなんて!
トラスク
ふん、なんだって一緒だったんだ?
ミセス・トラスク
(テーブルの下手側に座る)分かっているでしょう。子供たちのために体面
を保たなければならなかったのよ。子供たちの評判のためよ。
トラスク
そしてわたしが君のめんどうをよく見たからだ。
ミセス・トラスク
その言い方、まるでわたしに自尊心を捨てさせるために今までお金を払って
きたみたい。もう我慢できないわ。(下手側へ)
トラスク
好きなようにするさ。
ミセス・トラスク
そうするわよ。明日あなたを告訴する。
トラスク
さっそくどうぞ。
ミセス・トラスク
ずっと前にそうするべきだった。
トラスク
どうしてしなかったんだ?
ミセス・トラスク
(夫のほうにむかってくる)あなたの言葉をいつも信じていたから。いつも
自分をごまかすように、あなたは変わるものと信じていた。待つのが長すぎ
たわ、十三年も。グレート・ネックの事件のあと、気がつくべきだった――。
トラスク
おいおい。
ミセス・トラスク
わたしは忘れていないわ。十三年前のことだけれど。あのいじらしい純真な
ミス・ディーンのこと。あんな事があったあとも、あなたと一緒に暮らして
きたなんて。(上手側へ)
トラスク
過去を蒸し返すのはやめろよ。(彼女のほうに歩いて行く)
ミセス・トラスク
いいえ、蒸し返すわ。包み隠さず全部話してやる。
トラスク
聞けよ、ジョーン、騒動を起こして何の得があるんだ? 一緒に仲良くやっ
ていけない理由なんか何もありはしないよ。(妻の手を取ろうとする)
ミセス・トラスク
いいえ、あなたには愛想が尽きました。(上手ソファに座る)十回以上許し
てあげたのに、また同じことの繰り返し。
トラスク
(彼女におおいかぶさるようにソファに座る)もう二度としないよ。わたし
にどうして欲しいんだね?
ミセス・トラスク
(夫のほうを振りむく)わたしが望んでいるのは――。いいえ、無駄だわ。
結局は何も変わらない。
トラスク
そんなことはない。この上さらに君が望むものとはなんだい? その通りに
すると約束する。
ミセス・トラスク
前にもそういって約束を破ったわね。
トラスク
でも今度は真剣なんだ。
ミセス・トラスク
いつもそう言うわ。
トラスク
じゃあ、君を納得させるチャンスをくれ。今度ばかりはまじめに言ってるん
だ。わたしを離婚裁判所にひきずりこんで何になるって言うんだ? 君が苦
しむだけだよ――君と子供たちが。スキャンダラスな新聞ネタになるだけ。
もう一度やり直そうじゃないか。
ミセス・トラスク
ジェラルド、そうするとしても、これが最後よ。
トラスク
(彼女の手を取り)よかった! 初めからやり直すんだね?
ミセス・トラスク
ええ。
トラスク
過去のことは水に流して?
ミセス・トラスク
そうね――。
トラスク
(キスをする。立ち上がって下手へ行き、帽子とコートを取って下手のドア
にむかう)よし、これで片がついた。
ミセス・トラスク
ジェラルド、約束は守るわね?(立ち上がって中央へ)
トラスク
守ると言ったじゃないか。
ミセス・トラスク
じゃあ、あの女と別れると約束して。
トラスク
どの女だ?
ミセス・トラスク
電話の女よ。
トラスク
(彼女のほうへ歩いてくる)おいおい、勘違いしているぜ。今度ばかりは邪
推だよ。
ミセス・トラスク
誓える?
トラスク
もちろん。
ミセス・トラスク
それなら謝るわ。(夫の肩に手を置く)
トラスク
気にしちゃいないよ。
ミセス・トラスク
今度はうまくいくように努力しましょう。(二人はキスをする)
トラスク
ああ、よかった! じゃ、寝るとしよう。くたくたに疲れたよ。お休み。(下
手に行く)明かりはつけておくかい?
ミセス・トラスク
消してちょうだい。お休み!(上手に行く)
トラスク
(電気を消す)お休み。(舞台暗くなる。トラスクは寝室に入る)
ミセス・トラスク
お休み。
(暗転)
(ミセス・トラスクは上手の寝室へ。舞台は暗い。グローバー、中央上手寄り
から登場。金庫のほうへ行き、扉を開け、現金箱から金を取り出そうとし――
箱を落とす。ミセス・トラスクがドアノブをがたがた鳴らして上手より登場)
ミセス・トラスク
そこにいるのは誰? 誰かいるの?
(その瞬間にグローバーは彼女をソファに押し倒す。争っているところへスト
リックランドが後方の窓から入ってくる。グローバーが物音を聞きつけ顔を上
げる。ストリックランド、部屋の中に入り、グローバーは上手側の暗闇に消え
る。ストリックランドはミセス・トラスクのもとへ行き、呆然と彼女を見る。
電話が鳴る。トラスクがふらふらと寝室からあらわれ電気をつける。――明転
――ミセス・トラスクは床の上に横たわっている。ストリックランドは彼女の
脇にしゃがんで、拳銃をむけている)
トラスク
(電話にむかって)もしもし! ああ、トラスクです。メイ、君か?
ストリックランド
き――貴様――(発砲するが狙いはそれる。同時にミセス・トラスクが悲鳴
をあげる。トラスクは受話器を落とし、くるりと反対をむく。ストリックラ
ンドは再び銃を撃ち、トラスクは絶命して倒れる。グローバーが下手より重
い杖を持って飛び出し、ストリックランドに打ちかかろうとする。彼が杖を
振りかざすと、ストリックランドは反射的に腕を上げる。杖はストリックラ
ンドの前腕をしたたか打つ。拳銃は手から落ち、腕は脇にだらりと垂れ下が
る。彼はうめき、床にうずくまる)
ミセス・トラスク
(中央へ)大変、ジェラルドが殺されたわ!
グローバー
医者を呼んでください。(電話をかける音)
ミセス・トラスク
ジェラルド! ジェラルド!
(暗転。幕)
第二場
法廷
グレイ
なるほど、それで?
ミセス・トラスク
数分後に警察が来ました。
グレイ
ご主人はその時にはもう絶命していたのですね。
ミセス・トラスク
さようでございます。お医者様は即死だったと。
グレイ
さて、ミセス・トラスク、あなたは警察が到着する前に金庫をご覧になりま
したか。
ミセス・トラスク
ええ。開いておりました。
グレイ
なくなっている物がありましたか。
ミセス・トラスク
はい。一万ドルがなくなっていました。
グレイ
以上です、ミセス・トラスク。(着席する)反対尋問をどうぞ、ミスタ・ア
ーバックル。
アーバックル
(立ち上がる)ミセス・トラスク、あなたを襲った男を見ましたか――金庫
を開けた男を?
ミセス・トラスク
いいえ。いきなり襲われましたし、部屋の中は真っ暗でした。
アーバックル
ミスタ・トラスク以外、誰も金庫のコンビネーションを知らないということ
は間違いないですか。
ミセス・トラスク
ミスタ・ストリックランドが知っていました。
アーバックル
質問に対する答えをなしていません。削除の動議を提出します。
グレイ
(飛び上がって)なんですと――? 裁判官。
ディンズモア
動議を却下します。
アーバックル
異議を申し上げます。ミセス・トラスク、ストリックランドとあなたの助手
のあいだで言葉のやりとりがありましたか。
ミセス・トラスク
よく憶えていません。耳鳴りがして。絞め殺されそうになったのです。
アーバックル
あなたの知るかぎり、二人は話しをしなかったと?
ミセス・トラスク
どちらとも言えませんわ。
アーバックル
ミセス・トラスク、「メイ」というのは誰かご存じですか。
ミセス・トラスク
いいえ。まったく知りません。
アーバックル
これ以上質問はありません、裁判官。
グレイ
これで終りです、ミセス・トラスク。(彼女は証人台を降り、上手に行くが、
退場する前に立ち止まってストリックランドを見る)ドクタ・モーガンは証
人控え室にいるかね?
廷吏
(ドアを開け退場)ドクタ・モーガン!(返事がない)
グレイ
(ミセス・トラスクが退場するまで待ち、裁判官ディンズモアにむかって)
ドクタ・モーガンはミスタ・トラスクの死体を検視した医者であります、裁
判官。遅れるかも知れないとのことでした。
(廷吏入場)
廷吏
ドクタ・モーガンは来ていません。
グレイ
裁判官のお許しがあれば、裁判に遅れをきたさないよう、ミスタ・グローバ
ーを喚問したいと思いますが。
ディンズモア
いいでしょう。
グレイ
ミスタ・スタンレー・グローバーを呼びたまえ!
廷吏
(上手のドアを開け、呼びかける)スタンレー・グローバー。
(グローバー、上手より登場)
グレイ
ミスタ・グローバー。証人台に立っていただけますか。
(グローバー、証人台に立つ)
書記
右手をあげてください。これからあなたが行う証言はすべて例外なく真実で
あることを神に誓いますか? お名前は?
グローバー
スタンレー・グローバーです。
グレイ
(舞台前方で)ミスタ・グローバー、あなたはミスタ・トラスクの私設秘書
を勤めていましたね。
グローバー
そうです。
グレイ
六月二十四日の晩、ミセス・トラスクの会計簿を持って書斎を出てから、あ
なたは何をしましたか。
グローバー
すぐに自室に行きました。
グレイ
それから起きたことを説明してください。
グローバー
会計簿を調べ始めて半時間ぐらい経ったとき、ピストルの音がしました。そ
れからミセス・トラスクの悲鳴が聞こえ、そのあとでもう一度ピストルの音
がしました。わたしは部屋にあった太い杖を持って下の書斎に駆け下りまし
た。ミスタ・トラスクの身体が床に横たわり、ストリックランドが銃を手に
して部屋の反対側に立っていました。
グレイ
それから何をしたのです?
グローバー
ストリックランドにむかって突進し、杖で腕を打ちました。彼は拳銃を落と
し、床に倒れました。
グレイ
部屋に入ったとき、ほかに人がいるようでしたか。
グローバー
いいえ。後ろのフレンチ・ウィンドウは開いていました。そこから逃げたに
違いありません。
グレイ
で、そのあと何があったんです?
グローバー
ミセス・トラスクが警察に電話しているあいだ、わたしはストリックランド
を見張っていました。そのときミスタ・トラスクが金庫のコンビネーション
を書き記した名刺をストリックランドに渡したと言っていたことを思い出し
たんです。それで、もしかしたら名刺を持っているんじゃないだろうか、(ア
ーバックル、陳述をさえぎる)持っていたら、証拠として警察の役に立つだ
ろうなと思ったんです。
アーバックル
異議あり。証人は自分が思ったことを証言しています。
ディンズモア
認めます。その部分は削除してください。
(速記者、削除する)
グレイ
(舞台後方で)あなたがしたこと、見たことだけをお話しください、ミスタ・
グローバー。
グローバー
ええと、わたしはストリックランドのポケットを探り始めました。
グレイ
それは警察が到着する前ですね?
グローバー
そうです。証拠を湮滅してしまうんじゃないかと思いまして。
アーバックル
(飛び上がって)裁判官、質問されたこと以外は発言しないよう証人に指示
することを要求します。
ディンズモア
認めます。ただいまの返答を削除してください。(グローバーにむかって)
聞かれたことだけについて発言してください。自分からは何も言ってはいけ
ません。また心のなかで思ったことを話してはいけません。よろしいですか。
グローバー
分かりました、裁判官。
ディンズモア
続けてください、ミスタ・グレイ。
グレイ
ミスタ・グローバー、あなたはストリックランドのポケットから名刺を取り
出しましたか。(上手テーブル上の綴じ込みから名刺を取り出す)
グローバー
はい。
グレイ
これですか?(グローバーに名刺を手渡す)
グローバー
(調べながら)はい。
グレイ
(グローバーから名刺を受け取る)これを証拠として提出します、裁判官。
(速記者に名刺を渡すと、速記者はそれに印をつけグレイに返す)
グレイ
(上手中央へ――陪審員にむかって)この検察側証拠物件Aは名刺でありま
す。表には古い活字体で「ミスタ・ジェラルド・トラスク」と名前が刻まれ、
その下には「ロングブランチ、ヘンダーソン・プレイス206番地」と鉛筆
書きされています。裏側には言葉と数字が書かれています。「14右2,27
左3」とです。筆跡についてご質問がありますか、ミスタ・アーバックル?
アーバックル
それが本物だということを示してください。
グレイ
(舞台前方へ)ミスタ・グローバー、あなたはミスタ・トラスクの筆跡をよ
くご存じですか。
グローバー
ええ、確実に判定できますよ。
グレイ
手紙や書類でよく見ていたんですね?
グローバー
何百回も。
グレイ
(グローバーに名刺を渡す)名刺をお見せしますので、「ロングブランチ、
ヘンダーソン・プレイス206番地」という住所がミスタ・トラスクの筆跡
かどうか答えてください。
グローバー
彼の筆跡です。
グレイ
では名刺を裏返してください。「14右2,27左3」という言葉と数字は
ミスタ・トラスクの筆跡ですか。
グローバー
そうです。
グレイ
間違いありませんか。(名刺を受け取る)
グローバー
絶対間違いありません。
グレイ
「14右2,27左3」という記号の意味を知っていますか。
グローバー
はい。ミスタ・トラスクの金庫のコンビネーションです。
グレイ
どうして知っているのです?
グローバー
警察が来たとき、わたしがこの名刺を差し出したんです。警察は金庫を閉め、
それからこのコンビネーションで開けました。
グレイ
さて、ミスタ・グローバー、名刺がほぼ二つに引き裂かれていることに注意
してください。どうしてこうなったのか、説明できますか。
(ゆっくりと幕)
グローバー
はい。ストリックランドのポケットから名刺を取り出したとき、彼にひった
くられ、半分に裂かれそうになったんです。その前にわたしがなんとか取り
返したのですが。
グレイ
なるほど! で、そのあと何があったのですか。
(註 グレイの台詞はカーテンが降りたあとに発せられる)
第二幕
第一場
法廷
グレイ
ドクタ・モーガン、ミスタ・トラスクの遺体の状態を説明してください。
モーガン
(証人台に立っている)銃創が二つありました。
グレイ
詳しく説明してください。
モーガン
一つは銃弾が右肩をかすってできた軽い傷です。
グレイ
もう一つは?
モーガン
もう一発は左の胸から貫入し、心臓に達していました。
グレイ
以上です、ドクタ・モーガン。
アーバックル
反対尋問はありません、裁判官。
(モーガン、証人台を降り、上手へ)
グレイ
検察側の証人喚問は以上です、裁判官。
ディンズモア
弁護側どうぞ、ミスタ・アーバックル。
アーバックル
ミス・ドリス・ストリックランドを喚問します。
(廷吏、上手から出ていき「ドリス・ストリックランド」と呼ばわる)
ストリックランド
(飛び上がって)やめてください、裁判官――証言させないでください。わ
たしの娘なんです。彼女だけなんです、わたしに残されているのは。証言は
やめさせてください。
ディンズモア
本件に関することは弁護士にお任せなさい。弁護士があなたの権利を守りま
す。
(アーバックル、ストリックランドを座らせようとする)
ストリックランド
わたしは守られたくはない。娘を守ってください。ここに引きずり込まない
でください。(座る)
(ドリス、上手から登場。ストリックランドに近づくと両腕を巻き付ける)
アーバックル
ほら、ストリックランド、放してあげなさい。ドリス、あそこの椅子に座る
んだ。
ストリックランド
(立ち上がって)やめてくれ。彼女をここから出してくれ。わたしには娘し
かないんだ。
アーバックル
ここだよ、ドリス。(ドリスを証人台に立たせる)
ストリックランド
裁判官、娘を巻き込まないでください。そのほかのことは何も要求しません。
あなただって人の子でしょう、裁判官、恐らく父親でもあるでしょう――。
ディンズモア
わたしにはどうすることもできません。あなたに裁きを下す法の執行人にす
ぎないのですから。法の命ずるところに従うまでです。続けなさい、ミスタ・
アーバックル。
(ストリックランド、椅子に沈み込み、顔を腕のなかに埋める。アーバックル、
上手のテーブルのほうへ行く)
グレイ
(立ち上がる)裁判官、恐れながら、この子供の証言能力をご確認いただき
たいと思います。
アーバックル
異存ありません、裁判官。
(グレイ、座る)
ディンズモア
いまいくつかね、ドリス?
ドリス
十一月六日で九つになります。
ディンズモア
学校には行っているかね?
ドリス
はい。わたし、進級したんです。いまは初等中学に行っています。
ディンズモア
日曜学校には行ったことがあるかな?
ドリス
はい。お母さんがいなくなる前は毎週日曜日に行っていました。でもいまは
ヘレンおばさんが許してくれないんです。みんながわたしのことを噂するし、
泣かそうとするから。
ディンズモア
人はいつも真実を話さなければならないということを、日曜学校で習ったか
ね?
ドリス
はい。十戒の一つにあります。「あなたは隣人について偽証してはならない」
嘘をついてはいけません、という意味です。ウエストン先生がおっしゃいま
した。
ディンズモア
ウエストン先生とは誰ですか?
ドリス
日曜学校の先生です。十戒をぜんぶ教えてくれました。暗唱しましょうか。
ディンズモア
いまはいいですよ。(グレイに)証言できると思います。続けてください、
ミスタ・アーバックル。
アーバックル
ドリス、フルネームをいってください。
ドリス
ドリス・ヘレン・ストリックランド。
アーバックル
お父さんは誰ですか。
ドリス
お父さんはあそこ。(彼女は台から降りようとするが、アーバックルが押さ
える)
アーバックル
ロバート・ストリックランドがお父さんですね?
ドリス
そうです。
アーバックル
ドリス、ミスタ・トラスクが撃たれた晩のことを覚えていますか。
ドリス
はい、覚えてます。(間があく)
アーバックル
お父さんは出かけていましたか?
ドリス
そうです。クリーブランドでわたしたちが住む家を買っていました。
アーバックル
そしてその晩に帰ってきたんだね?
ドリス
はい。
アーバックル
お父さんが帰ってくる前、あなたはどこにいましたか。
ドリス
居間にいました。
アーバックル
七時半頃だね?
ドリス
はい。
アーバックル
何をしていましたか。
ドリス
お父さんを待っていました。
アーバックル
ああ、そうだね。でも本を読んでいたのかな? 遊んでいたのかな? それ
ともじっと座っていたのかな?
ドリス
ピアノのけいこをしていました。
第二場
(舞台は暗く、ピアノの音が聞こえる。明転するとストリックランドの家の書
斎。下手の近くに出入り口。上手後方にドリスの部屋につながるドア。ドリス、
ピアノを弾いている。下手側ソファの後ろの小さい椅子に座り、人形と遊ぶ。
メイが下手から登場。電話のところへ行き、持っている名刺に書かれた番号を
見る)
メイ
(電話のそば。ソファに背中をむけて)もしもし。ジャージー・シティ40
00番をお願い……もしもし。ジャージー鉄道ですか?……落とし物の係を
お願いします……もしもし。わたし、ニューヨーク・シティのミセス・ロバー
ト・ストリックランドと申します……そうです。わたしのお財布、見つかり
ましたか……間違いありません?……さあ、分かりませんわ。昨日の午後、
ロング・ブランチから乗ってきたんです。そうしたら、汽車を降りたとき、
ハンドバッグが開いていることに気づいて。きっとお財布を落としたんだと
思います……ええ、ロング・ブランチの駅長さんに何度か電話しました……
いいえ、ありませんでした……駅長さんがそちらに問い合わせるようにと…
…(ドリス、ソファに座る)昨日ロング・ブランチから四時十七分に出発し
た汽車なんですが。……小さい黒いベルベットのお財布です……お札で四十
ドルくらい、それからわたしの名前と住所を記した名刺と、とても大切なメ
モ帳と……そうだといいのですが……分かりましたわ。失礼します。(電話
を切り、振り返ってソファの後ろからあらわれたドリスを見る)ドリス!
どこから出て来たの?
ドリス
ソファの後ろに座っていたの。
メイ
(テーブルの下手側に座る)あんなところでいったい何をしていたのよ。
ドリス
お人形さんと遊んでいたの。(メイに近寄る)お母さん、落とし物って、あ
のすてきな、ふわふわした、黒い財布?
メイ
よくお聞き、ドリス。お父さんが帰ってきたとき、財布のことは何も言っち
ゃだめよ。
ドリス
どうして?(母の横にひざまずく)
メイ
なくしたことが分かったらお父さんが怒って、心配するから。お父さんを心
配させたくないでしょう?
ドリス
うん。でも、お母さん、きのうはお買い物じゃなかったの?
メイ
もちろんよ。
ドリス
でもロング・ブランチに行っていたって言ってたじゃない。
メイ
お友達が行っていたのよ。わたしは彼女にお財布を貸して、なくされちゃっ
たの。
ドリス
お友達ってだれ?
メイ
あなたの知らない人。
ドリス
どうしてお財布を貸したの?
メイ
自分のお金を持ってなかったからよ。
ドリス
でも、お母さん、それって電話の相手に嘘をつくことにならない……?
メイ
いいえ。そのことはいつか説明するわね。何も言わないってお母さんに約束
してちょうだい。(下手からドアのバタンと閉まる音)
ドリス
約束する。
ストリックランド
(舞台の外で)ただいま、バーサ、元気かい?
バーサ
おや、お帰りなさい、ご主人様。
ストリックランド
何もなかったかな?
ドリス
お父さんだわ、お母さん! お父さん!(走って舞台の外へ)
(メイ、名刺をドレスの胸元に隠し、人形を椅子の上に置く。中央下手寄りへ
移動)
ストリックランド
(呼びかける)そうら、お父さんが帰ってきたよ。ただいま、お嬢ちゃん!
ドリス
おかえり、お父さん! おみやげは?
ストリックランド
すてきなおみやげがあるぞ。もう一回キスしておくれ。お父さんが帰ってき
てうれしいかい?
ドリス
お母さんもわたしもさびしかったわ。
ストリックランド
お母さんはどこだい?
ドリス
中よ。(ドリスとストリックランド登場。メイは待っているしぐさ)
ストリックランド
ただいま、メイ!
(ドリス、テーブルにバッグを置き、二人の後ろに回る)
メイ
(駆け寄る。興奮している)まあ、あなた! お帰りなさい。